独りぼっち同盟

そばあきな

独りぼっち同盟


「お似合いだってさ、僕ら」



 そう言って笑う彼の目は、いつも通り暗いままだ。


「仲間外れ同士、お似合いだって」


 押し付けられた掃除の時間は、いつも通り私と彼しかいない。


 病気がちでよく学校を休む彼。

 ぐずでのろまだから置いていかれた私。


 私たちは、いつも仲間外れだった。

 だから、一緒にいるようになったのは当たり前だったのかもしれない。掃除の時間や、みんなが帰ってしまった後の放課後の時間。私たちは、ウサギ小屋の隅でこっそり集まってよく話していた。


 その日、いつものように待ち合わせの場所に来ると、ケガをした彼がそこにいた。今日の体育の時間に、男子たちにボールをたくさんぶつけられていたから、きっとその時のケガだ。


 身体が弱い彼になんて酷いことを、と思った。でも、私にはどうすることも出来なかった。その代わり、いつでも彼のケガを治せるように、私はいつもポケットに絆創膏とガーゼを入れていた。傷口にさわらないように絆創膏を貼り終えると、彼は少しだけ申し訳なさそうな顔をした。


「いつもごめんね」

「いいの、私たち同盟どうしなんだから」


 私が笑顔を向けると、彼も少し恥ずかしそうに微笑んだ。



 ***



 お似合いだと言われたその日、私たちはある約束を交わした。


 困った時は、お互い助け合うこと。

 私たちは独りぼっち同士なのだから。

 でも、二人でいる姿を見られてはいけなかった。

 見られたら、本当に「お似合い」にされてしまう。

 友達だと誤解を解きに回るのも嫌だった。

 私たちのことは放っておいてほしい。

 だから、私たちは友達ではなく、仲間になった。


 交わした約束。二人ぼっちのかくしごと。

 手を取り合った私たちは、そのかくしごとに名前をつけた。



 ――独りぼっち同盟。



 ***



「あのさ、あんまり無理しない方がいいんじゃない?」



 中学校に上がっても、彼の表情は相変わらず暗いままだ。クラスが離れたからよくは知らないけれど、月に一回ほどは体調を崩しているらしい。それでも小学校の頃よりは確実に体は強くなっているのだから、喜ばしいことなのだろう。


 机の引き出しから絆創膏を出して、私は振り返る。彼は一体、何の話をしているのだろう。


「何の話?」

「ほら、今一緒にいる女友達」

「……ああ」


 私の友達の話かと、少しだけ憂鬱な気持ちになる。中学校に上がって新しい環境になった時、私は友達作りに必死になっていた。どうにかグループの一つに入れてもらったけど、どこか合わなくて、居心地は正直良くなかった。多分あっちもそう思っているのだろう。それでも仲間外れにしないあたり、小学校の時よりはみんな優しいんだなと思う。


 今さら、別のグループに移れる気もしなかった。それに、独りぼっちよりはマシに感じて、入学式から数か月経った今でも、私は行動に起こせていない。


「ぼっち同盟は継続してるんだから、困ったらいつでも言ってよ。女子のグループに対して何か言えるわけでもないし、他の男子より力は弱いけど、話はちゃんと聞くからさ」


 彼はあの時の同盟を、「ぼっち同盟」と呼んでいるようだ。その通りなんだけど、なんだかバカみたいな名前だと思った。


「じゃあ、また保健室に来て」

「……図書室でもいいんだけど? 大抵いるからさ」

「図書室だと静かにしないといけないし、うるさいと先生に怒られちゃうかもしれないから」

「……保健室でも同じだと思うけど? 要は自分が動かずに、僕の方から来いってことでしょ?」

「ばれちゃったかあ」

「……分かりやすいよ」


 四月の委員会決めで、彼は図書委員会に入り、私は保健委員会に入った。放課後に図書室を覗くと、彼が時々カウンターで仕事をしているのを見かける。真面目に仕事をしているらしい。図書室の先生とも仲良くなり、おすすめの本を聞いたりしているのだとか。小学校の時から本が好きだと言っていたから、図書委員会はお似合いだと思う。


 私はというと、ケガの処置の仕方も包帯の巻き方も、小学校の時よりも段違いに上手くなっていた。きっと経験をたくさん積んだからだろう。だけど、彼が保健室を訪れることは少なくなった。成長するにつれて、少しずつ体が強くなっているからだ。


