Nekology入門

紫水街(旧:水尾)

いつかまた刺激的な日々

いつかまた刺激的な日々 - 1

 ごめんね、君と付き合うことはできないんだ。

 本当に申し訳ないと思ってるよ。うん、君が一体どれほどの勇気を出して私にそれを伝えたのかは、重々承知しているつもりだ。君の緊張は、体温や心拍数の上昇を見れば明らかだからね。

 きっと何日も悩んで、悩んで、とうとう心を決めたんだろう。私という存在にそれほどの時間を費やしてくれたことを嬉しく思うよ。

 ああ、でも勘違いしないでほしいんだ。私は君のことを嫌っているわけではないし、君が魅力的でないというわけじゃない。それどころか、君はいつも私にいろいろなことを教えてくれて……君と過ごした日々は、なんというか、実にだった。その観点からすれば君はとても魅力的だし、私は君のことが大好きだ。

 じゃあ、どうして付き合えないのかって?

 そうだなあ……仕方ない、君には特別に教えてあげよう。これ、本当は言っちゃいけないんだよ。絶対に漏らしてはいけない秘密なんだから。

 実は私、人間じゃないんだ。

 あ、信じてないでしょ。まあそうだよね。いきなり人間じゃないなんて言われても正直困ると思う。

 でもこれは本当の話なんだ。

 私は太陽よりも遠くの星からやってきた。私の職業――地球の言葉だと職業よりも天命のほうが近いかもしれないね――は惑星の調査員だ。うん、そうそう。地球の調査。

 何を調査するのかって?

 それはもう、全部さ。人間だけを調査しに来たわけじゃないからね……まあ人間は特に重要な調査対象の一つではあるけれど。

 目的?

 うーん……そうだね、ざっくり言うと「移住」さ。

 私たちの星では、地殻変動により生命が絶滅しようとしている。それは私たちにとって、あまり好ましいことではない。

 あ、いや、違うよ。私たちはそんなことでは滅びない。本来の私たちは、この星の生物のように物理的な身体を持たない。ただの思念体なんだ。単体で物理的存在に干渉することはほとんどできない……そうだね、君の知っている概念に置き換えると幽霊ってやつかな、つまりはそんな感じの存在なんだ。だからこうして、他の生物の身体をちょっと「使わせてもらって」いるわけだ。

 さて、とはいえ私たちは、あまりこのどっちつかずな状態を好まない。何も感じないし何もできないし、要するにつまらないからね。他の生物の身体の中にいたほうがとても快適だし、刺激的だ。

 というわけで、生命が滅びかけている私たちの星は今や住みよい場所ではなくなったのさ。私たちは、それに代わって身体を借りられるような新たな知的生命体を探しているというわけだよ。

 人間? ああ、残念ながら人間は却下だ。集団で生活しているし、社会形態が複雑すぎる。私たちが身体を使っていると、どうも周囲に違和感を撒き散らすらしいんだな。

 えっ、君も感じてたって?

 嫌だなあ、そうならそうと言ってくれよ。で、どのあたりが?

 言動が? 刺激的すぎた?

 うーん、そうか……頑張ったんだけどなあ。

 まあいいや。そういうわけで、私たちが仮に地球を移住先に決めたとしても借りるのは人間じゃない。私たちが身体を「間借り」するには、もう少し本能的に行動する生命体のほうが都合がいいのさ。

 それから絶滅の危険性がかなり低いほうがいいな。でないとまた今回のように移住先を探す羽目になるからね。

 そして何より、豊かな感覚器官を備えていることを私たちは重要視している。

 身体を借りていない状態の私たちには、「感じる」ということができない。これはね、とても味気ないのさ。

 私たちに寿命という概念はない。この宇宙が存在し続ける限り、私たちもまた半永久的に存在し続けると言ってもいいだろう。

 思念体のままで過ごすのは、とても退屈なんだ。想像してみてくれよ。何も感じられない、何もできないままぼんやりと存在し続けるなんて、退屈で退屈で、考えるだけで死んでしまいそうになるだろう? おまけに死にたくても死ねないんだからね。これはもう、拷問にも等しい苦しみだ。

 何も感じないのに苦しみは感じるのかって?

