6話

 あぁ、イライラする。

「あの馬鹿は一体いつになったら私を迎えに来るのよ」

 綴を見送ってかれこれ数時間は経つが、ショウコはずっと待たされていた。

 椅子に座り、壁に体重を預け、膝を交差して、腕を組み、肘を指で叩きづづけている。爆発するまでもう時間が無い。

「もう怒りました」ショウコはその場から立ち上がる。「殴らないと気が済まないわ」

 綴の身になにか起きたのかもしれない。

 ショウコは綴が歩いて行った通路を辿り、足早に進んでいく。

 だが一つ問題が起きた。いま気付くまで、それがあまりに当たり前のようで、むしろ現実よりリアルな感覚だったから分からなかった。

 綴の存在が感じ取れないのだ。

 ショウコの本体でありマスタは綴の電子領域最深部にある。であれば、どれだけ物理的な距離があろうと、電子領域が崩壊しようと、たとえ綴の存在が希薄になろうと、居場所が察知できるのだ。

 だがなにも反応がない。最初から、そんなもの存在していなかったかのように。

 ショウコは突き当りを左に曲がり、最初の扉へ向かう。優秀なハッカーでも日が暮れる程度の強固なセキュリティが張られていたが、ショウコは一瞬で突破して扉を蹴破った。

 その瞬間、この建物全域の全ての人間に警報がいきわたったのを、ショウコは感じた。どうやら、ここがソフィアの部屋で間違いない。だが中には誰もいない。

 悠長にしていられない。すぐここに大勢が押し寄せてくるだろう。

 部屋の中を散策するが、書類が乱雑に置かれている机と巨大なコンソール以外に、これといったものはない。引っ越してすぐのように整理されている。

 ショウコはさらに部屋の奥へ進もうとするが、すぐに警備兵や神父たちが入ってきた。

「あんたたち、ここに綴がいたと思うんだけど、いまどこにいるの?」ショウコは問う。

 警備兵も神父たちも、ショウコを拘束しようとする思考で頭が塗りつぶされているようで、この部屋のセキュリティを一瞬で突破したことに恐怖すら抱いている。あちらにはショウコが虚構存在だと知られている訳で、仕方ないといえば仕方ないが。

「もう一度聞くわね。綴はどこにいるの?」ショウコは相手を注視しながら再度問う。「もし隠し持っているなら、いま出しなさい。早くしないと――私、気が短いんですけど」

 ショウコは一瞬で警備兵たちの電子領域に殴り込み、綴に関しての情報を持っていないか調べる。予想通りなにも知らないようで、それをこの場にいる複数人の警備兵に、同時で行った。たった二秒で全てを把握して、相手の感覚器官及び認識能力を掌握する――そのまま感覚を遮断。警備兵は一斉に膝から崩れ落ちた。彼らの脳には、無茶苦茶な信号をリフレインさせているため、リアルの構築するための整合性を脳がとることが出来ず、生きているのか、それとも死んでいるのかすら、自分では判断できないだろう。

 泣き出す者がいれば、怒り狂っている者もいる。自分の髪の毛を引き抜く者がいれば、失禁する者もいる。

 ショウコは我に返り、警備兵の意識を遮断して、代わりにリアルを返却した。

 通路の奥から大勢の足音が聞こえる。今度は古臭い銃火器でも携えてきているのだろう。

〈綴、あんたいまどこにいるのよ〉

 ショウコは床に唾を吐き捨てると、胸の内で轟々と猛る炎を抑え、部屋から出た。


 聖堂や周辺の建物にいる人間ほぼ全ての頭の中を調べた。

 だが綴を知っているものはおろか、ショウコたちがここに来た際に対応した神父でさえ、綴に関する記憶が無かった。損傷などではない。元から無いのだ。

 車の運転席に座っているショウコは、ツィーリエに連絡する。

〈君から連絡を寄越すなんてな〉画面越しのツィーリエは幼げな相貌だが、脂ぎった中年の顔をしており、とても嬉しそうだった。〈もしかして、私とこれからホテルにでも……〉

