最終走、英雄にはなれぬけど

 保健室。


「軽い脳震盪ね」と保険医の先生は言った。たんこぶ出来てるからこれで冷やしておきなさい、と氷のうを渡して来る。


「吐き気とかはないみたいだけど、一応あとで病院には行っておきなさいね。とりあえず、今日の体育祭は欠席ね」


「欠席……」


「じゃあ先生は救護所に戻るから」


「大人しくしてるのよ」そう言って保健室を出て行く。「はあ」とあいまいな返事が僕の口からこぼれ落ちる。


 欠席って、マジかぁ……。

 でも、専門の先生が言うんだから大人しくしておいた方が良い。とりあえずたんこぶに氷のうを当てる。うぅ、じんじんする……。


「ざまぁないな」


 ベッド横に立っている浅野が口を開いた。んだよ、その言い方。

 が、そう口を開くより先に、んだとゴラァッ、と新しい声が室内に響き渡った。


「てめぇ、助けて貰ってよくんな事言えんなぁ?」


「貴様に言われる筋合いはないな。貴様こそ、本来なら俺に礼を述べるべきじゃないのか?」


 んだとぉっ? と声の主――山賊君が声を荒げる。それに対し、浅野がハンッと鼻を鳴らす。


 ああ、お願いだから、喧嘩はやめて。別の意味で頭が痛くなるから。


 あれからしばしの時間が経過していた。最初、ふっと目を覚ました先は保健室で、最初は何がどうなっているのか理解出来なかったが、その場にいた山賊君達の説明によって事情を把握する事が出来た。


 あの後、駆けつけてきた教師達に寄って狼先輩達は連れて行かれた。教師陣を連れて来てくれたのは山賊君だという。彼は僕と別れた後、どうやら教師を呼びに行ってくれていたらしい。


 考えてもみれば、それがあの場での正しい判断だ。けれど、あの教師陣が山賊君の事をすぐに信じてくれたのも驚きだった。が、それには陰の功労者がいたのだ。


 そして、その功労者と言うのが――。


「もぉ、そうやって誰構わずツンケンしない! 怪我人の前なのよ!?」


 新たな声が場に加わる。鷹田さんだった。

 赤ハチマキに体操服姿、と一般生徒と同じ姿の筈なのに、醸し出る雰囲気はやはり姫なのが驚きだ。彼女を前には、芋臭い体操服も、華麗なドレスに変身してしまうらしい。


「ごめんね、山足君。うちの幼馴染が」


「いや、んだ、その、別に。アンタは悪くねぇだろ……」


 むしろアンタには助けられたっていうか――、と山賊君が目をさまよわせる。そりゃあ、普段怖がられてるのに、急にこんな美女に優しく接して貰えたら戸惑うわな。わかるよ、その気持ち。僕も最初はそうだったから。最初は。


 ……そう。功労者というのは鷹田さんだ。


 教師に喧嘩の事を伝えている最中の山賊くんを偶然鷹田さんが見つけ、事情を察するや否や、彼の説明の手助けをしてくれたのだ。彼の言う事には顔を渋らせる教師も、彼女が言うなら、とあっさり信用してくれた、というわけである。


 さらには、浅野が喧嘩していた、という事実を隠す為の作り話まで行い、結果、悪いのは狼先輩達だけ、という現状まで作り上げてくれたのもまた、彼女だったりする。


「女に話しかけられたぐらいで鼻の下を伸ばすとは。下卑た奴だ」


「は、はあっ? 俺は、ただ、本当に助かった、って礼をだなっ! つぅか、お前の方こそ、コイツに礼言ったのかよ! 怪我したのてめぇのせいだろ!」


「単なる自業自得ではないか。俺もあの野犬もこれに関しては手すら出していない」


「そうだろ、下僕?」と浅野がにっこりと笑みを向けて来る。

 うっ。それに関しては。くそっ、何も言い返せない……っ。


「うふふ。怪我をした受けの為に争う、ドS優等生とツンデレ不良……。築かれる三角関係……。2人の関係に入るヒビ……。その時試される、愛の力……。いいわ、凄く滴るわ……ふふ、ふふふふ」


「鷹田さん、涎が出てます……」


 やめて。もう僕の為に争うのはやめて。


 隣で不気味な笑みを浮かべる姫君、

 目の前では火花を散らす魔王様と不良。


 ああ、だから、なんだって僕ばっかこんな目に合わないといけないんだよっ!


「見てろよっ! 次のリレーではぜってぇ、俺が勝って、コイツの仇をとってやる!」


「アホか。リレーは団体競技だ。貴様だけで決まる勝敗ではない」


「う、うるせぇっ! 勝つったら、勝つんだよっ」


 山賊君が怒鳴りながら保健室を出て行く。ガコンッ! って、なんか今、どう考えても引き戸のものじゃない音が聞こえたような……。


「じゃあ私も行くね。怪我した一陣くんの代わりにリレー出なきゃだし」


 肩を回す鷹田さんの姿に、うっ、と言葉が詰まる。

 そう。彼女はこれから怪我をした僕の代わりにリレーに出てくれる。なんでも、いいネタを仕入れてくれたお礼はしなくちゃね、との事らしいが、僕としては申し訳なさでいっぱいだ。


「大丈夫。任せておいて。かつては、即売会始発ダッシュの女王と呼ばれたこの足は、伊達じゃないわ」


 始は――……なんですって?


 ウィンクつきで謎の言葉を残しながら彼女も保健室から退場する。なんだろう。なんか怖い。でもまあ、彼女が大丈夫、というなら心配はしなくてもいい……のか?


「……おい」


「は? い……っ!?」


 ゴンッ、と鈍い痛みが脳天に降って来た。目の前に星が飛ぶ。


「なにすんだよっ!」


 たんこぶ増えたらどうしてくれんだっ! と見下して来る浅野を睨みつけた。いつもの様にスカした瞳がある。


 が、なんだかいつもと空気が違う。なんだ?


「ん」


 何かが差し出される。見るとパピコだった。


 袋に入っているのではなく、二分割されている奴。それは覚えが正しければ、僕が買ってきたそれだった。


「……パピコは2人で食うもんだろ」


 ボソッと、浅野にしては珍しい小さな声だった。は? と目を点にしていると、グッとその冷たい表面を鼻先に押し付けられた。い、いたたたたたっ、冷たいを通り越して痛ぇわっ。


「やめいっ」とパピコを奪い取る。

 浅野が、ハッと鼻を鳴らす。そのまま保健室を出て行く。


 ……と思ったら、その足が止まった。


「………………悪かった」


「え?」


 今、耳を疑うような言葉が聞えて来たような……。

 あ然とする僕を置いて、浅野が保健室を出て行く。


(……そういえば、ここんところ、アイツ、ずっと何か言いたそうに僕の方を見てたっけ)


 まさか、ずっと今の言葉を言うタイミングを探っていたのか? 

 あの魔王様が?


『浅野くん、ああ見えて寂しがり屋だからね』


 窓の外からアナウンスが聞えて来る。リレーの選手の集合を促すものだった。

 結局、浅野をリレーでギャフンと言わせる事は出来なかった。


 けど、


「……まあいっか」


 面白いものは見れたし。今回はそれで良しとしよう。

 今回は、な。


 パピコを食べる。ちょっと柔らかくなっていたけれど、それでも安定的な甘さが、僕の口の中に広がった。

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