高校時代:理解しなくて良かったのか

ふ、と目が覚める。ぼけた頭が思考を開始し、今は諱戸を待っているということを思い出した。窓の外は暗く、街灯が頼りなくチカチカと明滅し、羽虫が吸い寄せられるように集まっている。

「いま、何時だ……。」

このだるさは、中途半端に寝たせいだ。早く家に帰ってしっかりとしたベッドで眠りたい。

鈍い頭痛で動くことも辛いが、ハリーポッターを閉じて帰り支度をする。腕時計を見ると時間は17時55分。諱戸の当番もそろそろ終わるだろう。

立ち上がると、ぱたぱたと早歩きのローファーの音がした。

「あれ、東くんここにいたんだ。」

心臓が跳ね上がる。結局さっきの出来事を忘れることなんて出来なくて、諱戸の顔を上手く見られなくなってしまった。

「あれ、ハリーポッター?読んでくれたんだ。」

「ああ、うん。途中で頭痛くなっちゃって、あんまり読めてないけど。」

「借りていく?手続きするよ。」

「ありがとう。じゃあ頼む。」

諱戸は本を受け取ると、カウンターのノートに貸出日や本のタイトルを記入していく。うちの高校はバーコードリーダーがあるのに、何故使わないのだろう。

「諱戸、バーコードリーダーは使わないの?」

「ああ、今壊れてるんだ。」

事も無げに言った諱戸は、さらさらと必要事項を書くとノートを閉じた。

「はい、これ。1週間以内に返してね。」

「うん、ありがとう。」

「それじゃあ帰ろうか。」

諱戸はカウンター下から鞄を出すと、肩に引っ掛ける。指定のスクールバッグだ。女子に人気のあるデザインだが、男子で使う人もちらほらといる。諱戸もその1人だ。

「スクバ好きだね。」

「うん、エンブレムかっこいいから。」

「そっか。」

ガタガタと音を立て、扉を開ける。諱戸はご機嫌なようで、廊下に飛び出てそのまま跳ねるように進んでいる。

「ずいぶん機嫌いいじゃん。」

「まあね。いいことあったんだ。ねえ、東くんは来週のこの時間空いてる?」

「え、えっと……。空いてるけど、なんで?」

諱戸は微笑む。その顔に、既視感が俺の脳内を支配した。しかしその支配は一瞬で消えてしまう。なんだったのだろう。

「うん、ちょっとね。大切なオハナシをしたいんだ。」

「おう、とにかく了解。空けとくよ。」

「ありがとうね。」

正直、これを言われるのが一番怖かった。これでさっき魔法使いと諱戸が話していた人が、俺でほぼ確定となってしまったのだ。

「なあ諱戸。」

「ん?」

「他愛もない話だ。ちょっと珍しいかもだけど、どこにでもある話。きいてくれないか?」

「……いいよ。全然平気。」

俺は諱戸に1つだけ知っておいて欲しかったことがあった。ずっと今まで誰にも話したことが無かった、俺の一番大切な妹の話だ。

「俺には、妹がいたんだ。双子で、二卵性双生児だっだんだけど、不思議と身長や体重は似通ってた。」

「そんな偶然があるんだね。」

「俺もすごいって思ってたよ。これは信じなくても良いけど、変なものが視えるって体質も同じだった。」

「変なもの?」

「グロいとか超越した世界のものだから、みるのはおすすめしない。第一みえないし信じないだろう?」

「……あはは、まあね。でも僕は幽霊を信じているし、半信半疑ってところだ。」

「そっか。それで、俺と妹が決定的に違ったことが2つだけあった。まず性別。」

「変えようもないよね。もう1つは?」

日が暮れ、闇が迫る商店街を歩く。誰もすれ違わないし出会わない、奇妙な帰り道だった。

「……もうひとつは、病気。妹は、高校生になる直前で死んだ。寒い夜だったよ。」

「そう、なんだ。」

「俺さ、今だから言えるけど、妹のこと好きだったんだ。ちっちゃい時からままごととか付き合わされてたけど、それでよかった。共働きで忙しい両親の代わりに毎日病院に行って、学校であったこととか話したんだ。妹は中学校も3年生の時から通えていなかったから、俺の話が楽しいって、笑ってくれた。勉強も俺とたくさんした。病室で小さな声で音読したり、数学解いたり。理解が速かったから、教える俺の方が勉強不足だったりしたよ。」

「とても妹を大切に思っていたんだね。」

「そうだな。人のためにあれだけ動いたのは、初めてだった。」

少しだけ、無言の世界が広がった。諱戸にこれを聞かせて、何になるんだろう。俺が頭のおかしいシスコンだと思われるだけで、何のメリットも無かった。でも、話しておきたかった。ちら、と隣を見ると、諱戸は俺のことを見ていた。どこまでも優しい視線だった。

「それで?」

「妹は……妹は、受験したんだ。俺たちと同じ高校。この学年、一人足りてなかっただろう?妹が死んだからなんだ。受験に受かった後、妹は病状を悪化させていった。その時ほど世界を恨んだことは無いね。妹の手から力が抜けて、ふっと目が開いた。よく覚えてる。『お兄ちゃん、死神がみえた。』ってさ、最期に俺がみえないものをみて妹は死んだんだ。死神なんかみたことなかったよ。そこに変なものはいなかった。」

俺は立ち止まった。ここが諱戸と別れる十字路だったからだ。諱戸も、止まった。またその場が静かになる。蛍光灯がジジ、と鳴った。

「俺は、この話を誰にもするつもりが無かった。でも諱戸、お前には知っておいて欲しかったんだ。何でか俺にも分からない。けど、諱戸。俺の妹のことを、お前は覚えておいて欲しい。」

「……なぜ、僕が?」

問われて、息を飲んだ。諱戸の声からは困惑が聞いて取れる。友達の死んだ妹の話なんて、俺からしたら話されても怖いだけ。そんなのは分かっている。そこまで考えて、理由がひとつだけふっと思い浮かんだ。

「お前が好きだから。」

そうだ、これだったんだ。諱戸に半ば執着していた俺の想いは、これだったんだ。言葉にできて安堵したのと同時、俺は急に冷や汗をどっとかいた。

今、俺はそれを誰に言った?

「ごめん、諱戸。友達と思っていた奴にこんなこと、本当にごめん。返事はしなくていいから。」

脱兎のごとく駆け出す。今は諱戸の顔も声も聞きたくなかった。

「あ、東くん……。」

諱戸は俺にどうせ着いてこられない。これでもアウトドア派だったので、感情に任せて走り去った。友達の前でこんなこと、初めてだった。

家に着くと、靴も揃えずに2階の自室へ向かった。

「くそ……。諱戸に明日からどんな顔して会えばいいんだよ……。」

こんな感情、理解しなくてよかった。愛なんて、妹だけで充分だった。自室のドアを開けようとして、ふと足が止まる。

そっと妹の部屋を開けて、電気をつける。さっぱりとした水色を基調とした、妹こだわりの部屋だ。衣装棚の上に置かれているスクールバッグに目が止まる。おもむろにそれを手に取った。

「お前、これ、かっこいいってはしゃいでたな……。」

行ってみたい、お兄ちゃんと一緒なら頑張れる。妹がそうやって笑っていたのが、遠く昔のように思えた。

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