#02
木曜日の放課後、崇史は約束通り写真部の部室へ向かった。いつもはホームルームが終わった後、吹奏楽部の練習へ急ぐ同級生の平井と別れてから、そのまますぐに帰ってしまう。放課後の学校の雰囲気は新鮮だ。運動部はスポーツ推薦で入学した生徒ばかりで、普通に部活動を楽しみたい程度では、レギュラーどころか練習にもついていけない生徒がほとんどだ。一応文化部もあるのだが目立たず、どこで活動しているのかも気にしたことがなかった。文化部の中では一番の花形である吹奏楽部は、あまりの厳しさに毎年退部者が多数出ると平井から聞いている。そういったことも含め、崇史は課外活動に興味が持てない。そもそもが無気力なのだ。
何かに熱くなるのは格好悪い。綺麗事ばかり言うのは馬鹿らしい。斜に構えて嘲笑うのもみっともなくてやりたくない。でも、どういうものを見れば自分はかっこいいと感じられるのかもわからない。だからどういう態度で生きていればいいのか、全然わからず戸惑っている。何も得ない代わりに何も失わない人生だって、別にいいじゃないか。そうやってやり過ごしてきた。
入学三年目にして初めて立ち入るクラブハウス棟の四階に、写真部の部室はあるという。私立なんだからエレベーターくらい作れよな、と階段を上がり、各部室の前に掲げられたプレートを順番に読む。手芸部、文芸部、映画部、クイズ研究会。そんなのあったのか、と今更驚く。インターアクト部って一体なんだ。迷路に迷い込んだような錯覚を受けながら、写真部の部室を見つけた。
写真部の部室のドアを軽くノックしてから開けると、既に数名の生徒がいて一斉に崇史の方を見た。「入部見学?」と声をかけてきたのは、一年生の時に同じクラスだった椎野だ。顔見知りがいて少し安心する。
「小谷野先生に去年の文化祭の写真が欲しいって言ったら、ここに来いって」
なんだ、とみんな少しがっかりした様子をみせる。文化祭ならアルバムがあるよ、と椎野が棚の中からファイルを出してくれた。部員がそれぞれカメラを持って学校内を回った写真は、撮影者ごとに微妙なトーンの違いがある。崇史が友達とスマートフォンでたまに撮るような、気負いのないスナップ風のものはない。善し悪しはわかりかねるが、これらの写真が作意を持って撮られたものだとわかる。
「結構ちゃんとしてんだね」
「昔は本格的だったらしいけど、今はかなり緩いよ。みんなデジタルで、フィルム使ってんの俺だけ」
椎野は父親のお下がりだというコンパクトカメラを見せてくれた。崇史もさすがにフィルムを入れるカメラの存在は知っているけれど、実物を間近で見るのは初めてだった。
「フィルムは金がかかるしね。デジカメも使ってるけど、ここぞという時の撮影はフィルムで撮りたい」
「写真なんてスマホで撮ればいいじゃん」
「それはね、魚なんて竿じゃなくて手掴かみで捕ればいいって言ってんのと一緒だよ」
「一緒じゃないと思う、それはさすがに違う」
「でも仕上がりは全然別物だよー。光の色合いとか滲みとか、フィルム特有の感じが出るもん」
あまりピンとこないまま崇史がアルバムを捲っていくと、一番後ろの数ページは明らかに他のページより洗練された雰囲気のものが並んでいる。おそらく小谷野が撮ったものなのであろう。淡く色を失っていくような、柔らかな光に照らされた生徒たちの姿。大きな口を開けて笑いあっているのにどこか寂し気だったり、退屈そうに床に座り込んでいる子が微笑ましく見えたり。見慣れた校舎と自分も体験した出来事の記録のはずなのに、現実のなかに数パーセントの夢が入り込んでいるような世界に見える。その中に例の写真が紛れ込んでいた。
先生からはこんな風に世界が見えていたんだ。階段の上と下、先生と生徒、それぞれ違う角度から見ている世界はうまく交わらない。しかし写真という形でその視点を分け与えられたような気がした。写真なんて、楽しい瞬間を記録するだけのものだと思っていた。だけどそうじゃない何かがここにあって、それがあの頭の中で電球みたいにチカチカする光の正体なのだろうか。
その写真を崇史がスマホで写真に収めると、隣にいた椎野に酷いことするなと呆れられた。
「後でちゃんと先生がプリントしてくれるんだろ?」
「でもまあ、似たようなものじゃないの」
