3走目、婦女子なお姫様は『ふ女子』さま

 ――約3時間後。

 放課後、職員室。


「クラス代表リレーの選手? 僕がですか?」


 あ然としながら訊き返した僕に、「そうだ」と、今年で四十路のオジサンを迎える担任が頷き返した。


 ――クラス担任のからの呼び出しを受けたのは、帰りのHRが終わった直後の事だった。


 これまでわりかし平々凡々、波風立てぬように歩んできた筈の僕の人生において、職員室に呼び出される事など、これが初の事態である。一体何をやらかしたのかなど、当然検討はつかない。もしや、ついに毎日昼休みに校内を暴走列車の如く爆速している事が担任のお耳に入り、内申点を下げられるとか、そういうお話では……!?  とビクビクと怯えながら、警察に連行される犯罪者達よろしくのうなだれた姿勢で、僕は担任の後に続く形で職員室へ訪れる事となった。


 が、そこで言い渡されたのは驚きの要件だった。


「芽呂栖、お前、体育祭のクラス代表リレーに出てくれないか」


「……は?」


『クラス代表リレー』。


 9月末に行われる体育祭での競技のひとつ。学年ごと、クラス対抗でリレーを行い、最終的に残ったクラスを学年代表として全学年対抗のリレーを行い、優勝クラスを決めると言った、定番的で王道的な体育競技である。


 例年、体育祭での担当種目は、2学期に入った辺りで争奪戦が開始される。


 中学の時と違い、1クラスの人数が多い高校では、競技は種目用にクラスの代表者を選び、その者にやって貰うというのが常だ。が、もちろん、そんな風に決めて均等に物事が進む筈もない。各競技共、人気の差というものは歴然と現れる。


 玉入れや大玉ころがしなどの、練習も競技の仕方も楽ちんな競技は人気が高い。が、障害物競争やムカデ競争など、練習がめんどくさい競技は当然人気がない。その為、度々決まらない種目が生まれる。


 クラス代表リレーは後者。ただ走ってバトンを渡すだけの競技なのだが、なぜか放課後にリレー練習があるのだ。皆それが嫌で、誰も立候補したがらない。


 うちのクラスも先日種目決めがあったが、リレーは最後まで決まらなかった。まあ最終案として、クラスで足の速い生徒順に選ぶという方法があるので、今回もきっとそうなるだろう、と思われていた。


 なのに、


 僕が? リレーの選手?


「実はな、お前が良いと推薦をされてだな」


「推薦ですか?」


「浅野がな、お前なら足が速いから丁度いいだろうと」


「は?」


 なんですって? 予想外の名の登場に、教師に対してするべきではない不躾な言葉が、僕の口から飛び出していった。


 先生いわく。

 どうやら毎年不人気のリレー選手にどうすればいいか職員室で悩んでいたところ、時同じくして、たまたま職員室に訪れていた浅野に聞かれたのだとか。そうして「それならば」と、教えて貰ったのが僕の事だったそうだ。


 浅野が、そうやって教師の相談に乗る事は珍しくはない。

 これは「困っている奴がいたら助ける」「人脈はあって困るものじゃないからな」と言う浅野の信条に則った行動である。優等生の皮を被った魔王様はこうやって日々周囲に媚を売って生きているのだ。


(ハッ。ま、まさか、あの昼休みの『面白い事』って、これのことか―⁉)


 昼休みの浅野の態度を思い出し、血の気が引いていくのを感じる。

 が、僕の様子に担任が気づかない様子はない。それどころか「浅野から聞いたぞ」と、嬉しそうに話を続けていく始末だ。


「お前、毎日昼休みは走って過ごす程、走ることが好きらしいじゃないか。確かに、校内を走っている姿もよく見る。校内を走るのは流石にいかんが、しかし、そこまで走るのが好きなら、体育祭のリレーなど、もってこいだろう」


