8走目、走れ、下僕!【後編】
え?
今の声っ――。
「が……ッ!」といきなり狼先輩が声を上げた。途端、その力が抜けたかのようにその体が前のめりに倒れ始める。
僕の身体が宙に放り出され、ズシャッ! と地面に叩き付けられた。突然の事に「ぎゅへっ」と、みっともない声が口から上がる。
が、その痛みを感じてる暇もなく、フンッ、と聞き慣れた鼻笑いと共に、僕の頭がその鼻笑いの持ち主に踏みつけられた。
「うぎゅっ、あ、あひゃの……っ!」
「なんだ下僕。ご主人様の名前もきちんと言えなくなったのか? ただでさえ無能な頭をしているのに、ついに口も回せなくなるとは。哀れなことこの上ないな」
それは、お前が踏んでるせいだろがいっ!
ギッと浅野を睨みつければ、小馬鹿にするような笑みと共に浅野の足がどけられた。くそっ、口ん中に土入った。おぇっ。
というか、なんで浅野がここに?
「浅野……っ」
狼先輩が頭を抑えながら、浅野を睨みつける。どうやら倒れるのは免れたらしい。大神さんっ! と不良1と不良2が慌てた様子でその体を支えている。
「よぉ、負け犬。てっきり牙が抜け落ちたかと思いきや、まだんな汚ねぇ牙が残ってたか」
「……誰かさんのおかげで古い牙が全て抜けたんでな。新しい牙が生えたのさ。見せてやろうか、ピッカピカの新しい歯だぜ?」
「残念だが、臭ぇ野犬の口内を見る趣味は、俺にはないんでな」
その牙を引っこ抜いてから見る事にするさ――、浅野がその口の片端をあげて笑う。狼先輩もその口元を同じように歪ませる。
魔王様 VS 狼。
校内最強の男達の間に、火花が飛び散る。
――あれ、これ、現状悪化してない?
「下僕」
突然浅野が僕を呼んだ。「なんだよ」と驚きつつ返す。
「パピコはどうした」
「は?」
「パピコだ。使いの内容すらも忘れたのか、この馬鹿者」
開いた口が塞がらないとは、正しくこの事だろう。
いや、確かに言われた記憶はあるけど、それって僕と浅野が喧嘩した時の事だし、というか、今言うべき事かそれ!
「いや、えぇっと、で、でも財布が……」
「財布? まさか忘れたのか貴様。ついに持ち歩くべき物すら忘れるとは……。その脳の衰退っぷりには、呆れを通り越して同情すら覚えるな」
「だ、誰が赤ん坊にまで退化した脳みそだって!?」
「いや、そこまで言ってねぇだろ……」とポツリと山賊くんが呟いた。
「まあいい。この財布をやるから、とっとと買って来い」
ヒュンッ、とこちらに向かって財布が飛んで来た。
慌ててそれが地面に落ちる前に受け取る。
「いいか、余計な物は買うなよ。一円でも失くしてたら……。わかってるな?」
にっこりと、女子達に向けるような笑みを、しかし確実に目は笑っていないそれを、浅野が僕に向ける。
反射的に頷き返したのは、別に怖いからじゃない。単純に染みついてしまった下僕根性のたわものだ。ほ、本当なんだからなっ。
くるりと、浅野が背を向ける。でも、と口を開きかけた瞬間、行くぞっ、と山賊君が首ねっこを引っ張ってきた。
「ぐえっ! さ、山賊君!?」
ちょっ、待、待って!
