第38話 啓太のすること1

 三島啓太は困っていた。昼休み、彼は北野真由子に詰め寄られていた。


「ねえ、藍に何があったのよ」


 彼女は一人席についている藍を見ながら言う。


「どう見ても朝から様子がおかしいじゃない。昨日の部活紹介の話をしても上の空だし、あの後何かあったの?実は思うように演奏できてなかったとか」


 そんなのは啓太だって言われるまでも無く分かっていた。今朝会った時から元気がないのは一目見て分かった。だがどうしたのかと尋ねても、返って来たのは何でも無いの一言。しかしその受け答えもどこかぎこちなかった。


「そんなの俺だって分かんねえよ。演奏だって上手くは無かったけど楽しかったって言ってたし、他にあったことといえば顧問の先生が決まったくらい。後は知らねえ」


 啓太の答えに真由子は落胆し、それでもまだ食い下がろうとする。


「心当たりとかも無いの?」

「だから知らねえって言ってるだろ」


 投げやりに言ってはいるが、啓太だって藍の事を心配していないわけじゃない。だがどうすればいいのか分からなかった。


「なら、何があったのか聞いてみてよ」

「俺が?自分で聞けばいいじゃないか」

「聞いたよ。だけど何も無いって言われてそれで終わり。そんな訳ないのに」


 真由子は藍の一番の友人だ。本当に心配しているのはよく分かるし、自分だってできることなら力になってやりたい。それでも啓太はすぐに頷くことができなかった。


「俺だって聞きはしたけど、似たようなものだったぞ」

「一度やって駄目だったからって、次は違うかもしれないじゃない」

「ならお前が……いや、いい」


 それ以上何も言わなかったのは、真由子が既に自分で何度も試したのだと察したからだ。でないとわざわざこうして自分に頼ってきたりはしないだろう。

 だが彼女が聞いて無理だったものを、自分相手に話してくれるとは思えなかった。


「とにかく、俺は無理だから」


 それだけを告げ、啓太は席を立ち教室から出て行く。後ろから真由子の制止する声が聞こえてきたが、それに振り返ることは無かった。

 だが、彼がさっき真由子に話した内容には少しだけ嘘があった。藍に何があったのかは知らないが、その心当たりならあった。確証なんて物は無いが、あんなにも藍の様子を一変させるのなんてアイツしかいない。

 そこまで考えて、何だか胸の奥がザワザワと騒いでいた。面白くないのだ。アイツの、有馬優斗のことで藍が一喜一憂するのが。


 まだ自分が小学生の頃、誰よりも藍を喜ばせることができたのは優斗だった。当時の自分が藍に対して意地悪をした時だって、そこに優斗がやってくれば決まって笑顔になる。たまに優しくした時は、藍は自分にも笑いかけてくれたが、優斗へと向けられていたそれとは比べるまでも無かった。

 また、藍を誰よりも泣かせたのも優斗だ。彼の葬儀の時、藍は最初そこに行こうとはせずに一人で泣いていた。当時の藍は少し泣き虫な所があったが、それでもあれほど泣いたのは見た事が無い。思えば自分が藍に対して意地悪をしなくなったのも、あの大泣きしている姿がしばらくの間焼き付いて離れなかったせいだ。あの頃の藍にとって、一番の存在といえば間違いなく優斗だった。


 しかしそれも今となっては過去のもの。今を生きる藍や啓太にとってはもはや関係の無い事だと、そう思っていた。なのに――――

 そんなことを考えながら、いつの間にか啓太は軽音部部室の前に立っていた。





 扉を開くと、思った通りそこには優斗の姿があった。

 室内には二人の他は誰もいない。これなら堂々と話をしても不審に思われる心配はないだろう。


「三島か。何か用事でもあるのか?」

「有馬先輩こそ、今朝からずっとここにいたのか?」


 普段学校では彼は藍達とは別行動をとることにしている。しかしこの様子では、おそらく一日中ここにいたのだろう。


「ああ。やる事なんて無いし、誰にも俺の姿なんて見えないって思うと、近くに人がいる所じゃ落ち着かなくなるんだよな」


 優斗はさらりと言ったが、それはとても寂しい事だと思う。近くにいるのに、誰にも気づかれることは無く声も聞こえない。物にも触れられないので、何かやろうと思ってもできることなんて殆どない。

 そう言えば前に出会った幽霊に、退屈で死にそうだと愚痴られたこともある。


(やっぱり幽霊なんて深くかかわるものじゃねえな。力になんてなれないのに、こんな話を聞くとつい構いそうになる)


 それは長年幽霊を見てきた中で何度も思ったことだった。そのため普段は必要以上に同情しないよう、見えても無視を決め込んだり、さっさと成仏しろよなんて思うようにしている。

 だが時々、そう言うわけにもいかないやつが出てくる。優斗のことは決して気に入ってるとは言えないが、それでもその姿と声を認識できるのが自分と藍の二人だけだと思うと、無下にするのも心が痛む。

 だが、そんな思いも今は後回しだ。わざわざここに来たのは優斗に同情するためじゃなかった。

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