「ふぁっ」


 いや、確かに走ってはいるけど! 好きで走ってるわけではないんですけど⁉


 あの野郎、ここぞとばかりにいい感じに話を捏造しやがったな!?――、脳内にここぞとばかりに、ニヤついた笑みを浮かべる浅野が浮かびあがり、頬がひきつる。


「頼むっ! お前しかもういないんだっ! リレーの選手が決まってないのはうちのクラスだけなんだよっ! そうしたら、お前が今までサボった体育の分の成績、多少は見逃すように頼んでやってもいい! お前、この間のハンドボールの授業、仮病で休んでただろう?」


 パンッ!と手を叩きながら、こちらに頭を下げてくる担任に、「うっ」と言葉が詰まった。


 確かに、僕が以前ハンドボールの授業を「腹が痛い」という適当な理由でサボった事は純然たる事実ではある。


 でも1つ言い訳をさせてくれ。仮病の理由が適当なだけで、サボッた理由はちゃんとあるんだ!


 だってあの授業、2人1組でキャッチボールをしなければならないんだぜ? あんまし仲が良くない奴と組む羽目になった時の、相手から向けられる、コイツかよ、という目。あれを受けるぐらいなら、成績の一つや二つ、失ったって僕はいいっ!


 ……が、しかし、見逃してくれると言うのなら、正直それに越したことはない。


 なんせ、元々僕の成績は良い方とは言えない。昨年だって、補修を受けてのぎりぎりで進級した。

 もう二度と、あんな目にはあいたくない。


「くっ……、わ、わかりました」


「そうか! やってくれるかっ!」


 お前ならやってくれると思っていたぞ、と先生が笑いながらバシバシと肩が叩かれる。はは、と空笑いが口から零れ落ちた。浅野の奴、覚えておけよっ。


 はあ、と溜息と共に職員室を出た。夕日が差し込む放課後の廊下で、がっくりと肩を落とす。


 ああ、これからどうしよう……。そう、途方に暮れた時だった。


「一陣くん。また浅野くんにからかわれたのね」


鷹田たかださん……、見てたんですか……」


 かけられた声の方へ振り返る。すると、そこには予想通りの女子―クラスメイトの鷹田まなみ、が立っていた。


 口元に手をやりながらクスクスと笑う様は、まるで高貴な一族の娘のような上品さに溢れている。いや、笑い方だけではない。かもし出す雰囲気、その全てからあふれ出ている。


 立てば云々、座れば云々、歩けばユリの花、だ。

 その証拠に、今しがたも、部活動に向かう生徒達が僕らの横を過ぎ去る度に、チラリと鷹田さんの方を見ていく。男子も女子も、皆、他の人とは違う、彼女の上品な空気に、思わず目が惹かれる。


「ごめんね。ちょっと提出物があって職員室に来たら目についちゃって。でも本当、一陣くんは学習しないんだから。浅野くんが何か怪しい事を言って来たら注意しないと。この間だって、騙されて、物理の先生の機材運び、手伝う羽目になったんでしょ」


「もしかして、昼休みのあれ、聞いてたんですか」


「ううん。ハッタリ」


「ごめんね、本当にそうなのかカマかけてみちゃった」と鷹田さんが舌をちろりと出す。

 全く悪びれていない事は明確だが、仕草の可愛らしさにどきっとする。同じ様にその笑みを見てしまったらしい男子が、ぽーっとした顔で彼女の方に目を向けながら去って行く。おい、前を見て歩け、そこ曲がり角だ。壁にぶつかる。


 が、残念ながら、僕の胸が鳴ったのは別にそんな男心が理由じゃない。


 なぜなら、彼女の微笑みの裏を僕は知っているから。


 正確には、


「それで? 一陣くん?」


 ガシッと、肩に手が置かれる。その顔が近づいて来て、ふんわりといい香りが僕の鼻をくすぐる。ああ、これはシャンプーの香りだろうか。


 だが悠長に嗅いでる暇なんてない。なぜなら――。


「浅野くんとは、今日は、どこまで、イったの、かな??」


 ――今日もお話、聞かせてくれるよね?


