第2話 対話・そして、心・ショートストーリィ

     

     

     陽気なサザエさん


 あなたは、私のことを「サザエさんみたいだね」って言った。

 「えっ?そんなに私といると楽しい?」

 「心が温まる?」って思った。

 結婚するまで「サザエさん」のアニメを見たことがないって言っていたけれど、 私と一緒に毎週見てくれて、嬉しいです。ありがとう。

 素敵な旦那様。



     

     あなたがいれば ぜーんぶ二倍


 私が仕事で、午前三時に帰ったとき、寝ないで待っててくれたね。

 ビックリしたけれど、とっても嬉しかった。

 その日は、早朝に、盛岡へ旅行に行く予定だったので、

 そのまま、一緒に朝まで起きていたね。

 飛行機やバスに乗っている間、二人とも爆睡していたので、

 あっという間に盛岡駅に着いちゃった。

 お昼に食べた、盛岡冷メン。

 その日に限り、半額だったのがメッチャ嬉しかった。

 とっても美味しかったし、お得感が二倍になっちゃった。

 私の側には、いつもあなたがいるから、幸せ感も二倍です。



     

     雪


 夜の街を二人で歩いているとき、急に雪が降ってきて、

 それが、とっても嬉しくってさぁ、年甲斐もなく、

 上を向いてクルクルまわっちゃった。

 あなたは、ニコニコしながら私を見ていたね。

 急に恥ずかしくなって、照れ隠しに、抱き着いちゃった。

 あなた、面食らっていたね。でも、私を強く抱きしめて、

 ひょいと持ち上げて、一緒にクルクル回ってくれた。

 とっても嬉しかった。

 ありがとう。大好きです。



     

     業(わざ)


 やっと、理想の人に会えたわ。

 こんな、わがまま、気ままな私を優しく包んでくれる男に出会ったのは、

 きっと、奇跡よね。

 これからもよろしくお願いします。

 いつになく、ものすごく謙虚な私です。

 これも、恋のなせる業?

 ですか?



     

     凄業(すごわざ)


「ねぇ、私のことをどれくらい好き?」って聞いたら、

「うーんとね」「「うーんとね」「うーんと」って言って困っていたね。

 その顔が、キュートで素敵なの。

 そんなあなたのことを「愛おしい」って思うのは、私だけ?

 これも、愛のなせる業よね。



     

     別れ


 いつも、一緒に過ごしていたのに、いつも側にいてくれたのに突然、あなたは、 逝ってしまった。

 お別れの言葉も言えなかった。これって酷ですよね。

 楽しいはずの思い出が、すべて涙に変わるってこと。

 そんなことを微塵にも考えたことがなかった。

 あなたのいない空間が、私を涙で一杯にする。

 涙はしょっぱい。思い出もしょっぱい。



     

     ジレンマ


 本当は、好きなのに何でもないようなふりをしてしまう。

 本当の心を知られるのが怖い。

 「あなたに、ふられたら…」

 「嫌われたら…」

 「無視されたら…」って考えている臆病な自分がいるから。

 だから、一歩が踏み出せない。



     

     想いの違い


 もう、ギブアップ!

 これ以上、私に付きまとわないで。

 私には、大切に思う人がいるの。

 その人も、私のことを大切に思ってくれているの。

 私を開放して。

 お願いだから。



    

     秋の夕暮 PART1


落ち葉の舞う秋の夕暮れ。

暇さえあれば私は、ここへ来てこの景色を楽しんでいる。

いつものように樹齢三百年の雄々しい銀杏の樹にもたれて夕日に見とれていた。

その時、オレンジ色の光に包まれた、一人の男のシルエットに私の眼は釘付けになった。長身で、髪サラサラで、知らない男だ。私の視線に気づいたようにその男は振り返って、ゆっくりと私の方に近づいて来る。

ドキッ!なっ、なんなの?これ…

「わっ!ちっ、近い」

このとき、すでに男は私の目の前にいた。

いきなり壁ドン!ならぬ樹ドン。アゴクイ。

「お前、俺と付き合わないか?」

信じられない、この状況。

「なっ、何、バカなことを言っているの」

急に怖くなって、慌てて走り去ろうとしたが、いきなり、腕をつかまれた。

もう、心臓バクバクッー。

「お前、俺の女にならないか?」

「何すんのよぉっ」

思わず、バッグで振り払おうとしたら、間髪入れずに抱きしめられ、そのままキスされた。衝撃的な秋の夕暮れだった。

そのまま、血の気が引いていく。

気がついたら、男が側にいた。男の腕枕の中で私は、目覚めた。

ドッヒャーァッ!ビックリしたぁー。

「これって、もしかして、恋の始まり?」

そんな馬鹿なっ!私は、その言葉を反射的に握りつぶした。


 

    

     藁をもすがる想い


「愛している、愛している、愛している」って三回言ったら、願いが叶うっていう迷信、信じていないけれど、一応、言ってみる。

悲しいね。「藁をもすがる」ってやつよ。

愛を唱えていたら、幸せにしてくれる人が、目の前に現れると、心の奥底で信じている。…三回繰り返す…

半信半疑だけれど、やっぱり、「藁をもすがる」よね。

そんな自分が愛らしくて、とても、愛おしい。



    

     迷路


あなたのことを考えるだけで、心が切なくなります。

側にいたい。そっと抱きしめられたい。

これって、欲求不満?

だとしたら、出口のない迷路です。



   

     オチャラケ


楽しいことばかり考えている、エエカッコシイの私。

道化師みたいな、ヒョウキンな私。

そうじゃない、冷静な私がいるのも事実。

答えが分からないふりをしているだけ。

本当は、わかっているの。

苦しいの…ジレンマの中で、もがいているの。

あなたに、自分の本心を知られたくないから。



    

     理屈っぽい愛


愛の在り方なんて解らない。

その人と一緒にいるだけで、心も体も満足できる。

満たされる。

そういうものです。

解ったふりをしているだけで、本当のことは解らない。

それも愛です。

でも、心地よいのは事実。

苦しいのも事実。

そういうことです。



    

     ヘンテコリン


時々、空想の中に自分を置いて、

思わず笑ったり、悲しくなったり、

そんな自分に、虚しさを感じていたりすることが、好き。

それって、やっぱりヘンかなぁ…



    

     微笑むではなく笑う


何気ない日常のことを思い出して、

フッと笑うのって結構、楽しい。

笑いは、傷口をふさぎます。

痛みを軽くします。

だから、いっぱい笑おうねっ!