 人のいる場所で顔を合わせる時、私と彼はまるで初対面のように話をした。保健室に訪れた彼を、優しい保健委員のふりをして応対するのはとても楽しかった。


「相変わらず、ケガの処置が上手いよね」

「いっつもケガをしていた誰かさんがいたからね」

「……保健室の先生とか、向いているかもね」

「……じゃあ君は、図書の先生とか?」

「……安直だね」


 彼の顔が少しだけ綻ぶ。つられて私も、笑顔になれた。問題は何も解決していないけど、それだけで明日も頑張れそうな気がした。



 ***



「なあ、知ってるか。安斉さあ、君のことが気になるんだって」

「え、そういうのって言っていいものなの……」

「さあ」

「さあ、って…………」


 安斉くんというのは、彼が高校に入ってできた友達の一人だった。友達の隠し事も平気で言ってしまう彼とは、高校も一緒になった。相変わらず、私は保健委員で、彼は図書委員だった。中学までの時のように、必死になって隠すことはなくなったけど、それでも何となく、私たちは人が少ない時間を見計らって話をしていた。高校に入学した時にスマートフォンを買ってもらったのに、彼とはなぜか直接話したいと思って未だに電話番号を交換していない。向こうも特に何も言わないので、二学期が始まっても彼の連絡先は知らないままだった。


「ホントに知られたくないんなら、誰にも言わないだろ。例え、男友達の俺にもさ」


 百七十センチを超えた彼が、小さな子と目を合わせるように私の方を見た。この前の夏休みの間に急激に伸びたらしい。彼の背丈は私を追い越し、他の男子と比べても見劣りしないくらい力強く見えた。

 知らないうちに、彼はどんどん私の思い出の彼から離れていく。小学校の時の弱々しい姿なんて、今の彼からは見受けられない。いつから、自分のことを「俺」なんて言うようになったのか、それすらも分からなかった。私の思い出の中の彼は、ずっと「僕」と言っていたのに。


「というか、安斉くんはどうして私のことを知っているの?」

「俺経由じゃないの。それしかなくないか?」

「……私のことを話してるの?」

「ああ……まあ、そうだな……小学校の時にそんな奴がいたってくらいだ。同盟のことは話してない」

「……そう」


 ホッとしたのか、そうでもないような。今でも同盟の効果は続いているのか疑問ではあるけど、むやみに言いふらすことでもない。


「……ホントなの?」

「何が? 安斉が君のこと好きだってこと?」


 彼の言葉に、私は首を大きく横に振る。


「ううん……。君を疑っているわけじゃないけど、いくら友達が私のこと好きだって知ったとしても、むやみに君は言わないんじゃないかって思って……」

「つまり、俺が嘘をついていると」


 ため息のような吐息が彼の口から漏れる。それは、どういう感情で吐き出されたのだろうか。


「嘘って程じゃないけど、ああ、でも嘘に入るのかな……? ねえ、安斉くんから聞いてほしいって言われたんじゃない?」

「……俺が嘘つくように見える?」


 見えると言ったら、どんな反応をするんだろう。じっと彼の顔を見ていたら頭をはたかれた。もしかしたら、彼には読心術の才能があるのかもしれない。 


 顔をゆがませた彼が、一度だけ大きなため息をつく。


「……なんで分かるのさ」

「……本当に嘘、だったんだね」


 私が念押しすると、彼が諦めたように笑った。


「……ホントは自分のことをどう思ってるのか、さりげなく聞いてほしいって頼まれた」

「……どこもさりげなくないね」

「ホントそれな。俺、探りを入れるの向いてないかもしれない」


 しばらく冗談めかした口調で笑っていた彼は、ふと真面目な顔になり、私に尋ねた。


「で、どう思ってるわけ?」


 ――いい人だと思う。彼の友達なんだから、実際そうなんだろうけど。でも、付き合うとなると途端に分からなくなる。結局、彼の友達としか認識していないのだから、仕方ないのかもしれない。安斉くんには申し訳ないけど。