 発情期の犬のごとく、彼女の息が乱れ出す。目はらんらんと輝き、肩に食い込む手は女子だと思えない程の強さが加わり始める


「イダダダダダダッ、痛いですっ、鷹田さんっ!」


「その痛みで歪む顔いいっ! 一陣君は、初めての時の痛みにはきっとそんな顔をするのねっ! とっても参考になるわっ! 無理やり浅野君に後ろからピーーーーされて、痛みに声を上げるの! 私、声を出すタイプの作品には興味ないけれど、一陣君なら受けいれて許せるわっ。ああ、こうやって女子に顔を近づけられたところを見た浅野君が嫉妬に狂って一陣君を押し倒してくれないかしら。そしたらもう、私、一生ご飯なんて食べなくても生きて行ける!」


「いや、ご飯は食べてくださいっ」


「あら、それは私のオカズになってくれるってことかしら? じゃあとりあえず、今すぐ浅野君に食べられてきて貰って」


「そういう意味じゃないっ!」


 物理的に食べてくださいって言ってるんです! そんな腐った精神論は今すぐ捨ててくださいっ!


 鷹田まなみ、美しき女子高生。

 器量よし。立ち振る舞いよし。言葉遣いも実に美麗。

 強いて困った点をあげるなら、ひとつ。


 彼女は、『腐女子』である。――それ、ただひとつである。


「だってぇ、2人って凄いCPカップリングとして滾るんだもの。なんでも出来る上に裏表のあるスーパー優等生×なんにも出来ない見た目もモサい根暗劣等生。王道的ではあるけれど、だからこそ凄く美味しいのよね。最近はいろんなCPがある世の中だけど、やっぱり、基礎である王道があってこそのマイナーだと思うのよね。そんな王道CPが目の前でうろちょろしてるのに、それを見過ごせる腐女子がいて?」


 うふふ、と花がほころぶ様な笑みを鷹田さんが浮かべる。

 しかし、これに騙されて、耳にした言葉を聞き逃してはいけない。彼女の本性は、その口から吐き出される毒花も顔負けの、腐ったお言葉達の方だ。


 最初にその正体を打ち明けられた時は驚いた。

 ある日の放課後、急な彼女からの呼び出し。ええ、こんな僕に、鷹田さんのような人が? 浅野にじゃなく、僕に? と思わず興奮してしまったのをよく覚えている。


 が、まさか、自分が腐女子である事を告げられ、浅野と僕をそういう風に見ている上、さらにネタにしたいからと情報を提供してくれだなんて、誰が言われると思った?


 確かに、ある種の凄い『告白』だったけどね?

 はぁ、どうして僕の人生ってこうもままならいんだろう……。


「じゃあ今日の出来事をまとめると、女子がワザワザ持ってきてくれた手料理よりも、一陣くんが間違って買ってしまった物の方がいいと、浅野君は選んでくれたってことかしら」


「合ってるっちゃ合ってるのに、何かがおかしく感じる……」


 帰り道。

 駅までの道のりを鷹田さんと歩く。

 周囲から視線を感じるのは、どう考えても隣の人のせいだ。美しい姫君ともさい男子。どう見てもアンバランスな2人に、道行く人々が不思議そうにこちらを見てくる。


「ふむふむ。流石、浅野くんね。ドSに見せながらも、一陣くんからの嫉妬を感じ取ってきちんと対応するんだから。やはり、私が見込んだ攻めなだけあるわ」


「話を捏造するのはやめてください」


 そりゃまあ、女子にモテモテの浅野にイラッとしたのは確かだけど、嫉妬はしてない。


「でも、以前よりも浅野くんの暴虐無人ぷりはアップしているわね。教科書の脳天落としだなんて。ドSのレベルに拍車がかかり過ぎかな」


「そう思うなら鷹田さんから、もう少し態度を改めるように浅野に言ってくださいよ。幼馴染なんでしょう」


「あら。私が、そんなネタを減らす事をすると思ってるの?」


「そのネタを提供している僕の身が擦り減っていくのはいいんですか!」


 この婦女子の顔をした腐女子が! 思わずそう泣け叫びたいのを堪える。

 流石に街中往来、駅も近く人通りの多い通りで『腐女子』なんて単語を叫んではならない事ぐらい、僕にだってわかる。


「いいじゃない。浅野くん×一陣くん、結構女子の間では人気なのよ? 最近じゃ逆CPも流行りだしてるみたいだけど、私は断固として浅一派ね。新刊の売れ行きも上々だし、未だ浅一派の方が数は上よ」


