ミス研の女部長は人使いが荒い
「……太郎! 起きて! 京太郎!」
闇の中、僕の名前を呼ぶ声がする。体が揺さぶられている。ばっ、と布団が剥がされると、途端にひんやりした空気が僕の全身をぺろりと舐めて、僕は唸って体を丸めた。
薄っすら目を開けると、明るいブラウンのピーコートにベージュの毛糸の帽子というお出掛けスタイルの女子が不機嫌な顔でこちらを見下ろしていた。僕は寝惚けた頭でなんとかそれが中学からの同級生、間村美沙である事と、今が朝で、彼女に起こされたのだと言う事を認識し、挨拶をした。
「あ……間村。おはよう」
「おはようじゃないわよ。今何時だと思ってるの? 九時に迎えに来るって言ったよね? 」
体を起こし、目を擦りながら時計を見れば、カップ麺の懸賞であたったキツネ型のそれは「9:08」を表示していた。
「……迎えに来ることは了承したけど、『じゃ、僕は9時までにバッチリ支度して出迎えるから』みたいな約束はしてない」
「屁理屈。女の子が迎えに来るんだから、身嗜み整えてすぐ出られるようにしとくのが当たり前でしょ! 大体男のあんたが迎えに来なさいよ」
「部の資材の買い出しの荷物持ちを承諾はしたけど、僕は頼まれた側であって、そもそも部長である君が主体の用事だろう」
「部員であるあんたが先回りして、『買い出し手伝いますね。いつにしますか? 』ってリードするべき案件でしょうが。仕事ができないだけならまだしも、寝坊に面倒なもっともらしい理由こじ付けて正当化しようとしたりしないの」
「……」
「寝坊してごめんなさい、は? 」
「……寝坊してごめんなさい」
「支度するから10分待ってください、でしょ」
「支度するから10分待ってください」
「よろしい」
彼女は、その性格を知らない一般男子なら充分に可愛いと思うだろう笑みを浮かべて
「じゃ、私下でコーヒー頂いてるから」
と言って階下に降りで行った。
僕は、彼女に見られちゃまずいようなものが出しっ放しになってないか部屋を見回した。幸い、エッチなグラビアも考え事する時メモのノートも収まるべき秘密の場所に収まっていた。
全くいつもの見慣れた部屋。
その中に僕は一つだけ、見慣れない黒い猫のマスコットを見つけた。
ワンショルダーのバッグのDカンに付いたキーホルダー。
……こんなの持ってたっけ???
***
僕の名前は志村京太郎。
北星ヶ谷高校2年生。部活はミステリー研究会。通称ミス研。部活と言っても「部」としては認められてなくて、同好会なんだけど。
ミス研部長の間村美沙は、中学からの同級生。ミステリ好きを自称してはいるけど、その情報源のほぼ全てがマンガ・アニメ・ドラマという今時ユーザー。せめて観た番組の原作くらい手に取って欲しいな……。
それはそれとして、ミス研なんてやってると、およそミステリなんて関係ない厄介事の解決を、なんだかんだとミステリにかこつけて頼まれたりするんだな。
失せ物、掃除に、洗濯、迷子。世話好きの女部長がホイホイ引き受けるもんだから、部員はいつも大忙し。
今日は春の新入生歓迎ブースの材料の買い出し。
コミュニケーション能力だけはある我らが有能な女部長殿は、入学式の部員勧誘活動において、どうやったものか並み居るメジャー部活を尻目に正門前花道沿いの一等地に長机x長机の勧誘ブーススペースをもぎ取ったのだった。
スペースが取れたからには、一丁カッコイイブースを作って部員を呼び込むぞ、と意気込む女部長。えいえいおー! とは言ったものの、なんだかまた面倒なことになりそうな気配。
え⁉︎ 買い出しって都内まで出るの⁉︎
たった1つの命を大事に!
見た目はオタク頭脳はマニア!