「お友達からお願いします……とかダメかな」

「ゆくゆくは恋人にってことか?」

「ううん……お友達でよろしくお願いします、みたいな……」

「それ、実質お断りしますって言ってるもんじゃね?」

「だって、誰とも付き合う気はないし……それに、付き合って何があるって言うんだろう」


 彼が少しきょとんとした顔をした。その顔に、小学校の時の彼の面影が重なる。


「さあ、案外変わらないのかもな」


 それなら、君が相手でも変わらないんだね。

 言おうと思ったその言葉が、どうしてだか喉元で引っかかってしまった。



「まだ、同盟は必要か?」



 あれで会話は終わったものだと思っていたけれど、別れる時に彼はそんな問いを口にした。その問いに、素直にうんと頷けなくなったのも、成長なのだろうか。


 私たちはもう独りぼっち同士ではないし、一緒にいるからと言ってお似合いとは言われないくらい、どちらの見た目も変わってしまったと思う。私のことを気にしてくれる人がいるように、いつか、彼にもそういう人が現れる日が来るかもしれないのだ。


 その時が来たら、私はどうすればいいのだろう。友達じゃない私が、彼を祝福してもいいのだろうか。彼本人に言ったら鼻で笑われそうなことを、別れた後も私はしばらく考えていた。



 ***



「君に、もう俺は必要じゃないのかもしれないな」



 この前会った時よりまた背丈が伸びた彼は、第一声からとんでもないことを言い出した。でも、そのきっかけにはすぐ気付いた。


 昨日、安斉くんに呼び出された。私に気を使ってくれたのか、あまり人の通らない場所に呼ばれて行ったのだ。実際、安斉くんと話している時、誰かが来るということはなかった。でも、目の前の彼は安斉くんの友達だ。呼び出したことを聞いたのかもしれない。


 ――内容も、知っているのだろうか。いや、知らないだろう。

 その証拠に、彼はどう誤解しているのか、私を祝福しようとしているのだから。


「安斉は良い奴だよ。俺の友達だから、当たり前のことなんだけどさ」


 何も知らない彼は、自分の友達を私にすすめていく。どう切り出そうか悩んでいた時、彼がフッと悲しそうに微笑んだ。


「もうお似合いなんて言われないな」


 その言葉が頭の中で、火花みたいに弾ける。私に背を向けて立ち去ろうとする彼の奥で、あの時の思い出が走馬灯のように駆け巡っていった。



『お似合いだってさ、僕ら』

『仲間外れ同士、お似合いだって』

『いつもごめんね』

『いいの、私たち同盟どうしなんだから』



 ――――俺はお似合いだと思うよ。



「待って!」


 気が付くと、私は大声で彼を呼び止めていた。大股で歩いていた彼が、ピタリと足を止める。言葉を間違えてはいけない。ゆっくりと考えて、自分の言葉を伝えなきゃ。安斉くんが私に伝えてくれたように。


 決意した私は口を開いた。

 


「私、聞いたよ。君の夢」



 ***



 ――君は、知らないと思うけど。アイツさあ、いつも君の話ばっかするんだよ。



 待ち合わせ場所に着くや否や、目の前の男子はぽつりぽつりと話し始めた。おそらく彼が安斉くんなんだろうけど、あまり確信が持てなかった。本当に私は、安斉くんを彼の友達としか認識していないのだなと思った。


 ――君の話をしてる時のアイツ、めちゃくちゃ楽しそうなんだよ。自覚してんのかは知らないけどさ。それで俺、ちょっと背中を押してやりたいなって思って。


 告白なんかじゃなかった。安斉くんは、まるで自分のことを話すみたいに、あっさりと友達の隠し事を私に伝えた。


 ――君のことが気になるーって言ったら、アイツも何か行動を起こすと思ったんだけど、ダメだったっぽいね。それならもう、直接言うしかないかなって。


 もの凄くありがた迷惑だ、と思った。彼が知ったら殴られるんじゃないかな、とも思ってしまう。そもそも彼が、私のことをそういう風に見ているのかだって分からない。全て、目の前の安斉くんの推測でしかないのだから。なのに、安斉くんの目には自信が満ち溢れている。なんでそんなに確信に満ちているのだろう。


 疑い半分に聞いていた私は、次の安斉くんの言葉で冷たい水をかけられたような衝撃を受けた。


 ――――君らの関係はよく知らないけどさ。俺はお似合いだと思うよ。


 恐れていたことが起きた。私たちを「お似合い」だと言われること。それは、あの時の約束で一番恐れていたことだった。それなのに、どうしてそこまで嫌だと思わなかったのだろう。


