三日目 夕方

 日の傾いた夕方六時。


 黄昏時。

 大南橋は、文字通り街の真南の外れに架かる四車線の道路がひけるほどの大きな橋だ。

 かつて現実の街との往来が馬車と徒歩だった頃は、この橋とその先の街道は交通の要衝で、昼夜を問わず引っ切り無しに人々の行き来があったそうだが、現実の街との交通手段が専ら鉄道になった今、夕暮れ時ともなれば人っ子一人いなくなる寂しい場所だ。


 だが、今は違う。


 夕焼けの燃える空を背景に黒いシルエットとして立つ人物が二人、橋の中央に、その先を遮るように俺を待っていた。


 近づいて見れば、一人は長髪で羽織袴の和装の男。

 女のような長い銀髪を弱い西風に流しながら、幅広の袖に左右の手を入れて組み、サムライのような佇まいで俺を睨んでいる。

 もう一人はひょろ長のノッポ。

 パンクロッカーのような鋲やジッパーが出鱈目に着いたピッタリした革の服に針金のような身体を包んで、三日月にギザギザを描いたような口でヘラヘラと笑っている。ファーが縁取るフードに隠れてその目元の表情は伺い知れないが、まあ聡明な知性の光を浮かべてはなさそうだった。


 とと、っと俺の足元に来た黒猫は、俺にまとわりつくように、黒いワンピースドレスに身を包んだ美女に変じた。


「気を付けてダーリン。あの二人、只者じゃないわ」


 ──ああ。分かってる。


「あんたがネームハンター。七篠権兵衛か? そしてそっちの美人が名前をタグに変える悪魔。ネモ」


 長髪がよく通る声で質して来た。敵意を含んだ物言いに、俺はカチンと来た。


──だとしたらどうなんだ? 呼び名を譲って欲しいのか? 人に挨拶する名前もないナナシノゴンベエさんよ。


 ひょろいノッポがフードを上げて、細い目を糸のように更に細め「けけケけけけ」と笑った。

 長髪はその様子を横目で睨み付けるとムッとした表情を作った。

 どうやらこいつらは、あまり仲は良くないらしい。


「単刀直入に聴く。アズサをどうした?」


 長髪が憮然とした様子で質問を投げて寄越す。


──それはこっちのセリフだ。あんたらはアズサとどういう関係だ?


「質問を質問で返してはダメよと、ママに教りませんでしたか? 探偵さん」

 長髪が俺の質問への質問を、更に質問で返してくる。

 ヒョロいノッポがまた「けけケッ」と嗤う。

 長髪の口調は明瞭で丁寧だったが、その言い様がまた俺の癇に障った。


──アズサは取り戻す。邪魔するなら容赦はしない。あんた達が誰だろうとな!


「ほう」

 長髪は目を細めた。

「初めて意見が一致したな。俺たちも正にそういうつもりだ」

 奴が腕組みを解いて自然体に立つ。その右手には短い棒のようなものが握られている。武器だろうか?


「やるのね?」

──殺すな。捕らえてアズサの居場所を吐かせるんだ。

「アイアイサー・ナナゴン」

──その呼び方はよせ。


 俺たち二人と、奴ら二人の距離は二十メートルと言った所。


 弱い西風。河が緩やかに流れる微かな水音。じり、と足を肩幅まで広げファストドロウの体制を取る。


 時計台の鐘が鳴る。

 四人が、同時に動いた。


 銃を抜く俺の隣で、ネモがドレスの裾を翻しながらくるりと回る。

 それだけで彼女は三人に増えて、更にその内の二人はそれぞれ真っ黒なヒョウと羽ばたくタカに変わる。ヒョウは吠えながら長髪目掛けて疾走し、タカはパンク男に向かって矢のように飛んだ。残った彼女もふわりと舞い上がると、パンク男を敵と定めて宙を滑るように向かって行った。


 俺の右手で改造拳銃スティング・ビーが三回火を吹く。

 600mの距離でコンクリートブロック二つを貫通する威力を秘めた硬芯鉄鋼弾は三条の軌跡を描きながら947.5m/sの速度で長髪和装の男に殺到する。


 長髪男がバッと扇子を拡げた。

「秦護! 越陣! 発!」

 扇子に書かれた毛筆の文字が、空中に大写しになって俺の弾丸を全て弾き返す。

 「護」の文字を盾にしながら長髪男は俺に向かって駆け出した。

 黒豹はそれを左右に避けて躱しながら跳躍しパンク男の背後を取った。その正面から空気を切り裂いて突っ込む大きなタカ。頭上からはネモが唇に二本の指を当てて、その間から灼熱の火炎を吹き付けた。