    

     これぞ粋


サンフランシスコへ行ったとき、彼と一緒にブティックに入ったの。

その時、私、一着のコートがとても気に入っちゃってさぁ、

でも高くて、買おうか、やめようか、迷っていたら、彼がさり気なく、

キャッシュカードを差し出してくれたの。

ビックリした!

おまけに、「暗証番号は、君の誕生日」って耳元で囁いた。

「キャァ~ッ」

もう、嬉しい悲鳴を上げて、彼に抱き着いちゃった。

私はどんどん、彼に、夢中になっていきます。

最高よ、貴方!



    

     なりゆき


二人でベガスのクラブへ行った。

「何を言っているの?」けたたましいラテンの音楽が彼の声をかき消す。

「君のことが、死ぬほど好きだ。もう、離さない」

「えっ?、何?聞こえない」軽快な曲がさらにボリュームを上げて耳をふさぐ。

いきなり、彼の唇が私の唇をふさいだ。

キス?…これって、マジ?

「いったい、どういう展開?」彼の耳元で私は叫ぶ。

「こういう展開」

次は、もちろん、ディープなキス。

私はもう、あなたにメロメロよ。

愛しているわ。

もう、教会へ直行よね。



    

     普通の大切さ


「わたしのどこが好き?」って聞いたら、「普通だから」ってあなたは答えた。

なんか、納得できない。

わたしは、あなたにとって、特別な女でいたい。

でも、何でもないようなことが、本当は、とても大切なことだとしたら、

わたしは、あなたにとって特別なのかもしれない。

だとしたら、めちゃめちゃ嬉しいです。



    

     自業自得


「恋に恋して、自分を見失ってしまうこと」ってある?

わたしはあるの。

あなたに恋して、貢いで借金地獄。

それでも、幸せを感じるのは、

アホですね。

わたし…



    

     ゾッとする男


愛って何?

恋って何?

受け取り方、想い方、人それぞれ違うよね。

…思い出した…

むかし、付き合っていた男が言っていた。

「愛と恋は、憎しみの裏返しだ」と。

「愛すれば愛するほど、恋すれば恋するほど、相手のことを憎んでしまう」と。

 …なに、それ?…

「ブルルッ、キモッ!」

私は、こんな恋愛は、絶対にしない。見限ってよかった!

あんな男。



    

     病


君のことを考えるだけで、胸がドキドキする。

顔が赤く火照る。

腹が減っているのに何も食いたくない。

一般的に言うと、これは「恋」なのだろう。

でも、そんなありきたりの言葉ではすませたくない。

俺は、もう、君という小悪魔に翻弄される病人だよ。



    

     ゆとり無し


あなたは、いつも一方的。

ほんの少しでいいから、私の心をくみ取って欲しいの。

あなたのことが好きよ。

でも、私、今、いっぱい、いっぱいで心が逃げ道を失っている。

今の私には、あなたの気持ちを受け止められないから…

ねえ、お願いだから、もう少し、距離をおいて欲しいの。

いつもの私でいられるまで…



    

     秋の夕暮 PART2


 衝撃的な秋の夕暮れだった。

 気がついたら、銀杏の樹の下、クッションのきいた黄色い落ち葉の上。

 男の腕枕の中。

 「ハッ」と我に返って慌てて起き上がる。

 「なっ、何なの?あなた。いきなり…わっ私のことを」

 恥ずかしさと怒りで言葉が出てこない。

 「俺に腕をつかまれて逆上し、キスされて血圧が下がったんだ。

 それで、気を失った」

 淡々と状況説明をする彼の言葉に私は顔が真っ赤になった。

 「なに?あなたお医者さんなの?どっ、どっどうでもいいけど、私、帰るっ」

 そう、ヒステリックに言い放って、急に立ち上がったものだから、めまいがして また、ふらつく。すかさず彼が、抱きとめる。

 なんでこうなるの?

 彼の腕を振り払おうとしたら、より強く抱きしめられた。

 「じっとして…しばらく、こうしていたい…」

 命令?何なの?何?何?悲しんでいるの?訳アリ?やだやだ…どうしょう…

 とても困る…とは言っても、この状況で、彼のぬくもりが伝わってきて、心地よ いと感じてしまうのは…もっと困る。

 今度は、息苦しくて気を失いそうよ。誰か助けて、お願い…




     大切なのは、言葉?心?


言葉ほど薄っぺらなものはないけれど、言葉ほど大切なものもない。

…はっきりと言うよ…

「俺は、君が欲しい。愛しているんだ」


私にとって、それは、大切な言葉なのかしら。

ねぇあなた、今さらだけど、行動はもっと大切なのよ。



    

     紙一重


僕は、君のことが忘れられない。

だから、一時でも側にいたいと思うのが罪なら、

僕は、その罪を素直に受け入れるよ。

君のことを考えているだけで楽しくなる。

遠くで君の姿を見ているだけで幸せな気分になる。

それが、君を苦しめているのなら、僕は、もう近づかない。

傷つけたくないから。



    

     ずるい女


「あなたのことを優しい目で見られるようなったら、連絡するわ」

それって、相手をつなぎ留めておくだけの体のいい言葉。

つまり、保険よね。

一人になるのが寂しいだけの、嫌な女。



    

     決意


優しさが罪になるってこと、知っていますか?

だからお願い、それ以上、私にかまわないで。

ほっといて。あなたの優しさに溺れて、今の自分を見失ってしまいそうだから。

私はまさに今、この時から真直ぐに前を見つめ、歩いて行くと決めたのだから。



    

     希望、それは未来


毎日が平凡に過ぎていく「不安」て、ありますか?

こんな毎日が嫌で、嫌でたまらないことって、ありますか?

本当の自分の姿が見えていないから…

わかっていないから…そう思うの。

夢を見つけたい。希望を持ちたい。

それがわからないから、不安になる。

わからなくてもいい、同じ生きるのなら、

これからは、平凡な毎日に感謝しながら、人生を楽しもう。

だって、明るい未来が待っているのだから。

希望を持っていれば、道は開けるもの。



    

     教わらず見つけるもの


「楽しみ方」を人に聞いている間は、無理ね。

人生を楽しめない。

自分で見つけなくっちゃね。

そしたら、明日は、もっとハッピーになれる。

「自分のことは、自分で」って、

それって、学校の先生に教わらなかった?



    

     積み重ね


「いいことなんて無かった」って思いながら、何となく毎日を過ごしていた。

「いいことなんて本当は、一つもない」って思っていたけれど、

ほんとうは、いっぱいあった。

それを積み重ねて、今の私があるのよ。

だから、私は、最強の女!