全然わかってない、酷い、と椎野から苦情が出たので、崇史は渋々スマホを制服のポケットにしまった。
八畳かもう少し広いくらいの部室には長机とパイプ椅子、ファイルの入った棚が置かれ、人が入るとなかなか窮屈だ。パソコンとプリンターはわかるが、得体の知れない機械も置いてある。身長計の上の部分に顕微鏡が合体したような謎の機械。椎野に訊くと、引き伸ばし器だよと教えられる。そう言われても全くわからない。
「あそこにネガをはめて、プリントしたい印画紙のサイズに拡大させるんだよ。かなり古いけどね。現像の機材なんかも全部OBが寄付してくれたやつ。俺は現像も自分でやってるんだ」
説明されてもやっぱりピンと来ないので、とりあえず「なるほど」などと相槌を打っておく。
椎野によると写真部の他の部員は電車を撮るのが好きな二年生男子が二人と、入ったばかりの一年生の女子三人組。そして制服のタイの色から同じ三年生だとわかるが、面識のない女の子二人組。三年女子コンビは、一年生女子たちに気遣って一生懸命話しかけている。
先生まだかな、と崇史がドアの方を振り返ると、三年女子たちがお喋りを止めて話しかけてきた。
「ねえ、ついでに写真部入らない?」
即答では断れず返事に悩んでいると、彼女たちが撮ったというポケットアルバムを見せてくれた。どれも片方の女の子をモデルに撮っている。真っ白なワンピース姿で赤い花束を持って、裸足で川に入る写真。枯れた葦が生い茂る河原で真っ赤なコートを着て佇み、手にした革のトランクは蓋が開いて中からぬいぐるみやアクセサリーなどがこぼれ落ちている写真。他の写真も、撮影場所や衣装小道具を一生懸命工夫して撮られたものばかりだ。楽しんで撮っているのが伝わって来る。二人共、どう? どう? と前のめりで目を輝かせて崇史に迫ってくる。
「凄いちゃんとした写真撮ってるんだね。雑誌に載ってる写真みたい」
崇史は褒めたつもりだったが、二人共揃って、うーんと唸る。
「でも全然載せてもらえないんだよね。毎月雑誌の写真コンテストに応募してるんだけど」
「次、次こそはだよ。何としてでも高校生の内には載りたい」
「ネットでは結構いいねって言ってもらえるのになあ。何がダメなんだろう」
彼女たちの真剣さはこちらの生気まで吸い取っていくようだ。
「なんかさ、そうやって熱中出来るものがあるのって、いいね。何でそんな、熱中出来るものを見つけられんの?」
崇史の発言に、二人は顔を強張らせ、おそらく主導権を握っていると思われる方の女の子、三好舞衣が口を開いた。
「……悪くとらないでね。その言葉は、もう聞き飽きるくらい言われてる。でも熱中出来るものがある人間にとっては、何でそんなに無関心でのうのうと無駄な時間を過ごしてられんの? って感じだよ。上手く説明出来ないんだけど、強く心を揺さぶられて、うわー! って、本当に頭がわーってなって、それをせずにはいられないようなものに出会っちゃったの。何やってても常にそれが頭の隅にあって、払いのけられない。だから、そんなことやっても将来何の役に立たないって言われたくないの。これが私で、これが今一番大事なことだって信じてるから。そのために結果を出さなきゃ」
上気した顔で意気揚々と一気にまくしたてる彼女たち。自分にはそんな崇高な素晴らしい何かには出会えないだろうと、崇史は感じた。みんな同じ制服を着て、同じように十七年を生きてきていると思っていたのに、今までぼやけていた細部の違いがはっきり見えてきた。広い世間で見れば自分と似たような人が大多数だと思うのに、ここではつまらない変な人だと思われてしまう。
子供の頃から人通りの多い道を歩きなさいと、崇史は教わってきた。それと同じで、誰もが通る道を行けば絶対に迷わないし安全だ。なのに何で横道にそれたり獣道に入ろうとするんだろう。夢や憧れなんて持ったって、無駄なのに。しかし彼らの前でそれを堂々と口に出来るほど、その考えにポリシーがあるわけでもないのだ。
「それにしてもさ、なんで今頃文化祭の写真なんて貰いに来たの」
「別に、なんとなく、思い出して……」
椎野の質問に崇史が言い淀んでいると、遅くなってごめんなと小谷野が入ってきた。
「新入部員が入ったことだし、今日は軽くオリエンテーションということでね」
ちょっと待っててね、と崇史に目配せをして、みんなの前で先生らしいそぶりで話し始めた。
