第二章 宇宙一よわいぼくの物語 -異世界編-
第一話 なみだを掬い、巣食い、救う
ぴょんぴょんぴょん。
広い庭を走り回るかわいい2つの影。
1人は赤い玉のついた髪留めで前髪をまとめ上げ、もう1人は青い玉のついたそれで同じように前髪をまとめている。
年齢はだいたい7、8才くらいだろうか。かつては見慣れた姿だったが、今となってはすっかり懐かしい。
「まてってばー、そらー!」
おんなのこが叫ぶ。赤い髪かざりのその子は、青い髪かざりの“そら”と呼ばれた男の子を必死に追いかけようとしている。
その様子に、にぃっとイタズラ好きの笑みを浮かべた“そら”は、「はーやーくー!」と彼女を急かした。
む、とした少女は不満な様子で「いそいでるもん!」とグチをこぼす。
なつかしいなぁ。
そう思いながら、かつての日に思いをはせる。
数えきれないほど一緒に遊んできたが、その中でもいくつか思い出深い出来事がある。
そのひとつが、いまから再現されようとしているようだ。
ああ、夢だなぁ。
夢を夢と認識できることは少なくない。だが、こうも鮮明に再現されると、なんだか昔に戻ったかのような気になってしまう。
「そらぁ、まってよぉ!」
おんなのこ――“わたし”は、“そら”、つまり宇宙を追いかけている。
運動神経が良くないというのはもちろんこの時からで、宇宙の足の速さについていけなかった。
そして、わたしが追いつけないことをわかっていて、宇宙はわたしよりどんどん先に行ってしまうのだ。
「おっせぇよ、せら!」
笑いながら言う“そら”は、“せら”が足をもつれさせながらも自分についてきてくれることが、うれしくてたまらないという表情だった。おもわず、わたしにも笑みが浮かぶ。
幼なじみとしてずっと一緒にいて、宇宙が自分の片割れのような感覚を抱いてきたが、それはきっと、わたしだけの感覚じゃなかったんだなぁ。
このときの“そら”も、きっときっと“わたし”を求めていた。
“そら”を追いかけ、どんどん奥へと走って行く。
なんていう花なのか、いま見ても全然種類はわからないが、色とりどりの種類豊富な花たちが、たくさん咲いてわたしたちを見守っていた。
きれいだなぁ。
フラワー・ガーデンとして開放されていたこの公園は、ずいぶんと有名な観光地のひとつ。無料で来園できるから、多くの観光客があとを絶たない。
地元民にとってはメインの遊び場だ。
いくつものフラワーアーチを抜け出ると、遊具のある場所にたどりつく。ブランコや滑り台こそが、わたしたち子どもの楽しみだった。
花は確かにきれいだけど、当時まだ幼かったわたしたちの興味はそんなに引かなかった。まぁ、いま見ても「きれいだなぁ」とは思うが、特別興味はそそられない。
すっかり暗くなった夜。のこっている人は少ない。
ましてや、平日だ。このフラワー・ガーデンは団地の奥にあり、遅くまでいるひとはそうそういなかった。
実はこのときすでに閉園後だったのは記憶に新しい。いたずらっ子のわたしたちは、忍びこむための秘密通路を知っていたのだ。
いま考えると、なんという犯罪行為、と反省の気持ちさえ生まれるが、園長さんはそんなわたしたちを知っていて見逃してくれていたのもわかっていた。
それに甘えていたのだけれど、たまにジュースをおごってくれるあのおっちゃんが、だいすきだった。
すぐ目の前に見えるブランコに“そら”が飛び乗ったのを見て、“せら”も同じように飛び乗ろうとする。
「あ、まて、せらは……」
“せら”の運動神経の悪さに、このときの宇宙はもう気が付いていたらしい。すこし焦った表情で、“せら”を止めようとそう呼びかけた。
けれど、“せら”はそんなことには気が付かない。前傾姿勢になって、勢いよくブランコに飛びかかった。
その勢いのまま、ブランコのチェーン部分を掴みたかったが、その理想はあえなくくだけ散る。反射神経のない“せら”は、顔からそのまま地面に突っ込むのだった。
「せ、せら!」
ズサァァア!
