第三話

 結局罰として、プリントのホッチキス止めという、なんとも古典的なものをやらされている宇宙そらと、わたし。

 ぱちん、ぱちん、とホッチキスの音が室内に鳴り響く。

 いや、なぜかわたしも付き合わされているの、ちょっと意味がわからないんですけどね!

 やるからにはきちんとするのがわたしなので、きれいにそろえて完成させていく。


 せっかく新入部員に会えるというのに、こされでは部活に行けるかどうかさえ分からない。それくらい、あまりにものプリントの多さにびっくりしているところ。

 まぁ、全クラスぶんと考えると、この数も納得はいくが、めんどうくさくてたまらないというのが本音である。や、自業自得だけどね!

 や、今回わたしは完全なとばっちりなんだけど!


「めんどくさー!」

「ほんとめんどくせー!」

「カオルくんに会いたかったよー!」

「オレも!」

「わたし、とばっちりだよ?!」

「せらちゃん、日頃の行いだと思うよ」


 それはわかる。

 まぁでもほら、宇宙一人にやらせるのも、なんか思うところがあるしね。手伝ってあげても良いかなとは思ってるの。


しのびとは、ねぇ」


 ふと、取り上げたプリントを見ながら、宇宙がちいさな声でそうこぼす。

 そこでようやく、自分たちがホチキスで止めているプリントが、忍者に関わる資料だと気がついた。


 忍者って言われても、少年漫画やゲームに出てくるような忍者しか知らないなぁ。現実にどんな忍がいたのかなんて、さっぱり分からなかった。


 プリントには忍についての豆知識、とあり、忍者がどういった存在なのか、忍術にはなにがあるのか、里とはどういう場所か、現在における忍者についてなど、いろんなことが載っているようだ。

 ダラダラと文字が並んでいて、人によってはそれだけで読む気をなくすデザインだ。当然、わたしも宇宙もそのたぐいの人間である。


 ちらっと見ただけで読む気をなくした彼は、すぐに作業に戻ってしまった。唯一それに関して言ったとすれば、「忍とか興味ねぇや」という一言だけ。

 中二病心はそそられるけどね。

 言おうとして、口を開く。しかし、続けようとした言葉は、まるで何かにせき止められたかのように動きをやめてしまった。


 わたしの視線をぬいつけたまま離さない、ある一文があったのだ。


「心にやいばを刺す。心を殺す。それが、忍」


 ぽつり。生み出されたことばは、へんな感覚を背負っていた。震える唇は、音に変えることを拒んでいるようだった。

 そして口にした瞬間、その言葉は嫌なほどわたしの心を強く突き刺して、息ができないほどの苦しみを与えてくる。

 見たくない。そう思うのに、どうしてもその場所から視線を外せなかった――まるでなにか特別な力が働いているかのように。


「なるほどねー」


 かるーく反応した宇宙の声をどこか遠くで聞きながら、その文字と睨めっこする形でじっと眺めた。


 心を殺す――そんなこと、本当にできるのかな。


 世の中には、我慢をしなければならないことがたくさんあることは知っている。わたしだって、まったく何も我慢をしてこなかったわけじゃない。

 それでも、いつだって自分のココロに翻弄ほんろうされて、歯がゆく思うことのほうが多かった。幼いわたしのココロはまだまだ正直で、自分のそれに喰われてしまう理性あたまを、何度憎らしく思ったかわからない。

