第25話 ユウくんが家に来る3

(眠れなかった)


 翌日、藍が布団を出たのは、目覚ましが鳴るよりもずいぶんと早い時間だった。それだけでなく昨夜も、布団に入ってから目を閉じるまで随分と時間がかかった。と言うか、さっきの言葉通りほとんど眠れていなかった。

 にもかかわらず一向に眠気を感じないのは、きっとそれ以上に興奮と緊張があるからだろう。

 一度目を閉じ、ゆっくりと昨日の出来事を思い出す。


 亡くなった優斗が幽霊となって現れ、色々あって家に泊まることになった。改めて考えるとまるで現実感の無い話だ。部屋の中を見渡すがそこには優斗の姿は無く、もしかしたらあれは全て夢なんじゃないかと思ってしまう。

 その是非を確かめるため、藍は布団から起き上がると押入れに向かって声をかけた。


「ユウくん?」


 いろいろ悩んだ結果、結局優斗は藍の部屋にある押し入れの中で寝ることとなった。優斗の分の蒲団を自分の隣に並べて敷くというのも考えたが、もし両親が部屋に入ってきた場合ごまかすのが難しい。というか、それ以前の問題で無理だった。いくら幽霊になって触れることができないとはいえ、ずっと好きだった人とそんな状況になって耐えられるほど、藍の心臓は丈夫じゃない。

 同じ布団を使うことを想像したのは、きっと緊張して混乱していたのだろう。昔、泊まりにきた優斗の布団にもぐりこんだ事はあるが、今となってはそれを思い出すだけでも恥ずかしかった。


 その点押し入れなら親の目も届きにくいし、扉による敷居もあるから、精神的にも違う。押し入れの中には使っていない予備の蒲団と枕を置き、簡易式のベッドのようにしてある。有名なネコ型ロボットのやっているアレと同じだ。

 当初藍は自分が押入れを使うつもりだったが、迷惑かけてるのは自分なのだからと優斗が断固反対し、それに押される形となった。

 姿は見えないし扉一枚で隔てられているとはいえ、すぐ近くで優斗が寝ていると思うとドキドキしてきて、それは一夜明けた今でも続いていた。

 落ち着こうと深く深呼吸をして、それから改めて押し入れの戸を見る。


 寝心地悪く無かったかな?そう心配しながら、同時にそれらの出来事も全て夢だったのではないかと思いながら、扉一つで仕切られた先にいるはずの彼の名をもう一度呼んだ。


「ユウくん、起きてる?」


 少しだけ待った後に、その声は返ってきた。


「藍?起きてるよ、もう朝?」


 優斗の声だ。それを聞いて、藍はようやくあれが現実だったのだという実感がわいてきた。

 そして声が聞こえてきたのと同時に、優斗の手が扉を突き抜けてくるのが見えた。物に触れられない優斗は自力で押し入れの戸を開け閉めできないので、出入りする際はこんな風になる。驚くべき光景ではあるが、それが優斗なら別に怖いとは思わなかった。


 だが優斗が出てくるのを見て、藍は今自分がとても重大な問題を抱えている事に気づいた。


「ま、待って!」


 とっさに叫ぶと、それを聞いて優斗の動きが止まる。すでに両腕はほとんどこちらに出てきてはいるが、顔はまだ扉の向こうにあった。

 それを見て、藍はホッと胸をなで下ろす。


「どうかした?」


 優斗は待ってという藍の言葉通り、律儀にその体制を保ったままだ。不思議そうな声が扉越しに聞こえてくる。


「ごめん。もう少しだけ、中に入っててもらっていい?」

「?―――いいけど」


 藍の言葉を受け、とたんに優斗の手は押し入れの中へと引っ込んでいった。


「ホントにゴメンね。すぐすむから」


 申し訳なさそうに言った後、優斗の姿が完全に見えなくなったことを確認して息をつく。何とかこの恰好を見られずにすんだ。そんな思いを込めた、安堵のため息だ。

 今の彼女の姿は、シワの寄ったパジャマに洗う前の顔、それに跡の残った寝癖と、まさに寝起きそのものだった。

 昨夜寝る直前、お風呂上がりでこの部屋に入った藍はパジャマ姿だった。その時でさえ、恥ずかしさのあまり優斗とまともに目を合わせる事が出来なかったのだ。その上こんな格好まで見られてしまったら、今度は死んでしまうかもしれない。


 自らの命を守るため、まずは素早く部屋を出て顔を洗いに洗面所へと向かう。それが終わると次は制服への着替えだ。扉一枚を隔てた先に優斗がいるかと思うとそれにもまた恥ずかしさがあるが、中にいるよう頼んであるので、今このタイミングで顔を出すような事はないだろう。

 最後に髪を櫛で梳いた後、リボンで束ねてポニーテールにする。できればもっと時間をかけて念入りにやりたいところだったけど、それだとより優斗を待たせてしまう。相反する二つの想いに挟まれながらも何とかそれを終わらせると、ようやく再び優斗に向かって声をかけた。


「ユウくん、もういいよ。待たせてごめんね」


 その声が届いたのだろう。返事が聞こえたかと思うと、先ほどと同じように押し入れの扉をすり抜け優斗の手が、そして今度は全身が出てきた。


「おはよう、藍」


 優斗は理由を告げずに待たせた事には何も言わず、爽やかな顔で朝の挨拶をする。ちなみに優斗の格好は寝る時も今も、昨日と同じ学校の制服だ。服も優斗と同じく実体を持っていないので、汚れる事もシワが寄る事も無いから問題ないと、昨日啓太が言っていた。ただし一番上に羽織っていたブレザーだけは消えていた。あれを着たまま寝るというのが優斗のイメージの中に無かったのだろう。


「おはよう、ユウくん」


 藍も優斗に向かって挨拶を返す。だけど何だか、今日は早くも一日分の疲れを体験したような気がした。






 藍が優斗を連れてリビングに行くと、すでに母がテーブルの上に朝食を並べはじめていた。よく考えると優斗はここに来る必要はないのだが、なんとなく藍についてくる形となっていた。


「おはよう」

「お父さん、おはよう」


 藍達と同じく、今起きてきたと思われる父が入ってきて挨拶をする。藍もそれに返したのだが、父はそんな藍の格好を見て首をかしげる。


「あれ、今日はもう着替えてるのか?いつもならまだ寝間着のままのはずだろ?」


 その発言にギクリとする。父の言う通り、普段藍が制服に着替えるのは朝食を済ませた後だった。藍はその質問に答えるよりも先に、チラリと優斗を見る。わざわざいつもより早く着替えたのは、もちろん優斗の目を気にしてのこと。だけどそれは、出来る事なら本人には知られたくない。


「中学の頃とは家を出る時間も変わるし、早めに準備するようにした方が良いかなって思ったの」

「出る時間って、ほとんど変わってないだろ?」

「少しは変わったでしょ」


 果たしてこんなので納得してくれただろうか?だが優斗はともかく、父は首を捻っただけでそれ以上は聞いてこなかった。

 できればこのまま何も言わないでほしい。そう思いながらテーブルにつくと、ちょうど母が、まだ運び終えていない朝食をまとめてお盆に載せてやってきた。そして、藍を見て言う。


「あら、もう着替えてるなんて珍しい。髪だって普段ならまだ寝癖だらけなのに」

「~~~~~~っ!」


 藍は声も無くテーブルの上にうつ伏せ、それを見た両親は何事かと顔を見合わせていた。

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