第四話
すっかりと暗くなってしまった。
宇宙と二人で駅へと急ぐ。学校から駅への距離は遠くも近くもない。
空を見上げれば、光る星が見えた。
「せら、もしかしたらこの暗闇に紛れて忍者が!」
目を輝かせながらそんなことを言い始めた宇宙には「中二病か」と突っ込んで、またいっしょに笑った。
「いやいやわっかんねーよ、いるかもしんねーじゃん」
「忍者さーんこっちら~、手ぇの鳴~るほーうへ!」
もしいるとしたら、影分身の術を実際に拝んでみたい。
そう思うとわくわくしてきて、「ふんぬっ、影分身の術!」と適当に指を組んで唱えれば、「せらが5人、だと……」と宇宙がのってくる。
「つか、忍に興味ないって言ってたのに。どうしたの」
興味ねぇや、と言い切ったわりには、こうして忍の話を持ちかけてくるのは、いったいどういう風の吹きまわしだか。
いきなり忍者忍者言い始めた彼に、呆れた顔をして尋ねる。
「いや、せらが興味あるんだーっとおもったら、オレも気になっちゃったんだよね」
中二病心がくすぐられるし、と目を輝かせた宇宙に、「まぁ、そんな、気になるわけじゃないんだけど」と呟いた。
「そーなん?」
くりくりとした目をいつもより見開いて、彼はちょっとびっくりしたような表情をする。
「さっきすげぇ集中してプリント見てたし、好きなんかなぁって思ったけど」
言われた言葉に、おもわず笑みがこぼれた。
イタズラ好きでマイペースで人をおちょくるのがだ~いすきな大バカ者。だけど、わたしのこと、よく見てくれてる。
まぁ、忍そのものに興味があったというより、忍という言葉の由来らしい文に注意が止まっただけなのだが。
気にかけてくれているという事実に、うれしい自分がいるから困ったものである。にやけそうになる口元は、咳払いでごまかした。
忍法、咳払いの術ってね!
「や、うん、まぁあんときはハゲるほど疲れてたっつーか、なんかプリントまとめてんのが面倒だったから興味ないって言ったけどさー」
「ほんまかいな」
「まじまじ、オレったら、まるまる二世になりそうだったからね」
おでこをスパーンと叩きながらそんなことを言う宇宙。
ちょっとした笑いを入れるのも、意図的だってわかるよ。
「とにかく、あんときは疲れてただけで、オレだって中二病の端くれ! 漫画とかで忍者設定ってすっげーわくわくしてるし、今もそうだからね!」
「それはわたしもだけどさ」
「だろー!」
だから、気を遣わないでいいのに、アホ。
実際興味もあるのだろう。あのとき疲れていたのだろう。
だけどそれ以上に、宇宙はわたしが「忍者が気になる」と言いやすい雰囲気を作ってくれようとしているのだ。
長年の付き合いだからわかる。気遣われているって。
そんなんだから、ほんと困っちゃうんだよね。なんつーか、こいつと幼馴染でよかったなぁって。
「ばーか」
照れ隠しに吐きだしたセリフは、自分が思っていた以上にあまい色をまとっていた。
それがまた、ちょっとだけ照れくさい。
さらにごまかすようにちいさなため息を吐いて、もういちど夜空を見上げれば、自然と目が細められた。
しあわせって、こういうことなんかなぁ。
ゆるんでいく口元は、微笑んでいるように弧を描かせることでごまかす。
首元の宇宙のマフラーが、あたたかい。
「なー、せらー」
「んー?」
手に息を吹きかけながら寒さをしのごうとしている彼は、そっとわたしの名前を
丸まった体はそのままに、上目づかいでこちらを見ているその目を、わたしも横を振り向いて見返す。
「あのさ」
少し
「来年の夏はさ、ぜってーいっしょに花火見に行こ」
ぽかんとした表情に変わったわたしに、宇宙はうつむき加減に、すこし照れくさそうな表情をしながら、やわらかく笑ってみせた。
たしかに今年、サッカーの試合が重なって花火大会に行けなかった。毎年二人で見に行っていた花火だったから、今年も見に行くのが当たり前のような気がしていたことは事実だ。
