第39話 啓太のすること2
「なあ、藤崎のことだけどさ……」
「藍がどうかしたのか!」
啓太は何と言おうか迷いながら話を切り出すが、藍の名前が出て聞いた途端、優斗が食いついた。今まで穏やかに話をしていた分、その勢いに圧倒されてしまう。
「どうかしたのか分からねえからここに来たんだよ。どう見ても朝から元気がなかったし、それに……なんだか先輩との間に距離があったって言うか……」
それは朝二人と出会ってすぐに気付いた、啓太から見て最も大きな違和感だった。
いつもはほとんど優斗に向けられている藍の視線が今日はやけに逸らされていたし、交わす言葉の数も極端に少ない。いつも腹が立つほど優斗に対する好意を見せていた藍のあの態度は、明らかにおかしい。
「やっぱりそう思うか。避けられてるよな、俺」
優斗にも自覚があったようで、寂しそうに言う。啓太はそんな彼の表情を始めてみた。今までは優斗のことを常に笑顔で余裕を漂わせているような奴と思っていたが、目の前の彼は見るからに落ち込んでいて、そんなものはどこにもない。
「先輩こそ大丈夫かよ。藤崎もそうだけど、アンタも相当辛そうだぞ」
「そうか?自分じゃ分からないな」
優斗はそう言うが、啓太にはそれがやせ我慢しているようにしか見えなかった。そしてそんな彼の様子を見て、啓太はかつて目にしてきた何体もの幽霊達の姿を思い出さずにはいられなかった。
「気を付けた方がいい。これは経験則だけど、幽霊って奴は肉体が無い分精神の影響が直に出るんだ。心が痛いとより苦しいし、怒りや悪意が強いとそれに呑みこまれやすくなる。そう言うのが悪霊ってやつなんだと思う」
これこそが、啓太が幽霊を良く思っていない何よりの理由だった。少し前まで穏やかだった者が、ふとした拍子に急に凶暴になったこともある。
「なあ。今の話、藍には内緒にしといてくれないか?」
「……ああ。言わねえよ」
元より、何も問題が無いうちは藍に伝える気はなかった。もし彼女がこれを聞いたら、真っ青になって心配するのがすぐに想像できた。そんなのは見たくない。
だがもしこのまま二人を放っておいたら、すぐにでも問題が出てくるかもしれない。今の優斗を見るとそう思わずにはいられなかった。
それを何とかするために、まずは一言問う。
「藤崎と何かあったのか?」
どこまで聞いていいのか、そもそも自分が間に入っていいのかもわからない。それでも、これを聞かなければ前には進めない。
優斗は少しだけ間を置いて答えた。
「夕べ藍と話をして、多分俺がその時言った事にショックを受けたんだ」
「ショックって何言ったんだよ。そもそも話って何なんだ?」
言っていることが具体的では無いため、今一つイメージできない。すると優斗はまた少しの間考える仕草をする。昨日の夜行われた二人の会話を説明するための言葉を探していた。
「恋バナみたいなものか?」
「こいっ……!」
優斗はその表現で正しいのか迷っているような言い方だったが、それでも啓太に衝撃を与えるのには十分すぎた。
「ホント何話してたんだよ!いや、喋らなくていい。って言うか絶対喋るな」
何が悲しくて自分の好きな奴と、そいつが更に好きな奴との恋バナなんて聞かなければならないのか。本音を言えばそれでも知りたいという気持ちはかなりあったが、もしここで聞いてしまったらとても平静でいられる自信が無かった。
それに、藍に何があったのかは気になるが、それを聞くためにこうして優斗を訪ねたのかというと微妙に違う。ここにきたのはそんな藍の現状を何とかするためだ。
「つまり藤崎の様子がおかしいのは、先輩が原因で間違いないんだな」
「ああ」
それだけ分かれば他は詳しい話を聞こうとは思わない。最初は優斗の態度次第ではしつこく問い詰め、場合によっては糾弾しようかとも思っていた。だが彼の様子を見ていると、本気で藍のことを心配しているのが分かり、いつの間にかそんな気も失せていた。
