第99話 アクアリウスの旅立ち

「どうなっても知らんぞと言ったのになぁ。アクエリちゃん……! これでおぬしはノウレッジの言うことを聞かなければならなくなったわけじゃ……」

「ど、どういうことですか!? ミズさん! ノウレッジくん!」

「ノウレッジよ! 命令してやるのじゃ! この愚かなアクシズ教シスターに!」

「はい、ミズさん! ……アクシズ教第一シスター、アクアリウスよ。本日をもってお前をこのスルアムの街のアクシズ教会シスターから解任させる!」

「な、なにを言い出すんです!? ノウレッジくん! そんなこと……」

「そして!!」


 アクアリウスの反論を押し消すようにノウレッジは大声を上げた後に、柔らかい声でアクアリウスに命じた……。


「この街から出ていった英雄を追い、その者の罪を許しに行きなさい……。それがあなたの使命です……」

「え? そ、それって……」


 アクアリウスは呆気に取られて口を開ける……。茫然と立ち尽くしているアクアリウスの肩をミズが叩く。


「そういうことじゃ。あのアホ英雄を追っかけて目を覚まさせて来るんじゃ! アクエリちゃんにしかできんことじゃよ……」


 アクアリウスはようやく事情を呑み込むことができた。『はぁ』とため息を吐きながら、アクアリウスは眉間にシワを寄せてミズとノウレッジに詰め寄る。


「仕掛け人はミズさんですね!? こんなタチの悪い冗談をやるなんて! こんなの無効です! 私はこの街で……アクシズ教のシスターとして人々を導く役目があるんです!」

「はぁ。真面目じゃのう……。だが、無効だと思っているのはどうやらアクエリちゃんだけじゃぞ?」


 ミズが視線を教会の入り口の方に向ける……。アクエリもミズの視線を追うように、入口に視線を向けた。そこには三人の少年少女がいた。アクエリとともに簡素な家で暮らしていた子供たち……、コウ、カイそしてマリである。


「オレ達もちゃんと聞いてたぞ! 姉ちゃんがそこの兄さんを司祭にするって言ってたの! 司祭の言うことは聞かなきゃいけないんだぞ!」


 カイが大声で叫ぶ。隣でコウも大きく頷く。マリは決意したような顔をしていた。


「お姉ちゃん、大丈夫だよ! お姉ちゃんのシスターの仕事は私がやるから!」

「マリ……」


 アクアリウスは唇を噛み締める……。


「ありがとう……。三人とも。……ノウレッジくんとミズさんも気を遣ってくれてありがとうございます。でも、やっぱり私は……」

「……なんの心配があるんじゃ?」

「……私にあの人の罪を許すことができるんでしょうか……? あの人は自分が死ぬことで罪を償おうとしています。それも相当に堅い意志を持って……。そんな大きな罪を許してあの人を生かすことが私にできるのか……、不安なんです……」

「何を言っとるんじゃ! アクエリちゃん!」


 ミズはアクアリウスの双肩に手を置く……。


「あの小僧がどれだけの業を背負ってるのか、ワシは知らん! じゃが、これだけははっきりしておるわい! あいつが真っ先に償わなければならん罪が何なのか!」

「カズヤさんが真っ先に償わなければならない罪?」

「そうじゃ。あいつが過去に何をしたのかワシは知らん。人を騙したのか、物を盗んだのか、人を殺したのか、何をしたか知らんが、あいつの一番の罪は、アクエリちゃんを泣かして心配させていることじゃ! 自分のことを好いてくれている女を泣かせる以上の罪がどこにあるというんじゃ! 死んだワシのボケ旦那でもわかることじゃ。アクエリちゃんは堂々とあのアホ英雄を怒ってやれば良いんじゃよ! 死ぬよりも生きて償わなければならん罪があると! アクエリちゃんを心配させて泣かせた罪は生きていなければ償うことはできん! そうじゃろ!」