    

     安堵感


「楽しいこと、悲しいこと」は紙一重。

だから、人生はその繰り返し。

今を生きているって事は、その積み重ねの私の生きざまそのもの。

これでいいのです。

いま、私は、とても幸せを感じているから…

あなたが側にいてくれるから…

あなたの優しさと、一緒にいる安堵感が、私をホッとさせる。

どんなときでも、いつも側にいてくれる。

ものすごく、ありがとう。



    

     プロポーズ


「ねぇ、結婚してくれる?」私からの逆プロポーズ。

「オッケ―」って軽く返事をしてくれたあなたの笑顔は、とても眩しかった。

膝まづいてポケットから、指輪を出して、薬指にそっと入れてくれた。

半分、冗談のつもりが、現実になった瞬間だ。

幸せすぎて、涙がとめどもなくあふれた。



    

     叫び


いつも冷たくして…

そっけなくして…

私のことをホッタラカシにして…

置き去りにして…

私があんたにとって、「都合のイイ女」だなんて思わないで。

私にも、優しくしてくれる男が現れたわ。

あんたと別れて、あーぁっ!清々した。

もう、絶対に幸せになってやるから、

大声で叫んでやる。

「あんたなんか、だ~い嫌いっ!」



    

     どっちにしたって


あなたは、私のことが大好きで、

私は、あなたのことをどうでもいいと思っていて…

これってどういう関係?

一緒にいるってことは、結局、好きってことよね。

まっ、いいかっ。



    

     お見通し


私は、あなたのことが、言葉では言い表わせないほど

だい、ダイ、大、大好きなの。

あなたも、私のことが、ぜーんぶ、丸ごと好きなのよね。

ウフフッ!わかっているの。



    

     スキンシップ


「ねぇ、」

応えは、わかっていても、いつも聞いてしまう。

「私のことが好き?」「愛している?」

あなたはいつも、「わかんない」って応える。

それが、あなたのシャイなところ。可愛いところ。

「愛しているって言わないと、ゴロンゴロンしちゃうぞっ」て言って、

私は、あなたの体の上を何度も転がる。

「うっ、わかった、愛している、くっ苦しいっ、大好きだっ」

すぐにギブアップ。

これって、バカ夫婦の典型だけれど、とても楽しい。

一度、お試しあれ。

スキンシップは、とても大切です。


 

    

     強み


自分に、自信のないところっていっぱいある。

でも、それを逆手にとって「自信」に繋げるの。

だって、弱みは、最強の強みですもの。



    

     虜


僕は、君のことを考えるだけで、いたたまれないよ。

心が引き裂かれるようで、正気を失いそうだ。

こんなにも、愛おしいと思った女はいない。

君のことを心から、誠心誠意、愛している。

幸せにするよ。

結婚して欲しい。



    

     虜


愛しすぎて、心が平常心を失う。

愛しすぎて、心が混乱する。

僕には、君が必要なんだ。

僕には、君が全てなんだ。

愛している。ずっと、側にいてくれ。



    

     虜


君の美しい体を撫でていたい。

花弁に吸い寄せられる蝶のように、君の蜜を吸いたい。

狂わんばかりに僕の魂を虜にする。

君のすべてを独り占めにしたい。

こんなにも、僕の心を狩りたてる君は、魔女だよ。



    

     狂おしい


何を思う?何を求める?

君だ。

体の芯が熱くなる。君の、象牙のような白い肌に触れていたい。

俺は、今、君しか見ていない。

君しか、目に入らない。

愛している。

「抱いていいか?君がかまわないなら…」



    

     身一つ


君のためなら、地位も名誉も何もかもすべて捨てられるよ。

君は、無一文になった僕は、嫌かい?



    

     見切り


「やっぱりね…」とか、「がっかりした…」ってこと、よくあるよね。

私は、私なりに、結構よくやって来たと思うの。

尽くしてきたと思うの。

でも、もう、これで終わりにしましょう?

あなたに、期待したり、希望を持ったりしていた自分に、

もう、さよならしたいから。



    

     迷いなし


あなた、私のことが好きでしょう?

だったら、何も悩むことはないわ。

結婚しましょう。

愛しているわ。マイダーリン。



    

     証


私のことを「好きだ」って言ったわね。

だったら、証明してよ。どんなに好きかって言う事を…

私は、それを見たいのよ。ハッキリと。



    

     そっと別れて


あなたの口から「別れよう」なんて言葉は、聞きたくないわ。

だって、もうすでに心で感じているから。

お願い、気がつかないふりをしている間に、そっと、いなくなって。

それが、私に対する優しさよ。愛情よ。

…愛しているから…

だから、それなりに悲しいわ。



    

     勘違い


私は、あなたのことが好きすぎて困っています。

あなたもそうですか?



    

     青春の影


二十歳の頃、付き合っている人がいました。

暑い夏の昼下がり、蝉しぐれの中を二人で歩いていたら、彼が急に立ち止まります。ゆっくりとしゃがみ込み、地面をじっと見つめているのです。

「どうしたの?」

同じようにしゃがんで私は、彼の顔を覗き込みます。

彼の眼は、アリの行列を追っていたのです。

「アリって卑怯だよな…」彼がポツリとつぶやきます。

「寒さと空腹で訪ねて来たキリギリスを見殺しにするなんて」

もしかして、イソップ物語の「アリとキリギリス」のことを言っているの?

「俺だったら、家の中へ入れてやるよ。

うまいもん、腹いっぱい、食わしてやるよ」

彼は、そういう人でした。

それからまもなく、たったの一週間で逝ってしまった。

急性骨髄性白血病で。

彼は、硝子の向こうでベッドに横たわり、静かに眠っている。その体の薄さが悲しみを倍にする。彼と過ごした日々が、走馬灯のように駆け巡り、そのたびに涙が止まらない。楽しかったはずの思い出が、すべて、悲しみに変わる。

このままでは、私も死んでしまうのではないかと思うほどに、絶望した。

月日が少しずつ、悲しみを和らげてくれた。

そして、十年の歳月が流れた。

私は今、自分の人生をゆっくりと前を向いて歩んでいく。

あなたと共に…



     

     別れた男


「ウッソ、信じられない。さっき、屋島の山上で別れ話をして来たばかりじゃない。何で?何で今、この喫茶店にいるのよ」

私は思わず声を上げ、慌てて口をふさいだ。全く信じられない。

私は、彼に気づかれないように、友人の影にそっと隠れる。

彼は真っすぐ、私たちの方へ歩いて来る。

何も悪いことはしていないはずなのに、何故かしら、心臓がバクバクする。

彼は、何も言わず、通りすがりに指先で伝票をさっと取ってレジへ向かった。

別れたはずなのに、ちょっとカッコイイって思った。

胸がキュンとした。

「ありがとう。ごちそうさま」って心の中でつぶやいた。

でももう、元には戻れない。



     

