第52話 優斗のやりたいこと2

 いったいどういうわけで大沢は優斗の行っていた編曲を手伝ったのか。尋ねてみると、彼女はその経緯を語ってくれた。


「休み時間に有馬君が、譜面を見ながらノートに色々と書き込んでたの。文化祭前だったし、最初はそこで弾く曲かなって思ったんだけど、よく見たら全然知ら無いやつだった。それでいったいどうしたのかって聞いてみたら、これをベースで弾けるようにしたいんだって言ったの」


「あの時は手伝ってくれてありがとな」


 大沢には聞こえていないが、それでも優斗はお礼を言っていた。


「あの、それって文化祭前なんですよね」


 一応確認をとるが間違いないだろう。さっき大沢はそう言っていたし、藍が優斗に弾いてほしいと頼んだのも確かそれくらいの時期だった。

 そして案の定、大沢はそれに頷いた。


「ええ、そうよ」


 やっぱりそうか。藍はそう思いながら申し訳なさそうに言った。


「あの、それって凄く大変……って言うか迷惑だったんじゃ」


 ベース用に編曲すると言っても、元の曲の音を無理やりベースの音域に落とし込めばいいなんてものじゃない。曲のイメージを崩さないようにするのはもちろんだが、音楽として聞けるようにするには細かな調整や思い切ったアレンジも必要になってくる。そう簡単にできるものではないだろう。

 それに仮に曲ができたとしても、それを弾けるようになるには当然時間をかけて練習していく必要がある。そして文化祭前という事は、もちろんそれに向けての練習だってしなければならないはずだ。


「有馬君は、倍頑張るから大丈夫だって言ってたわ」

「それって、倍頑張らなきゃだめだってことですよね」


 改めて当時の自分がいかに考えなしだったかを思い知り、頭を抱える。大沢の前なので声にこそ出さないが、優斗に向かって小さく頭を下げる。それに編曲を手伝ってくれた大沢にもだ。


「お前……」


 話を聞いた啓太が呆れたように呟いたが、それは無茶なお願いをした藍とそれを断らなかった優斗、どちらに向けてのものなのかは分からなかった。あるいは両方かもしれない。

 だけど小さくなっている藍を見ながら優斗は言った。


「俺がやりたいからやったんだ。もしきついと思ったら後に回してたよ」


 すると大沢も、優斗の声は聞こえていないはずなのに、まるでそれを引き継いだかのように言う。


「有馬君がやりたいって言ってたんだから、あなたが気にすることは無いわよ。実際、編曲も練習も凄く楽しそうにしてたわ」


 それを聞いてうんうんと頷く優斗。だが大沢はそこまで言うと、それから少し寂しそうな表情を浮かべて声の調子を落とした。


「実はあの頃の有馬くん、何だか普段は少し元気が無いようにも見えたの。笑っていてもどこか無理してるみたいだった」

「それは……」


 静かに告げられた言葉に藍は押し黙った。当時はそんなことに気付きもしなかったが、今ならその理由も分かる。優斗の両親が、彼をどっちが引き取るかで揉めていたのがちょうどその頃だ。実際は少し元気が無いなんてものではなかっただろう。

 果たして大沢はそんな優斗の事情を知っているのだろうか。そう疑問に思っていたが、そんなしんみりとなってしまった空気を再び変えるように彼女は言った。


「だけどね、私達と一緒に部活をやっている時やあなたの事を話している間は違ったの。その時だけは本当に心から楽しんでいるように見えた。まあ、全部私の想像なんだけどね」


 それを聞いて優斗は何も言わず、だけど大沢を見たまま優しそうに微笑んでいた。それを見て、きっとその通りなのだろうと思った。


「結局文化祭を迎える前に有馬君は亡くなったけど、藤崎さんにこの曲を聞かせることは出来たのね。本人からは何も聞いてないから、てっきり聞かせられないままだと思っていたけど、違ったんだ」


 大沢は嬉しそうだったが、実際は彼女が思っていた通り、優斗は藍にそれを聞かせることなくこの世を去った。藍は今日まで一度だって聞いた事が無ければ、練習していた事さえも知らなかった。もし大沢にそれを告げたらいったいどんな顔をするだろう。


 そんな事を想像すると、改めて今優斗がここにいるのが凄い事だと思った。幽霊になるというのは決して良い事ではないと啓太から聞いている。だが再び優斗と出会えたのも、こうして演奏を聞けたのも、藍にとってはまるで奇跡のように思えた。


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