1走目、下僕は魔王様に逆らえず

 昼を告げるチャイムが鳴る。

 それがスタートの合図だ。


「うぉぉぉぉぉぉおおおおおおっっっっ!!」

 

 走れ走れ走れ走れ走れ―……っ、


 走れ僕の足っ!


 頬を切る風。視界を過ぎ去っていく、どこまでも同じ風景に、同じ黒い制服を身に着けた人々の姿が映る。

 廊下を走るんじゃなぁい! という声が飛んでくる。あの声は確か、2Iの担任のものだ。


 2I――、2年I組理系特進科クラスの略称。

 そして今、僕が駆けつけなければならぬ『奴』がいるクラスの呼称である。


「ごめんなさぁぁぁあああいいい!!!!!!!!!!」


 叫び返しながらも足は止めない。なぜなら、止めたが最後、僕はきっと明日の日の出を見れなくなってしまうからだ。


一陣いちじん』という自身の名の如く、一陣の風になったつもりで階段を駆け上がる。そうして上がった先にある閉まり切ったドアを勢いよく開け放った。


 バンッ! という音と息を切らして現れた僕。すでに移動教室から帰ってきていた数人の生徒達がギョッとこちらを見た。

が、飛び込んできたのが僕だとわかると、いつものか、と言った様子で各々していた事に戻っていく。


(アイツは! アイツはいるか⁉)


 教室内を見まわす。探し人の姿はない。どうやら、まだ教室には帰ってきてないようだ。


「よ、」


 良かったぁ~、間にあったぁ~。


 ホッと胸をなでおろした、瞬間だった。


「5分の遅刻だ、馬鹿者」


 ゴンッ、と鈍い音が脳天に響き渡った。


「い……っ⁉」


 目の前がチカチカと光った。頭を抑えながら、思わずその場にしゃがみ込む。

 が、そんな僕を気にした風もなく、容赦なく『奴』は言葉を降り注いでくる。


「いつも言っているだろう。飯は俺が来る前に用意しておけと。貴様の脳みそはこんな事すら覚えられないのか。言語を持たぬ犬ですら、躾られればお座りも待ても出来る。これなら、うちのラッキーの方がまだ優秀だ。爪の垢を飲ませてやりたいぐらいだ。まあ、毎日、きちんと、大人しく、爪切りをさせてくれる、『優秀』なラッキーには、お前に飲ませられる程のムダな爪はないがな」


「あ、浅野あさの……っ」


 声がした方――、自身の後ろへと振り返る。


 すると、そこには今一番会いたくない……と同時に、今しがたまで探していた相手である少年――、浅野が立っていた。


「どうした、下僕。そんな怖い目をして。俺に言われたことが図星で悔しかったのか? それは致し方ないな。なんせ、お前は俺の下僕なのだ。下僕は主人の言うことを聞かねばならない。そういう『約束』だろう? さあ、早いとこ、飯の用意をしろ。それとも、再びこの書物の角をその脳天に刻み込んで貰いたいのか?」


 そう言って、手にしている教科書を持ち上げて浅野がにこりと笑う。

 女子に王子様だと騒がれる、その涼やかな顔だちに合った、爽やかなスマイルで――……。


(こ、)


 こんの暴虐無人、魔王様がぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!!!


 ギッと彼を睨みつける。しかしそんな僕の様に、浅野は小馬鹿にしたようにフンッと鼻を鳴らす。

 そうして自身の席がある窓際へ向かって、悠然と歩き出す。


 ――暴虐無人魔王こと、2年I組所属男子生徒・浅野央あさのおう


 それがこの男、僕のに当たる人物の名である。


      ******


 僕こと芽呂栖一陣めろすいちじんには、2種の嫌いな人種がいる。


 ひとつは不良。

 だって、見るからに怖い。うちの学校では、不良がよく踊り場や学校裏にたまっていることが多い。僕のようななんの取柄もない生徒なんかは、彼らに目をつけられたが最後、まともな学校生活は送れなくなる事は明らかだろう。


 もうひとつは、『リーダータイプ』と呼ばれる者達だ。

 ほら、クラスに1人はいるだろ? 委員長だとかそういうんじゃないんだけど、クラスの中心的人物、まるでリーダー格のように皆から頼られる、そんなリーダーのような人間が。


