それから

第53話 想い伝えて1

 大沢と分かれ学校を後にした藍、優斗、啓太の三人はそれぞれ並んで家路につく。何だかこの光景に早くも慣れつつあった。


「ユウくん、ずっとあの曲の練習してたんだ。全然知らなかった」

「ちゃんと弾けるようになるまで秘密にしておきたかったから、黙ってたんだ」

「文化祭前だったのに、無理言ってごめんね。それとありがとう、すっごく嬉しかった」


 さっき言えなかった感謝と喜びを改めて伝える。再び耳に旋律が蘇り、とっくに静まったはずの興奮が再び呼び起こされる。そんな藍の反応を見た優斗も実に満足そうだった。

 するとそんな二人の様子を見て啓太も口を挟んだ。


「そう言えば昨日大沢先生が先輩の話をしている時、俺に話題を変えろって言ったよな」


 それを聞いて思い出す。今まですっかり忘れていたが、確かにそんなこともあった。

「それで三島は、二人が付き合っているのかって聞いたんだよね」

「それはどうでもいいんだよ。それより、話題を変えたのって編曲や練習のこと知られたくなかったからなのか?」

 啓太の質問に優斗は頷きながら答えた。


「ああ。あの時はまさか、藍に憑りついて演奏できるなんて思ってもみなかったからな。どうせ聞かせられないなら、ガッカリさせたくないし黙っておいた方がいいって思ったんだ」

「そんな理由かよ」


 啓太は呆れるが、藍にしたって聞かせてくれても良かったのにと思った。

「私は、きっとユウくんが練習してたって聞いただけでも嬉しかったよ」

 もちろん実際に演奏してくれた方がいいに決まっている。だけど自分のために頑張ってくれたんだと知ったら、それだけで大いに喜んだだろう。

 だけど優斗はそれに首を振った。


「俺にとって、あれを聞かせられないまま死んだのは心残りだったんだ。二度と叶わないって思ったら余計にな。こんなのを未練って言うのかな。だから中途半端にそれを伝えたくはなかった」


 未練。幽霊である優斗がその言葉を口にすると、途端にその意味が重く感じられる。もしかしたら本来あれを聞きたがっていたはずの藍以上に、優斗の方が曲にかける思いが強くなっていたのかもしれない。


「ちゃんと藍に聞かせられて良かった。これで大きな未練が一つなくなったよ。こんな事が出来るなら、幽霊になるのも悪く無いな」

「本当は良い事じゃないんだからな」


 優斗の発言に啓太がすかさず物言いをつける。彼とて何も優斗にいなくなってほしいと願っているわけでは無いが、やはり幽霊を肯定するのには抵抗があるようだ。

 だが藍もまた優斗と同じような事を考えていた。できることならずっとこのままいてほしいとさえ思ってしまう。

 啓太の言葉を受け優斗は苦笑するが、だからと言って特別気を悪くした様子は無かった。それから改まったように啓太に顔を向け、言った。


「三島、今日はありがとな。お前のおかげで藍とちゃんと話ができた」

「何だよ急に。さっき部室でも一度言っただろ」


 唐突にお礼を言われたものだから啓太は戸惑っているが、優斗は構わず続けた。


「さっき心残りが一つ消えたって言ったけど、それで思ったんだ。やりたい事や言いたい事がいつでもできるとは限らない。ましてや俺は幽霊で、もしかしたらもうすぐ消えてしまうかもしれない。だから、これ以上何かをやり残すような事はしたくないんだ」


 憂いや悲壮感などは微塵も見えないが、きっと冗談で言ってはいないのだろう。これまであまり口に出すことは無かったが、もしかしたら優斗は常にどこかで自身の終わりを意識しているのかもしれない。


「その消え方が分からないから、今もここにいるんじゃねえか」

「まあ、そうなんだけどな」


 悪態をつく啓太だったが、優斗は静かにそれを受け流す。しかしその時、藍は優斗に起こったある変化に気付いた。


「ねえユウくん。何だか体が薄くなってない?」

「えっ?」


 指摘され、優斗は自らの体を見る。彼の体は元々薄っすらと透き通っていたのだが、よく見ると以前よりもその透明度は増していた。正確に言えばより薄くなったり元に戻ったりを繰り返している。少なくとも少し前まではこうではなかったはずだ。

 目に見える異常に、藍は何だか不安を感じた。


「おい、大丈夫なのかよ?」


 啓太も声を上げる。だがそれからハッとしたように言った。


「なあ、確かさっき、未練が一つ消えたって言ってたよな」

「……ああ」


 それだけで啓太が何を言おうとしているのかは察しがついた。

 そもそも幽霊というのは大抵がこの世に残した未練が原因で現れる。ならその未練が無くなった今、優斗がこの世にいられる時間も終わってしまったのではないか。もしかしたらこのまま段々と薄くなって消えてしまうのではないか。そんな考えが頭をよぎっていた。


「……ユウくん、消えちゃうの?」


 気が付いた時には、不安が声となって漏れていた。


「どうだろう。特に痛いとか苦しいとか、意識が無くなりそうとかは無いけど」


 優斗はそう言うが、さすがにその声は強張っていた。彼もまた、急に起きた変化に驚きを隠せなかった。

 そうしている間にも優斗の体は依然として薄くなったり元に戻ったりを繰り返している。だが次第に薄くなっている時間の方が長くなり、それを見てますます不安が募っていく。


「藍」


 不意に、優斗が名前を呼んだ。


「な、なに?」


 目の前の事態にオロオロと戸惑いながら、それでも何とか返事をする。すると優斗はこんな時だというのになぜかにっこりと笑って言った。


「俺の事情全部聞いて、それでも嫌いにならずにいてくれてありがとう」

「何で今?」


 優斗の家の事情というのは、もちろんさっき部室で話をした家庭の事や人間不信だった事だろう。それを知らない啓太は何を言っているのか分からない様子だったが、藍はすぐに理解する。

 だけどどうしてわざわざ今そんなことを言うのかは分からなかった。


「今だから言いたいんだよ。もしかしたらこれで最後かもしれないんだし、さっきも言った通り、言いたい事を残したままにはしたくない」


 最後。落ち着いて告げられたその言葉が痛いくらい胸に突き刺さった。今優斗に何が起きているのか、正確な所は何も分からない。だけどもしかしたら、彼は本当にこのまま消えてしまうのかもしれない。

 そう思うと、藍は必死になって言葉を探した。優斗がそうしたように、自分も彼に言いたい事を残したくなかった。

 だけどこれはあまりにも突然で、何をどうやって伝えればいいのか分からない。だから考える。最後かもしれない今、優斗に一番言いたい言葉を。

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