第14話 再会1

 軽音部の部室は、本校舎とは別にある部室棟と呼ばれる建物の中にある。

 元々十数年前までは校舎はこれしかなく、主だった教室や職員室なども全てここに置かれていた。現在メインとして使われている本校舎が完成すると同時に、ほとんど教室がそちらへと移転し、以来こっちには大量の空き部屋ができた。それを利用しようと大小さまざまな部活の拠点が置かれる事となったのが、今日では部室棟と呼ばれる事となった所以である。

 あるいは元々あった役割から、旧校舎などと呼ぶ者も多かった。

 

 藍が部室棟へ入ると、そこには何人もの生徒が行き来していて、旧校舎という別称から連想されるような暗い雰囲気は無い。今の時期はどこの部も新入部員獲得に向けて動いているので、余計に活気があるのかもしれない。


「君、もう入る部活は決めたの? よかったら見学していかない?」


 早速勧誘の声をかけられるが、既に入る部活は決めてある。


「すみません。わたし、もう軽音部に入るって決めてあるんです。あの、部室ってどこにあるか分かりますか?」

「なんだそうなの。軽音部なら、二階の隅にあるところだよ。昔、音楽室として使われてた場所なんだって」


 断ると同時に、部室の詳しい場所も聞いておく。相手は少し残念そうだったけど、既にベースを手にしているのを見て、これ以上誘ってもムダだと判断したようだ。

 

 教わった通り2階へ向かうと、その隅にある軽音部室の前へとたどり着く。扉は閉ざされているものの鍵はかかっておらず、ドアノブを回すとすんなりと動いた。

 ここを開けば自分の軽音部としての一歩が始まる。そう思うと何だか緊張してくる。

 一呼吸置いた後、藍はその扉を開いた。


「失礼します」


 小さく挨拶をしながら中の様子を窺う。そこで目に飛び込んできたのは…


「………」


 誰もいないガランとした室内だった。もちろん耳をすませても、出迎える声や演奏どころか物音ひとつだってしない。遠くで他の部の人が立てている喧騒や、校庭で練習している運動部の掛け声がわずかに聞こえてくるくらいだ。

 まあこの展開は予想していなかったわけじゃない。何しろ事前に聞いていた話では去年いた部員はたったの二人。しかもその二人もこの春卒業したというから、藍と同じように興味を持った新入生が来ない限り生徒がいないのは当然だった。その新入生にしたって、部員ゼロの部活に出向こうとする者はあまりいないだろう。

 問題は生徒だけでなく顧問の先生の姿も無いということだ。これでは入部しようにもどうすれば良いのか分からない。


 困りながら改めて室内を見回すと、何やら黒板に文字が書かれているのが目に入った。近づいて見てみると、そこには「軽音部へ入部希望の方は職員室まで」と書かれていた。


 職員室ということは、またこれから本校舎まで戻らなければならない。

 少し面倒だけど仕方ないか。職員室へと向かうため、藍は部室を出るとそばにある階段を下りていく。この階段はここまで来た時は通らなかったけど、多少道順が違っても迷うことは無いだろう。

 だけど階段を降り一階につこうとしたところで、ふと藍の足が止まった。


 部室。階段。その二つの言葉が何故か酷く気になり、それと同時に胸に鋭い痛みが走った。

 そして、かつて母親の言っていた言葉が頭の中で思い出された。


『学校の階段から落ちて、頭を強く打ったんだって……』


 それは、優斗が亡くなったその日、母親から聞かされた言葉だった。

 後にもう少し詳しく聞いた話では、優斗は放課後部活へと向かう途中に、階段から落ちたそうだ。

 そして気付く。部室の一番近くにある階段、それはここだ。つまりこの場所こそが……


「ユウくんの亡くなった場所」


 口に出して、またズキリと胸が痛んだ。眩暈を起こしたように視界が大きく揺れ動き、思わず顔を伏せる。

 何だか酷く気分が悪い。そう感じた時、藍は僅かに自嘲した。

 どうかしている。もう何年も前の事なのに、何で今更こんなにも気にしているのだろう。


 当時はまるでこの世の終わりかと思うくらいショックだった出来事も、時を重ねることで次第に過去へ過去へと追いやられる。そういうものだと思っていた。

 だけど実際、自分はこんなちょっとしたきっかけで思い出しては苦しくなっている。そもそもベースを初めたのも軽音部に入ろうとしているのも、未だにユウくんのことを忘れられていない証拠だ。

 自分は未だ、彼の死を引きずったままなんだと思い知らされた。


「ダメだな。こんなんじゃ」


 もちろん藍には優斗のことを忘れる気なんて無い。だけど、だからと言って引きずったままでいいかと言えばそうじゃない。


(ユウくんが安心して旅立てるよう、しっかりしなきゃ)

 それは当時の藍が確かに思っていたこと。今だってそうでなくてはいけないと思っている。だけど実際はこんなものだ。


 もし彼がどこかでこんな自分の姿を見ていたら、きっととても安心なんてしていられない。そう思うと恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。

 なんとか心を落ち着かせようと、深く息を吸い込んではゆっくりと吐き出す。それで何度か繰り返すうちに、それまで高鳴っていた鼓動も次第に落ち着いてくるのが分かった。


 もういいだろう。そう思い顔を上げようとする藍だったが、そこで急に心配そうな声が聞こえてきた。


「君、大丈夫?何だか具合悪そうだけど」


 今の様子を誰かに見られていたのだろう。だけどまさか何年も前に亡くなった人のことを思い出して落ち込んでいたとは思うまい。


「平気ですから、気にしないでください」


 誰かは知らないけど変に気を使わせてしまっても悪い。そう思いながら声のした方を向く。

 そこにいたのは一人の男子生徒だった。先輩だろうか?何となくそんなことを思っていた。だけど次の瞬間、彼の顔を見た瞬間、藍の表情が固まった。


「何で――」


 意識をするわけでも無くそんな声が漏れて、だけどそれに続く言葉は出てこなかった。それほどまでに驚愕していたということだ。

 だけど藍がそうなったのも仕方の無い事だった。だって目の前にいる彼は、決して今ここにいるはずの無い人だったから。この世にいるはずの無い人だったから。


「……藍?」


 言葉を失った藍の名前を彼は呼んだ。それは記憶と寸分たがわぬものだった。

 彼は、有馬優斗は、あの頃と変わらぬ声で、変わらぬ姿でそこにいた。

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