第34話 顧問2

 場所は変わってここは軽音部部室。体育館での片づけを終えた後こちらに移り、それぞれもう一度自己紹介をする。


「それでは改めまして、今日から軽音部顧問になった大沢泉です。さっきも言ったけど、この学校の卒業生で元軽音部。当時はドラムをやっていました」


 大沢はとても整った顔立ちで、世間一般で言うところの美人の範疇に十分に入ると藍は思った。確か記憶の中の彼女もそうだった気がする。

 昔見た文化祭のステージ。今まで優斗以外のメンバーの顔なんて忘れていたのに、こうして目の前にいることで埋もれていた記憶が嘘のように掘り起こされていた。


「当時はって、今はやらないんですか?」 

「大学に入ってからはずっと吹奏楽だったから、バンドって形で叩いたのは随分前になるわね。できないことは無いと思うけど、きっともう当時の私の演奏とはずいぶん違ってるわ」


 出来ることなら記憶の中にある演奏をもう一度見てみたかったので少々残念だ。


「それに、二人のやっているギターやベースも専門じゃないから、教えてほしいって言われても難しいわね。でも、練習メニューの管理とか撃ち込み作業、あと必要ならライブハウスの手配とか、そういうサポートならできると思うわ」


 何をやるにしてもほとんど手探り状態の藍や啓太にとって、それはとてもありがたいことだ。


「でも良いんですか?顧問の先生はたまに見に来るだけだって聞いてたんですけど?」

「私がいた頃はまさにそんな感じだったけど、まだそうだったのね。だけど何も、手を貸しちゃいけないって決まりは無いわよ」


 大沢が苦笑しながら言う。そりゃそうだ。


「もちろんあなた達が全部自分でやりたいって言うなら、余計な口出しはしないわ」

「いえ、助かります。正直、打ち込みとか俺達だけじゃ凄く大変なので」


 間髪入れずに啓太が言ったが、藍はそれを嗜める。


「三島、それじゃ大変な事をやらせるために先生にいてほしいみたいじゃない」

「あっ、すみません。そんなつもりじゃ……」


 だけど大沢は気を悪くした様子も無く、二人のやり取りを見てクスリと笑った。


「いいのよ。打ち込み係でも雑用でも。二人だけじゃ手が回らないことも多いでしょ。私は、先生としても顧問としても未経験だからどれだけできるか分からないけど、あなた達がそれでもいいって言うならね」


 藍だって啓太の言い方に注意はしたけど、色々と手伝ってもらえるなら、もちろんその方がいい。


「はい。よろしくお願いします」


 こうして大沢の顧問就任の挨拶は一段落ついたのだが、藍にはまだ彼女に聞きたい事が残っていた。


「あの、先生がまだここの生徒だった頃……ユウくん、有馬優斗くんもいたんですよね」


 本当は、さっきからずっとこれを聞きたかった。すると大沢は嬉しそうに言う。


「そうよ。それにしても驚いたわ、まさかこんな形で有馬君の知り合いに会えるなんて」


 その優斗はと言うと、実はさっきからずっとこの場にいて、大沢の挨拶もみんなのやり取りも全部見ていた。

 もちろん大沢には彼の姿は見えていない。それでも優斗は大沢を見ながら、嬉しそうに笑顔を浮かべている。


「そう言えば、前に先生になりたいって言ってたっけ。夢、叶ったんだな」


 そんな言葉を漏らす。

 ステージ発表の直前に優斗が急にいなくなった理由が、今になって藍にもようやく分かった。

 きっと優斗は大沢の姿を見かけたのだろう。かつての同級生が先生となっていたのだから、驚いて確かめに行ったのだ。


「あの、どうして私のこと知ってるんですか?」


 さっき体育館で大沢が自分の名前を呼んだ事を思い出す。文化祭で彼女の顔は見ていたけど、直接の接点なんて無かったはずだ。


「ああそれね。有馬くんから聞いたの。よくあなたの事話してたわ、近所に妹みたいな子がいるって」

「よく話してたって、そんなに何回もですか?」

「そうよ。何年も前の事なのに、すぐに名前が出てくるくらいにはね」


 知らない所で自分の話題が上がっていたのかと思うと何だか恥ずかしい。優斗を見ると、こちらも少々照れ臭そうにしていた。


「何度も話すくらいだから、よほど仲が良いんだろうなって思ってたけど、まさかこんな形で会えるなんてね」


 大沢は言ってて楽しくなってきたのか、顔を高揚させながらなおも語ろうとする。


「こんな事もあったわ。有馬君、文化祭前だってのにね……」


 だが彼女がその続きを告げるよりも先に、優斗が言った。


「三島、何でもいいから話題を変えてくれ」

「えっ?」


 話題の中心が優斗の事に移ってから、啓太はあまり会話に加われていなかった。そんなところにいきなり話題を変えろと言われても、何を言えばいいのか分からない。

 しかし優斗は急かす。


「早く!」

「わ、わかったよ」


 啓太は小声で返事をし、わけが分からないままそれでも律義に優斗の指示に従った。

 そうして彼が咄嗟に放った言葉は……


「あのっ、もしかして二人って付き合ってたりしてたんですか?」


 その瞬間、室内に沈黙が降りた。大沢にしてみれば何の脈絡も無くいきなりそんな事を言われたのだから、言葉を失うのも無理はない。


「……そりゃ何でもいいとは言ったけどさ」


 そんな声を漏らした優斗を、啓太は睨むような目で見る。元々が無茶な要求だったんだ。文句を言われる筋合いは無い。そんな心の声が聞こえてくるようだった。

 しかし失敗したと思っているのは啓太も同じ。むしろ誰よりもそう思っているだろう。

 そんな中、ただ一人藍の反応だけが他とは違っていた。


(どうなんだろう?ユウくん、彼女がいるなんて一度も言ったこと無いけど。でも同じ軽音部でバンドメンバーだし仲は良かったよね。そう言えば、他のメンバーの話をする時、いつも凄く楽しそうだった。それに美人だしスタイルだっていいし……)


 もちろん、だからと言って付き合ってるなんて思うのはあまりに安直だし、話が飛躍しすぎている。だけど優斗の恋愛に関する事柄というだけで、興味を引かれるのには十分だった。

 大沢は少しの間黙っていて、それからクスリと笑った。


「期待に沿えなくて申し訳ないけど、私と有馬君はそういう関係じゃなかったわ。仲は良かったと思うけど、あくまで友達としてよ」

「あっ、そうなんですか。失礼しました」


 聞いた本人である啓太の反応は薄かった。元々何でもいいからと適当に聞いただけだ。むしろ早くこの話題を終わらせたかった。

 一方で、藍はそれを聞いて安心する。


(良かった。もし付き合ってたなんて言われたらどうしようかと思った)


 もしそうだったら、とても平静ではいられなかっただろう。だけど大沢はさらにそこから続けた。


「そもそも有馬君、誰かと付き合うって気は無かったみたい。女の子から告白されたことは何度かあったけど、どれも断ってたわ」

「ユウくん、告白された事あるんですか!断ったってどうして!」


 気がついたら声を上げていたが、それだけ動揺したということだ。いくら断ったとはいえ、優斗のそんな話などもちろん今まで聞いたこともない。


「ごめんなさい。何でかまでは私も知らないの」


 藍の勢いに気圧されながら大沢が答える。それならと優斗の様子をチラリと窺うが、彼は困った顔を浮かべるだけだった。

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