激しい音がして、見事に地面とキッスをかます。これがファーストキスなんじゃないか、なんて第三者目線で観察してしまった。
……うっわぁ。
はたから見てもずいぶんと痛そうな突っこみ方をしたものだ。
そして実際、これはかなり痛かった。あの時の痛みを思い出して、おもわず苦い顔になる。
そして被害者である(加害者でもあるのだが)“せら”は、一気に涙目になって、その痛みを表情ぜんぶで訴えるのだった。
「うわぁああん!」声をあげて泣き出した“せら”は、痛くてしかたがないらしい。痛い痛いと大声で泣き叫んだ。
そんな“せら”を見留めてすぐ、“そら”はブランコから飛び降りて彼女のもとに駆け寄る。
「お、おい、だいじょうぶか」
心配そうに眉を寄せる一方で、そらもどうしたらいいか分からなくて不安のようだった。
薄く開いた口がなにかを紡ごうとするけれど、何を言うべきかも分からないといった様子が見て取れた。
けれど、“そら”はすぐにその口を一文字に締めた。
そうして着ていた赤いTシャツを脱ぎ、急いで近くにあった給水器のところに走って行く。
その様子を、涙をこぼしながら見ていた“せら”は、擦った頬から流れた血に青ざめた顔をした。
「う、あ……、ち、だ」
泣けば泣くほどヒリヒリとして、けれども痛みに涙を流さずにはいられない。
“そら”はそんな“せら”のためになんとかしたくて、給水器でTシャツを濡らし、それを精いっぱいしぼる。
作業を終えた“そら”が、駆けって“せら”の元に帰ってきた。そうして濡らしたシャツで彼女の顔をやさしくふく。
傷口に水はとてもしみたけれど、「だいじょうぶだよ、だいじょうぶ」と言い聞かせるように、けれど自身もなんだか泣きそうな顔をしている“そら”の存在が、“せら”を落ちつかせた。
先ほどよりも小さな嗚咽をもらして、“せら”はされるがままでいる。
「もういたくないか」とか「だいじょうぶか」と心配そうに声をかけてくる“そら”が、“せら”にはとても大きく見えて、ぽーっと、彼を見つめてしまった。
そんな“せら”に、「ほんとうにだいじょうぶ?」と眉を寄せた“そら”に、ようやく「うん」とか細い声を出すのだった。
「そっか、もうだいじょうぶか! じゃあきょうはもう、いえにかえろうぜ!」
ばんそーこー、はやくもらわねーとな! そう言って“せら”の手を引く“そら”は、安心したようにわらっていた。
いや、もしかしたらこれは、“わたし”を安心させるために、いつもどおりを演じようとしてくれていたのかもしれない。
真意は分からないけれど、そのときのわたしが確かに、この笑顔に安心させられたことはおぼえている。
「おまえほんと、なきむしだよなぁ」
あと少しで家につく。そんな時に、“そら”は突然そう言った。仕方ないなぁとでもいうような表情で、けれどどこかやさしい色のそれで。
だけど、いい意味には決して聞き取れなかった幼いわたしは、おもわずムッとして睨んだ。
「う、うるさい! いたかったんだもん!」
「わ、わかってるって、なぐんなよ、いってぇよ!」
「しらないっ!」
「ばか、なにすんだよ!」
たしかに当時のわたしはとても泣き虫で、何かあるごとによく泣いていたように思う。
お姉ちゃんなんだからちゃんとしなきゃ――とおもう一方で、弟にかかりっきりの両親にさびしさを感じていた。
そんなわたしが唯一甘えられたのが、宇宙だった。
宇宙は甘やかすのがとてもうまかった。
全部わかっているかのような口ぶりで、まるで抱きしめるかのようなあたたかい瞳で、いつもわたしを導いてくれていた。
だいじょうぶだよって安心させてくれて、いっしょだよって突き放さないでいてくれた。
子どもだから不器用なところもあったし、もちろんケンカもしたけれど、宇宙のやさしさにはいつも救われていたといえる。
暗い夜道を、とぼとぼと歩く。
“せら”の手を引いて前を行く“そら”の後ろ姿を、ただただずっと眺めた。
あの頃は今に比べて当然、ずいぶん小さいけれど、この大きさは今も変わらないなぁ。ちいさく笑みをこぼす。
いつだってこうして甘やかしてくれて、本当にどうしようもなく良いやつで。
だいすきだなぁって、実感する。
「……そら」
「んー?」
「あり、がと」
ぽつん、と感謝のことばを投げれば、“そら”はニッといつものような元気のいい笑みを浮かべる。白い歯をしっかりと見せて、ちょっといじわる気なそれで、「とーぜん!」と笑ってみせるのだ。
そんな表情がだいすきで、おもわず笑顔になった。痛みですこしだけ顔が引きつったけれど、そこはもうご愛嬌。
そうすれば、「あんなー」と“そら”が言葉をつづけた。
いったいなにを言い出すのだろうか。首を傾げて、「なあに」と先をうながす。
そうしたら“そら”はちょっとだけ恥ずかしそうに視線をそらしたけれど、それは本当に一瞬。すぐに“せら”をしっかりと見つめて、口を開いた。
「おれはぜったい、おまえをなかせたりしないから!」
「え?」
「おまえをなかせるやつがいたら、おれがぶんなぐってやる!」
「え、え、」
「いいか、いやなことあったら、すぐにおれにいえよ! ぜったいに、そいつのことゆるさねーからな!」
ふんっ、と清々しい顔で言い切った“そら”は、それっきり家に着くまで口を開かなかった。
照れていたのかもしれない。けど、その沈黙がとても心地よくて、子どもながらに雰囲気に呑まれていたことをよくおぼえている。
そして何度も何度も、その“そら”のセリフを脳内で反復した。
きっとわたしは、この瞬間に確かに恋に落ちたのだろう。
ちょっと冷静に見ると、なんてクサい台詞なんだとか、ドラマやマンガじゃあるまいし、なんて感想が浮かんでこないこともないけれど。
でも、わたしの中でこの宇宙とのやり取りは、とても大切な宝物になった。
結局、この日は二人して互いの親に怒られて泣いた。
母さんも父さんもかんかんで、あまりに怒るからわらわせようと変顔をしたら、「いい加減にしなさい!」と言われて、だけど二人とも笑い出してしまったんだっけ。
怒られているこのときばかりは、宇宙は母さんを殴ってはくれなかったけれど(当然だし、殴られたらそれはそれでわたしが宇宙を殴っていた)、正座途中に目が合っておもわず二人で笑って、とてもしあわせに感じていた。
宇宙との仲が深まったような気がして、うれしかったのだ。
『おまえをなかせるやつがいたら、おれがぶんなぐってやる!』
わたしもね、宇宙を泣かせるヤツがいたら、そいつのことぶん殴ってやるって、おもってるんだよ。
夜空には、たくさんの星が輝いていた。
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