 もし、本当に心を殺すことができるのならば、それはもはや、人間ひとをやめる時かもしれない、なんて、めずらしくマジメなことを考えた。


「……せらちゃーん」


 そこまで考えたとき、宇宙の声がすっと意識に入りこんできた。

 ハッとして、思考を中断する。普段から“考える”なんてめったにしないのに、ずいぶんと考えこんでしまった。

 おかげで、ちょっと頭が痛くなってきたぞ。はやくも知恵熱を出してしまったようだ。


「そんなに忍に興味あんの?」

「……いや、そういうわけじゃ、ないんだけど」

「だいじょーぶ?」


 心配そうな様子にうなずいて笑えば、宇宙も安心したように微笑んだ。

 ……確かにだいじょうぶ、なのだけど、めったにしないことをしたせいで自分が気持ち悪い。

 ガラにもなく考えすぎてしまったことが、どうにもむずがゆくなってきていた。


「でもさ、忍の里に一度くらい行ってみたくね? ほら、流行りの異世界トリップ」


 異世界トリップ。そのことばは今やずいぶん有名だ。

 わたしは読書が苦手だから小説なんて見ないけど、アニメやゲームでは異世界ものが好きだったりする。


 主人公のいる世界とは違う世界がある。そんな設定に心が躍る。

 異世界転移や転生の主人公は、多くが現実で得た知識を使って無双生活をしたり、また、現実と違って特別な能力を与えられたりして、周囲に慕われ確固たる地位を築き上げていくことが多い。

 普通であればありえない設定でも、現実の"どうにもならない"くすぶったココロを心地よく刺激して、わたしの承認欲求を満たしてくれるのだ。


「忍の世界かぁ。忍術とか使ってみたいかも!」

「わははっ、運動音痴なせらには無理だろ!」


 忍の世界、かぁ。たいへんなんだろうなぁ。

 そうして適当に思考を中断し、作業を再開しようとしたわたしの意識に、バカ丸出しの声が入り込んだ。


「忍法、水遁すいとんの術!」


  上向きの蛇口から水を出して指で止め、すき間から飛び散った水で、宇宙が忍法を唱える。


 なんなの、バカなの?


「忍法、影分身の術!」


 まぁ、わたしも参戦するんですけど。


「せらちゃん、待って、プリントは影分身させないで!?」

「プリント、こいつ……影分身を!?」

「ねぇ気付きたくなかった事実! まだこんなに余ってるなんて思いたくなかった! 嘘だろ、まだこれだけホチ留め必要なのかよっ」

「分身してしまうとは、お主……何者だ」

「プリントだよ!!! せらちゃんが気付いてしまったプリント!」


 ねぇせらちゃん、まだこれだけある!