「写真部の部活は週一回木曜日の放課後、二時間くらいです。補習や委員会がある人はそっちを優先させて構いません。夏休みや冬休みの長期休暇中は部内で相談の上、活動します。去年は夏休みに日帰りで海へ撮影旅行に行きました。あとは文化祭での展示、体育祭などの学校行事の撮影もあります。高校生の為の写真コンクールもたくさんあるから、資料のコピーを各自に渡します。興味があったら先生に相談してください。フィルムの現像をやってみたいという人は、先生が一から教えられます」
小谷野は部屋の手前に座った部員に資料の束を渡し、皆が一部ずつ取ってテーブルを回ってくるので、崇史もとりあえず一部手に取った。
「どんな機材でも構いません。写真を撮ることの楽しさを知ってもらうのが第一なので、あまり気負わずに。とりあえず撮って、そこにもっとこうした方が良いなという点を見つければ、技術を学んで修正していけばいいですから」
崇史は話を半分聞き流しながら、手元にあるアルバムの写真と小谷野を交互に見比べる。一致するような、しないような。面談の日に一瞬垣間見た素の姿が見ている世界なのだろうか。
「フィルムのカメラを使ったことある人?」
と小谷野が訊くと、誰も手を挙げなかった。ここ数年は毎年こんな感じだね、と新入部員たちに使い捨てカメラを配る。
「とりあえず入部した人には全員にフィルム撮影を体験してもらうことになってるから。ちゃんとしたフィルムカメラじゃないけど、とりあえず入門として。これは君達が使い慣れたデジタルカメラやスマートフォンのカメラと違って、現像するまでどんな写真が写るかわからないし、撮り直しも出来ません。一週間あげるからフィルム一本分撮ってきてください」
他人事のように聞き流していると、
「光村もやらない? 面白いよ」
小谷野はそう言って崇史にも使い捨てカメラを手渡した。断る理由もないので、なんとなく条件反射で差し出されたものを受け取ってしまった。
「ファインダーを覗いて構図を決めて、シャッターを切る、という基本は変わりないですから。難しいことは置いといて、まずは写真を撮るのに馴れること」
それじゃ今日はこの辺で、と部活は早々と解散になり、部屋には小谷野と崇史の二人きりとなった。さっきまでの窮屈さがすっかり取り除かれて、少し落ち着かない。
「じゃあ光村の写真を印刷しないとね」
パソコンとプリンタの電源を入れる小谷野の隣に座り、崇史が渡されたばかりのカメラを構えると、小谷野はそれを横目で見て笑った。
「二十七枚しかないから、慎重にね。無駄な写真は撮れないよ」
そう言われるとなんだか勿体ないような気がして、カメラを下げた。
これだよね、と螺旋階段の写真を印刷したものを渡された。崇史が知っている紙の写真よりもサイズが大きい。2L判というのだそうだ。ずっと頭の片隅で求めていたものが手に入った。この一枚のためにわざわざ来たのだけれど。これだけではなんだか帰り難い。もう少しここにいたくて、必死に話題を探す。
「先生はどういうカメラを使ってるんですか?」
「デジタル一眼レフ。でもそんなにいい物じゃないよ。昔はフィルムで本格的にやってたけど、今は趣味で少し撮る程度だから。友達の結婚式で頼まれてカメラマンやったりね」
他の写真も印刷する? と問われ、アルバムの中から数枚を指差して印刷してもらう。無意識の内に小谷野が撮ったと思われる写真ばかりを選んでしまう。
「デジタルはすぐ結果が分かるけど、際限なく撮って消せるから、気に入らないと何度も何度もやり直し続けて沼にはまる。フィルムは制約が多いから慎重になりすぎる。とりあえず撮っておく、が出来ないからね。シャッターチャンスを選ぶ訓練になるよ」
面談の日と同じようになかなか互いの目が合わない。かといって避けられているわけではなく、会話も普通に交わされる。だからかえってもどかしい。崇史は印刷してもらった写真を、授業のプリントと一緒にクリアファイルに挟む。ありがとうございましたと深くお辞儀をして、部室を後にした。というふりをして、ドアを閉める直前に、数センチ開いた隙間からぼんやりとディスプレイを眺める小谷野の後ろ姿を写真に撮った。
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