7 天使と悪魔の間に……開店休業中
電車を降りたケイタロウとカスミは、駅前のファストフード店へ入った。お互い腹いっぱい夕食を食べようという気分でもなく、あくまでも軽食程度で済ませようと思っていた。しかし、ケイタロウとしては軽食であれ何であれ、この機会にカスミに色々聞きたいことがあったので好都合だった。
店内には仕事帰りのサラリーマンや制服姿の学生の姿が多く見られた。もしこの中に自分と同じ学校、クラスの人間がいたら……妙な噂でも流されないか? いや、カスミとなら噂になってもいい、とケイタロウは思っていた。
二人はハンバーガーのセットを注文し、席に着いた。
「ホント、誰だったのかな?」
「何が、ですか?」
「ほら、さっき言ってたじゃない。去年私に声かけた人。ぼんやりだけど、背丈はケタ君ぐらいあったかな」
「そ、そうですか?」
カスミとの食事中、他愛のない会話を交わしながら、ケイタロウの中で去年の傷が少しずつ癒えるような気がした。
「そんなことがあったから、眼鏡にしたのよ。相手に失礼だし。しっかし世界が広がったーって感じね」
「へー。でも、似合ってますよ、眼鏡」
と、軽い返事をしたものの、カスミが眼鏡にした原因が自分に合ったことを知って、ケイタロウはほんの少し、笑顔をこわばらせた。
しかし向こうは、告白したのがケイタロウだったとは知らないのだ。ここは一から関係を作り直すべきなのか、今がそのチャンスなのか? やれるのか、やれないのか? そんな思いがケイタロウの中を巡り、めぐって、ホットチリベーコンバーガーの旨味も辛味も分からないほどだった。
「で、首尾はどうだったの?」
翌日。いつもの場所で、ミヤノは思い切り不機嫌そうな顔でケイタロウを出迎えてくれた。
昨日、何度もメールをもらったのに、返事をしなかったのがその原因だ。
ケイタロウは「ああ、まあ」と曖昧な返事をし、いつものようにミヤノの車椅子を押し始めた。
「だから、昨日はどうだったのよ、って聞いてるの!」
その日一発目のミヤノ棒がひょっとケイタロウの手の甲を打った。
「ってえな……昨日は、まあ色々あったけど、カスミ先輩の誤解だったということで一件落着」
「だったら、もっと早く教えてくれればよかったのに……」
「すまんな」
まさか依頼人と一緒に食事をしていたなんて、言えるはずがない。いや言ってもいいのだろうが、ケイタロウの心の中で、何かが咎めた。
そんな気持ちのせいか、いつもよりややスローペースでケイタロウは車椅子を押した。
「それじゃ……その、『憤怒』は片付いたのね」
振り返らず、ミヤノが尋ねる。
「そういうことになるな。それとさ……」
お前、ここにきて転校するんじゃないだろうな? と言いたかったが、なかなか口に出せない。
「いや……あとは『虚飾』だっけ? ようやくだな……なんだろうな、『虚飾』って」
「そうね、なんだろう……」
ミヤノは素っ気なく答えた。いくら七つの大罪にまつわる悩みを解決したところで両脚が治るわけない、と自覚しているのかもしれない。いや、自覚しているからこそ、前の学校を出ていったんだ。
でも今、それを尋ねることは、なんだか触れてはいけないものに触るような気がした。
昨日見た、園田の寂しそうな顔が、ケイタロウの脳裏をよぎった。自分だって、ミヤノとこんな形で別れたくない、と思ったからだ。
でも、言おうが言うまいが、ミヤノは去っていくかもしれない。いや、ひょっとしたらミヤノはそんなケイタロウの心中を察しているのかもしれない。そう思うと、車椅子を押す足取りがさらに重くなったが、ミヤノは何も言わず、黙って前を見ていた。
「よ、ケタ君!」
校門の近くで、カスミに声をかけられ、ケイタロウは足を止めた。昨日よりもやや明るい声のトーンだ。彼女もまた、何か吹っ切れたのかもしれない。