我ら! 北星ミステリー研究会‼︎
***
北星ヶ谷駅で電車を待つ。
「あれ? 千田と宇田は? 」
「 なんか2人とも用事が入って、来られなくなったって。全く。持ち切れなくて配送になったら代金水増しして踏んだくってやる」
間村は答えたが、その間にはほんの少しの--彼女をよく知るものでなければまず気付かないような--逡巡があった。
「そう言えばさ、さっきはなんの夢見てたの? 」
話題の転換もどこか唐突な感じがしたが、僕は追求せずにその話題に乗った。
「夢? 」
「そ。なんかシリアスな感じでモゴモゴ喋ってたわよ。短く叫んだり。誰かを呼んだりしてる感じだったな。ね、どんな夢? 」
僕は答えようとして、その答えが僕の中にないのを知った。
おかしいな。ついさっきまでは確かに。見ている夢の世界な両足で立って、その空気を呼吸していたのに。その感覚自体は今でも、ほら、右手には握っていたあの感覚。硬い……なんだろう。何かを握っていた感触すら生々しく残っているのに。
「……うーん。思い出せない」
「珍しいね。京太郎にしちゃ。あんた普段はすっごい細かいどうでもいいことをかなりハッキリ覚えてたりするのに」
「あ、そう言えば間村。僕のバッグに猫のキーホルダーとか付けたりした? 」
「ネコのキーホルダー? どれ? 」
「これだよ。この黒猫の……あれ? 」
起き抜けに確かめた時、バッグのDカンに下がっていた猫のマスコットが消えている。
「おかしいな。確かにここに……」
「寝惚けてたんじゃないの? あ、電車。来たよ」
都営地下鉄乗り入れのシルバーの車体が滑るようにホームに進入する。
しつこくバッグを探って猫のマスコットを探していた僕は、女部長に引っ張り込まれるようにして電車に乗った。
どうやら今日は、いつもの調子が出ないギクシャクした一日になりそうだった。
***
電車の中で彼女は、作るべきブースの装飾品について、ノートに描かれたイメージイラストを示しながら説明した。
長机を土台に、四隅に角材の支柱を立て、支柱と支柱の間に発泡スチロールの板を渡してそこに立体の文字を貼り付ける、というものだ。
「どう? 実現可能な装飾としては本格的な雰囲気でしょ? 」
「うーん……」
「何? 」
「この構造だと発泡スチロール板と角材の接着が強度不足じゃないかな」
「そう? 厳密に計算した訳じゃないけど、発泡スチロールならボンドで充分なんじゃ……? 」
「確かに室内にそっと置いとくなら充分だとは思うんだけど、今回は外だから……」
「あ! そうか。風か。考えてなかった。強い風来たらバリって行っちゃうかな」
「多分。そう考えると、板自体スチロールは避けたい。出来たらムクのツライチの板か、少なくともベニヤにして……」
「待って。それだと重さがあり過ぎる。土台は事務机なんだよ? 事務机と支柱の固定は樹脂のロックタイでするつもりだったの。ベニヤ打ち付けた支柱、風に煽られたら伸びるか切れるかしちゃうかも」
「太めの針金捻って締め付けたら? 」
「事務机は学校の備品よ。傷付けたり壊したりするわけには行かないよ」
「うーん……」
僕らは考え込んだ。ふとシャンプーの香りが鼻腔をくすぐる。一冊のノートを覗き込みながら、気付くと僕らの距離はどきりとする程に接近していた。彼女の細いうなじを目の前に意識してしまった僕は、顔が熱くなるのを感じながら、さりとて急に距離を開けるのもおかしいと判断し、ぎこちなく固まった。
「? どしたの? 」
「いや。少し加工は手間だけど、板自体はスチロールで作って、スチロールの上下だけ支柱より細い板か棒かをフレームにして支えたらどうだろう」
「一緒じゃない? 強い風が吹いたらそのフレームから剥がれちゃう」
「だからこう……」
僕は彼女の膝の上のノートを自分の膝の上に取り、さっさっと簡単な図を書いた。
「……薄い2枚の板でスチロールを挟むんだ。上と、下とで。固定は木ネジ。これなら軽量化できるし、ちょっとやそっとの風なら耐えると思う。念の為、長机には砂袋か水タンクか、強風対策の錘になるようなものを固定した方がいいかもね」
「事務机は三つ借りられるから、コの字型に並べて、机同士もロックタイで固定したらどうかな。そうすればそう簡単には倒れないと思うけど」
「いいアイデアだ」
僕がそう言うと間村は、ぱっ、と花が咲いたように笑顔になった。
可愛い。
僕は彼女の性格をよく知った上で、その時素直にそう思った。
***
土曜日の帝急ハンズ池袋店は、薄曇りの天候にも関わらず盛況だった。
弦楽コンサートのポスター。リアル脱出ゲームの開催告知。グルメフェアはカレー大会で、日本のカレー処「銀座蒼灯堂」やインド料理「レッドスネイク」が期間限定で出店している。
帝急ハンズも変わったな。昔は本当に大きいだけのホームセンターみたいな感じだったのに。
「ん? 」
「どしたの? 京太郎」