     良きも悪しきも


「もう、終わりですか?」

わたしたち、結構うまく、楽しくやって来たじゃない。

…だから…そう…終わりなのね。

うまくやってきた分、その裏返しってことよね。

つまり、終了ってことね。



     

     チャンスの神様


スーパーの帰り道、大好きなあなたのことを考えながら歩いていたら、いきなり誰かにぶつかってしりもちをついた。

足元から、ゆっくりと見上げていくと、それはあなただった。

私の顔は、真っ赤になった。

「大丈夫?」あなたは、優しく手を差し伸べてくれる。

私は、その手を握って、照れながら立ち上がる。

「ごっ、ごめんなさい。私ったらぼうっとしていて、あなたのことに全く気付かなかったの。こっ困りますよね。これって」私は、しどろもどろに言い訳をする。

あなたは、何もなかったように買い物袋を拾って私に差し出す。

「卵割れちゃったね」残念そうにため息をつく。

私は、まともにあなたの顔を見られない。

「ありがとう…」そう言って私は買い物袋をひったくり、バタバタとあなたの前から走り去る。心の中では「チャンスだったのに」って、後悔の思いで一杯なのに。

チャンスの神様は、前髪しかないという。

後ろ髪がないから、前から来た時に前髪を間髪入れずにしっかりと掴まないといけない。掴みそこなった。

「神様、お願いです。次は、思いっきりガシッと掴みますから、

また来てください」私は心の中で、心底思いきっりお願いした。



     

     只者ではない


九十度、腰の曲がったおばあさんが住む平屋建ての小さな家。

毎朝、犬の散歩で通る道沿いに建っている。子どもや孫はいるのだろうか?

いや、曾孫かな?私はついつい、余計なことを考えてしまう。

彼女は、いつも一人でいる。彼女とは、挨拶程度の間柄だ。

若い頃は、きっと美人だったんだろうなぁっていう面影が感じられる。

彼女は、いったいどんな恋愛をしてきたのだろう。

「ねぇ、お婆さん、旦那さん以外の人と付き合った人っていたのですか?」

私は、唐突に思い切って聞いてみた。

「そりゃ、いたに決まっているじゃないか。私を誰だと思っているのだい?」

「どんな人だったの?」

私は、興味津々で聞いてみる。

「み~んな、いい人だったよ。だから、み~んな、天国に逝っちまったよ。

旦那も含めてね」彼女は、そう言って遠くを見るように青空を見上げた。

明治生まれのハイカラで気丈な女。大正ロマンも駆け抜けて来た。

私は、只者ではないと、確信した。

十年後、私は再び彼女の家の前に来た。こじんまりとした家は、跡形もなく消え、さら地になっていた。明治、大正、昭和、平成と生きぬいて来た彼女は、やはり、只者ではない。青空を見上げて、にっこりとほほ笑んだ愛くるしい顔が、今でも忘れられない。



     

     ママが好き


君は僕のことが「大好きだ」と言った。

とても嬉しいよ。

僕は、君よりママが好き。

でもね、ママよりも好きになっている現実に僕は今、戸惑っているのだよ。

君のことを愛し始めているのかもしれない。

ママに、何て話そうか、困ったよ。



     

     キャバクラ嬢


私は、客を相手にしこたま酔っていた。足元がふらつく。

たまたま来た一元の客のテーブルになだれ込んだ。

「あら、座っちゃった」と思ったら、それは客の膝の上だった。

そう、私はキャバ嬢よ。

「君、こんなところで働いているの?」後ろで男がつぶやく。

「こんなところで悪かったわねぇ」私は、怒鳴りながら膝から飛び降りて、

その男の顔をマジマジト見た。じっくりと見ているうちに、思い出した。

全く変わっていない、あのウザイヤツ。中学、高校の時の同級生だった。

七対三に分けた、ダサい髪形。銀縁メガネのインテリ風のいけ好かないやつ。

おまけにマザコンときている。

「あんたは相変わらず、ママにオンブにダッコで親離れしていないんでしょう」

私は、ふらつきながら立ち上がる。指さして、なおも言ってやった。

「なんてったって、ママが大好きなのよねー。お坊ちゃんは」って。

あいつは、顔を真っ赤にしながら、ぶるぶると震え、怒りがこみあげてくるのが手に取るようにわかる。

「失敬なことを言うなっ」あいつは、私の肩を右手で小突いた。いや、しいて言うなら、ど突いた。

「なにすんのよっ」わたしは、反射的にあいつの顔をぶん殴っていた。

眼鏡が空中を飛んでいく。胸がスーッとした。

「これは、正当防衛よっ!」

中学の時からずっと思っていた。あんたなんか大嫌い。

「これは過剰防衛だ。僕は優秀な弁護士。君を正式に訴えるよ」

…馬鹿か?能ある鷹は爪隠すって言って、自分のことを優秀だなんて言わねぇんだよ…と思いつつも、あいつは淡々と話す。

しかし、それは困る。

あいつは、眼鏡を拾いながら、なおも訳の分からない法律用語をまくしたてている。あいつの口をふさぐために、いきなりキスしてやった。

ヤバッ!猥褻罪が加わると思った瞬間「本当は、あなたのことが大好きだったの。中学のときから、ずっとずっと、大好きだったの」と自分でも訳の分からない言葉が口から飛び出していた。

もう、万事休す。仕方がない、自分が蒔いた種だ。観念して訴えられよう。賠償金を払おう。そう、真摯に受け止めた。

あいつは、メガネを拭きながら、なおも淡々と話す。

「君が中学の時から、僕に対して冷たいそぶりをとっていたのは、好きと言う概念の裏返しだったのだね」

あいつはメガネを拭きながら、なおも言葉を続ける。

「いいでしょう。それなら、君と付き合ってあげよう。僕に対する君の思いをかなえてあげよう。実はね、僕は、君の態度にいささか疑問を持っていたのだよ。今回のことで、それがよく分かった。謎は、解けたよ」と眼鏡をかけなおし、長年引っかかっていた胸のつかえがとれたように胸をなでおろす。

