有馬優斗の抱えていたもの

第35話 付き合わなかった理由1

 その日の夜、藍は自室にて出された宿題に取り組んでいた。

 高校に入ったとはいえ、一気に問題のレベルが上がるわけじゃない。しかし今やっているのは最も苦手としている数学で、なかなか思うように解かせてはくれない。いや、苦手なのを抜きにしても、そもそも彼女は問題に集中できていなかった。


(ユウくん告白されたことあるんだ。カッコいいから好きになる人がいてもおかしくないか。でも何度かって言ってたから、相手は一人じゃないんだ。全部断ったって言ってたけど、どうしてだろう?一人くらい付き合ってみようって人いなかったのかな?いても困るけど。もしかして誰か他に好きな人がいて、だからみんな断ったんじゃ……)


 本当は学校から帰って優斗と二人きりになった時、すぐにその事を聞こうとしたけど、結局は何も言えないままだった。面と向かってこんなこと聞くのは恥ずかしいし、答えを聞くのが怖い気もする。

 だけどこんなにも気になるなら、やっぱり思い切って聞いた方がいいだろうか?

 もはや藍が考えているのは、そのほとんどが数式ではなく優斗のことだった。


「どこか分からない所でもあるのか?」

「ひゃあ!」


 そんな状態でいるところをいきなり本人に声をかけられたのだから、驚くのも無理はない。今まで優斗は宿題の邪魔にならないよう押し入れの中に引っ込んでいたのだから、なおさら予想外だったというのも大きい。


「ごめん、脅かした?ずいぶん唸ってたから、よほど苦手な問題があったのかなって思って」

「私、そんなに唸ってた?」

「けっこう。押し入れの中でも聞こえるくらい」


 恥ずかしくなって思わず顔を覆う。そんなになってたなんて、全然自覚が無かった。


「分からない所があるのは悪い事じゃないよ。これからゆっくり解き方を覚えていけばいいんだから」


 宿題で悩んでると思っている優斗は、優しく諭すように言う。本当は宿題の事なんてほとんど思考の外に追いやっていたのが、何だか申し訳ない。

 それでも、話を合わせるため適当な問題を指さす。


「これ。これがどうしても分からないの」

「ああこれか。教えてやろうか?」

「いいの?」

「どうせやること無いし、別に構わないよ」


 実際考えていたのはほとんど優斗のことだが、宿題がなかなか終わらずに苦労していたのも事実だ。ここは素直に頼ることにする。


「お願いします」

「わかった。じゃあまずはここだけど……」


 優斗は問題を覗き込みながら、一つ一つ解説していく。教えると言っても、それは答えではなく解き方だ。藍の目線に立って、どうして分からないのか、どうやったら分かるようになるのかまで、ちゃんと考えてくれている。

 答えだけを伝えるよりも時間がかかるが、その方がちゃんと藍の力になる。そういうスタンスは藍が小学生だった頃と変わらない。優斗が教えてくれるのならと、藍が張り切るのもまた変わっていなかった。


「よく頑張ったな」


 全ての問題が終わりシャープペンを置くと、優斗はニッコリ笑って、触れられない手で頭を撫でる仕草をする。勉強を教えてもらった時、最後はいつもこうしてくれたのだけど。


「ユウくん、私ももう子供じゃないんだから」


 頭を撫でられるのは正直今でも嬉しいけど、こうもアッサリやられるのは子ども扱いされているみたいだ。


「ごめんごめん。つい癖になってるみたいだ」


 優斗だって藍が成長したのは分かっているだろうが、染みついた感覚はなかなか変えられないようだ。


「それにしても、藍の解く問題も難しくなったな。もう少ししたら、俺が教えるのも無理になるかも」


 優斗がポツリと漏らしたその言葉には、どこか寂しさが漂っていた。

 前に藍が教えてもらっていたのは当然小学校で習う内容で、学年で言えば優斗よりも七つも下がる。だけど今はたったの一学年差。問題のレベル差もずいぶんと縮まり、あと一年と少ししたら追い付いてしまう。

 そんなことを想像すると、ここにいる優斗は幽霊で、重ねた時の流れが違うのだと改めて思い知らされた気がした。


「昼間は暇だし、授業でも聞いておくかな」


 優斗は冗談っぽく言うが、藍は切ない気持ちになる。そもそも優斗はそんな長い間この世にいられるのだろうか。成仏する方法なんて分からないが、それだけに、もしかしたら明日消えてしまわないとも限らない。

 そう思うと焦燥感にかられた。今のうちにもっと話をしておきたかった。話したいことも話せないまま、突然の別れなんてもう嫌だった。


「ねえユウくん、聞いても良い?」

「なに?他にも分からないところがあるのか?」

「違うの。学校で大沢先生が言ってたことなんだけど……」


 話したいことなんて沢山ある。きっと一日中語っても尽きることは無い。だけど今一番聞きたいのはやっぱりこれだった。


「告白されたのに、どうして誰とも付き合わなかったの?」

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