6走目、下僕、激怒する

 ――昼休み、2I教室。


「……早い」


 ふいに呟かれた浅野の言葉にギクッと内心が竦んだ。


「なにが?」と尋ねながら自分の分の焼きそばパンを拷問器具ラップから助ければ、「貴様が来るのがだ」と言葉が返される。


「以前なら、指定時間は5分オーバーしてた筈だ。それが最近、急に早くなった」


「足が速くなったんだよ。リレーの練習してんだから、足も速くなるって」


「……」


 浅野が訝し気にこちらを見て来る。が、追及する気はないのか無言のままだ。

 それにホッと内心で胸をおろしながら、僕は見事拷問器具から救出する事ができた焼きそばパンにかじりついた。


 ――確かに浅野の言う通り、最近の僕は浅野の指定時間通りに昼飯を持ってこれるようになっていた。


 がしかし、それは『なっていた』のではなく、正確に言えば『そうなるようにして貰っている』だったりする。


「んな、正規ルート行ってりゃあ、遅くなんのも当たり前だろっ。お前なぁ、こういうのは頭を使うんだよ、頭を。理不尽な願いには、理不尽で対応しろっ」


 そう言ったのは山賊君だった。ある日の昼休み、たまたま廊下を走っている時に彼とすれ違ったのが、事のきっかけだった。


 無我夢中に走っていた為僕の方は山賊くんに気づかなったのだが、「アホかてめぇっ」と首ねっこを掴まれた事で彼の存在に気付いた。と同時に、クリアになった視界の先に不良の集団が居たのが見え、そこで僕は彼に首ねっこを掴まれた理由を察した。


 命の恩人に人の視線も気にせず、感謝カンゲキ雨嵐の涙を流しながら土下座をする僕の事情を知った山賊くんは、いくつかの『裏道』を教えてくれた。


 それはどこそこの空教室の窓の鍵が壊れているからそこをくぐれだの、チャイムが鳴る前に教室から抜け出す上手い方法だの、内容は不良じみたものばかりで決して人に言えるようなものではないのだが……。しかし、おかげで劇的に僕の昼飯運搬速度が上がったのは確かだ。


「山賊君って優しいよね」と言えば、「目ぇ腐ってやがんのかてめぇっ!」と顔を真っ赤な顔で怒鳴り返されたけど。

 なぜだ、解せぬ。


「ふん。まあいい」


 ピンッと浅野が何かをこちらに弾き飛ばしてきた。

 慌てて受け取る。手のひらのそれを確認すると、五百円玉だった。


「今日の飯代だ」


「少し多いんだけど」


「労力代だ。働きに見合った金は払うべきだろ?」


 労力代、ね……。

 手の中の五百円玉を眺める。


(……ダメだ。やっぱり、意味がわからない)


 五百円玉をポッケにしまう。

 そうして、寝癖で爆発した髪のようにパンからはみ出しまくっている麺を、こぼさないように気をつけながら焼きそばパンを頬張る。もさもさと、口の中の水分がとられていくのを感じつつ、今しがたの浅野の言動の意味を考える。


 ――数日前のリレー練習中の山賊君との会話以降、僕は浅野の行動について考えあぐねいていた。


 だって、思えばそうじゃないか。

 僕には浅野に従わなければならない理由があるが、浅野には僕を従える理由はない。浅野から虫けらレベルの存在、脅せばそれだけで事が済むのだ。


 この金だってそうだ。普通パシリって自分の懐から金を出すもんじゃないのか。これじゃ、浅野の方が損している。普通に自分で昼飯を買った方が安い筈だ。


 ……まあ、貰える物は貰うけどさ。


「時にして下僕。まだあの下等種と付き合っているのか」


「下等種……って、山賊君のこと?」


「奴以外の誰がいる。不良などただのゴミだろう」


 浅野が机の上のカフェオレ――もちろん僕が買った物だ――に手を伸ばす。コイツ、こう見えて甘党派なんだよなぁ。「そこが女子にはギャップ萌えなのよ」と言ったのは鷹田さんだったか。