その様子に、鳥肌が立った。信じられない。

私は、あいつと付き合う羽目になったのだ。

どうしょう。お先真っ暗だ。訴えられた方が、むしろ、よかったのかもしれない。

そうだ、一度だけデートして、そして、あとくされなく別れよう。マザコン坊ちゃまは、私の手には負えない。住む世界が違う。

それに、あいつのバックには、おどろおどろしいママがいるのだ。




     三か月後


信じられない。一度きりのデートのつもりが、二度、三度になり、今じゃ立派に付き合っている。神経質なところは鼻につくけれど、そこを除けば結構優しくていい男だ。それに、あんたのママにあんなにもはっきりと、私のことを「愛している」と宣言してくれた。カッコよかった。

私、今、本気であんたに恋をしているみたい。

でも、このままでいい訳がない。

「現実に戻るけれど、私は、キャバ嬢よ。

それでもいいの?」はっきりと聞いてみた。こんなのやっぱりよくない。

私は、大いなる悲しみを知っているのだ。そのどん底をまた味わうのはもう、まっぴらごめんよ。同じ過ちはもう、繰り返したくはない。

…お願い、付き合うなんてことは無理なのだから…

だから、そっとしておいて。

私は、彼からの連絡を絶ち切った。




     一か月後


彼は、私の店に来た。

そして、今私の目の前にいる。

しばらくの沈黙の後、彼は私の肩を握って、ゆっくりと話し始めた。

「君は、僕の一筋の光だ。

もう、キャバクラ嬢ではないよ。

僕の妻だ。愛している。

これからは、どんな困難も二人で乗り越えて行こう。僕は、全力で君を守るよ。

僕を信じて欲しい。愛しているよ。命を懸けて」

歯の浮くような彼の言葉に不覚にも、私の眼から涙が零れ落ちた。

中学の時から「あんたなんて大嫌い!」って思っていた。

ウザイ、オタク、変態、理屈っぽい、ムカツク、そんな印象しかなかった。

でも、本当はそんな自分が嫌で嫌でたまらないのに、自分の殻を破る勇気がなかっただけの臆病な男。そうすることで、誰よりも優位に立とうとしていただけ。

虚勢を張ったプライドの高い、ただの男って事。

それがよく分かった。

そう思ったら、愛おしくなった。どんどん好きになっていった。

あいつは、号泣する私をさらに強く抱きしめた。

「幸せにするよ」耳元で囁く。

歯がゆいほどイラッとくるのに

「…信じてあげる…」と私は泣きじゃくりながら答えた。

中学の時からあんなにも毛嫌いしていたあいつのことが、こんなにも好きになっていたなんて…信じられないけれど…

「ありがとう」そう言って私は、彼の背中にゆっくりと手をまわした。

もしかしたら、何か悪い魔法にかけられたのかもしれない。

この際どうでもいい。

あんたと出会えたことに、再び出会えたことに、神様に感謝です。




     秋の夕暮 PART3


秋の夕暮、日も沈み、周りは薄暗くなっている。そんな中、私は彼と歩いている。

「一緒に来てくれって言ったけど、どこへ行くの?」不安を隠しきれずに、私は彼に問いかける。返事はかえって来ない。日もどっぷりと暮れ、闇の中で街灯が所どころで瞬いている。長い塀沿いにしばらく歩く。

立派な門構えの家の前で彼は立ち止まった。

「ここだ」彼は初めて沈黙を破る。

私は、改めて彼の指さす方を見た。

「六條」と表札が掲げてある。

「俺の家」と彼はそっけなく言う。

もしかして、今歩いて来た長い塀はあなたの家って事?

信じられない。大きすぎる。

驚いている私をしり目に、「さっきたのんだこと、うまくやってくれよな」

彼は静かに言う。

ーそう、誰かに会い、そこで一芝居するってこと…

…何の打ち合わせもせずに、ぶっつけ本番ってことー。

思わず膝ががくがく震えた。ドン引きの私をしり目に

「行くぞっ」

彼は私の手を引っ張って、門の中に入った。

長い庭を歩き、池や人工の滝を通り過ぎて玄関に入る。

メイドが三人、出迎えていた。

「裕也様、お帰りなさいませ」

彼女たちの無表情でひんやりとした態度が、私を余計に緊張させる。

私は、軽く会釈をして彼の後に続く。

「ダイニングルームで大奥様がお待ちです」

一人の古株らしいメイドが彼に伝える。私には目もくれない。

何故か、ちょっとムカツク。

古株が厳かに大きな扉を開けた。ダダッピロイ大広間。

三百畳くらいはありそうだ。平米だと五百五十くらいかな?

映画やテレビでしか見たことのない、豪華な長い大きなテーブルとアンティークな椅子が並んでいた。まるで、中世のお城のように厳かだ。

正面に、上品でいかにも冷たくて気難しそうな婆さんが鎮座していた。

彼と私は向かい合わせで座った。丁度、婆さんを頂点にした三角形だ。

「裕也、この方はどなたです?」静かな口調で婆さんが話す。

「わたしの婚約者です」

彼のいきなりの言葉に私は度肝を抜かれた。

「冗談じゃない」と心の中で思った。

「自己紹介をして」そう言って彼は微笑む。

「えっ?」私は戸惑った。

「彼女は、お婆様を前に少し緊張しているのです。さぁ、もっとリラックスして」とすかさず、違和感を悟られないように言葉を添える。ぶっちゃけていえば、ホロウする。

あなた、私と出会ってから何時間も経つのに自分の名前も言わない、私に名前も聞かない、なのにこんな茶番劇に付き合わせるの?

いくらなんでもバカげている。

私は立ち上がった。

「自己紹介する必要はありません。私は、あなたのお孫さんとは初対面です。

しかも、出会ってからまだ数時間です。なのに、お孫さんから何も聞かされず、あなたの前で一芝居打って欲しいと頼まれたのです。

とてもばかばかしいので失礼します」私は、そのままゆっくりと一礼して退出しようとした。

「待ってっ!」彼はそう言いながら、テーブルに片手をついて勢いよく跳ねた。

あっという間に反対側だった私の目の前にいる。

「御婆様、茶番を頼んだのは本当です。でも、彼女がわたしの妻になる事も本当です」彼の言葉に婆さんは一瞬、息をのんだが言葉が続く。

「許しません」

二人でいったい何を言い争ってんのよ。私の気持ちは無視ですか?

