4話

 エドガーはツェントラールの街を彷徨い続けていた。

 深夜の誰もいない街というのはやはり不気味なもので、立体ディスプレイに映る新人有名作家の新作PRは誰に宛てて流しているのか分からないし、エドガーのいまの心境からは随分と外れた軽快な洋楽があちこちで流れているし、普段人が発する音が取り除かれると、世界はこんなにも様々なもので満たされていたのだと、少々驚いた。それと同時に、人がいないとこんなにも心細いというのも学んだ。

 少しは慣れたが、それでもふと冷静になる度に血の気が引いていく。

 エドガーはずっと誰かを探していた。知り合いなんて贅沢は言わない。人種だって問わない。もちろん言語も。ただ、なんらかの形で意思疎通できる相手が欲しかった。こんなにも物で満ちているのに、まるで無人島にでも流れ着いたような気持ちだった。

 そもそもここはどこなのか。まさか、四半世紀前に終わった大戦が再び起きて、もう世界は滅んでしまったのか?

 エドガーのHWは電脳に繋がっている。であれば、誰かに連絡をすればいいのだが、ことはそう簡単ではない。不思議なことに、情報にアクセスすることは出来ても、吸い上げることも、誰かとやりとりをすることも出来ない。こちらがなにか発信しても、情報自体が粉々になる。こんな現象見たことがない。

 起きていること全てが、エドガーの理解を超えてしまっている。

 この奇怪な現象について出来る限り調べてみたが、だがどれも宗教が絡んでいたり、都市伝説のようなオカルトばかりだった。それに縋りだした時こそ、エドガーは本当の手遅れになっているのだろう。

 電脳に繋がっているのであれば、暗黒層へ潜ってみるのはどうだろうか。

 そんな考えが頭に浮かんだが、すぐに振り払う。暗黒層には専用のポータルとパスコードが必要だ。だがそんなもの、エドガーは持っていない。

 生まれてから二十数年、エドガーは暗黒層へ潜った記憶はないし、履歴もない。要するに、そういった領域には全く接点のない人間だった。

 いい案だとは思ったが利用できないのであれば仕方がない。そう意気消沈していた瞬間、ふと視界端に女性の姿が見えた。深い藍色の髪をした女性で、無人の街の中を、さも普通に歩いている姿にエドガーは言葉を失ってしまった。

「待ってくれ!」

 数秒過ぎた後、ようやく冷静さを取り戻す。エドガーは急いで女性へ声をかけようとした。だが彼女の姿はどこにもなかった。最初から、存在などしていなかったかのように。

 見失って初めて気づいた。エドガーの強烈な違和感は、異様なあの姿だけではない。エドガーは彼女が赤の他人とは思えなかった。なにも思い出せないが、少なくとも、彼女のことを知っていた、はずだ。

 ゴムが擦れる音がすぐ後ろから聞こえた。

 嫌な音だ。

 神経を逆なでするような音。

 全身から汗が噴き出る。

「――――ぁっ」

 いま、自分の後ろに、なにかがいる。直感でそれを理解した。

 いや、背後にいるこれ(・・)は、わざとエドガーに居場所を教えたのだ。もう時間だと。死神の鎌がエドガーに追いつき、柄の腹を肩に乗せ、刃を喉元へ当てている。

 後ろを振り返ることが出来ない。エドガーの思考が混乱しているように、脳から送られる電気信号が弄られ、全身の神経が弄ばれている。

 いま背後を振り向けば、エドガーは死ぬ。

 否が応でも、それを理解させられた。

 なにがいるのか。

 おそらく、これ(・・)こそがエドガーをこの現象に巻き込んだ元凶なのだろう。

 だが振り向かなければ、知らないまま死ぬことになる。なにもかも忘れたまま。

 忘れたまま?

 思い出した。自分が多くを忘れていることを。

 もし背後にいるこれと対面すれば、このぼんやりとした思考は、感情は少しクリアになるのだろうか?

 いま思えば、それが目的だったような気がする。そう考えれば、ほんのわずか肝が冷える感覚が弱まった。

 意を決して振り返る――そこにはなにもない。

 最初からなにもなかった。

 エドガーが交差点で一人佇んでいるだけ。どうやら錯覚だったようだ。

「エドガー!」

 とても懐かしい女性の声がどこからか聞こえてきた。喧騒も次第に大きくなってくる。

 気が付けば、街に人がいる。様々な人が歩き、話し、生きている。老若男女に、車椅子。

 車椅子?

 そういえば、こんなことしている場合ではない。

 これから暗黒層へ降りるはずだったのではないか。エドガーは暗黒層へ潜るためのポータルを持っている。もちろんパスコードもある。なにせ、ここ最近はずっと潜っていたから。なんのために?

 視界が随分とぼやけてきた。

 あぁ、思考がどんどん溶けていく。

 交差点の向こうで、女性が手を振っている。先ほどの藍色の髪をした女性だ。その姿を見ると、なぜか目元が緩んだ。なぜか胸が押しつぶされそうになった。

 エドガー自身なぜか分からないが、無性に嬉しくなって、横断歩道の信号が緑になると、彼女の元まで歩き始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る