 パチン


 パンク男は指を鳴らした。

 黒豹とタカを遮って、緑の歪な球体がどこからかワラワラと湧き出し、ネモの分身を押し包んだ。だが火炎は躱せなかった。


 まともに炎に包まれたパンク男は高熱に輝く火焔の中で棒立ちのまま真っ黒なシルエットと化した。そして炎が過ぎ去ってもそれは真っ黒な人型のままだった。いや、違う。


 その真っ黒な人型のそこかしこにギョロリと開く無数の眼、眼、眼、眼──。


 男は。いや、男だったものはワラワラと形を崩し、ラグビーボールほどの球体に目ん玉がついた「何か」の集合体に変わった。

 なんだ? 何かの悪魔か?


──あ‼︎ 後ろだ! ネモ!


 空中を魔力で浮遊するネモの背後に、一個の目ん玉ボールに片足で立ってニヤニヤするパンク男がいた。いつの間に。


 ネモが慌てて身体を翻す。


 パチン。


 パンク男の指が鳴る。

 燃える紙の焦げ目のように空中にまた緑の「何か」が無数に沸いて、ネモを押し包んで埋めてゆく。


──ネモッ‼︎


 だが俺自身も、相棒の心配をしてる場合じゃなかった。既に目の前に、和装長髪が迫って来ていたからだ。

 俺は至近距離から、更に三度重ねて引き金を引いたが、奴の「護」の文字のバリアを破ることは出来なかった。


「しっ!」


 男は短く息を吐きながら深い踏み込みの拳打を打って来た。ギリギリで俺の顔のそばを通り過ぎる生きた拳。体重移動と体の捌き。こいつ、拳法使いか!

 俺は拳銃を捨てファイティングポーズを取りながら後ろに退がった。

 長髪和装の男はそれを予想済みで的確な足の運びで間合いを詰めながら次々と拳打や掌底を俺に打ち込んで来る。

 左のパンチをスリッピングで躱した俺はフック気味のパンチを長髪の顔面目掛けて叩き込む。

 その時、俺の後頭部が何かに引っかかった。

 長髪の野郎が左手に短い棒か何かを持っていて、それをフックにして俺の頭を自分に引き寄せる。その先には、奴の右手の掌底が待っていた。

 くそっ、躱せねえ! だけどお前も道連れだ!


 バキィッ!


 俺たち二人は互いの顔面をしたたかに打ち合ってのけぞった。だが、一瞬だけ奴の立ち直りの方が早かった。

 夕陽に長い髪をなびかせながら、奴は俺の懐に更に深く踏み込み、低い姿勢から渾身の肘打ちを俺の鳩尾に埋め込んだ。


 かっ……! 呼吸、が……!


 勿論それだけでは終わらない。

 苦痛にくの字に曲がった俺の身体を引き込むように担いだ長髪は身体の巻き込みと膝の屈伸の力を存分に乗せて俺を綺麗に背負い投げし、地面に叩き付けた。


 ぐっ、は……っ……!


 ネモは、と顔を巡らせれば目ん玉付きの豆の山が三つ出来ていて、その中の様子は伺い知れない。なんなんだ、あの生き物は……いや、生き物なのか?


「終わりだな、探偵」


 べっ、と血の混じった唾を吐き出しながら、長髪和装の男が地面に倒れた俺に近づいてくる。


「アズサを返せ」


 その時だ。

 目ん玉豆の三つの山がキーンという高音を発して光りだした。

 そしてそのまま、なんだ、と思う間もそこそこに次々と爆発する。


「チッ」


 空で見ていたパンク男が小さく舌打ちしたようだった。爆発で吹っ飛ぶラグビーボール大の緑の豆に混じって、沢山のぬいぐるみのような何かが舞い上がる。

 それは、二頭身の幼女のようになった無数のネモだった。

 無数のベビーネモはそれぞれ背中にコウモリの羽根を生やしていて、個別に目ん玉豆との空中戦を始めた。


「動ける? 逃げるわよ」

 奴ら二人の注意がそれた隙をついて俺の耳元に来たベビーネモの内の一人がそう告げる。


──待ってくれ、おやっさんの銃が……。

「バカ。命あっての物種でしょう? 私を掴んで。跳ぶわ。ナナゴン」

──その呼び方はよせ。


 空中では、個別に目豆と空中戦を演じていたベビーネモたちが、一斉に振り返ると、背後から追いすがる目豆たちに激しい火焔を吹き掛ける。


 次の瞬間、俺と何百というベビーネモたちは、ネモの跳躍の魔法でその場から消え失せていた。

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