第16話 再会3

 藍は椅子に腰かけると、ホッと息を吐く。その正面には優斗がいた。

 場所は再び軽音部室。思わぬところで死んだはずの優斗との再会を果たした藍は、元々行こうとしていた職員室には向かうことなく、二人してここへと戻って来ていた。入部希望届を出すのは後回しになるが、今はそれよりも、優斗ともっと話をしていたかった。


「本当にユウくんなんだよね」


 それはこの短い間に何度も確認し、それでも未だ信じられない事だった。もしかしたら夢を見ているのではないかとさえ思ってしまう。


「俺も驚いてるよ。やっぱりこれって幽霊ってやつなのかな?」


 幽霊である本人がそんな事を言うとなんだかおかしな感じがする。だけどどんなに信じられないような事でも、こうして実際に目の前にあるのだから受け入れるしかない。


「多分、それで間違いないと思う。だってユウくんは……その……」


 亡くなった。その一言がすぐには言えなかった。本人も既に知っているとはいえ、それを簡単に口に出して良いものか分からなかった。

 だけど優斗は、そんな藍の躊躇いに気付いたのか、実にあっさりと言った。


「死んだんだよな、分かってる。ありがとな、気を使ってくれて」


 そうして、改めて自分の体をまじまじと眺めた。それは一見しただけでは普通の人間と何の変わりも無く、だけど探せば違う部分も沢山あった。透き通った体もその一つだし、廊下からここまで移動してくる間に、こんなことがあった。






「ちょっと通してもらっていいかな」


 軽音部の部室に向かう途中、二人は数人で荷物を運んでいる生徒の一段と遭遇した。どうやら彼らは演劇部で、劇で使う大道具を運んでいる最中のようだった。

 その荷物の大きさ故に廊下いっぱいになって運ばなければいかず、藍たちが真ん中に立っていたため、うまく進めないでいた。


「あっ、今どきます」

「悪いね。すぐ通るから」


 演劇部の人達はそう言うと、大道具を壁にぶつけないよう慎重に運びながら、藍の隣をゆっくりと通り過ぎて行き、次に優斗のいるすぐそばへと差し掛かる。だけどその時、足が滑ったのか、運んでいたうちの一人が大きく体制を崩した。


「うわっ!」


 声が上がり、全体が大きく揺れ動く。このままでは優斗にぶつかってしまう。藍はそう思いながらも何とか止めようと駆け寄るが、もはやそんな時間は残されていなかった。

 だけど……


「……危ねーな」


 それを言ったのは誰だっただろう。緊張気味に言い放たれたその声、だけどそれには、わずかに安堵の色も含まれていた。


「お前が足を滑らせるからだぞ。気を付けろって言ったじゃないか」


 一人がそう注意しながらも、皆どこかホッとした様子だった。

 無事だった。そう、結果として今の出来事による被害は何も出ていなかった。優斗のそばで倒れそうになった一人は壁に手をつくことで転ばずにすみ、運んでいた大道具も、他のメンバーが支えていたおかげで何とか落下することは無かった。

 だけど演劇部の人達がそれに安堵しているのとは裏腹に、藍と優斗の二人は先ほどにも増して驚愕の表情を浮かべていた。いや、優斗の表情に関しては藍の推測で、実際には今の彼の顔は見えていなかった。


 転びそうになった演劇部員は、壁に手をつくことで自身の体を支え、持ちこたえることができた。だけど彼が手を伸ばした先には、ちょうど優斗の顔があった。本来なら彼の手はそのまま優斗の顔に当たるはずだ。だがそうはならなかった。

 彼の手は優斗の顔に当たったかと思うと、何の抵抗も無いままそれをすり抜け、その先にある壁へと突き立てられたのだ。


 彼が壁から手を離すと、それと重なっていた優斗の顔がようやく見えた。藍の予想した通り、その顔に浮かんでいる感情は驚愕という言葉がふさわしい。

 人の手が自分の顔を突き抜ける、なんてことが起こったのだ。これで驚かない方がどうかしている。だけどおかしなことはそれだけでは無かった。


「騒がせてごめんね」


 演劇部の一人が、一部始終を見ていた藍に向かって、少し恥ずかしそうに言う。だがそれだけだ。

 彼だけじゃない。他のもだれ一人として、この異常な事態に声をあげる者はいなかった。それこそがもう一つの異常だった。


「それじゃ、改めて出発するか。今度はもう少し気をつけて行くぞ」


 リーダーと思われる生徒が号令を出し、彼等は再び荷物を運んで歩いて行く。そして去り際に、藍に向かって一瞥した。優斗でなく、藍だけに向かって。

 思い返してみれば、今まで彼等に声を掛けられたのは、全て優斗でなく藍に対してだった。

 優斗の体を突き抜けた手。その異常に対して誰も何も反応しない状況。それらを考えた時、藍の仲である一つの仮説が浮かんだ。


「ねえ、ユウくん……」


 藍は声を潜めながら優斗に話しかける。もし自分の考えが正しければ、今ここで優斗と会話しているのを彼等に気付かれるのは、あまり良い事とは言えなかった。

 優斗もまた黙って考えているようだったが、すぐに何かを決意したようだった。


「藍、少しだけ待ってて」


 優斗は足早に歩き出すと、さっきの演劇部員たちの横を通り過ぎる。そして追い抜いたかと思うと、その前で突然足を止めた。

 演劇部員の前に立ちふさがる形となり、当然このままではぶつかってしまう。そのはずだった。


「――――っ」


 藍は再び息を呑む。演劇部員、および彼等の運んでいた荷物は再び優斗の体を突き抜け、そのまま何事も無かったかのように通過していった。

 演劇部員たちはこれにも一向に驚いた様子を見せることは無く、優斗に一瞥すらしないまま、廊下を進んで行った。そしてその場には、再び藍と優斗の二人だけが残った。


「今のって、やっぱり……」


 藍が先ほど浮かべた仮説はますます信憑性を高めていた。いや、もはや確信していると言ってよかった。

 考えていることは優斗も同じだった。藍の元へと戻ってきた彼は、藍の仮説と全く同じことを口にした。


「どうやら俺は物に触ることができないみたいだ。それに、藍以外の人間には姿が見えないらしい」


 物に触れない。人には見る事が出来ない。それはフィクションに登場する幽霊にはありふれていると言っていい特徴だった。だけど実際にこうして目にすると、ただただ目を丸くして驚くばかりだった。

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