〈そんなこと言っている場合じゃない!〉

 それでもツィーリエは笑顔を崩さない。その、なにが起きているのか全く理解していなさそうな、のうのうとした笑顔にショウコは胸焼けした。

〈物倫の力で綴の居場所を追って欲しい〉

〈そんなことよりも、私は君をホテルに連れ込んでだな。大人の時間を過ごしたい訳なのだが〉

〈あんたの部下が消えたのよ! よくもそんなふざけていられるわね!〉

 だがショウコの怒気はツィーリエに伝わらない。むしろ、今日も元気だなぁといった風に、まるで子供とじゃれているような余裕すら伺える。

〈別にそんなことどうでもいいんじゃないか〉

〈あんた脳みそ腐ってんじゃないの!?〉ショウコはもう我慢の限界だった。〈もういい。私がどれだけの人間の頭をバラしてでも突き止める!〉

 そうやってショウコが通信を切ろうとするが、ツィーリエが宥めてくる。〈まあ、待て待て。ところで要件とはなんだ〉

〈だから綴が消えたから、捜してほしいって何度も……〉

 ツィーリエは首を傾げる。〈その、綴というのは誰だ?〉

 思考が一瞬で停止した。全身から嫌な汗が滲み出てくる。

 ショウコはようやく状況を理解したのだ。

〈おーい、どうしたショウコ?〉

 ツィーリエがなにか言っているが、耳に入ってこなかった。ショウコは急いで一(にのまえ)綴(つづり)の名前とIDを世界統合政府とツェントラールのデータベースで検索をかけた。普通であれば、両方でヒットする。当たり前のことだ。

 だが結果は出てこない。

 つまり、一綴という人物はこの世に存在しない。

〈ショウコ、顔色が悪いぞ?〉ツィーリエも本気で心配してきている。〈なにか問題でも起きたのかね?〉

 反射的に連絡を切った。脱力して、全ての体重を座席に預ける。

 綴がいない。この世界にいない。誰も、この世界すらも、彼のことを覚えていない。

 であれば、自分のマスタはどこへ? 

 アイデンティティはどこに?

 全身から血液が抜け出していくようだった。身体が熱を失い、喪失感がのしかかってくる。全ての感覚が、徐々に、徐々に遠のいていく。

「あんなのが最後なんて……最低よ。死ねばいいのに」

 下唇を噛んだ。痛みは感じない。

 脳が、綴は死んだと猛烈に主張してくる。涙が溢れそうになるのを必死に堪える。

 なにが辛いかと言えば、この感情を理解できる人間は、おそらく自分以外にはもう存在しない。

 こんなのはあんまりだろう。身体が凍え、体温が漏れ出さぬよう体育座りのまま、じっと蹲っていた。 

 考えろ。考えるんだ。

 まだ綴が殺されたのを、その死体を、まだ見ていない。なにより、いま自分は彼のことを覚えているじゃないか。徐々に彼にまつわる記憶もぼやけ始めているが、彼との確かな思い出はまだ鮮明に残っている。

 大丈夫、終わったらまた帰ってくるさ。彼は確かに、そう微笑んだ。

 それが頭に過った瞬間、ショウコは自分の感情に正直になる。

 冷静になれ。考えろ。まだ終わっていない。まだ、だ。なにか手はある。

 綴からなにか連絡がないかと思い確認する。が、彼からのメッセージは届いていない。

 本当に?

 本当にそうなのか? 

 なにか見落としていないか?

 ショウコは、今日フィルターに弾かれたメッセージ及びメールなど全てを確認した。するとその中に、

〈"$BeaFe#lebDk(B??$BebFe""(B"〉

 というメッセージがあった。ショウコはすぐに文字コードを正しいものへ変換すると、「これを頼んだ」と表示される。実は、このメッセージの差出人には名前が無く、IDも検出できない。しかも大きな容量のデータも添付されている。

 半世紀前主流だったポストの投函とは違い、電脳でのやりとりはIDが無ければ出来ない。ウィザード級か虚構存在であれば可能だが、手間がかかり、あまりメリットがない。

 なにか確信めいたものを感じて、ショウコは添付されていたデータを閲覧する。

 そのファイルには、多くの人間の名簿が記されていた。なにより目についたのは、エドガーとリリアンという名前で、赤字で点滅している。膨大な数の名前に目を通しながら、平行して検索をかける。だが誰一人として引っ掛からない。

 エドガーの名前が挙がったことにより、ショウコはこれの差出人が綴だと確信した。

 情報は中途半端な所で途切れている。おそらく彼は暗黒層へと潜り、なにか突き止め、このメッセージを送ってきた。だがその途中、なにかに襲われ、世界は彼のことを忘れた。

 ショウコにはこの現象を知っている。綴は世界から消えたが、失われた訳ではない。ただ世界から弾かれただけなのだ。虚構存在ならそれが出来る。人間という、情報の塊を消化することで。

 再びツィーリエに連絡する。〈ツィーリエ、封印指定措置が必要な相手を見つけた〉

 彼を取り戻す。その為なら、誰であろうと容赦しない。

 ショウコは車にエンジンをかけた。電子領域の端に表示される広告へ目がいく。

〈ケリィ・エンハンスの今日更新した物語が、たった一時間で三千万DL達成〉

 目的地は決まった。ショウコはアクセルを力一杯踏み込み、聖堂を後にした。

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