呆気にとられた私は、我に返り、「関係ないので失礼します」と言ってその場から立ち去ろうとしたその時、ドアが勢いよく開いた。

「裕也様、お帰りになったのね」

長い黒髪の華やかな女性が部屋に走り込み、いきなり彼に抱きついた。

ややこしい空気が流れ込む。もう嫌だ。こんな現実。不愉快極まりない。

「とにかく、失礼します」私は、軽く会釈した。

彼は動かなかった。沈黙の中、私は開け放たれた大きな扉から長い廊下に出た。

そのまま、ここへ来た道筋を逆に判で押したように出口へとたどった。

「何なの?この不快感。私を振り回すだけ振り回しておいて、こんなにもあっさりと私を帰すのですか?」

何だか自分がみじめで泣けて来た。

「何で泣くの?」その答えは分かっていた。

彼の強引さにどんどん魅かれていっている自分自身に…

突然、彼女が現れたことで気づかされたのだ。

「かないっこない」という敗北感を。

「彼は、彼女の前では無力なのだ」ということを。

「これが現実なのだ」ということを。

いつの間にか好きになっていた。きっと、出会った瞬間から…

だから、涙があふれる。

「傷は浅いうちがいいから、これでよかったのだ」と涙をぬぐいながら自分に言い聞かせる。

それにしても、この数時間の出来事は私の想像力では計り知れないものがあった。現実離れしている。

そう思うと気持ちが少し落ち着いた。

「もう忘れよう」

私は、今までの出来事を振り払うように家路に急いだ。



一台の黒塗りの車が家の前に止まっていた。白い手袋をした運転手が後部座席のドアをゆっくりと礼儀正しく開ける。

一人の男がスマートに車から降りて来た。

彼だ…

私の方にゆっくりと歩いて来る。私は一歩、後ろにひるんだ。

「何も言わなくてもいい…何も聞かなくてもいい…

言っただろ?お前は、俺の婚約者だと」彼は、私の頬を親指でなぞった。

私は、反射的に身を引いて流れる涙をもう一度ぬぐった。

彼は、そんな私をそっと抱き寄せた。

「お前を傷つけてすまない。初めて会ったとき、直感的にわかったんだ。こんなにも一緒にいて安らげる女に会ったのは、生まれて初めてだと。

俺は、こういう表現しかできない男だ。

お前も、こんな俺に魅かれ始めているよな。

だったら、応えて」そう言って彼は、私を見つめ優しくキスをした。

私は、彼の背中をそっと抱きしめた。

ただ、とめどもなく涙があふれた。

この数時間の時間の流れは、私にとっては夢としか思えない現実だった。

幸せすぎて、少しずつ力が抜けていく。

…私は、また気を失った…

気がついたら私は、自分の部屋の自分のベッドの上にいた。

慌ててカーテンを開ける。

朝日が眩しく、思わず手の甲で目を覆う。

「エーッ!これって、全部、夢だったの?」

思い出した。

夕飯の後、ものすごい睡魔に襲われ、そのままベッドに倒れ込んだのだ。

「ウッソッーッ!」私は、絶叫した。




     カラス


毎朝、愛犬のアキを連れて海岸を散歩する。

誰もいない砂浜に出ると、アキを解き放つ。

毎朝、ここでつがいのカラスに出会うのだ。

雄は、高い木の枝にとまり、波打ち際で遊んでいる雌を気遣っている。

アキが雌に近付きそうになると雄は、警戒するようにビィヴラートのきいたかすれた声で忠告する。

時に二羽は、仲良く翼を広げ、風に乗ってゆっくりと気持ちよさそうに飛んだリ、仲の良い所を見せてくれる。

「カラスでもオシドリ夫婦っていうのだな」なんて思うと、フッと笑ってしまった。心が温かくなった。

人でもカラスでも仲が良いのはいいものだ。




    もっと好き


あなたのことが素直に好きです。

あなたのことを考えると「好き」という言葉がもっと好きになる。

だから、どう考えても私はあなたに夢中です。




     やさしさ


ー優しさは、時として感情を惑わせるー

いっぱいいっぱいに張りつめているときは、

心が重い。

心が傷ついているときは、

沁みとおる。

ー心が軽くなるときー

それは、素直に恋をしているとき…

愛されているとき…

幸せを感じているとき…

優しさは、言葉通り優しい。




     照れ隠し


あなたは、いつも私を見ていない。

あなたの瞳は、私を通り越して遠くを見ているの。

どうしてですか?

いつもいつもです。

私ではなく遠くを見ているの。

私は、あなたにとって目にはいらないのですか?

だとしたら、とても悲しいです。

でも、もしも、私を見るのが気恥ずかしいとか照れるのだとしたら、

とても嬉しいです。




     溜息


このところ、何故かあなたのことばかり考えてしまいます。

たまに会うだけで、挨拶程度の言葉だけで、会話らしい会話は

ほとんどかわしていないのに、何であなたのことが恋しいのでしょう。

切なくなるのでしょう。

気がつけば、ため息ばかり…

幸せが逃げて行かないようにやめなくてはね。

きっと、私の片思いだし、うまくいくはずがないし、これで終わりです。

だから、無駄な溜息はやめよう。

幸せが逃げないように。




     自転車屋


鶯の鳴き声を聞く頃になると私は、ある出来事を思い出す。

もう六十年以上も前のことだ。

私のは母は、毎週土曜日の夕方になると私を自転車の荷台に乗せて映画館に映画を見に行くのが常であった。糖維持、テレビも贅沢品として普及しておらず、娯楽と言えば映画くらいであった。この日も母は、いつものように荷台に乗せて大通りまで自転車を押して歩いていた。途中、知り合いのおばさんと立ち話を始め、「またか」と言わんばかりに私は、甲高い笑い声に、ササクレだった話し声にウンザリしていた。私は、足をブラブラさせて気を紛らわせる。ひとしきり話をした後、母は再び自転車を押し始める。

その時、私は悲鳴を上げた。

「ぎゃあーっ!」

「どしたん?」母は自転車を止め、覗き込むように私に尋ねる。

「・・・」自分にも何が起こったかわからない。

返事がないものだから母は、なおも自転車を進める。

「ぎゃあぁーっ!」耐え難い痛みに私はまたもや声を上げた。

大声で泣き叫ぶ私をしり目に、「この子は、なに泣っきょんかいの。早よ、だまろうっ」と周りをはばかるように叱りつけて、その場からそそくさと立ち去ろうとなおも力任せに自転車を押した。私は金切り声を上げて泣き叫んだ。母と話をしていたおばさんが慌てて引き返してきた。

