三日目 夜

──なんだ、あれは……?


 巨大な、「アズサ」という立体文字。

 質感は、ここから見る限りでは石か、コンクリートのように見える。

 海と接している面に立つ白波。

 待てよ。アレ、こっちに向かって……移動してる?


「そういうこと。判ったわ。レインボーメイカーの狙いが」

───どういうことだ?

「二人のアズサを『鏡』に閉じ込めて、二人分の存在を一つに纏める。そうすると『アズサ』の存在が一人分余るでしょう?」

──そういう理屈なのか?

「私とあなたが合体してパワーアップしたことがあったでしょ。あ、やらしい意味じゃないわよ」

──合体はしたけど別にやらしかねーだろ。で、余ったアズサをどうするんだ?

「今、目の前にあるじゃない」

──……巨大な、アズサ?

「そう。アズサ二つを材料に余ったアズサでブーストした強烈なアズサという名前」

──んなもん何に使うんだよ?

「分からない? あのアズサという名前そのものが向かっている先」

──……この街か⁉︎

「この街は今名前がない。王様のいない玉座みたいなものね。その玉座に、あの子を座らせる気なんだわ」

──そうするとどうなる?

「かつて朱雀の坊やがこの街にしようとしたことを覚えてる?」

──街に死の街と名前を付けて、この街を滅ぼそうとした? 待てよ、じゃああの名前が街に入ったら……。

「その効果は直ちに街全体に及ぶ。あらゆるものがアズサに変わり、アズサがこの街そのものとなり、人も物も建物もネズミ一匹木の葉の一枚に至るまで、アズサになり果てる」

──悪い夢にも程がある。対策は?


 ネモは溜息をついて、肩を竦めて見せた。


──ないってのか?

「ルーノフラの鏡は、鏡に見えるけどあれは位相空間の落差屈折による光の反射なの」

──分かりやすく言ってくれ。

「鏡そのものが、違う次元ということ。見えている鏡は、奇妙に聞こえるかも知れないけどその鏡像、影に過ぎないのよ。一度あの形になってしまったら、私たちは破壊はおろか、指一本触れることさえできない」

──この街が……アズサなるのを指を加えて見てるしかないのかよ‼︎

「……一つだけ。可能性があるとすれば……さっき戦ったあの男。あの緑の豆のような生物は、この次元のものじゃないと思うの」

──あのパンクっぽいノッポか。人間なのか?

「多分。でもそれだけじゃないのよ。あのメマメって異界の論理不連続体と、あの男には強い因果の連なりを感じる。でもそんなことってあるのかしら。軍事大国のコンピュータと繋がってる、タバコ屋の自販機みたいなものよ」

──あの男も、異次元から来た?

「に、してはこの世の匂いが強すぎる。肉体そのものは鍛えた人間くらいの感じに思えるけど、精神が上手くスキャンできない。強力な防護手段を施しているのか、あるいは」

──あるいは?

「精神そのものが、私に理解できない構造なのか」

──……。


「正確な分析だ。こいつの頭ン中は俺も理解できん」


 男の声に振り向けば、そこには長髪和装の優男とパンクルックの痩せた男。俺は咄嗟にホルスターに手をやるが、それは空っぽで、右手は懐の空気を掻いた。


「探し者はコイツか?」


 長髪はおやっさんの形見の改造拳銃を懐から取り出して見せた。


「安心しろ。俺たちは戦いに来たわけじゃない。こっちの情報屋からタレ込みがあってな。猫耳が言うには、俺の妹が行方不明になったのは、あんたたちのせいじゃないらしい。無礼な態度を取って悪かったな」

 長髪和装は銃をくるりと回して、グリップを俺に差し出した。

よろず護身請負い、護り屋ヒロマルだ。こっちは監視屋ときお。妙な男だが悪人じゃねえ。まあ善人でもないけどな」

「ヒヒひ」

──この街で探偵のような仕事をしてる。七篠だ。


 俺は銃を受け取ってホルスターに納めながら簡単に自己紹介する。


──こっちは助手のネモ。ちょっと変わった力があるが、そちらの監視屋さんと同じで、悪人じゃあねえ。

「こちらの情報じゃ、そっちの美人は悪魔だって話になってるけどな。名前捜索人、七篠権兵衛さん」

──お仲間の情報屋さんは有能だな。

「仲間じゃねえよ。業者と顧客さ」

──俺たちも仕事の話と行こう。この街には時間がねえ。

「ときお」

「あいよ」


 空中に、さっきネモが戦った目ん玉付きの大きな豆が現れる。


「触っても?」

 ネモの質問に、監視屋は頷いた。

「やっぱり……同じだわ。いえ、厳密には同じではないんだけれど、このメマメもまた、この世界線にあるはずのないもの。異次元の論理不連続体」

──つまり?

「充分なエネルギーを与えて、これをルーノフラの鏡に衝突させる。それが唯一、二人のアズサをオーバーアズサから救い出す道よ」

──異次元には異次元をぶつける、ってワケか。

「時間がない。ここから狙撃しましょう。監視屋ときおさん、だったわね。この子を貰うわ。そして……ごめんなさい。この子はきっと、壊れてしまう」


 監視屋はギザギザの歯を見せて笑ったままだった。だが、ネモの宣言を拒絶したりはしなかった。


「今回は狙撃よ。それも長距離の。いいわね?」

──いいも悪いもねえんだろ。お前は大丈夫なのか? そんな……非常識なものを撃ち出して。

「大丈夫もダメもないんでしょ」


「悪いが俺たちにも他に手立てがねえ。任せるぜ、名前捜索人」

「きしシ」


「弾は一発。チャンスは一度よ。外さないでね、ナナゴン」

──その呼び方はよせ。

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