高校時代:うつろ

5月も半ば、学校には五月病が増えてきた。不登校児は学校に来なくなり、授業中にも無気力そうにする人が増えた。かくいう俺は、年がら年中虚ろな気分なので変わり映えしない。

虚ろとは、気力や生きる力を失ってぼんやりとした状態のことをさす。もとから気力は無かったが、高校生になった俺は生きることも半ば放棄していた。そんな抜け殻の状態だったとしても、若く病気もない人間の身体は生き続ける。だからまわりの普通に合わせて擬態し、もっと生きようと輝く人間のフリをする。俺はそういう人間もどきだった。少なくとも中学生の頃まではこんな考えでは無かったように思う。

きっかけは、自分でも分かっていた。

「ねえ、東くん。考え事なんかしてどうしたの?」

背中をつつかれる。東のア、諱戸のイで俺と諱戸の席は前後になっていた。振り向くと、不思議そうな顔をした諱戸と目が合った。

「ごめんね、考え事にしては真剣すぎるように見えたから。」

「いや、俺の存在意義について考えてた。たいしたことじゃない。」

沈んだ気持ちを一旦忘れ、おどけたように言うと、諱戸は笑う。その微笑みは花のように綺麗で、俺は思わずみとれてしまった。

「あはは、それは考えるまでもないね。君と僕は友達だ。そして僕は君がそばにいてくれると嬉しい。これだけでは君の存在意義にするのは不満かな。」

適当に放った言葉だったが、諱戸が返してくれた俺の存在意義については存外嬉しくなってしまった。まるで人間もどきが人間になったようだ。

「諱戸にそう言ってもらえると嬉しいね。」

「こういう小さな会話が思いつめている友達を救うことにもなるのさ。ほら、君の目に光が戻った。」

「自分ではよく分からないけど、諱戸が言うならそうか。」

諱戸も諱戸でよく分からない人物だ。あの嫌悪感を覚える魔法使いとやらもよく分からないが、奴とは違う分かりづらさだと思う。早朝で霧がかかり、よく見えない湖畔のような静かな雰囲気だ。ミステリアスとでも言うべきか。

「僕と君が出会うように、世界がつくられていたのかな。」

「なんでそう思う?」

「僕にとって、君は本当の友達第一号なんだ。…あ、言い回しが嫌だったらごめん。でも、一緒にいてこんなにも過ごしやすい人がいたなんて知らなかった。だから、世界が僕たちを引き合わせて友達にしてくれたんじゃないかなって。」

「いつになく饒舌だね。俺、お前のそういう独創的な考え方好きだよ。」

「そ、そうかな。いつも読んでいる本のおかげだよ、きっと。僕は、本に助けられて生きてきたから。」

諱戸は照れくさそうに下を向いた。赤子のようにふくふくとした頬には赤みが差している。太っているわけでも無いのに、頬は柔らかそうだ。

「あはは、照れてる。」

「…そりゃ、友達に面と向かって自分のことを褒められたら照れるよ。」

「じゃあもっと言おうか。諱戸の良いとこならいっぱい知ってる。」

「やめてよ。恥ずかしいよ。」

2人でけらけらと笑う。こんな時間がいつまでも続けばいいと思った。教室には夕日が照りつけ、諱戸の白い顔をオレンジに染めていく。幸せな気持ちだ。

「…なあ、諱戸。」

「ん?」

「これからも、ずっと友達でいてくれよ。」

「なんで?」

「なんでって…。」

「永遠は存在しないよ。」

夕日の暖かさが無くなった。すっと体の芯から冷える心地がして、温度差に背筋が震えた。諱戸は変わらず微笑んで俺を見ている。そこで違和感を覚えた。

その笑みはいつから変わっていない?

「いみど…。」

「僕は知っている。ずっと一緒、なんて嘘だ。僕は知っている。君がそれに裏切られたことを。僕は知っている。君の妹は、君のもとにもう戻ってこないことを。」

「いやだ、やめてくれ。」

「いつから僕を僕だと思ってた?いつまで僕を僕じゃないって思ってた?」

笑みは崩れない。しかし、その目は何にも負けない虚ろだった。がらんどうの茶色い瞳が俺をじっと見つめる。

「ねえ、僕を妹代わりにして、楽しい?」

「代わりになんてしてな」

「してる。僕は悲しいよ。優しくしてくれたのも、妹がいなくなったからでしょ。」

「違う。諱戸、俺は!」

「…ほら、僕は僕じゃないのに。」

あくまでも無機質に、一定に、諱戸は微笑んでいた。

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