第26話 ユウくんが家に来る4
家を出て学校へと向かう藍の隣には、やはり優斗の姿がある。
他の人には見える事はない。が、もし見えたのなら並んで登校している自分達はどんな風に思われるだろう。ふとそんな事を藍は想像した。
しかしそんな淡い想いよりも、もっと気になる事があった。さっきのリビングでの両親の言葉、いつもより身支度が早いと言われたことだ。それを聞いて優斗はいったいどう思っているだろう。家にいる間、それについては何も言ってこなかった。だけど聞かれたとしても、ユウくんの目を意識していたのでこうなりましたなんてとても言えない。
だけどそう思っていたまさにその時、優斗の口が開かれた。
「なあ、藍?」
「な、なに?」
少々声を上ずらせながら返事をする。もしさっきのことを聞かれたらどうしよう、何と言ってごまかそう、そんな事を考えながら次なる言葉を待つ。
「今朝の藍がいつもと違ってたのって、やっぱり俺に気を使ってたから?」
「ち……違っ……」
とっさに否定できなかったのは、完全にその通りだったからだ。この瞬間、藍は考えていた何パターンかの言い訳やごまかしを頭の中に思い浮かべ、その全てが役に立たないと悟った。だってこんなにも核心を突かれたのだから、今更何を言ったって上手くいく気がしない。
結果、ただ動揺するしかない藍だったが、優斗はさらに続けた。
「そうだよな。藍だって見られたくない所はあるよな。ごめんな、気付いてやれなくて」
「そんなこと……」
無い、とは言えなかった。何も優斗のことを無神経だとか思っているわけじゃない。だけどここで否定したとしても、もうどうにもならないだろう。
気まずさと、見透かされたことに対する恥ずかしさが相まって、優斗の顔がまともに見れなくなる。俯く藍に、もう一度優斗が謝罪の言葉を告げた。
「本当に、ごめんな」
その言葉には重さと、どこかしんみりしたような雰囲気があった。そんな様子の変化を察し、藍は僅かに顔を上げた。
「昨日アイツに、三島に言われたんだ。藍ももう十五歳だって」
「三島に?」
それは、藍から離れたところで交わした二人の会話だった。
「言われた時はそんな事分かってるつもりだったんだ、俺の知っているころとは違うって。見た目だって随分変わったしな。でも、今目の前にいるのは藍なんだって思うと、つい同じような感覚になる」
「ユウくん……」
優斗の言っている通り、彼の藍に対する接し方は小学生だった頃のものとほとんど変わっていなかった。高校生になった藍には、そのせいで途惑う事だって多い。それは紛れもない事実だ。
「ダメだよな。藍だって変わってるってのに、俺だけがあの時のままで、正しい距離が分からなくなる。でも、藍の迷惑になるようなことはしたくない。付き合い方を間違えたくない」
藍ももう、小学生の頃の彼女じゃない。優斗もそれを理解しているからこそ、こう言ってくる。だけど……
「迷惑なんて、思ってないから」
藍の声が、優斗の言葉を打ち消した。
「私だって分からないよ。もう子供じゃないんだし、前と同じじゃダメなのか、それとも変わらないままで良いのか。だからユウくん相手にどう話せばいいのか分からなくなったり、緊張したりする時もある。でもね、だからってユウくんを迷惑なんて絶対に思ってないから」
戸惑っているのは本当だ。だがこの気持ちだって紛れもない本心だった。たとえどんなに迷い途惑ったとしても、迷惑だと思ったことは一度だって無かった。
「二人で見つけていこうよ、今の私達の関係を」
それを聞いて優斗は何も答えないでいる。ただ一言も発することなく、手で顔を隠すように目元を押さえた。
「ユウくん、どうしたの?大丈夫?」
もしかしたら何か変な事を言ってしまったのだろうかと不安になる。だが覆っていた手を外した優斗の顔は、思いの外嬉しそうに微笑んでいた。
「驚かせてごめんな。でも、藍がこんな事を言えるようになったんだと思うと、何だか込み上げてくるものがあって」
何だか兄というよりも父親目線ではないかと言いたくなるような事を言う。
そんな優斗を見て藍は思わず苦笑する。こんな事で一々感激するあたりが二人の感覚のズレに他ならないのだが、今それを言っても無駄だろう。
「それに、藍に迷惑がられてるんじゃないって分かってホッとした」
「迷惑なんかじゃないよ。ユウくんがいてくれて、すごく嬉しいもの」
ホッとしたのは藍も同じだった。せっかく再会できた優斗との関係を、こんな事でギクシャクさせるのは嫌だったから、ちゃんと気持ちを伝えられて良かった。
