第10話 時は流れて2


 優斗が生前使っていたベース。それをなぜ今藍が持っているのか?その理由を語るには、再び優斗の葬儀の日まで時間を遡ることになる。



 葬儀も終わり参列していた人達も帰ろうとしていた時、喪主を務めていた優斗の父親が皆の前に立った。


「皆さん、これは優斗が生前使っていたものになりますが、どれも私達が持っていても必要ありません。もしどなたか欲しいと言う方がいるなら差し上げます。大事にしている人に持ってもらった方が息子も喜ぶでしょう」


 そう言って、部屋の隅にいくつかの優斗の私物が並べられた。その中には藍にも見覚えのある物がいくつかあったが、特に目を引いたのがこの白いベースだった。

 亡くなる前、優斗がたくさん練習していたベースだ。それが目に入るや、藍はまるで吸い寄せられるように近づくと、気づいた時には手を伸ばしていた。


「藍、それはお前がもらっても仕方のないものだろ」


 そんな藍の様子を見て、そばについていた父親が言った。それはもっともな意見だ。藍はもちろんベースなんて弾くことができない。奏でる事の出来ない人間が楽器を持つことに一体何の意味があるだろう。

 それでも藍はそのベースから目が離せなかった。優斗は生前、毎日のようにこれを持ち歩いていたため、ここにある物の中でも一番優斗のだという印象が強かったからだ。


「藍、もう行こうか」


 中々その場を離れようとしない藍に、父親が促すように言った。

 藍は名残惜しそうにしながらも、とうとうベースから手を離す。だけどその様子を近くにいた優斗の父親が見ていた。彼は藍たち親子の元に近づいて来て、言った。


「それが欲しいのなら差し上げますよ。さっきも言った通り、私達が持っていてもどうせ使いませんから」

「いえ、ですが……」


 遠慮しようとする藍の父だったが、藍自身はそれを聞いて再びベースに目を向ける。

 たしかに、これを弾くことのできない藍にとって、ベースなんてもらっても意味がないかもしれない。だけどそれはただのベースだったらの話だ。これは違う。

 これは優斗が大事にしていた物だった。いつか自分のために曲を弾いてくれると約束してくれたものだった。それを思い返すと、たとえ使う事が無くてもみすみす諦めるのは惜しいと思った。

 藍は再びベースへと手を伸ばし、それをガッチリと掴む。そんな娘の姿を見て、父親もこれ以上何か言うのを諦めたようだった。


「本当に頂いてもいいんでしょうか?」


 決して安いものではないので、最後に念のためもう一度優斗の父親に確認を取る。しかし彼は実にアッサリと頷いた。


「ええ、構いませんよ。どうぞ持って行って下さい」

「すみません」


 恐縮する父親をよそに、藍は持っていたベースを抱きしめるように抱え込んだ。こうしていると、まるでこれを演奏している優斗の姿が目に浮かぶような気がした。


「ほら、藍。ちゃんとお礼を言いなさい」

「うん」


 言われて藍は優斗の父親へと向き直る。優斗はともかくその家族とはそこまで多く話した事が無かったので、こうして向かい合うと少し緊張する。

 それでも、勢いよく頭を下げながら感謝の言葉を伝える。


「ありがとうございます。ずっとずっと、大切にします」


 こうして、優斗の愛用していたベースは藍の手へと渡る事となった。藍はそれを貰ってからというもの毎日のように練習に励んだ……かと言うとそうでは無かった。

 なにしろベースなんて基礎も知らないし、誰かに教わろうにも知っている人は周りに誰もいなかった。

 藍はただ、それを優斗との思い出の品として大事に部屋に飾っていた。決して使われる事の無い楽器を大事にしている娘に両親は苦笑したが、その後もベースは藍の部屋のオブジェとして鎮座し続けた。


 そんな扱いに転機が訪れたのは、藍がそれを受け取ってから5年ほど経ってからのことだった。

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