7走目、走れ、下僕!【前編】
翌日、その翌々日、さらに翌々翌日も、僕は浅野との約束を破った。
何か文句のひとつでも言われるかと思ったが、意外にも浅野は何も言わなかった。校内ですれ違った時、チラリとこちらを見られたが、それだけだった。
なんだ、と思った。
こんなにもあっさりと関係が切れるんなら、最初からそうすれば良かった。あんな『約束』なんて気にしていた自分がバカみたいだ。
「浅野君、この間の事で落ち込んでるみたい」と鷹田さんには言われたが、僕にはそんな風には見えない。
もしそれが本当だとしても、チラチラ見て来る暇にさっさと謝りにくればいい。やりもしないのに落ち込んでる奴の事なんか、僕だって知るか。
「まあ、今回は確かに彼が悪いしね……。全く、本当、不器用なんだから」
そう言葉を続けた鷹田さんに、不器用どころの騒ぎじゃないですよっ! と怒鳴り返しそうになったが、寸前のところで飲み込んだ。
鷹田さん相手に怒鳴っても仕方ない。
山賊君の方とも相変わらずだ。このままで良い筈がないのはわかっている。
かと言って、僕に出来ることなんてあるわけが――……。
結局、なんの解決案も浮かぶ事なく日は過ぎた。
そして、体育祭の日はやってきた。
******
体育祭当日。
快晴だった。未だ夏にいる様なうだる暑さの中、体育祭は始まった。
競技は着々と進んでいく。熱の入った声援や、汗混じりの砂煙が校庭内を舞う。それを暑苦しいとサボる者もいるが、なんだかんだと力いっぱい楽しむ者が多い。結局皆、イベント事は好きなのだ。
こっそりとクラスを抜けて、僕は2Aに向かった。山賊君の姿はなかった。
クラスの人に山賊君について訊いてみた。が、一様に知らないと返された。それどころか、続けて返ってきたのは「いなくてホッとしたよ」というものだった。
「正直、アイツいられるとマジこえぇってかさ」
「けどさぁ、彼いないと、誰かリレー代わらないとじゃん?」
「いてもいなくても困らせやがって……」
あ然とした。なんだよっ、それ、とじわじわと怒りが腹の底からわきあがってきた。
お前らなんか練習サボってたじゃないかっ。山賊君はきちんと練習してたんだぞ。
お前らに、そんな山賊君の事を悪く言う資格、あると思ってるのか!
でも、それを僕が言う資格もない。僕だって、山賊君の事を誤解だと先生に言えなかった。山賊君の味方になれなかった。
僕は知ってたのに。彼が頑張っていた事も。彼が本当はどんな人なのかも。
(――探そう)
グッ、と拳を握りながら、心の中で決心した。
山賊君を探そう。
今さら遅いかもしれないけれど、ちゃんと謝って彼と話すんだ。
今やらないで、どうするんだっ。
貴重品だけを持って校内を駆けた。リレーが行われるのは昼頃。午前中に1年、昼頃に2年、その後間を開けて3年の順で行い、最後に最終種目として学年の代表クラス達が争うことになっている。
スマホによると、現在は10時20分。時間にはまだ余裕がある。
山賊君と一緒に練習して早くなった足で、校内を駆け回り僕は彼を探した。けど、山賊君の姿はどこにもなかった。
もしかしたら学校にすら来ていないんじゃ。いや、そんな筈ない。あんなに練習したんだ。来ている筈だ。絶対。
考えるんだっ。不良が行きそうな場所はどこだ。彼が行きそうな場所は――。
校庭を離れて校舎裏に回る。その時だった。
ドンッ!
「っ! すみま、」
「あ"ァん? んだ、このチビ」
顔を上げると、鋭い目つきをした長髪の男がそこに立っていた。ギロッと、その小さな瞳孔が僕を見下ろしている。よく見ると、その左右にも2人。同じように顔の悪い男が2人立っている。
あ。なんだこれ、デジャヴ。
次の瞬間、胸倉が掴まれた。
「てめぇっ、狼さんにぶつかっといて、んだその態度はよぉ」
「顔面粉々に砕かれたいのかァ? あ"?」
「ひぃぃいいいっ。ご、ごめんなさ、」
掴んできたのは長髪男の横にいた不良達だった。不良1(仮)と不良2(仮)の凶悪面が僕を睨みつけて来る。うげっ、唾が飛んでくるぅ。
……って、狼さん?
長髪男を見る。ピシッと固められたオールバック。その下に露わになっている鋭利な顔つき。頬に傷が入ってさえいれば、その道の奴だと言われても信じられそうな程の顔だちの男だった。
(こ、これがうちの学校最強の不良、狼先輩……っ!)
……いやでも、浅野に倒されたから最強は浅野になるのか?
「ん? お前、あのクソガキとこのパシリじゃねぇか」
狼先輩が思い出したと言わんばかりに口を開いた。
クソガキ? 浅野のことか? そういや、この人、浅野にボコボコにやられたんだっけ。
……って、あれ、待った。これって僕、マズくない?
「ナ、ナニ言ッテルンデスカ。ボクハ、浅野ナンテ奴ノコト、知ラナイデスヨ」
「俺は『浅野』とは言ってねぇぞ?」
しまった! にぃっ、と狼先輩が歯を見せて笑った。鋭い歯がガタガタと歪んだ並びで生えていた。
「コイツはいい」
狼先輩が僕の手首を捕まえ、無理やり身体を持ち上げた。胸倉の苦しさからは解放されたが、代わりに激痛が手首に走る。興奮時の鷹田さんレベルだっ!
「ちょうど、体育祭なんて生ぬるい行事に飽き来たところだ。コイツでしばらく、俺らなりの体育祭といこうぜ」
これは本当にまずい。に、逃げなければっ!
