第40話 放課後1

 最後の授業の終わりを告げるチャイムを、藍は憂鬱な気持ちで聞いていた。

 放課後になり、部活に行かなくてはならない。つまりは既に部室で待っている優斗とも顔を合わせなきゃならないということだ。


「はぁーっ」


 席を立つ前に一度ため息をつく。今朝起きた時から優斗とはギクシャクしっぱなし、というより自分が一方的に彼を避けていた。

 その理由はもちろん昨夜の出来事にある。優斗が言った、好きになるって言うのがよく分からないとの発言に加え、自らの犯した告白未遂。それらが一向に頭から離れず、それどころか何度も蘇ってくる。

 そんな自分の様子がおかしかったという自覚はある。本当は普通にしていたいのにどうしても変に意識してしまって、結果まともに向き合う事も出来なくなっていた。


 そんな変化は傍から見てもすぐに分かるようで、優斗は朝起きてから学校で別れるまでの間、常に気にして何度も話しかけて来てくれた。真由子や啓太も、どうかしたのかと心配してくれた。

 だけど何があったかなんて言えず、ずっと何でもないと言って通してきた。特に優斗には絶対に言えない。

 それでも、これから軽音部に行って優斗と顔を合わせるとなると、いつまでもこんな態度を続けるわけにはいかない。早く気持ちを切り替えなきゃと思いつつも、やろうと思ってすぐにできるなら苦労は無かった。


 いっそのこと今日は部活に行くの止めようか。とうとうそんな事まで思い始める。そうしたところで、どのみちその後優斗は自分の家に帰ってくるというのに。

 だがそんな風にぐるぐると思考を巡らせていると、急に声をかけられた。


「藤崎……おい藤崎!」

「えっ、何……三島?」


 声をかけてきたのは啓太だった。彼の手にはすでに鞄が抱えられていて、どうやら今から教室を出るつもりのようだ。


「何してんだ。部活行かねえのかよ」

「う……うん。今行こうと思ってたとこ」


 まさか休もうと思っていたなんて言えずに、とっさにそう答える。


「そうか。じゃあ俺、先に行ってるから」

「うん、私もすぐ行くね」


 これでもう行くしかなくなった。とは言え本当は始めから休む気なんてない。覚悟を決めた藍は、教科書を鞄に詰めるとそれまで座っていた席を立った。







 そうしてたどり着いた軽音部部室。だがここまで来たと言うのに、なおも扉に手を掛けるのを躊躇する。この中にはおそらく優斗がいる。いったい自分はどんな顔をして彼と会えばいいのだろう。

 答えは出てこず、かといってずっとこのまま扉の前でウロウロしているわけにもいかない。恐る恐る、中へ入ろうと扉を開ける。


「やあ、藍。授業お疲れ様」

「ユ、ユウくん」


 一歩足を踏み入れるのと同時に優斗の声が飛んできた。動揺しているのを悟られないよう、できる限り平常心を保ったまま簡単な受け答えをする。

 それと同時に、先に来ているはずの啓太を探した。だがその姿はいくら部室を見渡してもどこにもなかった。


「あれ、三島は?」

「今日はまだ来てないな」


 そんな、先に行くって言ってたのに。


 昼休みに優斗と啓太の間で交わされた会話を知らない藍にとっては、どうしていないのか分からない。ハッキリしているのは、今この場にいるのは自分と優斗の二人だけということだ。

 啓太がいてくれたら少しはマシに振る舞える。そんな密かに抱いていた目論見は簡単に崩れ去ってしまった。


「三島、私より早く教室出たのにどうしたんだろうね?」


 疑問を挟みながら、とりとめのない話でなんとか啓太が来るまでの間場を持たせようとする。だが藍は知らないが、少々時間を稼いだところで啓太は来やしない。それに優斗も、このまま何もしないでいる気は無かった。

 行動を起こしたのは、藍の言葉が途切れた瞬間。そこで一気に核心を突いてきた。


「ねえ藍。今朝から……いや、昨夜から俺のこと避けてるよね」

「―――っ!」


 突然の指摘に言葉を失う。そんなうろたえる様子を見て優斗は一歩、また一歩と、こちらに歩み寄ってくる。


「ねえ、なんで?」


 あと少しで互いの体が触れ合うくらいの距離で、真っ直ぐに見つめられながら問われる。正面から見たその顔には悲しさや寂しさといった感情がにじみ出ていた。優斗にしてみればいきなり避けられるようになったのだから無理もない。

 だけど理由なんて言えない。


「な……何の話?」


 しらを切ろうとするが、そんなのが通用するような状況じゃなかった。ほんの少しの間をおいて、優斗が更なる核心へと迫るようにその唇を動かす。


「藍、もしかして俺の―――」

「ちょっ……ちょっと待って!」


 言いかけた言葉を、それよりも大きな声で無理やり遮る。優斗がいったい何を言おうとしたのかは分からない。だがそれ以上は聞くのが怖かった。

 最悪なのは、藍の本当の気持ちに優斗が気づいていた場合だ。もしその事を言及されてしまったら、これまでのような白々しい誤魔化しさえもできる自信が無い。今まであった二人の関係だって壊れてしまう壊れてしまうんじゃないか、そんな不安に駆られる。

 だが、まだ優斗は何も言っていない。ならこのまま聞かなければいい。そんな考えに至り、とっさに言った。


「教室に忘れものしたから取りに行ってくるね」


 そうして返事も聞かずに教室から飛び出す。早い話が逃げた。

 我ながらバカなことをしたなと思う。もちろん忘れ物なんて嘘だし、優斗だって信じちゃいないだろう。こんな事をしても何の解決にもならず、それどころか次に会う時余計に気まずくなるのは目に見えている。だけどそれでも、あのまま優斗の言葉を黙って聞くのは怖くてできなかった。


「待って!」


 後ろから優斗の声がする。ちらりと振り返ると追いかけてくるのが見えた。急に逃げ出したのだからそうなるのも当然だ。

 振り切るように慌てて駆け足へと移行するが、足は優斗の方が早く、二人の距離は瞬く間に縮まっていく。焦ってさらに足を速めながら傍にある階段を降りようとするが、後ろにばかり気を回していたのがまずかった。

 優斗との距離を確認しようともう一度振り返った瞬間、床を蹴る足がズルッと滑った。優斗を捕らえようとしていた視界は大きく揺らぎ、階段を踏み外して体勢を崩したのだと理解する。


「藍!」


 落ちるのを助けようと優斗が手を伸ばしてくるが、幽霊である彼は藍に触れることができない。掴もうとしたその手は藍の体をすり抜けるだけで、まるで空を切るかのように何の手ごたえも感じなかった。

 そうしている間にも一度崩れた藍の体制は戻ることなく、いよいよ大きく傾いていく。落ちると思った瞬間目に映ったのは、自分では助けられないと分かっていながらなおも手を伸ばしてくる優斗の姿だった。

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