「……はい……」


 アクアリウスは目に涙を浮かべながら、ミズの言葉に頷く……。


「さて、あのアホ英雄を追うことが決まったところで……、準備をせねばならんな! シスターさーん!」


 ミズが叫ぶと教会のシスターたちが入口から顔を出す……。その内の一人が新調されたシスター服を用意していた。シスターは新調されたシスター服をアクアリウスに手渡す……。


「これは……?」

「見ての通りじゃよ。街の外に行くんじゃ。そんな継接ぎだらけの服で行くわけにはいかんじゃろ?」

「だ、だめです。ミズさんも知ってるでしょ! 私が着ているシスター服はスルアムの妻であり、シスターだったご先祖様から代々伝わって来た大切な……」

「ああ、知っておるよ。そして、先祖から代々伝わっているということが嘘じゃということも……」

「う、嘘!? 嘘ってどういうことですか!?」

「アクエリちゃんのひいばあちゃんがシスターだったころの話じゃ。この街を飢饉が襲ったんじゃ。王国から食糧を買うしかなかったのじゃが……、王国の奴ら法外な値段で食糧を売りつけてきおったんじゃ。だが、それでも買わなければ皆が飢えてしまう。じゃから、当時のアクシズ教司祭とシスター……、つまり、アクエリちゃんのひいじいちゃんとひいばあちゃんが売れるものは全部売って、お金にして食糧を買ってくれたんじゃ。スルアムの街のために……。その時からじゃよ。継接ぎのシスター服を着だしたのは……。アクエリちゃんのひいばあちゃんは立派な人じゃったからのう。シスター服を継接ぎにしてでもお金を工面してくれておったのじゃ。そのことにワシらがお礼を言うと、彼女は嘘を言ったんじゃ。これは代々伝わるシスター服だから継接ぎだらけなんです、とな。嘘だとわかっておったが、そこまで気を遣ってくれるシスターに皆感謝しておったわ……。まあ、そのせいでアクエリちゃんの代までそのボロボロのシスター服を着続けないといけないハメになったわけじゃが……、それももう終わりにして良いじゃろうて」

「そう、だったんですか……。……じゃあ、やっぱり、このシスター服を着続けないと……。ひいおばあちゃんの思いがこもっていますから……」

「だあ、もう! どんだけ真面目なんじゃ! とにかく、外に出るときはこれを着なさい! 折角アクエリちゃんのためにシスターさんたちが作ってくれたんじゃぞ! 着ないと逆に失礼じゃろ!」

「わ、わかりました! すいません! そして、ありがとうございます……!」


 アクアリウスはお礼を言って、シスター服を確認する。


「……このシスター服、スカートがえらく短くないですか?」

「……最近、流行りのミニスカートというやつです」とシスターが答える。

「こんな破廉恥なの着られるわけないじゃないですか!? もっと丈が長いのにしてください!」

「やっぱり駄目ですか……かわいいのに……」


 そう言いながら、シスターはあらかじめ用意していた長いスカートをアクアリウスに渡す……。


「まったくもう……」

「さあさあ、アクエリちゃん! 早速着て来るんじゃ!」


 ミズが促すと、アクエリはシスターの控室に入って行った……。アクエリがいなくなったところで、ミズはノウレッジに話しかける。


「本当に行かせて良いのか? おぬしもアクエリちゃんのことを好いとったんじゃろ?」

「……昔のことです……。なによりアクエリにとって、カズヤ殿こそが必要な存在なのです……」

「諦めの良い奴じゃのう……。わしがおぬしなら無理矢理にでも引きとめるがのう……」


「ど、どうですか……。似合ってますか……?」


 着替え終わったアクアリウスは、控室から出てきて、ミズたちに尋ねる……。


「うむ、よく似合っとる……。ノウレッジもそう思うじゃろ?」

「え、ええ……。凄く似合っていると思います……」


 ノウレッジは新調したシスター服を着たアクアリウスの印象の違いに思わず赤面してしまい、視線をそらす……。


「本当に諦められるのかぁ?」


 ミズがいたずらっぽく笑い、ノウレッジに問いかける……。ノウレッジは「ごほん」と咳払いをひとつして、「茶化さないで下さい……。私の意志は変わりませんよ!」と答えた。