「は、離せよっ」
なりふり構わず暴れてみる。が、先輩の手は振りほどけない。それどころか、暴れた拍子にポケットに入れていた貴重品が地面に落ちてしまった。
「狼さんっ! コイツ、財布持ってやがりますよ!」
「ふぅん。あのガキのパシりの財布か。しけた額しかなさそうだな」
「返せっ、返せよぉっ」
不良1が拾った財布に手を伸ばす。が、すぐさまひょいっと僕の手の届かない高さにまで財布は持ち上げられてしまう。くそっ、どうしてこんなにチビなんだっ。
視界が滲み始める。
もうどうする事も出来ない。諦めかけた、その時だった。
「おまっ!? なにしてんだっ」
聞き覚えのある声がした。
ハッと顔を向ける。そこには、覚えのあるリーゼントの男―山賊くんが体操服姿で立っていた。
よかった。やっぱり来ていたんだ。
違う意味の涙が込み上げてくる。が、今はそんな事してる場合じゃない。「山賊君っ」と思わず呼べば、「山賊?」と狼先輩が彼の方に顔を向けた。
「んだよ。山賊だなんて言うから誰かと思ったが、ただの成り上がり不良のやまあしくんじゃねぇの。久しぶりだなぁ」
「っ、狼先輩っ」
山賊君の顔が歪む。
まずいっ、このままでは山賊くんを巻き込んでしまう……!
「山賊君っ、逃げてっ」
「はーい。サンドバックくんは黙ってる」
「っぐ!」
重たい一発が僕の腹にのめり込んできた。息が詰まり、一瞬ばかり目の前がパッと暗くなる。
「おいっ!」と山賊君が焦った声をあげた。
「てめぇっ、ソイツに何しやがるっ!」
「何って運動だよ、運動。体育祭なんだから、運動するのは当たり前だろ?」
なあ、ともう一発同じ衝撃が僕を襲う。げへっ、と汚い声と一緒に今度は唾が口からこぼれてしまった。
「あっ。そうかぁ。そういや、コイツ、やまあし君のお気に入りでもあったんだっけ?忘れてたよぉ。最近、一緒にいないからさぁ。まあ、俺に告げ口されちゃった所為だろうけど。ギャハハハッ」
え? ――と、聞こえてきた言葉に目を丸くした。
今、この人なんて言った……?
「告げ、口……?」
「んー? あー、そうそう。俺もさ、君みたいな仲良しな相手が何人もいてねぇ。それの一人にさぁ、コイツの事、告げ口するように頼んだの」
なん、だって。
目を丸める。
山賊君の件は、浅野が犯人じゃなかったのか?
けど、今思い出してみれば、浅野は、別に、とは言ったが、明確的な否定は一言も口にしていなかった。肯定はしなかったが、否定も奴はしなかった。
勘違いだったんだ。
浅野は本当の本当に、何も言っていなかったんだ!
「だってコイツさ、ただのごっこ野郎の癖に俺にも媚びないで、一匹狼気取り決めてやがんだぜ? んな悪い後輩をさぁ、先輩としてはやっぱり見過ごせないだろぉ? だからちぃっとさ、俺の
先輩が僕の前髪を掴み、無理やり顔を上げさせる。思わず痛みにうめくと、「やめろっ!」と山賊君が声を上げた。
「ソイツは関係ないだろっ」
「あぁ? それが人にものを頼む態度か?」
ぎろりと、いかつい目玉が山賊くんに向いた。
「頭下げるもんだろぉ? 普通さぁ。土下座しろよ、ど・げ・ざ」
なに言ってんだ、この人……!
「くっ」と山賊君がうめいた。そりゃそうだ。こんなの理不尽過ぎる。
「さ、山賊君」となさけない声が僕の口からこぼれ落ちた。チッ、と彼が舌打ちをした。あぁ、きっと怒っているのだ。情けないこんな僕に。
だってそうだろ?
迷惑しかかけられない、挙げ句本当の事を言っていた奴の事すら疑って身勝手に怒鳴りつけるような奴なんて、情けない人間にも程があるではないか。
結局、僕のような奴に出来る事なんて何もないんだ。
誰かを見返したいなんて、そんな事を思う資格だって、僕にはない。
ならせめて、彼が怒ってこの場から去ってくれる事を願うしかないだろう。そうすれば、山賊君だけでも傷つけずに助ける事ができる。
怖くても助けを求めちゃいけない。
それが、こんな僕にでも出来る、ただ唯一の事なのだから――。
が、次の瞬間だった。
ザッ、と山賊くんが地面の上に膝をついた。
「山賊君!?」
ヒュウ、と狼先輩が口笛を吹いた。
まさか! 頭を下げるつもりなのか?
ダメだっ、そんなの! 「山賊君っ、いいよっ! 逃げてっ!」と慌てて叫ぶ。
が、返って来たのは、「うるせぇっ!」という怒鳴り声だった。
「ダチが困ってんのに、見捨てられるわけがねぇだろっ!」
ダチ? 友達?
山賊君にとって、僕は友達?
(どうして)
だって僕は、
無理やりリレー練習に付き合わせて、
それなのに君を見捨てて、
今だってこんな迷惑をかけて、
それでも君は、友達だと、
そう言ってくれるのか。
(どうして――)
そんな君を前に、僕は何も出来ないんだ。
こんな時ですらも、僕に出来る事が見つけられないんだ。
僕は、僕は――っ。
『でも、別にお互い『友達』だなんて思ってなくても、存外友達ってなれるものだと思うけどなぁ、私』
いつかの鷹田さんの台詞が頭の中を横切った。
その時、だった。
「こんなところでなに油をうってやがる、下僕」
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