 言いたいことだけを言った安斉くんは、最後に「連絡先でも交換する?」とスマートフォンを差し出してきた。断る理由もなかったので、私も制服のポケットからスマートフォンを出して画面を操作し始めた。沈黙に耐えられなかったのだろうか、安斉くんはもう一つだけ、私がまだ知らない情報を教えてくれた。



 ***



「先生に、なりたいんでしょ。司書の先生に」



 勢いよく振り返った彼の顔が、だんだんと赤く染まっていく。ゆっくりと動いた口が「あ」の形を取った時、彼は何かを察したのかもしれない。


「安斉くんから聞いたんだ。不公平だから私も言うね。……私、保健室の先生になりたいと思っているの。君のケガを何度も治す間に、いつの間にかそう思うようになったの」


 真摯に聞いてくれる彼のことが、私は好きなんだと思う。どんなに見た目が変わっても、彼の本質は、中身は変わっていない。

「君のおかげで、私は夢を見つけられた。友達だって頑張って作ろうと思えた。全部君がいてくれたから出来たんだよ。……だから、必要じゃないなんて言わないで」


 通りがかった生徒が、何事かと私たちの姿を交互に見ていた。物凄く目立っていることが肌で感じる。それでも、このチャンスを逃せば、もう二度と彼とは話せなくなる気がした。構わず、私は制服のポケットに手を入れて、一番伝えたかった言葉を口にする。



「連絡先を、教えて――私と、友達になってください」



 無言のままの彼を見られなくて、私はきつく目を閉じた。数秒しか経っていないだろうけど、待っていた私には永遠の時間のように感じた。両手で突き出したスマートフォンに彼の手がかかってようやく、私はもう一度目を開けた。そこには、諦めたように笑う彼の顔があった。


「……同盟は、解消か?」


 彼がぽつりと呟く。私は少しだけ考えて、小さく首を縦に振った。


「もう、私たちは独りぼっちじゃないから」


 その言葉を聞いた彼は、少しだけはにかんで私に手を差し出した。その表情が、あの日約束を交わした時の表情と重なる。


「これでもう、隠さずに一緒にいられるね」と手を握りながら私は笑顔を向けた。

「……後で安斉は殴っておいていいか」と彼は目をそらして別の方角を見た。

「安斉くんは私の友達でもあるんだから、お手柔らかにね」と言うと、彼は「友達になるの早すぎ」と笑った。安斉くんとは、いい友達になれそうだと思った。もしかしたらまた、何か情報を教えてくれるかもしれない。いつの間にかこちらへ顔を向けていた彼が、おもむろに私の頭をはたいた。それから私たちは、人目を気にせずに笑い合った。


「ちなみに、私の夢はどう思った?」とあの後に気になって彼に尋ねてみた。それに対する彼の回答はこうだった。


「めちゃめちゃ天職じゃん」


 それだけ言って、彼は遠くを見るように目を細めて、懐かしむように笑った。



 ***



「今年入った若い男の先生、ちょっとかっこよくなかった?」

「新しい保健室の先生も若かったよね! しかも美人!」

「さっき友達から聞いたんだけど、どっちもこの学校の卒業生だったらしいよ?」

「同い年っぽかったけど、同じクラスだったりしたのかな?」



 幼い頃の彼らは、こんな未来なんて想像すらしていなかっただろう。彼は彼女の言葉を、彼女は彼の言葉を支えに、ここまでやってきた。


 そして、これからだって。


 やっぱり天職だったんだよ、彼が笑う。

 お互いさまだね、と彼女も笑った。


「ねえ、先生たちって友達だったりした?」

 

 一人の生徒が新任の女性教諭に声をかけた。声をかけられた女性教諭は、ほんの少しだけ笑みを浮かべて、人差し指を口に当てた。


「――ううん。でもずっと一緒にいたの」


 あの頃の私たちは、友達じゃなかった。


 今日からはまた、別の関係になるけれど。今度も二人で助けあれば、きっと乗り越えられるだろうと思った。

 振り返ると、あの頃二人でよく集まったウサギ小屋に、桜の花が降り注いでいた。



 完


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