 眉目美麗。文武両道。

 ひとつやふたつ、皆から飛び抜けたものを持つ、そんな人気者。


 そういう奴等は基本的に他人からちやほやされる事が多い。

 たかが勉強ができる。たかが運動ができる。それだけで皆の人気者。僕が一生懸命友達を作ろうとして、殴られたり、いじめられたり、嗤われたりするその横で、奴等は簡単に人気を手にするのだ。


 彼ら程、僕のような底辺域の人間を嗤う奴等はいない。

 街中まちなかに捨てられたガムを見るような目で、僕等をバカにしてくるのだ。


 そして誠、にっくきことかな。

 僕の『主人』である浅野央も、その1人なのである。


      ******


「おい。なんだこれは」


 2I教室内、窓際列の中央席。

 浅野の席があるそこに、その前の空いている席を借りる形でくっつけて簡易テーブルを作り上げる。

 その上に持ってきた袋の中身をひとつひとつ並べていると、ふいに浅野が怪訝そうに僕を問いただしてきた。


「なにって、焼きそばパンだけど」


 机上に並ぶ焼きそばパン達を見ながら、僕は浅野に返した。


 そこに並ぶは、透明なラップシートに包まれた焼きそばパン達。

 食堂のおばちゃん達が丹精込めて手作りした、焼きそばパン達だ。見た目こそ、真空パックも驚きのピッチピチ具合のラップに、もはや包まれているというよりは、そういう拷問器具に締め付けられているのではないかと勘違いするような、それこそ「タスケテ、タスケテ……」と謎の声まで聞こえてきそうな不安な圧縮度に包まれたパンだが、味の方は学校中の生徒達からのお墨付きなのでご安心を。

 歴代不動の人気No,1を誇る、食堂のパン商品として、生徒達の間では名の知れた有名商品となっている。


 ……って事は、浅野自身もこの学校に通う生徒として、よく知っている筈なんだけど……。

 それなのに、「なんだこれは」とは、これいかに。


 この男、ついに頭だけではなく目までクソに成り下がったのだろうか――、思わず哀れみの目を浅野に向ければ、僕の視線に気付いたのか浅野が苛立たしげに口を開いた。


「んなことは、見ればわかる」


 浅野の眉間に深いしわがより、あからさまな苛立ちがその顔に刻まれる。


 だが、顔が整っているせいだろうか。正直、なにか美術品でも見ているかのような神々しさがそこにはある。何も知らない者が今の彼を見れば、何事か難しい事を考えている賢人のようにでも勘違いしておかしくはない光景だろう。


 実際、教室のあちらこちらから「きゃぁっ」と、女子のものと思われる黄色い悲鳴が聞えてきている。目を向けてみれば、頬を赤く染めながらチラチラとこちらを見ている女子生徒達の姿。僕が居る事など全くもって眼中にない事がわかる女子達の視線が、漫画の集中線よろしく浅野に向けて一直線に注がれている。


 クッ……!己イケメン。女性の視線を独り占めしやがって……!


 嫉妬で我を忘れそうだぜ!キィッ!と、思わず心の中でハンカチーフを噛みしめる。

 が、そんな僕の嫉妬にも女子の視線にも、浅野は全く気づかない。周囲から向けられる好意の矢印は無視し、己の視線を目の前の焼きそばパンへと一直線に向けている。


「俺は、『なぜ昨日と同じパンが買われてきている』という意味で訊いたんだ」


「はあ? なんでもいいって言ったのは、そっちだろ」


 浅野からの理不尽な返答に、僕は今朝方浅野から言われた言葉をそのままそっくり言い返した。 


 ――『パン』


 そうラインで浅野から送られて来たのは、今朝方のこと。

 味の種類に関しての言及はなく、こういう時は「なんでもいい」と言われているのと同義語である事を、僕は今までの経験上から重々承知していた。


 まぁ、要約すると本日の昼飯のメニューである。それを見た僕は、昼休み前に食堂まで走り、言われたものを買って浅野の下へ向かう。それを日々毎日。学校があり、昼休みという時間が存在する限り、僕は永遠と繰り返さなければならない。


 なぜならば、僕は彼ので、彼はだから。


 そういう『約束』が、僕らの間にあるからだ。







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