5走目、考える下僕


「俺の名前は『山』じゃねぇっ、『足』だっ! アクセントつける位置がちげぇんだよっ」


 後にそう僕に告げてきた不良くんの本名は、『山足吾郎さんぞくごろう』というらしい。

 2A所属の不良。その姿同様、なんとも古めかしい――い、いや、いかつい名前である。


「どうして山賊くんは、リレーの選手をやる羽目になったの?」


「だから、山賊じゃ――チッ。もういいわ」


「進級の為だ」と山賊君は返してきた。

 どうやら、彼の成績は僕以上にガタガタなものらしい。僕の成績のガタガタ具合が歯科矯正を受けねばならないレベルの歯並びなら、向こうは内部を支える柱が虫穴だらけで今にも崩れそうな中古建築のようなものらしい。


 え? どっこいどっこいじゃないかって? 気のせい、気のせい。


 しかし神は、哀れな不良子羊にも救済措置をくださった。

 彼の成績に目をつけた担任が、「他の補習を免除する代わりにリレーに出ろ」と言ってきたのである。


「リレーやるだけでいいんなら安ぃもんだと思ったんだよ。けど、来てみたらこのザマだろ。ったく、こんなんなら来なきゃ良かったぜ」


『このザマ』って、練習風景の事だろうか。まぁ、確かにあれはなぁ、と彼の話を聴いていた僕も思わず同意した。


 が、どうやら彼の場合はそれだけじゃなかったようだ。


「アイツら、俺が来た途端、まるでバケモンでも見るみてぇに見て来やがって……っ。こっちだって、好きでこんなんやりに来てんじゃねぇってぇのっ!」


「くそっ」と砂利を蹴っ飛ばす彼の姿に、ああ、と察する。


 確かに、同じチームに不良がいたら、僕もそうなるだろうな。だって怖いじゃん、不良。


 練習も出来ず、人の輪にも入れず、彼は校庭の端で座り込むしかなかった。そしてそこに僕が来て――、まあ、あとは知っての通りである。


「でも、成績の為って言ってもよくリレーなんてやろうと思ったね」


「そりゃあ、てめぇ、進級できねぇのはさすがにマズイだろうよ」


「金払ってくれてる親父達に面目ねぇだろ」と唇を突き出す。そこにあったのは、単純な親思いな男子高校生の姿だった。


 こうして、僕と山賊くんのリレー練習は始まった。


 放課後。校庭に集まった後、僕らは頃合いを見てクラスを抜け出す。そうして校舎裏にある第二グラウンドで練習を行う。そこは体育の授業が他クラスと被った時にしか使わない為、放課後は無人のグラウンドだった。


「どうして校庭じゃダメなわけ」


「校庭は人目につくだろうが」


 どうやら目立つことが嫌いなようだ。なら、不良なんかやらなきゃいいのに。なんでやってんだろう。


 第二グラウンドの、僕らの成績にも負けず劣らずなガタガタな土の上で、改めて軽い準備運動を行う。元々は廃部となった野球部が使っていたグラウンドらしく、周囲の一部は高い緑の格子で覆われている。


「野球部が廃部って珍しいよね。そんなに弱かったのかな」


「いや、元は強豪校だ。数年前に監督が変わちまって、そっから負けの連続。んで、最終的になくなっちまったらしい」


「公立高校じゃよくある話だ」と山賊くんが言う。「詳しいんだね」と言うと、「これぐらい常識だろ」となぜかバツが悪そうに顔を逸らされた。


「こういうのは運なんだよ。いくら選手が強くてもよ、監督がヘボいんじゃ、話になんねぇ。言うだろ、運も実力の内ってよ。才能があっても運がなきゃ、使えねぇんだよ」


 そう、なぜか自身の手を見つめながら山賊君は続けた。


 なぜ彼が自分の手を見ていたのかは、その時の僕にはわからなかった。だが、彼の言いたい事は、なんとなくでわかった気がした。


 僕は才能なんてない人間だ。けど、運がどれだけ必要なものかは身を以って知っている。運が悪いと、人は痛い目を多く見る。


 2人で狭いグラウンド内を走る。最初は軽いジョキングから。バトンの受け渡しの練習などは後からだ。まずは適度に動かして走る事に体を慣らすのが先決だ、とそう言ったのは山賊くんだった。


 驚くべき事に、山賊くんの足は僕の何倍も速かった。


 僕が1周してる間に彼は2週、3週とその回数を重ねていく。スピードが落ちた様子もない。


 僕だって、一応はリレーの選手に選ばれた足なのだ。少しは早い筈……、だっ。

 でも、彼はその云倍も速かった。


「おらっ! なにちんたら走ってやがる!」


「だって、も、足、ムリ……っ」


「んな、へにゃへにゃ走ってるからだろうが! もっと背筋伸ばせ! 吸える息も吸えなくなんだろっ! 長距離は息吸ってなんぼだっ!」


 バンッ! と盛大に背中が叩かれる。ごふっ! リ、リレーって実際はそんなに長距離走らないよね?


「ダメ、むり……」


 呟きながら倒れる。と、後ろから何週目かわからない山賊くんが、なに寝てやがるッ、と怒鳴りながらやってくる。


「踏まれてぇのかっ」


「いいねそれ……。僕もう、地面になるよ……」


「だあっ! マジで踏むぞっ!」


 ズルズルと倒れた僕を彼がグラウンド端まで引っ張ってってくれる。

 なんだかんだ、面倒見はいいのだ。それは、最初に校庭で手を伸ばして貰った時からなんとなく気づいていた事だった。


「ったく。おめぇ、本当持久力ねぇな。そんなんで本当にあのクズ野郎に勝てんのかよ」


『クズ野郎』とは、言わずもが浅野の事だ。


 実は彼には昔、浅野に彼女を盗られた経験があるらしい。正確には彼女が浅野に惚れてしまい、別れを告げられたとの事だった(あとでさり気なく浅野に訊いてみたところ、「誰だソイツは」と返された。こういう奴だよ)。


「山賊くんは浅野の事が本当に嫌いなんだね」


「あったり前だっ。あんな野郎をいつまでも調子乗せといていいわけないだろっ。まるで世の中全ての女は当たり前のように自分のもの、みてぇな面しやがって。顔面整形してやろうかってんだ」


 ぽきぽきと指の骨を彼が鳴らす。その様に思わず頬が引きつったが、しかし以前の様な彼に対する恐怖はもう感じなかった。


「大体、お前だって浅野が嫌いだからギャフンと言わせてぇんだろ?」


「僕は――」


 僕は単純に、自分にだって出来るのだと浅野に見せつけたいだけで。

 あの僕を見下す高っ鼻をへし折りたいと思っているだけで。


 ……あれ?


 僕って、浅野の事嫌いなんじゃないのか?


 でもこれじゃまるで、浅野に認められたがってるようじゃないか。


(そう言えば、僕は浅野に逆らえないから下僕をしているけれど、アイツは別に僕を従える必要はないんじゃないか?)


 あの日だって、別に僕なんかとあんな取引をせずとも、アイツの事だ、脅せばそれだけで済んだんじゃないか?


(アイツ、なんで僕と一緒にいるんだ)


『浅野くん、ああ見えて寂しがり屋だからね。一緒に走る友達が欲しかったのかも』


 いつぞやの鷹田さんの言葉が、頭の中を横切って行った。

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