だけど、二人で見たいという気持ちは確かにあったのに、行けなかったことに何かがこぼれ落ちたような感情を抱いていた。だから逆になにも感じていなかった、というのが正しいかもしれない。
きょむかん、とかいうやつだろうか。
それはきっと、「当たり前」が「当たり前」じゃなくなったことに対するものだろう。
好きなひとと花火が見られなかったから、なんていうロマンチックな意味ではなく、なにを言わずともそれが当然の予定であるというような、暗黙の了解が達成されなかったことに対してだったのだと思う。
それが冬になって――今になっていきなり宇宙がこの話題に触れてきたのだ。驚いてしまうのも無理はない。
同時に、こいつもなんだかんだ同じ気持ちだったのかなぁと思うと、言いようもなくうれしくなってしまった。
くすぐったいような感覚が、わたしの中で踊るようにはしゃぎだす。
「りんごあめとフランクフルトとイチゴ味のかき氷!」
「へ?」
「おごってくれるならいっしょに行く」
そんな意地悪を口にしたのは、ドキドキしていることに気付かれたくなかったから。
なんだ、この乙女チック。苦笑したくなったが我慢し、挑戦的に宇宙を見上げた。
そんなわたしに宇宙はすこしムッとして、「かき氷だけなら、まぁ」とこぼす。
「ナメてんのおまえ」般若の表情に変えたわたしに、「いや、それコッチのセリフ!」と見事な切り返しをくれた。
「うそうそ、98%本気だから」
「ほぼ本気じゃんっ」
青い顔でわたしを指さす彼に、「仕方ないなー」とわざとらしい口調で告げる。
そうすれば彼は、「お?」と期待に満ちた瞳でこちらを見てきた。
茶番、だよなぁ、こんなの。そうはおもうが、結局わたしも宇宙もこのやり取りを楽しんでいる。
だからほら、コイツだってきっと、「せらがオレの誘いを断るわけがない」と確信しているだろう。そしてわたしも、その期待を裏切るようなことはしない。というか、ぜったいにできない。
だってね、いや、こんなことを思っているとおもわれるのはちょっとはずかしいけど、はっきり言うとほら、「アイツがわたしとしたいことは、わたしもアイツとしたいこと」だからさ。
それが、わたしたちの心地良い関係なんだ。
「いいよ、出血大サービス。もちろんタダで、来年は浴衣デートしましょうよ、ダーリン」
ちょっとおちゃらけたように言えば、宇宙はニィっと歯を見せて、うれしそうに笑ってみせた。その顔が、なんだか幼いときの宇宙を思い出させる。
こぼれるような明るい顔で、だいすきだとでも言うようなやさしい顔で、宇宙はいつだってわたしに向かって笑ってくれる。
おもわず当時の数々のしょうもない出来事に思いを
「よし、指切りすっぞ」
差し出された小指に、ちょっとだけ顔を
「ガキじゃあるまいし」
「いーじゃん、指切りしよーぜ!」
目の前に差し出された、わたしのそれよりずいぶんと骨ばった宇宙の指。それでもスラリと綺麗に伸びた彼の指は、女のものとはちがって見えた。
おもわず、戸惑ったような表情で宇宙を見てしまう。指切り、かぁ。ちょっとだけ複雑だ。
いつもそうだ。宇宙の言動は時にとても子どもっぽい。
大人になりたいと、背伸びしたいお年頃のわたしには、それがすこし、恥ずかしいくらいだ。
でも、嫌だとは思わない。この感じがちょうど良くて、なんだか侵されたくない領域にさえ感じらえる。
ぬるま湯のような温かさに沈んでいられる宇宙との時間が、わたしにとっての宝物なんだろうなぁ。
きっとこんな宇宙だからこそ、好きなんだろう。
差し出されている宇宙の小指に、自分の小指を絡めた。久しぶりに感じる体温に、ちょっとだけ胸が高鳴る。
宇宙が指に力を入れた。それに呼応して、わたしも力を込める。
そして――昔のものより低くなった彼の声が、お決まりの歌を紡いだ。
ゆーびきーりげーんまん、うーそつーいたーら、はーりせーんぼーんのーますっ!
