第33話 顧問1

 ステージ脇で、藍は壁にもたれ掛かりながら静かに息を吐く。発表も終わったことだし、本当ならすぐに機材の片付けに入らなければならないが、もうしばらくは無理そうだ。

 それは啓太も同じで、なんだかすっかり力が抜けてしまったようにも見えた。


「おつかれ。よく頑張ったな」


 そんな二人に労いの言葉を掛けてきたのは、戻ってきた優斗だった。優斗は演奏が終わった時誰よりもたくさんの拍手をくれて、それからすぐに二人のところにやってきた。


「ごめんな。あんな時にいなくなったりして」

 優斗はまず、急にいなくなったことを謝った。


「ううん。始まった時にはちゃんと戻ってきてくれたし、気にしないで」


 本当はそのせいで啓太と一悶着あったのだが、それを言ったら優斗が責任を感じかねないので伏せておく。啓太を見ると何やら苦笑いを浮かべていたが、彼もそれについて優斗に何か言う気は無いようだった。


「それより、私達の演奏どうだった?」


 思えば誰かにこうして自分達の演奏について感想を貰う事はほとんどない。まして優斗は経験者だ。そう思うと、返事を聞くのがまるで本番と同じくらい緊張した。


「良かったよ、凄く」


 だけど、まるでそんな緊張を吹き飛ばすかのように、優斗は明るく言った。


「凄くってことはねえだろ」


 啓太がすかさず口を挟む。藍も、良いと言ってくれたのは嬉しいけど凄くというのは言いすぎな気がする。

 演奏の出来栄えは、昨日の練習と比べても良くなっていたと思う。より曲に集中できていた分、それまでちぐはぐだった啓太との息もいくらか合っていた。

 だがその反面、まだできていない部分にもより気付く事となった。その結果、まだまだ未熟なのだと改めて認識させられた。

 それでも優斗は自分の答を変えなかった。


「技術なんてのはこれから身につけていけば良いんだよ。それより二人とも、楽しそうだった。楽しんでできたなら、それが一番いいと思うぞ」


 楽しい。真顔でそう言われると何だかこそばゆいが、確かにその通りかもしれない。

 演奏自体は決して満足いくものではなかったけど、弾いている時に感じたあの高揚感は、今もまだ残っている。


「二人こそ、実際に初めて人前で演奏してみてどうだった?」


 聞かれて、藍はさっきの演奏を振り返る。そして真っ先に浮かんできたのはこの言葉だった。


「やっぱり、もっと練習しておけばよかったな」


 もっと上手くできていれば。そんなところはいくつもある。そんな思いは間違いなくある。だけどそれが全てではなかった。


「でも、楽しかった」


 さっきの優斗の感想に応えるように、最後にそう付け加えた。


「啓太はどうだった?」

「どうもこうも、俺も練習不足だって思い知らされた。次にやる時までに、もっと上手くならなきゃな」


 啓太も演奏には悔いがあったみたいたが、その表情は晴れやかだった。既に次を見据えていることからも、今回の件を前向きにとらえていることが伺える。

 ともあれ、藍達の初めての演奏はこうして終わりを迎えた。それぞれが感想を言い終えたところで、ようやく機材の片付けに入った。


「そう言えばユウくん、いったいどこ行ってたの?」


 片付けながら藍が尋ねる。結局その理由は未だ聞いていなかった。すると優斗はそれに答えた。


「あの時、人混みの中に知っている人がいた気がしたんだ。それで、つい本人か確かめたくなった」

「それって先生?」


 普通に考えるならそうなるだろう。もし優斗の友人だと言うなら、そんな者はみんなとっくに卒業しているはずだ。

 だがそうだとすると、あの時の優斗が見せた表情の変化が気になった。当時の先生は今でも何人か残っているかもしれない。だが、それならあんなにも驚くものなのだろうか?


「まあ、先生って言ったら先生かな」


 優斗の言った曖昧な答えに、ますますどういうことか分からなくなる。


「もう少ししたら、もっとちゃんと話すと思うから」


 わざわざもう少しなどと時間を置いたのはなぜだろう?藍が首をかしげたその時、こちらに向かって一人の先生が近づいてきた。この部活動紹介への参加を進めてくれたあの先生だ。

 何の用かは分からないが、このまま優斗との会話を聞かれてしまうとまずい。これまでの話題は一時中断し、先生へと向き直った。


「よく頑張ったな。中々よかったぞ」

「ありがとうございます」


 会釈しながら返事をすると、そこから先生はさらに続けた。


「そうそう。軽音部の顧問が決まったんだ」

「本当ですか?」


 顧問と言っても、今まではほとんど指導らしいことはやっていなかったと聞いている。だがそれでも、こうして決まったと聞くと一歩前に進んだような気がした。

 すると後ろから、もう一人別の先生がやってきた。

 それは若い女の先生だった。彼女は藍達の前に立つと、まずは自分の名前を告げた。


「この度軽音部の顧問を務めることになった大沢泉おおさわいずみです」


 入学して間もない藍は、まだ全ての先生の顔なんて覚えていない。それでも、その人の顔には見覚えがあった。

 というのも、先日行われた全校集会で、彼女が新任の先生として紹介されたからだ。確か社会の先生で、あと大学を卒業したばかりの新米だと言っていた。

 その若さも手伝い、遠目に見ても綺麗な人だと思っていたが、こうして近くで見ると尚更だった。


「顧問なんて初めてだし、どれだけ役に立てるか分からないけど、出来る限り力になれるよう頑張るから。よろしくね」


 大沢はにこやかに笑いながら、藍と啓太の二人に向かって挨拶をした。


「はい。よろしくお願いします」

「お願いします」


 その後お互いに自己紹介を終えたところで、再びもう一人の先生が言った。


「大沢先生は、軽音部の顧問ならやりたいと自ら希望したんだ」

「そうなんですか、ありがとうございます。でもどうして?」


 希望してくれたというのはとても嬉しかった。だが、わざわざ廃部寸前だった部活の顧問を望んでやる理由が分からない。

 すると大沢は、少し恥ずかしそうにそれに答えた。


「私、この学校の卒業生で元軽音部だったの。だから、当時の経験を少しでも活かせられたらいいなって思ったのよ」

「つまりお前達の先輩というわけだ」


 思わぬ経歴が飛び出してきた。驚く藍だったが、同時に頭の中に何やら引っ掛かりのようなものを感じた。

 どこかでこの人を見た事があるような気がした。全校集会で紹介された時とは違う。それよりも、ずっと古い記憶だったと思う。

 すると隣にいた優斗が、大沢を見ながら小さく笑みを浮かべていた。それを見て、何故かよりいっそう記憶の扉が叩かれた。

 優斗と大沢、この二人を改めて見る。不審に思われない程度に見比べて、ようやく記憶の糸が繋がった。

 ずっと前、藍は大沢の姿を見たことがあった。それに気づいた時、思わず声を上げていた。


「ユウくんと一緒に演奏してた、ドラムの人!」

「えっ?」


 唐突に叫んだ藍を見て、今度は大沢が目を丸くする。その反応を見て慌てて口元を押さえるが、大沢は驚いた表情のまま言った。


「ユウくんって有馬優斗くんのこと?あなたもしかして、藍ちゃんなの?」


 自分の名を呼ばれたことに驚くが、それによりこれまで推測でしかなかったものが一気に確信へと変わった。

 優斗が何度か語っていた、彼のいた頃の軽音部のメンバーは全部で三人。そのうちの一人が大沢だった。


 彼女は、かつて優斗の同級生だった。

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