「昨日はどうもありがとう。とりあえず、解決したわ」
ぺこり、とカスミがミヤノに頭を下げる。
「話は聞きました、誤解が解けたみたいで何よりですね」
ミヤノが、小さく笑う。
「そうなの。あ、そうだ、今度美味しいケーキの店、行ってみない?」
「いいんですか、ありがとうございます!」
ケーキという単語がそうさせたのか、ミヤノの声のトーンも少し上がった。
「ケタ君には昨日ハンバーガー御馳走したから、今度はミヤノさんも……」
「ハンバー……があ?」
「あ、違った、ケタ君はピリ辛バーガーだっけ、なんだったっけ?」
「へえ、ハンバーガーかあ……」
ミヤノの声のトーンが一気に落ちた。ゆっくりと振り返ったその顔は、かつてのカスミほどではないが、睨み殺すような目つきをしている。
「そう、それで、昨日返事なかったの……それはつまりあれかな、あまりにも美味しかったから? それならメールで画像と感想でも送ってくれたらよかったのに」
全身にビシビシ刺さるような視線と言葉に、ケイタロウが視線をそらす。
「ふーん、そうか……」
ひゅん、とミヤノ棒がケイタロウの手の甲をピシャリと打った。
「ってえ!」
ケイタロウがひるんだすきを見て、ミヤノは自分で車椅子を漕ぎだした。
「……ンだよ。別にいいだろ、依頼主と晩メシ食べても」
ミヤノを追うように、ケイタロウが少し早足になった。
「別に誰と食べてもいいわよ。でも連絡ぐらいしてよね! そういうズボラなところが嫌なのよ!」
ぎしぎしとリムを回し、ミヤノは速度を上げていった。
「いやなら人を使うな! ……なに怒ってるんだよ」
自分の方にも非はあったとはいえ、ケイタロウはなんだか納得できないでいた。
「ひょっとして、あいつ妬いてるのか? まさか……」
ミヤノに打たれた手の甲が、じんじんと痛むのを感じながら、ケイタロウはその後姿を見送った。
「へえ、今日は……今日も一人か」
「だいたい一人だ。それにお前も一人じゃないか」
自席で黙々と菓子パンをほおばるケイタロウに、ヨシツネがいつものニヤけた顔で声を掛ける。
「そっか、鰐淵とはあまり飯食ってなかったか……ほれ、お前ら最近つるんでないみたいだからさ」
「確かに……」
あれから、ミヤノは普通に学校に来ていた。ただ、ケイタロウとは一言も口をきいていない。そんな関係のまま一週間が過ぎていた。もちろん『マンジュウ屋』に来る依頼も、やんわりと断っていた。
「あれれ、どうしたんですか、二人ともお疲れみたいですよ」
ケイタロウが昼食を終えた頃、ひょい、と久しぶりにやってきたクルリがそんな二人の様子を見て、目を丸く――いつも丸いが、さらに丸く――していた。
「ちょっと、ね」
本当のことを言うのもはばかられるので、ケイタロウは適当にごまかした。
「で、今日は何の依頼? あいにく……」
「違うんですよ、今日はミヤノ先輩に呼ばれて」
と、クルリはミヤノの席にむかった。二人は何やら話し込んでおり、笑顔のミヤノに時々、クルリがメモを取っている様子が見えた。
「どうせまた、ろくでもない機械の発注じゃないのか?」
と、二人のやり取りを見ながら、ケイタロウは思った。
その放課後。
ケイタロウは駅前のケーキショップにいた。絶対一人では、いやヨシツネとも行かないような場所だ。甘い香りが鼻腔をくすぐりながらも、ケイタロウの胸は張り裂けんばかりに高鳴っていた。
「来るのか……」
ケイタロウをここに呼んだのは、カスミだ。本当はミヤノを誘ったのだが、どうやら断られたらしく、お鉢がケイタロウに回ってきた、という事だった。
しかしこれはまたとないチャンスだ。このまま約束に約束を重ね、カスミと……。
ケイタロウの顔は自然と緩んでいた。
「しかし、遅い」
約束の時間はとうに過ぎている。本当にカスミ先輩は来るのか? 焦らしに焦らした上で、何かあるのか?
