第11話 時は流れて3
「それにしても藍が軽音か。なんか意外かも」
ベースの入ったケースを手にした藍を見て、真由子が言った。先ほど帰りのホームルームが終わり、既に放課後となっている。教室を出て行く人の姿もちらほらと見受けられた。
「うん、私もそう思う」
意外だと言った真由子の言葉に、藍は素直に同意する。藍自身、自分が大勢の人を前にステージ上で演奏する姿なんてなかなかイメージがわかない。
「そもそもなんで音楽を始めたんだっけ?」
「去年ここの文化祭のステージを見てかな」
「ああ、あの時の」
その文化祭には真由子も一緒に来ていたため、藍の言ったステージにも覚えがあったようだ。
優斗が亡くなってから、藍はこの学校の文化祭を見に来ることも無くなった。藍にとっては優斗に会いに行くというのが目的であり、優斗がいないのなら来る意味も無かったからだ。
だけど去年は志望する高校の文化祭ということで、5年ぶりに訪れた。その時たまたま見た体育館のステージで、軽音部員が演奏しているのを見たのだ。
「それでわざわざ自分も始めるなんて、よっぽどあの演奏が気に入ったんだ」
「う~ん、それも全く無いわけじゃないんだけどね」
曖昧に答えると、真由子は首をかしげた。
「なに?まだ他に理由があるの?」
正確に言うと、演奏を聞いているうちに優斗のことを思い出したのが理由だった。
もちろんそれ以前から、優斗の存在を忘れたことなんて一度も無い。だけどステージで演奏しているのを見て、かつて同じ場所にいた優斗の姿が、生きていればまたそこに立っていたであろう姿が、鮮明に頭の中に描かれた。
それと同時に、自分がもらってから一度も音を奏でる事の無くなったベースのことを思い出した。
もし優斗が生きていたなら、あれからもあのベースで色々な曲を弾いていただろう。なのに自分はただ眺め、思い出に浸るだけ。今更ながら、それが何だかとても申し訳なく思えた。
文化祭から戻った藍は試しに適当に音を鳴らしてみて、ネットで引き方を調べてみた。
もちろんすぐに弾けるはずもなく、一音ずつ鳴らすだけで精一杯だったけど、そうしていくうちに段々と、もっとちゃんと弾いてみたいと思うようになった。
これが、藍が音楽を始めた真相だった。とはいえ……
「他の理由もあるにはあるけど、長くなるからやめていい?」
真由子の問いに藍は言葉を濁す。中学のころ知り合った真由子は、優斗のことを知らない。そんな彼女にきちんと説明しようとすると、自らの初恋についてもあれこれ語ることになりかねない。
それは決して嫌じゃないけど、彼女にも言った通り長くなるだろうし、それに何だか少し恥ずかしい。話すにしても、きちんとした心の準備が必要だった。
「まあ、それならいいけど」
真由子はまだ少し気になっているようだったが、それ以上聞いてくることは無かった。
代わりに、思い出したように言った。
「そういえばここの軽音部ってあんまり人がいないって聞いたけど、そうなの?」
「うん。確か去年の時点で、三年生が二人だって言ってた」
それは去年の文化祭で、ステージに立った当時の部員自らが言っていたことだ。今は三年生二人しかいないけど、これを見て興味を持った人がいたらぜひ入ってほしいと。
「ちょっと待って。三年生二人ってことは、その人達は卒業していないよね。それって、今は部員ゼロってことじゃない」
「あのあと誰も入ってなかったら、そうなるかな」
「そんなんでやっていけるの?下手すりゃ藍一人だけしかいないじゃない。藍だってそんなに経験長いわけじゃないでしょ」
長くないどころか、始めてからまだ半年くらいしかたっていない初心者だ。人前で演奏したことだって無い。真由子が心配そうに言うのも無理はなかった。実際、藍だって不安は大きい。
「特別入りたい部活も無いし、私も入部しようか?あ、でも楽器とか揃えるのにお金かかるか」
「無理しなくていいよ。でもありがとね」
一から音楽を始めるとなると、それにかかる費用は決して安くは無い。藍には優斗の使っていたベースがあったけれど、それでもチューニングを頼んだり諸々の部品をそろえたりして最終的には結構な額になった。興味を持って入ってくれるのならともかく、人数が少ないからという理由で付き合わせるわけにはいかなかった。
「そう。でも本当に大丈夫なの?」
「人がいないならいないでじっくり練習できるから良いかな。それに、私以外にも入ってくれそうな当てはあるから」
藍はそういうと教室の一角へと目をやった。真由子もその視線を追うと、その先にいた人物を見てああと声を上げた。
「そういえば、アイツも最近楽器始めたって言ってたっけ」
「うん。ギターだよ」
彼女等の目が向けられた先には、同じく中学のころからの同級生がいた。藍にとっては小学校からの同級生だ。
三島啓太。彼もまた高校生となり、この学校に入学していた。
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