「山賊君はゴミなんかじゃない。確かに不良だけど、いい奴だよ」


「なら、半端者だな。まともにもなれず、腐りもきれず。それならまだ、捨てれるだけ、ゴミの方がマシだ。どうすることも出来ない物なんて、あるだけジャマだ」


「んな言い方っ、」


 ガタンッ、と思わず椅子から立ち上がる。

 いつもとただならぬ空気を感じ取ってか、周囲が少しざわめいた。が、浅野自身はどこ吹く風のようにカフェオレを飲んでいる。


「本当の事を言って何が悪い」


「言って良い事と悪い事はあるっ」


「ならお前は、言って良い事だけ言って生きていくつもりか」


「そういう事じゃないだろっ」と怒鳴り返すものの、「そういう事だろう」とさらりと浅野が返して来る。その様に腹のムカムカが増す。


 くそっ、少しでもこんな奴の事を考えてみようと思った僕がバカだった。


 結局魔王様はどこまでも独尊的で自己中で暴虐無人。そんな奴の気持ちなんて、真剣に考えてみようだなんて、アホな事だったのだ。


「なんにせよ。アイツと一緒にいるのはやめておけ」


「どういう意味だよ」


「下等種と下僕では、同じ『下』でも生きる世界が違う」


 それこそ半端に付き合っている方が痛い目を見るぞ、そう浅野が続ける。なんだよそれ、と思わず僕は首を傾げた。


 けど、その意味を僕はすぐに理解する事となる。


       ******


 ――翌朝、廊下。


「あ、山賊くん」


「……」


「おはよー……って、あれ」


 前からやって来た山賊くんに気づき、僕は手を上げた。が、そんな僕を彼は無視して、スタスタと歩き去って行ってしまった。


 あれ? もしかして人違い? いやでも、あんな古風な髪型をした不良なんて、他にいる筈が―……。


 聞こえなかったのかもしれない。朝の廊下は多数の生徒で賑わっているし。そういう事もあるだろう。そう思う事にした。


 が、その日以来、山賊君は僕が話しかけても無視するようになった。向こうから話しかけて来る様な事もない。


 そして何より決定的なのは、放課後。


 第二グラウンドに彼が来なくなった。


       ******


(どうして)


 教室。すみっこにある自分の席で頭を抱えながら考える。何か彼の機嫌を損ねる様な事をしてしまったのだろうか。けれど、考えても考えても何も思い当たらない。


 本人をむりに捕まえて訊いてみたりもした。逃げる様に去ろうとする彼の腕を掴んで、「どうして無視をするんだよ」と尋ねた。


 だが返って来たのは「うるせぇっ」の一言だった。腕は振り払われ、平凡的男子高校生の体力の僕では不良な彼に敵う筈もなく、そのまま廊下にすっ転ぶ羽目になった。


「……お前もう、俺と会うな」


 何事かとざわめく周囲の中、ぽつりと彼のそんな声が聞こえて来た。


 会うなって……。会いたくないって事……?

 

 一体、なんで。

 

 が、その原因は直ぐに判明した。

 その翌朝。HR後、授業の準備をしていると担任に呼び止められた。


「お前、ここんところは大丈夫か」


「だ、大丈夫、ってなにがですか?」


 どきっとしたのは、クラスのサボりの事がついにバレたのかと思ったからだ。


 やはり毎年のことと言えど、流石にバレない筈がないのだ。でもだからってどうして僕が呼び止められなくちゃいけないのか。内心で他のクラスメイトを呪ったのは言うまでもないだろう。


 ――だが、僕に待ち受けていたのは、予想外の言葉だった。


「山足の事だ」


「は?」


「いや、なに。最近、お前が山足の奴に絡まれていると聞いてな」


 ちょっくら注意したんだが、その様子ならちゃんと言う事聞いてるようだな、アイツ――。


 あ然とする。


 絡まれてる? 僕が? 山賊君に?


 と、その時、ふと頭の中をの言葉が思い出された。


『半端に付き合っている方が痛い目を見るぞ』


 ――あンの野郎!


 瞬間、僕は駆け出していた。


「あ、おいっ!」と後ろから呼んでくる先生を無視して、思いついた人物の下へと走る。目的地である教室の戸を勢いよく開け放てば、いつも通り教室内の生徒達の目が僕に向く。