「佐々木小次郎も、こんな気分だったのかな……」
ケースが全く違うものの、待ちに待った上に一刀のもとに倒された古の剣豪の事を、ケイタロウはふと思い出していた。
「おまたせー、待ったでしょ?」
カスミの明るい声が、ケイタロウが顔を上げる。
「いえいえ全然、待ってません」
古代から男女の待ち合わせの際に決まって出る使い古された、しかしそれ以外に言いようがないフレーズを、ケイタロウが口にした瞬間、手を振るカスミに、なんとも言えない違和感を感じていた。
「? え」
カスミは一人ではなかった。その後ろに隠れるように、いや隠れようのない巨体が立っている。縦横に盛り上がり、制服がはちきれんばかりの体、坊主頭に針で刺したような小さい眼、頭部と胴体を繋ぐ、短くもがっしりとした頚部……ゴリアスだ。
「あ、言ってなかった? 今日は彼も一緒なの。彼、甘党でね、意外でしょ?」
『はい、バナナが主食だと思ってました』なんて口が裂けても言えない。
カスミに促されるように、ゴリアスが静かに座る。が、その重量にテーブルがガタリ、と揺れた。自分一人でも場違いな上に、この男まで……。しかし、なぜ? とケイタロウは思った。さっきからカスミが『彼』と呼んでいるのは、何か特別な意味があるのか? 恐る恐るケイタロウは口を開いた。
「あの……ゴリ。いえ、その、俺、カスミ先輩一人と思ってましたよ」
「あれ? ミヤノさんには言ったんだけどな。彼を連れてくるって」
だからその『彼』って、男性を指す人代名詞なのか、それ以外の意味があるのか?
「あれからね……」
カスミがゴリアスの隣に座る。
「電車の中で……」
電車に乗るのか、ゴリラが? ケイタロウは、口をぽかんと開けた。
「ばったり会っちゃって。よくよく話してみたら、とても面白いし……」
話せるのか、ゴリラが? 聞いた事ないぞ、とケイタロウは開いた口がふさがらなかった。
「全然悪い人じゃないし、出会い方はまずかったけど、これも何かの引き合わせかなって」
悪い人ぉ? 悪いゴリラではなく? とケイタロウは全身の血が引き、開けっ放しの口内がカラカラと乾いていくのを感じた。
「だから、付き合う事にしたの、これもミヤノさんとケタ君のおか」
その先は、よく覚えていない。ケイタロウはカスミのおごりでケーキを食べ、人生でこれ以上ないぐらいの愛想笑いを振りまいたが、どんなケーキを食べたのか、どんな会話をしたのか記憶があいまいだった。ただ、覚えているのはケーキ店を出るまでゴリアスは一言も話さなかったことぐらいだ。
「結局、こうなるのか……去年と一緒じゃないか。いや、あれよりもひどい」
一年越しにやってきたチャンスも、泡のように消えてしまった。ケイタロウはカスミたちと別れると、家にも帰らず、ふらふらと駅の周辺をさまよっていた。
「まるで、季節外れの蚊のような動きだな」
ケイタロウが声を掛けられたのは、家とは正反対の方向にある、小さな児童公園だった。
「よくわからん例えだ」
ケイタロウが振り返ると、園田がニヤニヤと立っていた。
「なぜ俺の周りの男どもはみんなニヤケ面だ? そんなに俺のことがおかしいのか?」
ケイタロウの脳裏に、ヨシツネのニヤケ面が蘇った。
「君の男関係はよく知らないけど。まあ、なんだ、災難だったな」
園田が、ケイタロウの隣によいしょと腰掛ける。
「彼女のこと、狙ってたんだろ?」
「なぜ知ってる?」
「だって、ケーキ屋を出てからふらふらだし、涙は流すわ、涎は垂らすはみっともないったらありゃしない。それで何となく察した。『フられた』という感情を全身で表現しているようでさ、かわいそうだと思ったけど面白そうだから、後ろをつけてたんだよ」
園田は制服のポケットから缶コーヒーを取り出し、一気に飲み干した。
「つけてた?」
「正確には、ゴリアスの付き添いだな。あいつ、彼女と二人だけだと落ち着かないって、急に呼び出されたんだよ」
カスミがあの時、なぜ遅れたのか、なんとなくわかったような気がした。
「友達思いなんだな、えっと……」
「園田だよ」
「わざわざ、ふられた男を笑いに来たのかよ」
まさかストーカー(と勘違いされた男)と憧れの先輩が付き合うとは思ってなかった。いくらか落ち着いたものの、ケイタロウの心には大きな穴がぽっかりと空いていた。
「いいや、君が来るって聞いたからさ、ついでだからこれを」
園田が、紙袋を手渡した。
「なにこれ?」
「本当はワニも来る予定だったんだろ? 君から渡しておいてくれよ」
「だからなんだよ」
「見ればわかる。他愛のないものだけど、なんというか、『思い』かな……」
「は?」
「それと、君とワニ、なかなかうまくやってるんじゃない? 彼女、俺の時よりも生き生きしてる」
そう言って、園田は公園を去っていった。
「『思い』って……」
たぶん自分が開けて見ることはいけないのだろう、でも、それでも……ケイタロウは紙袋の中をあけてしまった。
続く 次回、完結?
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