 おふざけよりそっちが気になって仕方ないらしい宇宙は、「よく分かんない構えをしてないで、手伝って!」とわたしを急かした。


 そうして、ふと、目があってブハッと噴き出すように笑い合えば、なんだかちょっとあたたかくて。

 どうしてだろうか。本当にいきなり、「宇宙と離れたくない」なんて思ってしまった。


 目に涙をためて爆笑し始めた宇宙は、「ほんっとおまえ最高」と言ってお腹に手をあてている。どうやら腹にまできたようだ。

 かくいうわたしも、特別何がおもしろかったというわけでもないのに笑いが止まらず、同じようにお腹が痛くなってきたのだけど。


 胸のなかをうずまく感情が、なんだかちょっと切ない。


 ひたすらわらい続けた彼は、そろそろ落ちついてきたのだろう。「なぁ」と目にたまった涙をぬぐいながらわたしを向いた。

 それに合わせて、サラサラで少し短めの彼の髪の毛が、ふわりとささやかな風に釣られる。

 くるくるとしたかわいい目は、かつて女の子と間違えられていたものの面影おもかげを残しながら、彼の端正たんせいな顔を作り出すパーツの一つとして整頓せいとんしていた。


「オレ、やっぱりせらといると退屈しねーや」


 ニッ、とイタズラっ子のそれで笑ってみせた宇宙。そんな彼の言葉に目を見開いて、おもわず言葉に詰まってしまった。


 ドキドキ、ドキドキ。わたしらしくない胸の高鳴り。

 それは恋愛感情からくるものとはすこしちがっていた。恋愛感情よりももっともっと、あたたかくてやさしいものだとおもう。

 うれしくなって自然と笑顔になれば、宇宙も眉を下げてうれしそうにわらった。


「わたしも、お前といんのが一番楽だし、たのしい」


 おなじようにニッと笑ってやれば、「うはは」と言って彼も嬉しそうにはにかんだ。そうして、まるでそうすることが当たり前と言うように、ハイタッチ。

 そうしてついに最後のセットをホッチキスで留め終えた。


「やっと終わったー」


 ぐぐっと目の前で伸びをする宇宙。と同時に、向かい合わせにした机に、彼の足がぶち当たった。

 いってーっ、というその声にちいさく笑って、「ばーか」なんて言ってやる。


「宇宙くん、だっせーの」

「うるせ、デコピン喰らわすぞ」

「それならこっちは両目潰してやる」

「なんでそんな過激なの!?」


 青い顔をした彼は放置し、プリント全部をきれいにまとめて段ボールに詰めた。

 ポキポキと軽く関節を鳴らし、時計に視線を向けた彼にならうようにして、同じように時計を見る。


「ほら、まるまるに渡しに行きますか」


 完成品を持ってそう告げれば、「行くかっ」と彼も元気よく立ちあがる――イスが倒れる。

 バカだろ。

 ガシャーンとけたたましい音をたてたそれに「うるさ」と言えば、「ごめんね、せらちゃん!」と宇宙が気色悪い裏声を出した。

 やめなさい。



*  *  *



 すっかり暗くなってしまった廊下に足を踏み出した。電気はついているが、薄暗くて気味が悪い。

 職員室までまだまだ道のりがある。そこまで歩いていかなければならないのかと思うと気分が下がった。

 

 ふと、窓に視線をやれば、自分の姿が映っていた。

 セミロング程度の茶色の髪の毛。前髪は赤いゴムでひとつくくりに結ばれており、斜め後ろに映る宇宙と共通していた。たれ目に近い彼のそれとはちがい、わたしはちょっと猫目だけど。

 すこしだけくるりとパーマがかった彼の髪とは逆に、わたしは完全なストレート。まっすぐと重力に従って伸びている素直な髪の毛は、わたしの性格をそのまま表しているんじゃないかな!


 ふと、整った彼の顔を窓越しに眺めてみると、昔からあんまり変わっていない姿にちょっとだけ笑えてしまった。

 こうやって隣を歩く距離感も、ぜんぜん変わらないなぁ。

 やっぱりこの距離が一番楽しいかもしれない。


「寒いな」


 聞こえた宇宙の言葉に意識を戻して、「ほんと寒い」と返す。

 窓は閉められているというのに、どこかからすき間風が侵入してきているのがよく分かった。それが、マフラーを忘れてしまったわたしの首元に直当たりして、この上なく寒さを誘う。

 ああ寒い。カチカチと歯が振動音を作り出す。

 必死に体中に力を入れるが、肩が凝るだけで何の解決にもならない。


 ちゃっかり赤色のチェックのマフラーをしている宇宙を恨めしそうに見やれば、彼はそっとため息を吐いて「ほらよ」とそれをわたしに寄越した。


「え、なに」


 ちょっと予想外で目を見開けば、「おまえ、びっくりしすぎ」とくすくす笑われる。

 その笑い方がなんだかいつもより大人っぽくて、なんだかドキリとしてしまった。


「使えよ、寒いんだろ」


 なんともないというような表情でわたしにマフラーを差し出す。


「い、いいよ、宇宙が使いなよ。さっき寒いって言ってたし」

「ばーか、今さら遠慮してんな。つーか、早く受け取ってくんねーと、手が限界なんだけど」


 大量のプリント入り段ボールを片手で抱えている彼は、「はやくー」とわたしを急かす。

 渋々といった様子でマフラーを手にすれば、彼は「風邪ひくなよ」と言って、いつものような子どもっぽい笑みをみせた。


 ……ほんとうに、こいつは。

 わたしもちょっとだけ笑って、「とか言って、明日宇宙が風邪ひいたら怒るからね」と声を飛ばした。


「だいじょーぶ、バカは風邪ひかねーから!」


 自信満々に言ってみせた宇宙に「自分で言うなよ」と軽く突っ込んだが、おかしくなったから声に出して笑った。

 その心地良さを抱えたまま、いつもの調子で口を開く。心は躍っていた。


「ねぇ、そ、ら、くーん」

「は、あ、いー」


 わたしと同じ調子で返してきた宇宙に、ニコニコとした笑顔を向ける。そうして「ありがとね」と言えば、彼は「おう!」と声をあげて、あかるく笑ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る