「さて、着替えも終わったことだし、アクエリちゃんに皆から餞別があるみたいじゃぞ?」

「餞別?」


 ミズが合図をすると、教会に多くのスルアムの住人が入って来た……。


「み、みなさん帰ったんじゃ……」

「ミズさんに言われてね……。帰ったフリをしてたんだ……。サプライズって奴だよ……」


 住人を代表して中年の男が手に持った風呂敷をアクアリウスに手渡す……。アクアリウスは風呂敷を広げ、中身を確認する。


「こ、これは……」


 アクアリウスは目を丸くしてしまう……。風呂敷の中にはたくさんの金貨や宝石が入っていたからだ……。


「こ、こんな高価なものいただけません!」とアクアリウスが拒否しようとすると、代表の中年が口を開く。

「皆でワルモン教から取り戻した財宝を平等に分けあった上で、残った分をどうするか話し合ったんだ。みんな答えは一つだったよ。ワルモン教の悪夢の中、たった一人で立ち向かい続けたアクエリちゃんにあげるのが筋だってね……。もし、アクエリちゃんが受け取らないなら、これは捨てなきゃならない……。……もらってくれるね……?」

「み、みなさん……」


 アクアリウスは教会にいる住人を見渡す……。


「貰っておいた方が良いですよ。アクアリウスさん! なんせ、あの緑の防具の青年が転移魔法で向かった先は魔法都市『マグイア』ですからね!」


 ギルドの目付きの悪かった受付嬢が笑いながらアクアリウスに伝える。


「マグイア?」とアクアリウスは聞き直す。

「アクアリウスさん、マグイアを知らないんですね。お金持ちの魔法使いが集まる街だと、私は聞いています。お金は多い方が良いと思いますよ!」

「客の個人情報をそんなにペラペラしゃべっていいのか?」


 気合の入った男の声がする。反乱分子のリーダーだったレジストが発言したのだ。


「別に構いませんよ。アクアリウス様が必要とするならば、個人情報を守る必要などありません!」


 レジストは受付嬢の屁理屈に苦笑いを浮かべ終わると、アクアリウスに話しかける。


「アクエリさん、オレ達はまだ、英雄とやらに……そのカズヤって男に礼を言ってねえ……。みんなそうだろ? まだ礼を言ってねえよな!」


 レジストの言葉に、住人達は反応を始める。


「そうだ、お礼を言わなきゃな!」、「どんな奴か会ってもないからな」、「一目見たいわぁ。アクエリちゃんが見初めた子だもの。どんな男前か、ね!」


 住人が話している中、レジストが再びアクアリウスに話しかける。


「あと、オレはそのカズヤとかいう奴に文句を言いたいんだ。オレが潰すはずだったワルモン教をよくも勝手に潰してくれやがったな、ってな。そして、アクエリさんを悲しませてんじゃねえよってな。一発殴ってやらなきゃ気が済まねえ……。……だからよ。必ず連れて帰ってきてくれよな……」

「レジストくん……。みんな……。……わかりました! 必ずこの街を救った英雄を連れて帰ります! 彼が背負っている罪を生きて償わせるために……! 皆のお礼を受け取ってもらうために!」

「あ、あの……」


 目の下に隈がある一人の少女が話しかける……。元ワルモン教十司祭の一人ぽいずんである。


「女性の一人旅は危ないと思うので……。これを……」


 ぽいずんは小さな袋を手渡す……。袋の中には黒いビー玉くらいの大きさの玉が入っていた。


「これは……?」

「う、ウチが作った痺れ玉です。これに魔力を流して投げると破裂して痺れガスが出ます。護身用に……」

「あ、ありがとうございます……」


 ポイズンからの護身用アイテムを貰ったところで、アクアリウスは住人達に向かって姿勢を正す……。


「みなさん、ありがとうございます! そして……、行ってきます!」


 アクアリウスはスルアムの街を出ていった……。最愛のカズヤに再会するために……。そして、彼をスルアムの街の英雄として連れて帰るために……。

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