「そんな情報いらない……」


『新刊』というのは、彼女が作っている同人誌の事だ。この姫君様、裏ではなんとBLボーイズラブの作家をしていらっしゃるのだ。そこそこの人気もあるらしく、『ネタ』というのも、そのBLを書く為のものであったりする。


「でもまさか、リレーに一陣君を巻き込むのは予想してなかったわ。そんなにのかしら、一陣くんと」


「はい……?」


 ――ホワッツ? 今、なんとおっしゃいました、姫君様?


「一緒?」と思わず尋ね返すと、「知らなかった? と鷹田さんが首を傾げた。


「浅野君、リレー選手なのよ。アンカーでね」


 オー・マイ・ガー。


 いや、しかし浅野の運動能力を考えると妥当的な判断だ。不良を一瞬で一掃出来るような男なのだ。その運動能力のすさまじさは言うまでもない。


 そのせいか、定期的に運動部からの勧誘を受けていたりする。まあ、「俺の力なくては勝てる自信もない場所には興味はない」と全て断ってるらしいが。


 本当何様だ、アイツ。

 ああ、魔王様か。ちっきしょう!!!!


「彼、ああ見えて寂しがり屋だから。一緒に走る友達が欲しかったのかも」


「寂しがり屋? アイツがですか?」


 何を言い出すんだ、この人は。

 理解に苦しむ発言に、思わず顔をしかめる。


「そりゃないですよ」


「どうして?」


「だって、皆の王子様、浅野央ですよ」


 あんなに人気があって寂しいとか。友達0人、ただのクラスメイト30人弱、な僕に対して喧嘩を売っているのか。


 大体浅野なら、知り合いなんかがいなくても、その場ですぐに新しい友達を作る事は可能だろう。


 それに、


「……僕らは友達じゃないですよ」


 魔王と下僕。

 単純な互いの利益の為に傍に居る。


 僕らの関係は決して友好的なものではない。今日の件だって、どうせ僕が困るのを見たくって仕掛けたに決まっている。

 

 だからもし、互いの利益が感じられなくなったら、その時は……。


「私にはそういう風には見えないけどな」


「そりゃ、鷹田さんだからでしょう」


 アンタの腐った目にかかれば、そこら辺で転がってる石ころだってそういう対象物になれるでしょうよ。


 思わず疲れた目を鷹田さんに向ける。

 が、鷹田さんの方は僕の言葉に納得ができなかったらしい。「んー?」と顎に指をあてながら、可愛らしくコテンと小首をかしげた。


「別に、お互い『友達』だなんて思ってなくても、存外友達ってなれるものだと思うけどなぁ、私」


 気がつけば駅に辿り着いていた。

「じゃあ私はここで」と鷹田さんがお淑やかに、小ぶりに手を振ってくる。彼女は電車に乗っては帰らない。だから、彼女とはここでお別れである。


「明日から頑張ってね、一陣くん」


「は……?」


「リレーの練習。明日からでしょう?」


 わ、す、れ、て、た。


 そうだった……っ、明日からその予定があったんだった!


「しばらく話が聞けない分、あとで面白いものが聞けるの楽しみにしてるわね」――そう、最後に爆弾発言を残し、鷹田さんが微笑みと共に去って行く。かと思うと、駅前広場に停まっている黒塗りの車へ近づき、乗り込む。彼女を迎えに来た車だった。


 皆の人気者の王子様は暴虐無人な魔王で、

 リアル貴族の娘だと思われる姫様はBL同人作家で、

 哀れな下僕は魔王に騙され、姫君にもてあそばれ、明日から地獄のリレー練習。


(ああ、本当に、)


 どうして僕ばかりこんな目に合わなければならないんだ――。


 痛む頭を抑えながら、僕も帰宅をすべく、駅の中へと足を踏み入れたのだった。






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