重ねるようにして同じものをうたった自分の声は、やっぱり思っていたよりずっとやさしくて、実感すればするほど、頬が熱くなったのを感じた。
* * *
「じゃあまた明日なー!」
またな、と軽く手を振って別れるのもいつもどおり。家がとなり同士というのを噛みしめながら、こうしてドアを開く瞬間はお気に入り。
「たっだいまー」
棒読みながら愉快な調子でそう声を出せば、二階からズダダダダダダという激しい足音が近づいてきた。
あきらめたようにため息をひとつ吐き出せば、「ねーちゃんっ」という声とともにお腹への衝撃を感じた。
「ぐふっ」
勢い良く飛びつかれたら、普段から運動をしていないわたしにはかなりの衝撃になる。
なにぶん、飛びついてきた相手はわたしよりずいぶんと背が高く、もう幼稚園児や小学生などという可愛いものではない。立派な中学2年生男子である。
中二病にかかることもなくまっすぐ育った……あー、まっすぐはちょっとあれかもしれないけれど、いい子に大きくなったとおもう。
ふらついてドアに背をぶつけたが、そんなわたしなどお構いなしにまた飛びついてくるあたり、容赦がない。
「ねーちゃん、ねーちゃん! おかえり!」
そう、飛びついて来た犯人は、わたしを「ねーちゃん」と呼ぶ男の子。わたしの両親の血がたしかにつながっている、正真正銘の弟である。
けれどこの弟、極度のシスコンをこじらせていて、常にわたしにつきまとってくるこまったチャンなのだ。
見よ、この少女漫画いいとこ取りの完璧キャラ設定!
だれの遺伝子をもらったのか、親やわたしの平々凡々な顔とはかけ離れて、ずいぶん美形に育ってしまったこの弟は、このシスコンさえなければ完璧なのになぁといつもおもう。
ぶっちゃけ、できのいい弟とできのわるい姉、といった状態なのに、このシスコンで台無しである。
勉強をさせても上位に入り、運動神経は抜群。宇宙とちがってサッカーでは一年の頃からレギュラー入りを果たしているし、高校もスポーツ推薦で入れるだろう。
注目のイケメン一年レギュラーとして、中学時代は有名だった。我が弟ながら誇らしかったけれど、「これなのに姉は……」と言われる残念なわたしが健在だったことをお伝えしておきたい。
そう、対してわたしは、勉強させると赤点ばんざーい、運動神経も5メートル走れば息切れするほど残念なもの。
容姿も平々凡々、可もなく不可もなくといった感じで、「黙っていればそこそこ見られる」が周囲の見解だ。
注目の欠点王としては校内でも1、2位を争う有名人だが、不名誉極まりないものである。
そんな弟・
このシスコンの態度が、ちょっと度が過ぎていることだけが問題だけど、実際に仲は良いのだ。
過多の愛情をいただいていることには、ちょいとばかし注意をすべきかと思っているけれど。
「はい、ただいまね」
頭を撫でようとした瞬間、弟はハッとしたように目を見開いた。
突然の表情の移り変わりにびっくりして、「うおっ、なにさ」とこぼす。ちょっと声がふるえたけれど、こわいもんは仕方ない。
いきなりどうした、何か乗り移りでもしたの。
「ねーちゃん」
すっかり低くなってしまった声をさらに低くして、弟はわたしのことを呼んだ。
「どうしたの」
引きつった笑顔を貼りつけて応えれば、ずいぶんとするどい視線と重なり合う。
「そのマフラー、だれの」
「ん?」
「ねーちゃん、そんなのもってないよね」
マフラー? 思わずキョトンすれば、昴は不機嫌そうな顔でわたしの首元を指さした。
なにか特別なことがマフラーに起こっただろうかと、「なんかあったっけ」と記憶を巡らせ――思い出した。
そういえば、宇宙に借りたマフラー付けてんだった。
納得していれば、さらにするどくなった昴の視線が、わたしを射抜くように突き刺す。
「なに怒ってんの、宇宙のぶんだよ」
ため息を吐きながらあきれた表情でそう告げれば、「よけいにやだ」と言われてしまう。
「なんでよ、宇宙だよ?」
「宇宙にぃはすきだけど、それでもやだ」
「わがままだね、おまえは」
嫉妬されてるよ、宇宙。巻きこんでごめんよ、と心のなかで謝りながら、なんで弟と少女漫画的シチュエーションなんだろう、と深いため息を吐きだしておいた――脳内をめぐる疑問に答えてくれるひとはいない。
ほんと、手のかかる弟。うつむき加減に、ちいさく笑う。