「あんたぁっ!この子、自転車に足はさんどるで。血がよおけでよるわっ。シャンシャン医者に連れて行かんと大変やでーっ」彼女は大声で叫んだ。

そのとき、母はようやく私の異変に気がついた。私の足首は自転車の後輪に挟まれ、ざっくりと割れていた。履いていたサンダルがだらりと車輪にぶら下がっている。

私が三歳の時だ。

みるみるうちに通行人の山となり、大騒ぎになった。

叫び声や怒鳴り声が飛び交う。

後でわかったことだが、土曜日の夕暮時なので病院は閉まっていてどこも開いておらず、近所の自転車屋が医者の心得があって、そこで「診てもらう」という事になったしい。

母は自転車屋の前で自転車を止め、大声でわめきながらガラス戸を割れんばかりに叩く。すぐに明かりがつき、カーテンを引てガラス戸がガラガラと開く。

母は、半狂乱になりながら事情を押し付けながら自転車屋とすったもんだし、結局、私を抱えて座敷に上がり込み、無理やり診てもらうことになった。

母のゴリ押し。子を思う必死のなせる親の勝利だ。私は、そのやり取りを尻目に泣きじゃくっていた。

よく覚えていないが、簡単な処置をして包帯を巻いてくれた。

母と一緒に家へ帰ると、祖父母が駆け寄って来た。狭い町内では一抹の事件を詳しく説明してくれるおせっかいな者がどこにでもいるようだ。

「なおみちゃん、痛かったやろう…かわいなげに、かわいなげに…」祖父母は交互に私の頭や顔を撫で、涙を浮かべながら呪文のようにそうつぶやいた。

翌日の早朝に私は母に背負われて自転車屋へ行った。自転車屋は、母の背中から私を抱きかかえた。母は、そのままへたへたと店の踊り場に座り込んだ。昨晩の私の踵からほとばしる血を思い出したのだろう。いや、傷口を見たくなかったのかもしれない。朝日が差し込む眩しい和室に運ばれ、障子戸を開け放した庭の見える廊下にそっと下ろされた。

そこにはすでに、銀色の真新しいハサミやピンセット。注射器、針、メス、ガーゼ、包帯、薬など、簡単な手術道具が真っ白い布の上に置かれてあった。

私は、ただならぬ雰囲気に泣きそうになった。今でいう、いや、当時もそうであったかもしれないが、立派な違法行為だ。どうやって手に入れたかはいまだにわからないままだ。

「痛とうないけんな」自転車屋は優しくそう言って、ゆっくりと包帯を外し、茶色い油紙をとった。生乾きになって傷口にこびりついているガーゼに、液体を浸したガーゼを丁寧に何度も当てて湿らせた。頃合いを見てピンセットでゆっくりと慎重にふやけたガーゼをはがしていく。不思議に痛くない。今でいう、塗る麻酔薬だったのだろう。次の瞬間、間髪入れず傷口付近に注射器を刺した。針を起用に使い、テキパキと手当てしていく。

私は泣くのを忘れるくらい、その手際の良さと速さに唖然とし、他人事のようにその様子をじっと見ていた。何よりも、全く痛くなかったのだ。

自転車屋は、包帯を巻き終えて私を母のところへ運んでいった。

母は、何度もおじきをして礼を言った。

それから何日か、母と私は自転車屋へ通った。

治療を受けながら、時折、庭の梅の木に遊びに来る鶯が私には、「来たんな」と優しく声をかけてくれているようで嬉しかった。

何の変哲もない自転車屋との毎日が、私という来客者を待ち遠しいと感じられるようになっていることに、小さな私もまた、自転車屋へ行くことにワクワクしていた。私と自転車屋との静かな時の流れが嬉しかった。




     片手のよっさん


焼き芋が恋しい季節になると祖母は、サツマイモをおやつ代わりに私や従弟の新治ちゃんに蒸かしてくれる。それはそれで美味しかったのだが、祖父は片手のよっさんが作る石焼き芋が大好物だった。「なおみちゃーん、よっさんくで焼き芋、買うて来てくれんかいのぅ」祖父は、独特のイントネーションで私に頼む。

祖父に渡された百円札を握って私は新治ちゃんと「よっさんの駄菓子屋」へと走っていく。よっさんは、戦争で右腕を亡くした元兵隊さんだ。

「よっさんの店」は通称、「よっさんく(とこ)」として親しみを込めて皆にそう呼ばれていた。

「よっさん、焼き芋、百円がんいたぁ(ぶんちょうだい)」

私は、台に並んだ駄菓子やオモチャから顔をちょこんと出す形で声をかけ、背伸びをして百円札を差し出す。私は、その時四歳であった。

よっさんの店は、畳一畳ほどの出店に軒がついている小さな小さな店だ。

店の隣に半間ほどの間口があった。そこがたぶん玄関なのだろう。長屋が隣接して奥行きが全く分からない。店の中に人が入ると身動きが取れないほど狭かった。

よっさんは、軍手をはめた片手で窯のふたを開け、素早く焼けた芋を探るようにかき出し、手際よく新聞紙に包んでいく。

手慣れたものだ。その間私は、棚からつりさげられたツヤツヤした赤やらピンクやらの毒々しい色の紙にくぎ付けになっている。幅五、六センチ、長さ四十センチくらいの長細いその紙は舐めるとニッキの味がし、舌や口の周りが真っ赤になった。

きっと、体に悪いこと間違いなしだ。私と新治ちゃんは、それを舐めてお互いに顔を見合わせては大笑いした。その紙は、妖怪の舌のようにも思え、風にゆらゆら揺られると、私を魅了した。

「よっさんニッキ、一ついたぁ」

そう言うと、よっさんは赤色の紙を一枚ちぎって新聞紙に包んだ焼き芋と一緒に私にくれた。

「おまけやで。ちょうど百円や」

「よっさん、ありがとおぅ」すかさず礼を言った。

新治ちゃんが新聞紙、私はニッキの紙を握って、今来た道を大急ぎで引き返す。

祖父は、大喜びで新聞紙を広げ、三つあった芋の中から小さめのを一つ私に差し出す。私はそれを半分に割り、大きい方を新治ちゃんに渡し、そのまま頬張る。

ねっとりとしたアツアツの芋を口の中で転がしながら、焼き芋独特の芳ばしいにおいと甘さが口いっぱいに広がる。

「おじいちゃん、おいしいのぅっ」と言っては、口をハクハクさせながら食べている様子を祖父は、目を細めて見ている。

そして、やんわりと自分も食べ始めるのだ。

私と新治ちゃんは、ニッキの紙を半分こし、ちびちびと味わいながらしゃぶるのが至福のひと時であった。

今では、駄菓子屋のよっさんも祖父も亡くなったが、あの焼き芋とニッキの味は、今でも私の記憶の中にしっかりと焼きついている。

もう、決して再現することのできない幻の味なのが残念であるが。




     きっき


それは、私がまだ中学二年の時であった。

中学校周辺に不審な人物がよく現れていて、その人物は中学生を見ると襲いかかってくるという危ない人である。後で聞いたことだが、男子生徒がよくからかっていて、それに腹を立てての行動だったという。彼は、「きっき」と囃したてられては怒っていた。いわゆる、ハンディキャップの人だ。

土砂降りの雨の中、私は傘をさして家路へと急いでいた。

突然、目の前に「きっき」が現れた。戦慄が走った。

追いかけられるのではないかと思わず息をのんだ。

彼は、ズズ黒く汚れたTシャツに薄っぺらな短パン。時代劇に出てくるような番傘をさしてはいたが、ズブ濡れであった。柄の短い箒で水たまりを次々に掃いていた。

掃いても掃いても湧き上がるように出てくる水たまりをその都度、目まぐるしい速さでハキ散らしていく。

私は、思わず見入ってしまった。

この人は、いったい何時までこれを繰り返すのだろうか?