「なあ、大沢先生って教職員会議で遅くなるって言ってたよな?」
「ああ、言ってたけど?」
それは昨日部活を終える際に言われた事だった。だが優斗はなぜ啓太がいきなりそんなことを言い出したのか分からず首を傾げる。
「俺も今日部活来るの遅れる。だから放課後になってしばらく、ここには先輩と藤崎しかいなくなる。その間、二人で話せ」
出来ればこんなこと言いたくなかった。お膳立てだけしておいて後は全部任せるなんて、自分には何もできないと敗北宣言するようなものだ。
だが事実、自分が藍に何を言ったところで今の彼女を変えられるとは思えない。けれど優斗は違う。
それは今回のそもそもの原因が彼にあると言うだけの話じゃない。例え原因が彼に何の関係の無いものだったとしても、やはり一番に藍の力になれるだろうと思う。
そんなのは認めたくないし、出来るなら優斗でなく自分が何とかしてやりたい。だがそんな気持ちを押さえながら言う。
「何があったか知らねえけど、あんたが原因だって言うなら何とかしてくれ」
「お前……」
啓太にとって藍の一番である優斗は、恋敵みたいなものだ。そんな彼との関係修復の後押しなんて、本当なら絶対にしたくない。それでも、落ち込んでいる藍の姿を思うとこうするしかなかった。
優斗は最初その言葉に驚いていたようで、だけどそれからしっかりと頷いた。
「ああ。ありがとな」
感謝なんてされてもちっとも嬉しくないのに、優斗は真っ直ぐに見据えながら礼を言う。
(まったく、幽霊のくせに色々人を振り回しすぎなんだよ)
啓太はそう心の中で呟いた。優斗は幽霊で、本来とっくに過去の人になっているべき存在だ。なのに彼は未だにその言動で藍を一喜一憂させ続けている。啓太にとってはそれがすごく悔しかった。
きっと優斗は啓太がこんな思いを抱いているなんて知らないだろう。
「悪いな。色々気を使わせて」
優斗はなおも啓太に礼を言う。ほらこれだ。人がこんなに悔しがっているのに、当の本人はこの調子だ。こんな態度をとられると、明確に嫌ったり敵意を抱いたりなんて出来なくなってしまう。
「そんなのいいから、藤崎のことを頼むぞ」
精一杯の強がりを言いながら、いっそこいつがもっと嫌な奴ならよかったのにと思う。もっともそんな奴なら藍に好かれることも無かったろうし、今幽霊となってここにいるかも分からないが。
「そう言えば、藤崎がショックを受けた理由ってちゃんと分ってるのか?」
話せとは言ったが、もし優斗がそれを分かっていなかったら事態が解決する望みは薄い。
「確証はない。けど心当たりならある」
「……そうか」
もしここで分からないなんて答えが返ってきたら話が振り出しに戻っていたが、そう言うなら大丈夫だろう。
啓太は入ってきた扉を開くと部室を後にした。そしてその途端、背中に一気に疲れが圧し掛かって来た。今の会話の最中、自分でも気づかないうちに緊張していたようだ。
まるでその疲れを吐き出すように、深く長いため息をつく。
(何やってるんだろうな、俺)
無力感に苛まれる。これで自分にできることは終わり、後は優斗に期待する他無い。そう思うとどんどん気持ちが沈んでいくような気がした。
「……ったく、しっかりしろよ」
誰に言い聞かせるでも無く呟いたその言葉は、藍を落ち込ませた優斗と何もできない自分の二人に向けられていた。
藍が来るのを、優斗はひとり部室で待つ。
藍の様子がおかしくなった原因、あくまで想像に過ぎないが、それについては心当たりがある。だが藍に直接それを聞くのが怖くて何もできないでいた。
啓太が背中を押してくれてよかった。でないともしかしたら、いつまでもずっとこの状態のままだったかもしれない。
もっとちゃんと向き合わなければならない。啓太のおかげでそう心に決めることができた。
例えそれで、藍との関係が二度と戻らないくらいに壊れたとしても。
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