不安でしかたがないんだろうことはわかる。あのときのコイツはまだまだちいさかったし、わたしと2年しか離れていないとはいえ、小学生には重たいことだったとおもう。
まぁ、わたしも小学生だったけどさ。
「ねーちゃん、おれ本当にねーちゃんが好きだよ」
「ありがとう、弟よ。わたしもお前が好きだよ」
適当にあしらって、「あとでね」と自分の部屋に駆け上がる。「ねーちゃん!」悲痛な叫びを聞いたがとりあえずスルー。
かわいい弟だが、度が過ぎているアイツには、すこし冷たくあしらうくらいがちょうど良い。
がちゃり、と部屋のドアを閉める。しばらく存在を無視して着替え始めた。
そうして着替え終えて夕飯の準備ができる状態になった頃、また階段を下りるためドアを開ければ――ずいぶんとまぁ、悲しそうな顔をした昴が立っていた。
置いていかれた迷子のような、まるで一人ぼっちになっちゃったような、そんな顔。
「あ、ねーちゃん……」
「アホ、泣き虫。なーに、泣きそうな顔してんのよ」
わたしの身長なんて5センチ以上超えたのに、わんこみたいにぶんぶん尻尾ゆらしてついてくるんだから、かわいくないはずがない。
しょぼん、とした顔はいまにも泣きそうで、どうにも放ってはおけなかった。
こいつにとってわたしは“だいすきなねーちゃん”かもしれないけど、わたしにとってはこいつが、“だいすきな弟”なんだよ。わかってんのかなぁ。
「ねーちゃん、おいてかないで」
泣きそうにふるえた声で、泣きそうにゆがんだ顔で、ぎゅ、とわたしの服の
とたんに泣きたくなったけれど、弟の前で泣き顔を見せるわけにはいかない、と目の奥に力をこめた。
だいじょうぶだ、おちつけ。
「わたしがどこにお前を置いていくっていうのよ」
「でも、父さんは――」
「昴」
昴の言いたいことは分かってる。だけど、わたしがどうしてお前を置いてどこかに行くとおもうの。
「母さんだって、わたしだって、昴のことが好きだよ。わかるでしょ?」
「……うん」
「お前を置いて離れたりしないよ」
でも――と言った昴の言葉に、いなくなった父さんのことを思った。
明日はちょうど、父さんがいなくなって5年目。いつもこの時期になると、コイツのシスコンっぷりが悪化する。
あれだけやさしかった父さんが、人が変わったように母さんに暴力を振るうようになってしまったあの日から、昴は“だいすきな人が離れていくかもしれない可能性”におびえ続けている。
両親が離婚して、わたしたちは母さんに引き取られることになったけど、かつてのやさしい日々が記憶から消え去ってくれるはずもない。
なにより、あのときから何も変わっていないはずのこの一軒家が、たった一人いなくなっただけなのに、ずいぶん無機質に映るようになってしまった。
それからだ。グレることなく成長してくれているコイツが、その代わりにわたしから離れられなくなってしまった。
まるで、もうたいせつな人を手離したくないとでもいうように、いつも後ろをついてまわるようになった。
まだ中学2年生で、将来のことも社会のこともわからなくて不安な昴が、ずっと働きに出ている母さんよりわたしに依存するのは時間の問題だった。
「おまえはわたしが守ってやるって、いつも言ってるでしょ」
なにがあっても、離れたりしないよ。だから、安心してわたしから“離れてほしい”。
それを伝えるのは、コイツが高校生になってからだろうなぁとおもう。
「ねーちゃんはおれが守るからね!」
「はいはい、ありがとね。けど、そんな泣きそうな顔してるヤツはお断りだぞ〜」
意地悪く笑ってみせれば、「うん」と素直にうなずく。
かっわいいなぁ。そうおもうわたしも、重度のブラコンかもしれない。
「ねーちゃん、いなくなっちゃやだよ」
聞こえたそれにちいさく笑って、「いなくなるわけないでしょ、ばか」と返した。
ついでに、すっかりわたしより高くなってしまった彼の頭を、背伸びしてポンポンと撫でてやる。
足つりそう。そうはおもったが、姉としてなぐさめてやるくらいしてやりたい。
わたしのその態度に安心したように目を閉じた昴を見上げながら、このあたたかさに目を細めた。
そうだ、わたしがこいつを守ってやらないと――そう心に強く誓いながら。
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