 が、僕のただならぬ様子に気が付いたのだろう。いつもの様に、その目がはける事はなく、なんだなんだ、とざわめきが起こる。


「浅野っ!」


「騒々しいぞ、下僕」


 もっと大人しく入って来れないのか、と僕に呼ばれた浅野が席に座ったまま言う。が、その目は手元の本に向けられていて、僕の方には1ミリも向けられなかった。


「お前っ! 先生になに言ったな!?」


 詰め寄るように浅野の席に向かい、その机を持っているバンッと叩く。が、浅野に動じた様子は見らない。その視線は本に向けられたままだ。


「何って何だ」


「山賊くんとのことだよっ」


 ぴくりと彼の肩が揺れた。


「別に」


「うそだっ。僕と山賊くんが仲いい事、気に食わなさそうにしてたじゃないかっ」


「それが証拠だと? 物的証拠の無い物は、証拠とは言わない」


「じゃあ、お前以外に誰がいるんだよっ」


「お前は本当に頭が悪いな、下僕」


 そう言って、パタン、と浅野が本を閉じた。


「直感的、感情的、本能的――、典型的野生型だな。故に周囲に自身がどう思われてるのかなど考えない。実に哀れな脳みそだ」


「なに言って」


「『1人の男子生徒が不良に毎日校舎裏に連れて行かれている』」


 ビシッと指を突き立てられた。鼻先数cmに、浅野の細長い指先がある。この細指がかつて他人を殴った。そんなの信じられないぐらいに綺麗な血の通った指だった。


「お前がこの光景を見たら、どう思う。仲良く2人で遊びに、なんて見えるか」


「そんなの見えるわけないだろ」


「そういうことだ。お前とあのチンピラは他人から見たらそういう風に見える」


 ハッとする。


 そう言えば、先日山賊くんに腕を払われてスッ転んだ時、周囲がざわついていた。


 僕らの言い争いに驚いたのかと思ったが、もしかしたら、僕が不良の生徒に転ばされた、そういう風に見えていたんじゃ――……。


「で、でも、山賊くんはそんな奴じゃ、」


「他の奴らはお前らの事情なんか知らん」


 だから言っただろう、と浅野が呆れたように首を横に振った。


「下等種と下僕では、同じ下でも生きる世界が違う。人とゴミは共には生きられん」


 カッとなる、とはこの事を言うのだろうと思った。


 気がつけば、僕は浅野の胸倉を掴んでいた。「きゃーっ!?」といつもとは違う叫び声が教室内に上がった。


「ならっ、お前にっ、なにがわかるんだよっ!」


 浅野と目が合う。

 こんな時でもそこにあるのは、澄ました目だ。相手の事を見下すような目。無言の茶色い瞳が僕を真っすぐに、飲み込む様に見返して来る。


「お前みたいなっ、なんでも出来る奴にっ、僕らみたいな奴のっ、何がわかるって言うんだっ!」


 苦労せずともなんでも出来てしまうような奴に、

 いつだって自分の言う事こそが1番だと言わんばかりの態度をとれる奴に、

 他人の事を見下してばかりいるような奴に、


 僕らのような『下』の者達の何がわかるのだ。


『――山足君ね。中学の頃は有名な野球児だったみたい』


 それは鷹田さんから聞いた話だった。


 中学の頃、山賊君は野球をやっていた。が、中学最後の年、交通事故に合い、肩を壊した事から、辞めざる得なくなったのだという。


「戦闘要員の事についてはきちんと調べとかないとね」と怪しげな笑みつきの話ではあったが、その話を聞いて僕は納得した。彼がやけに部活動に詳しかったり、足が速かったりしたのは、多分当時の名残なのだ。


 才能があっても運がなきゃ、使えねぇんだよ。そう言った時、彼が手を見つめた理由はきっと――。


「わからんな」


 浅野が口を開いた。

 空気を切り裂くような、鋭くきっぱりとした声音だった。


「どうせ出来ないからと最初から何もしないような間抜けな奴の気持ちなど、俺にわかるわけもない。どうせ出来ない? 自分では無理? だからやらない? ならばお前は、わからないからと言ってテスト用紙に名前すら書かないのか?」


「そ、そんなの詭弁だっ」


 今は関係ないだろっ! と僕が叫べば、フンと浅野が鼻で笑い返してきた。


「そうか? 俺にはどちらも同じように見えるがな。何も出来ないからと、今自分の出来る事すらも放置したバカ共のたわ言だ」


「そんなことっ、」


「ならば問おう、下僕。お前は、他人に奴との事を誤解された時、その旨をきちんと伝えたか?」


「そ、それは……」


 だって、相手は教師だ。僕の様な奴が言ったところで、浅野の言葉に適う筈がない。最初から勝敗は決まっている。


 浅野が自身の胸倉を掴んでいる僕の手を掴んだ。ギリッと一瞬ばかし加えられたその強さに、思わず胸倉を離してしまう。


「やりもしない、言いもしない。なのにこっちの気持ちを汲め? こちらの事を考えろ? とんだ我儘な話だ。幼児の駄々の方がまだ詭弁を弄している」


「っ……!」


 何も、言葉が出なかった。


(くそっ、どうしてっ)


 どうしていつも、こんな奴の方が正しいんだ。コイツばかりが正義で、僕ばかりが悪者なんだ。

 ひいきだ。ずるい。コイツばかり。

 

 どうして――。


 浅野の手を振り払う。そのまま教室を出ようとすると、「おい」と呼び止められた。

 ピンッ、と聞き覚えのある弾き音がし、振り返った僕の方に五百円玉が飛んでくる。


「今日はパピコだ」


 パシッと僕が五百円玉を取ると同時に、そう告げられた。


(コイツ、こんな時にまでかよ⁉)


「あぁそうかよっ!」と大声で怒鳴り返しながら、僕は2Iの教室を後にした。


 ――その日、僕は走らなかった。

 初めて僕は浅野との『約束』を破った。



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