「今、猫の鳴き声がしなかった? 」
「ネコ? ペットショップは7階でしょ? 」
辺りを見回すが、確かに猫がいる筈もない。なんだろう。何か引っ掛かりを感じる。その引っ掛かりについて考えようとすると、僕の頭は急に重たくなって、麻痺したように動かなくなった。
「京太郎どしたの? 大丈夫? 」
「ん。ああ。平気」
僕は彼女を心配させまいと、妙な胸騒ぎを意識の隅に追いやった。
それから僕らは電車内での打ち合わせに基づき、角材の類は地元で買うとして、その他の材料をテンポよく買い揃えて行った。
「あら、間村さんに志村くん」
DIYのブラックライトのコーナーで、光る星の飾りを検討してた僕らは、そう声を掛けられて振り向いた。
ゆるふわなウエーブの髪。真っ白なファーコート。短いタイトスカートにスウェードのロングブーツがよく似合っている美人さん。
同じ高校の三年生、津原百合先輩だ。津原先輩はミス研所属だが、例年うちではこの時期の3年生は実質引退しているので、ちょっと暫くぶりだった。隣に見知らぬ男性を連れている。彼氏さんかな。
「お疲れ様です。百合先輩」
間村がそう挨拶し、僕はぺこりと頭を下げた。
「お疲れ様、と返すのも変かしらね。今は活動中でも学校でもないし。買い出し? 2人で? 」
「 はい」
「へえ」
元々笑顔だった先輩の笑みが、一瞬質の違いを見せたように思えたが、先輩も間村もそれ以上その話題には触れなかった。もちろん僕もそれでよかった。
「あ、こちらは3年の香川次郎さん。私の恋人よ」
津村先輩はなんの衒いもなくそう彼氏さんを紹介した。
紹介された香川先輩はちょっと困ったような顔をしたが、
「どーも。津村さんとお付き合いしています。恋人の、香川です」
と、これまた堂々と名乗り、白い歯を見せて笑った。その笑みはスポーツマン風の背の高い容貌と相まってとても爽やかな印象を形作り、その瞬間の2人は正に美男美女のお似合いのカップルを体現していた。
「よろしくお願いします。ミス研2年の志村です」
初対面の香川先輩に対して、先に挨拶を返したのは僕だった。間を置かず女部長も挨拶を返すものと思ったのだがその気配がない。隣の彼女に目をやれば、耳まで真っ赤になって固まっていた。僕は肘で軽く彼女をつついた。
「あ、ミス研2年の間村です。部長やってます。一応」
石化の呪縛を解かれた彼女は少し焦った感じではあったものの、なんとか噛まずにそう自己紹介を返した。その一連の間村美沙の様子に、僕の頬は緩むと共に、鼓動は少し速さを増した。
待てよ。これは。やばいパターンの奴では……? いやしかし。けどこの感じは。
「志村君に間村さんか。なるほど。可愛い部長さんだね」
香川先輩はさらりとそう言ってのけた上で、また爽やかに微笑んだ。
その瞬間、胸にひとかたならぬ不愉快さと怒りに近い拒絶の気持ちが生じたのを、僕は認めない訳には行かなかった。
ああ。僕は。間村美沙が好きなのだ。
間村美沙も、僕のことが好きだったらどんなにいいだろう。
「私たち、買い物ついでに、ここのイベントに参加しに来たの」
「カレーフェアですか? それとも弦楽四重奏のコンサート? 」
赤くなったまま何も言わなくなった間村の代わりに、僕は津村先輩との会話を続けた。
「ううん。もう一つの。ポスター見なかった? 」
「あー、リアル脱出ゲームですね」
「そ。『怪盗黄金仮面からの挑戦状! 時限爆弾大爆破‼︎ 』」
「そっか。先輩が好きなの、割と古典のそれ系のミステリでしたもんね。少年探偵団とか二十面相とか」
「そーなの! もう参加するしかないって感じで」
「俺も前から一度やって見たかったんだ、リアル脱出ゲームって奴。けど謎解きができなかったらカッコ悪いし。でもミス研の百合が一緒なら、クリアは確実かなって」
香川先輩が自然な感じで津村先輩の後を繋いだ。
くっ。なんだこの滲み出るコミュニケーション能力の高さとリア充感は。
「良かったら君たちも一緒に参加しないか? 残念だけど俺は余り本は読まないし、クイズや謎解きには自信がない。けど参加するからには絶対にクリアしたい。ミス研が3人揃えば、よっぽど理不尽な問題が出ない限り楽勝だろう。どうだい? 勿論君たちの都合が許せば、だけど」
ああ〜この人はこうやって周りの色々な人を楽しいことに巻き込んでは、どんどん友達を増やすんだろうな〜みたいな気持ちを0.2秒で笑顔に隠し、僕は
「買い被りですよ。でもま、怪盗の挑戦を尻目に買い物だけして帰ったとあっちゃ北星ミス研の名がすたります。及ばずながらご一緒させて頂きます」と答えた。
「ね。部長」
何かしらのキャパオーバーで固まったままの間村に声を掛けると、彼女は
「はいっ」
と場違いに元気な返事をした。
僕らは声を上げて笑った。
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