引きずられる様にして体育館裏を後にする。「まだ浅野がっ」となんとか彼の足に追いつき、体勢を立て直しながら声をかければ、「アイツなら大丈夫だっ」と返された。
「でもっ、」
「わかんねぇのかよっ。ワザと残ったんだよっ、アイツはっ!」
「え」
ワザと、だって――? 山賊君の言葉に目を見開く。
「なんで、そんな」
「んなのっ、俺らを逃がす為だろっ」
「でもっ、アイツになんのメリットもないじゃんっ」
「俺が知るかよっ。アイツに訊けっ!」
「でも」と、山賊くんが言葉を続けた。
「俺らがあそこにいてもジャマになる」
「!」
言葉が詰まる。
山賊君の言い分は正しい。僕らが、出来る事なんてない。特に僕は。喧嘩なんか出来ないし、痛いのは嫌だ。
何も出来ない僕らは、逃げるべきなのだ。
でも――。
手の中の財布を見る。
浅野の奴からぶん投げられたそれを、ぎゅっと握りしめる。
「――……ごめん、山賊君」
彼の手を振り払う。予想していなかった行動のせいか、手はあっさりと外れ、僕らの間にわずかな距離が出来る。
山賊くんが目を見開かせながら僕を見た。
「それでも、行かないと」
たとえ何も出来ないとわかっていても、
それでも僕は行かねばならない。
だって僕は、
「アイツの下僕だからさ」
アイツが待ってるなら、行かないと。
踵を返し、山賊くんと反対の方に向かう。おい! と後ろから制止する声が聞こえたけれど、それでも僕は走る。
浅野の下へ。今、窮地にいるその魔王の下へ。
この手の中にある、
僕の財布を握りしめながら。
*******
近所のコンビニに飛び込み、ギョッとした店員相手に、迷う事なくパピコを買った。「お釣りはいいですっ」と叫んで、学校へ向かって走り出す。
息が苦しい。殴られた腹も痛い。そういえば、山賊くんが人は運動をする時腹を使って呼吸を行う生き物だと言っていた。もしかしたら、それの所為なのだろうか。
(何をしているんだ、僕は)
大体、浅野なんか嫌いな筈なんだ。もし大怪我をしたって、今まで僕にしてきた事のツケが回って来たのだ、「ざまぁみろ」と指さして笑ってやれる自信がある。
けれど、今、あそこで逃げるのは嫌だった。
浅野の事は嫌いだけど、あそこで彼を見捨てるのは嫌だった。
だから僕は走る。アイツの元に。
が、しかし――。
「ふぅ。まあ、こんなとこか」
「……」
向かった先。
そこにあったのは、息をつきながら額の汗を腕で拭う浅野の姿。……と、先輩方の屍だった。
……決着つくの、早過ぎじゃありませんか、魔王様。
「……まあ、浅野だもんな」
万が一、なんてこと、起こる筈もなかった。まじめに心配して損した気分だ。
戻るか、と踵を返そうとした。ああ、山賊くんになんて謝ろう……、とため息をつく。
が、その時。
視界の端に動くものが見えた。
狼先輩だった。先まで倒れていた筈の体が起き上がり、浅野を睨みつけている。
が、浅野はそれに気づいていない。だというのに僕の方には気づいたらしく、「下僕?」と不思議そうな顔をしてこちらに振り向いてくる。
瞬間、チャンスだとばかりに、狼先輩が動いた。振り上げられる手。そこには、どこから出したのか、カッターが握られていて――。
「こンの、クソガキがぁっ!」
「!」
ハッとした顔で浅野がそっちを見た。が、反応が遅い。小さな刃が浅野の上に降りかかるっ。
けれど、
「うおぉおおおおおりゃあああああああああああっ!!!!」
それよりも、僕の方が早かった。
ドゴンッ!!
それは僕の手の中から発された音だった。
と、同時に、「ガハッ!」と声を上げて狼先輩が後ろに向かって、赤くなった顎と一緒に倒れていく。
浅野と目が合った。
いつもの澄ました浅野の姿はそこにはない。さすがにこれには浅野も驚いたらしい。ぽかんと口を開けている。
が、その姿を見れたのも一瞬の事。次の瞬間、ゴンッ! と僕の頭を鈍い痛みが襲った。
(な、なんだ……?)
薄暗くなる視界の中、飛び込んできたのは宙を舞うビニール袋の存在。そしてそこから零れ落ちる、凍ったパピコ。
先程、僕が狼先輩に向かって振り上げた代物。
それが、僕の手から離れ、宙を舞っている。
あれが当たったのか。そりゃ勢いよく振り上げたんだもん。遠心力に従えば僕の頭にぶつかってもおかしくないのか――?
「一陣っ」と焦った声が聞こえて来た。ハハッ、お前でもそういう人間臭い声、出せるんだな。
意識が消えていく。
こうして僕は、パピコが鈍器になるという事を知った。
ブラックアウト。
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