高校時代:理解したくない

「東くん、僕今日の放課後は図書委員会だからさ、先帰っていいよ。」

帰りのホームルームが終わり、鞄に筆箱を入れた所で声をかけられる。6月になって最初の定例会だそうだ。その後、当番もあるからと丁寧に断られたが、俺は諱戸を待つことにした。

図書室に入る扉は1つしか無い。本棚を置くスペースに困り、教室から遠い方のドアを潰してしまったのだ。一番上の階の端なんて、本好きか勉強に利用したい人くらいしか来ない。つまり、俺のような人種は滅多に訪れない。

「うわ、建付け悪い。」

ガタガタを音を立てて図書室の扉を開ける。非力な女子は一苦労するのではないかと思うくらいに扉が重い。

人を待つために図書室を利用するなんて初めてだ。これは、諱戸という友人のための特別扱いなんだろうか。俺には一緒に帰る人が今までで1人しか居なかったからよく分からない。普通の人間の考えを、俺みたいな人間もどきが理解できるはずもない。

「えーと、ハリーポッターってどこだろ。」

カウンターは無人だ。タイミングが良かったのか、勉強している人や本を読んでいる人もいない。本棚を注視して探すと、1巻と3巻だけが残されていた。

2巻が無いが、諱戸が戻ってくるまでには読み終わるだろう。奥の方まで来てしまったので、カウンターからは見えない窓辺の席で読み始めた。





「……だめだ。」

目が滑ってしまって読めない。確かに3分の2程度までは読み進められたものの、魔法と聞くとどうしても奴が頭の中を支配してしまう。しかし、内容はとても面白い。緊迫した部分でどうしても読めなくなってしまったが、集中したせいで鈍く痛む頭をどうにかしたらまた読めると思う。確かに、人を本の道に呼び込むには最適だと思う。

目頭を揉み込んで窓を見ると、空のコントラストが綺麗だった。夕焼けのオレンジが雲に半分くらい隠されて、その雲は赤紫にたなびいている。美しい風景は、人間もどきでも好きなものだ。沈む夕陽をスマホのカメラで撮り、ハリーポッターを借りる手続きをしようとカウンターに行きかけ、止まる。そう言えば諱戸はまだ来ていないじゃないか。腕時計を確認すると、時間は17時25分をさしていた。諱戸の当番が終わるまではあと30分強といったところだが、定例会が長引いたのだろうか。それとも、俺が本に集中しすぎて気づかなかったのか。

逡巡していると、図書室の扉がガタガタと音を立てた。そのままコツコツと二人分の革靴の音がするので、委員会の人達が入ってきたのだろう。

「それで、諱戸さん。調子はどうかな。」

「うん、僕のお願い通り順調だよ。」

「うんうん、それは良かった。僕も君みたいな人の願いを叶えたいからね、君には結構サービスしてるんだ。」

息が止まった。諱戸と話しているのは、あの憎たらしい奴、魔法使いではないか。左脇に抱えられた本を握りしめる。ハードカバーのおかげで曲がりはしなかったものの、このままでは危ないと思い本を置いた。

奴が図書委員だなんて聞いたことがない。それに、あんなに諱戸とラフに話すなんて何がどうなればそんな関係になるのだろう。頭が混乱を極め、俺はしゃがみこんでしまう。諱戸は、俺が一番の友達じゃなかったのか。

「諱戸さんは、自分が発狂しちゃったのは覚えてるんだっけ。」

「ううん、あんまり。魔法使いが助けてくれたのは知ってるけどね。」

「彼と同じ目になりたいだなんて、正気の沙汰じゃないよ。僕も君の発狂ぶりには驚いていたんだからね?」

「ごめんね。でも、僕はどうしても彼と同じ世界を体験したかったんだ。でも、僕のメンタルじゃああんなの見続けたら気が狂っちゃう。」

「そりゃそうだよ。あの時の諱戸さん、あのままじゃとてもかわいそうだったからね。」

「……ねえ、どうしても彼の同意を得なきゃダメなの?」

「そうだね。僕でもそこまで大掛かりな魔法は使えない。」

「そっか。今の3回目の世界で、叶うといいんだけどね。」

「1回目は他人に盲目、2回目は自分の発狂、それで3回目か。君も頑張るね。」

「音を上げるつもりなんてないからね。ああ、早く僕のお願い、叶わないかなあ。」

知らない、知らない。俺はあんな諱戸を知らない。諱戸と奴の話していることが理解できない。頭がこんがらかって、しゃがみこんだままぼうっとしてしまう。

諱戸の甘い声なんて聞いたことが無かった。それに、魔法使いに願いをかけていることも知らなかった。この混乱は、どうしたらいいのだろう。それでも2人の会話は続く。

「そう言えば東くん、一緒に帰るって言ってたのにいないなあ。」

「当番が終わるのは18時だろう?きっとその時間にふらりと現れるんじゃないかな。」

「あー、そっか。彼、本は読まないって言ってたからなあ。」

「ああ、そうだ。ひとつ訊きたいんだけど、諱戸さんの身体は大丈夫そうなの?」

「からだ?ああ、ようやく慣れてきたよ。妹さんの自我なんか無くなってきちゃった。」

「そっか、それはよかった。姿かたちは諱戸さんのままだけど、彼に愛されていた人だからね。潜在的に彼も諱戸さんに惹かれてしまうと思うよ。」

「あはは、嬉しいなあ。なんか僕、彼に愛されるなら女の子でもいいと思っているんだよねえ。」

「1回目ではどう足掻いても無理そうだったからね。僕の修正が上手く働いて良かったよ。」

「一人称が変わっちゃったし、案外まわりに変な目で見られちゃうけど平気。」

「君の熱意は僕が一番知っているよ。かわいそうなくらいぶるぶる震えて、それでも僕に願いを相談した。まあ、君のお願いの予行練習ができたと思えばいいんじゃないかな。」

俺の直感が、この会話は理解してはならないと警鐘を鳴らしている。しかし、聞こえてくるものはどうともならない。せめて、机に戻って寝てしまおうか。諱戸が当番終わりの見回りに来るだろうから、その時に起きて一緒に帰ろう。奴と諱戸の会話なんて寝て忘れてしまえばいいんだ。きっとそうだ。

細心の注意を払って椅子を引き、慎重に座る。ハリーポッターは適当なページを開けて脇に置き、自分はうつ伏せた。目を閉じると、案外疲れていたのか睡魔が襲ってくる。

「で、いつ話すの?」

「来週、ちょうどこの時間ごろ。そこで僕のからだと想いと、全部伝える。」

「妹のことは?」

「言わない。だって、言ったらどうなるか分からないし。」

「そうだね、僕もそう思う。なら、彼が来る前にここの奥で待っていよう。」

ゆっくりと眠りへ導かれる。この話も忘れたいな、なんて思いながら、意識は夢に引きずり込まれた。

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