家族が呼びに来るまでなのか、はたまた、雨が止むまでなのか?

ふと、教頭先生の言葉が頭をよぎった。

「中学校の周りで一生懸命に毎日、掃除をしてくれる人がいます。君たちは、その人に感謝をし、お礼を言いなさい」

このことだったのかと自分の中で「きっき」と「奇特な人」が繋がった。

「ありがとう」と心の中でつぶやいて頭を下げた。

無意味な行動だが、彼にとっては決して無意味ではないのだ。

雨と重なって道並みがぼんやりとした。きっきの姿もぼんやりとした。

何故だかわからないが、涙がこぼれてやまなかった。




     谷の犬


その犬は、夏の暑い日に突然、浦生に現れた。

浦生というのは、源平合戦で有名な香川県の屋島にある小さな集落である。

犬種は雑種ではなく、五歳くらいのラブラドールレトリバー。

毛並みもよく、大切に育てられていた様子がうかがえる。

どこかの転勤族が捨てて行ったのだろう。人懐っこいので近所の子どもたちが、菓子パンを餌代わりによくやっていた。

彼は、それにいささかうんざりしていた様子であった。

食べるものには困らなかったのだが、決していい人間ばかりではなく、棒で追いかけられたり、蹴られたりもして、彼は、川幅三メートルの橋の下にいた。

そこを地元の人たちは、谷と呼んでいる。

いつもそこにいるので、彼の名前も「谷の犬」と呼ばれるようになった。

そこが唯一、彼にとっては誰にもいじめられない、邪魔されない安心できる場所なのだろう。普段は、水かさも二、三センチの川というにはふさわしくないのだが、雨が降ったら、大型犬の彼でもあっけなく流されてしまうような水量になるのだ。

ある土砂降りの雨の中、彼は寒さに震えながら四本の足で流されまいと必死で踏ん張っていた。

助けようにも助けようがない。

私は主人と二人、傘をさして見守る事しかできなかった。

悔しくて、悲しくて涙がこぼれた。そんな私を見かねて主人は、そっと、肩を抱いてくれた。涙がとめどもなく流れた。

主人の優しさがまた、心に沁みた。

しばらくしたある日。彼は私の姿を見て、尻尾を三百六十度、激しく振りながら駆け寄って来た。その時、私は大急ぎで家へ戻った。慌てて冷蔵庫からキャメルチーズの袋を取って来て、彼に一個、放り投げる。

彼はジャンプしてパクリと食べた。

「アッ!この味」という表情をした次の瞬間、彼は大喜びで「三回まわってワン」をした。「お利口さんやね」と言って頭や体を思いっきり撫でてやると、目を細めてうれしそうだ。捨てられてから初めて食べるチーズだったのだろう。

家族団らんで彼を囲んでの楽しそうな様子が目に浮かんだ。同時に私の眼から、涙があふれた。

しばらく、私は彼とのやり取りを楽しんでいたが、ある日、ぱったりと姿を見せなくなった。野犬がいるとの通報で殺処分されたのだ。

どんな事情があるにせよ、飼い主に命を捨てられた。彼は、いい犬種だから、「誰かが飼ってくれるだろう」という飼い主の勝手な思いで命を丸ごと放り投げられたのだ。

家族なのに…

でも、本当は、ただの犬なのだ。

私は、怒りと、憤りと、やるせない思いで胸が一杯になった。

許せない!心底、そう思った。




     かおりちゃん


「オアシス」というフィットネスクラブがある。かおりちゃんは、そこに通っている五十三歳の女性である。エアロビクスやヒップホップの流行の衣装を身にまとい、キュウッと引き締まったウエストにすらりとした長い脚。いわゆる、プロポーション抜群のイケてる女性である。

年配のお姉様たちに交じって踊っていると否応なしにも目に留まってしまう。

そんな中で、彼女と親しい年配のお兄様がいた。最初見たときは、夫婦だと思った。ロビーでかおりちゃんの体をマッサージしてあげたり、そのお兄さまがオレンジの皮を綺麗にむいて、一口サイズに切ったのを持ってきて二人で仲睦まじく食べている姿をよく目にしたりした。

そんな二人の間に割って入る一人の年配のお姉様がいた。

「あんたぁっ、マッサージがうまいのう。ウチも、もんでぇたっ!」と言っては、お兄様にもんでもらったり、「おいしそうなオレンジやのぅ。ウチにも一ついたぁ(ちょうだい)」などと、この二人には全くのお邪魔虫なのだ。

悪気はないのだが、「空気が読めない」とは、まさにこのことを言うのだ。

それはさておいて、彼女は、このお兄様のことを自分になびくだけなびかせておいて、貢がせるだけ貢がせておいて、用がなくなればバッサリと切り捨ててしまったのだ。

かおりちゃんは、お兄様を見てもあかの他人のように無視したり、挨拶すらしない。お兄様は、運動もしないのにみるみるうちにヤセホソッテしまい、ぼろ雑巾のようにイト哀れな姿になって、オアシスを止めてしまった。

ちなみに言っておくが、かおりちゃんはシングルマザーで、お兄様には、左の薬指に指輪が光っていた。

かおりちゃんは、何事もなかったように、再び男を誘うように、色っぽくダンスをしたりヨガにいそしんだりするのである。

ある意味、お見事。

これぞ、悪女の極みである。

ターゲットは、ウジョウジョいる。彼女にとっては、手ごたえのある餌場である。

おとろしやぁ~。

お兄様たち、お気をつけなはれやっ!




     





     




    



    





   





 《《》》

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  男と女  徒然なるがままに チャコ @n-naomi

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