「それで、今の藍と一緒にいる上で、俺がこれから気を付けなきゃいけないこととかある?」
「うーん」
考えてみるが、具体的に例を挙げろと言われても急には難しい。だけどもしこのまましばらく優斗が成仏することなくこの世にいるのなら、寝泊まりは昨夜と同じく藍の家、藍の部屋の押し入れということになるだろう。別にそれは嫌では無いし、優斗の役に立てるのもそばにいてくれるのも嬉しい。だけどそうなると、やはりある程度の線引きは必要だろう。でないと心臓がもたなくなる。
「……とりあえず、朝起きるのは私の準備が終わるまで待っててくれる?その……起きてすぐは顔も洗って無いし、髪もボサボサだし……」
顔を赤くしながら途切れ途切れに言葉を繋ぐ。本当はそんなみっともない寝起きの話をするのはもの凄く恥ずかしい。だけど毎日理由も告げずに、押し入れの中で待ってもらうわけにもいかないだろう。
「ああ、そうだよな。わかった、藍がいいって言うまでは絶対に出て行かないよ」
恥ずかしさいっぱいに言った藍とは対照的に、優斗は実にあっさりと頷いた。それを見て、若干複雑な思いを抱く。
(もう小学生の頃とは違うって分かったなら、少しはドキッとしてくれてもいいのに。これじゃまるで、思春期の妹の悩みを聞いてやるお兄ちゃんって感じだよ。ううん、ユウくんにしてみれば、まさにその通りなんだよね)
せっかく快諾してくれたのだからこれ以上は何も言わないけれど、いかに新しい関係を見つけようとしても、兄と妹というのは簡単には変わりそうにない。
だけど、自分が優斗にとって妹だと言うなら、あと一つくらい我儘を言ってみたくなった。
「ねえ、手を繋いでいい?」
それは、今みたいに二人で並んで歩いた時はほとんど常にやっていたことだ。そして何の気兼ねも無くそれが出来たのは、妹と言う立場だから出来る特権だった。
もっとも、例え兄妹だろうとこの歳になってまで手を繋ぐというのはあまりないと思うが。
「手を繋ぐのはいいのか?」
優斗も同じことを思ったようで、念のため確認をとってくる。
「良いかどうか、それを決めるためにやるんだよ」
もちろんそんなのはただの口実で、普通なら手を繋いで歩くなんて、しかもそれをこんな通学路でやるなんて簡単にはできないだろう。もし人に見られでもしたらどうしていいのか分からない。
だけど今、他の人には優斗の姿は見えない。だからこそできたお願いだった。
「それじゃ、どうぞ」
差し出された優斗の手に、藍は自分の手を重ねた。もちろん優斗に触れることはできないのであくまで繋ぐふりになるけど、それでも確かに繋いでいるような気分になる。
だから、例え手に何の感触も無くても、ドキドキする。初めて自分が優斗を好きなのだと自覚した時と同じように、胸が高鳴った。
(やっぱり私、今でもユウくんが好きなんだな)
それはこれまで何度も繰り返し思ってきたこと。それでも、また改めてそう思う。
今の二人の関係は兄と妹のようなもの。それは間違いなかったし、そんな関係を心地よくも感じている。
だけど兄妹とは違う、この秘めた想いを満たせるような関係にもなってみたかった。それはまだ優斗が亡くなる前から、亡くなった後だって、ずっと心に残っていた想いでもあった。
「それで、こうやって手を繋ぐのはこれからもやっていい?」
優斗が手を重ねたまま聞いてくる。いいも何も、今もこうして離すことなく繋ぎ続けているのが答えのようなものだ。だけど……
「恥ずかしいからいつもは無理」
その言葉がショックだったのか、優斗の表情がわずかに固まる。だけど藍はそれからさらに続けた。
「だけど、たまになら繋ぎたいな」
そうして藍はイタズラっぽく笑った。
藍だって本当はいつも手を繋いでいたい。だけどいくら人には見えないとはいえ、常にやるにはハードルが高いのも事実だった。だから、たまにだ。
「じゃあ、今こうしてるのは『たまに』なのか?」
「『たまに』、だよ」
その『たまに』が、いつどれくらいの頻度で訪れるのかは藍にも分からない。明日かもしれないし、当分先かもしれない。だけど今は、それを十分に堪能したかった。
学校へ向かう途中、同じく登校中の啓太と出会った。彼は手を繋ぐ二人を見て目を白黒させ、藍は途端に恥ずかしくなって手を放した。
はたして啓太の目には二人が兄妹のように映っていたのか、それとも別の何かのように見えたのか、それは分からない。
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