第32話 初演奏3

 ギターとベース。形のよく似た二つの楽器だが、もちろんその役割には明確な違いがある。

 藍がベースを始めたばかりの頃読んだ本では、その役割は他の音同士を繋ぐ接着剤のようなものとあった。また、曲の土台や骨組みを作るといった表現をされる事もある。


 昨日の練習では、藍はその役割を果たせていなかった。啓太のギターと、打ち込みによってスピーカーから流れるドラム、その二つの音は決して繋がることなくバラバラのままだった。

 そうなったのは、練習や経験が足りないからだと思っていた。だけど今、原因は本当にそれだけだったのかと自分自身に聞いてみる。さっき啓太に言われた、優斗のことばかり気にしてるという言葉が頭をよぎった。




 前奏が始まると、それを聞いて何人かが反応を見せた。弾いているのは元々有名な曲のため、知っている人も多いのだろう。だが今の藍は、その反応に気付くことはできなかった。この時ばかりは、優斗の表情さえもうかがう事が出来なかった。

 だってとてもそんな余裕は無かった。本当はもっと聞き手の反応に気を配るのが正解なのだろうけど、今の藍達にそれが出来るだけの技量は無い。もしやろうとしたのならきっとどこかに無理が出る。

 ならいっそのことそれらは諦め、ただ曲だけに集中する。自らの奏でるベースと、スピーカーから流れてくるドラムの音。そして啓太のギター。意識するのはこの三つだけでいい。

 昨日の練習ではそれが出来ていなかった。優斗の反応を気にしすぎて、一番大事なはずの音と向き合うのが疎かになっていた。


(ごめんね三島)


 心の中で謝りながら、藍の指は次の音を奏でていく。曲の土台を、骨組を作っていく。

 前奏が終わり、ここでいよいよ歌が入る。より一層緊張が高まる中、藍は力一杯に声を張り上げた。


 歌を担当するのは藍。これは単に啓太より藍の方が歌が上手いため決まったものだ。元々歌うのは好きだったし、友達に誘われて何度か行ったカラオケでも、よくうまいと言われた。だから歌にはそれなりの自信があった。だがそれはあくまで歌だけに限った話だ。

 演奏と歌う。その二つを同時に行うとなると、まるで別物だといいたくなるくらいに難易度が一気に跳ね上がる。どちらか片方に集中しすぎてもう片方が疎かになるなんて、練習では何度もあった。

 だけど今は本番、決してそんな失敗をするわけにはいかない。お腹の底から声を出しながら、指を必死に動かしながら、それぞれの音を繋いでいく。


 曲はそろそろ半分が過ぎようとしていた。時間にしてみればほんの数分程度のはずだが、何だかそれよりもずいぶんと長く感じられた。張り詰めた緊張感が体を蝕み、足がふらつきそうになる。

 だけど……だけどそれでも、決して嫌だとか苦しいだとかいった想いは抱かなかった。かわりに胸の奥から込み上げてくる不思議な高揚感が心を満たし、負の思いを打ち消してくれているようだった。


 間奏に入った所で啓太の方を見ると、向こうもちょうど同じタイミングでこちらに顔を向け、二人の目が合う。やはり啓太も藍と同じように緊張した面持ちで、しかしその中に少しだけ楽しそうな笑みを浮かべていた。

 それを見て、藍は自分の中で湧き上がっていた高揚感の正体に気付いた。


(ああそうか。私、楽しいんだ)


 自分の鳴らす音が、発する声が、他の音と繋がって一つの曲になっていく。やってることは練習とさほど変わらないはずなのに、今この瞬間、それはよりいっそう楽しいものだと思えた。

 もうすぐ間奏が終わる。湧き上がってくる感情を吐き出すように、藍は再び大きく口を開いた。

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