 おいおい、揚げ足を取らないでくれよ。私が言ってる「感じる」は外界からの刺激を知覚するという意味だ。

 というわけで、私たちは刺激を求めている。これは君たちの考え方と少しだけ似通っているかもしれないが……ただ存在し続けるにも理由や目的ってやつが必要なのさ。

 君たちの中にも「生きてる理由」なんてものを探してる個体が一定数いるだろう? ただ生きていくだけじゃ満足できないんだ。私たちだってそうさ。常に刺激的なものを探している。

 だから他の生物の身体に入って様々な感覚を楽しむのが、そうだな、言うなれば生き甲斐ってやつなんだよ。

 人間の五感はなかなかに優れていてありがたかったね。目に映る風景。聴こえてくる音。味。香り。手触り。毎日が実に刺激的だった。楽しかったよ。だってほら、身体を借りる一番の目的はそれだから。

 まあ、このくらいかな。

 現在の私たちは幾多の惑星へ調査団を送り込み、この条件に最もよく合致する存在を探している最中なんだ。

 どうやって帰るのかって?

 ああ、帰るという言い方は適切ではなかったかもしれないね。

 私たちに「距離」の概念はない。だって肉体を持たない以上、この宇宙の物理的な距離にも特に意味はないんだから。どれだけ離れていようが関係ない。

 私たちがいるのは、常に「自分が望んだ場所」だ。思念体の私たちはどこにでもいて、どこにもいない。この地球にいたいと思えば私はこの地球にいるし、帰りたいと思えば私はすでに故郷にいるんだよ。

 とまあ、少し話は逸れたがこんな感じだ。私がわざわざこの星までやってきて人間の身体を借りているのは、その調査のためなのさ。

 そして実を言うと、もうすぐ調査は完了する。今はもう、結果が共有されて移住先が決定されるのを待っている状態だ。

 うん。うん、そうだね。調査が終われば私も星へ帰り、それから調査結果に基づいて最適な星の最適な生命体の中に少しずつ「移住」していくことになる。

 付き合えない理由はそれなのかって?

 うーん……君の言う「付き合う」が何を意味するかによるんだな、それは。

 もし仮に君が性交渉を目的としているのであれば、それは可能だ。私がこの星を去るまでにはあと少しだけ時間が残ってるからね。いくらでも交わるといい。何なら今からでも。

 ……なんだい、その顔は。子孫を残すことが人間の本能じゃなかったのかい?

 うん? なるほど。へえ。ただ残すだけじゃいけないのか。まず好きになって、心が通い合ってから?

 それから段階を踏んで?

 おいおい、なかなかこだわりが強いな。そのあたりは、やっぱり私たちにはどうしても理解できない部分だ。

 どうしてかって?

 だって私たちには子孫や交尾の概念がないからね。私たちは宇宙の始まりと共に生まれ、以来ずっと存在し続けている。増えないし、減りもしない。限られた寿命の中で子孫を残し、遺伝子を引き継いでいく君たち人間とは存在のあり方が根本的に違うんだ。

 いやあ、やっぱり君と出会えてよかったよ。人間の行動原理は単純なようで奥深く、実に刺激的だ。こうやって話してみないとわからないことがたくさんあった。

 しかし、さて、そうなると難しいな。

 君と心を通わせあって、互いのことを想い合うことが「付き合う」なんだとしたら……この状態は違うのかい?

 今このときは互いに互いのことを考えているだろう。この状態は「付き合っている」と呼んで差し支えないんじゃないか?

 違う? やれやれ、よくわからないな。

 まあいいや、では仮に君と私が「付き合っている」状態に至ったとしよう。

 私はもうすぐ旅立つわけだが、ここでかなり残念なお知らせがある。薄々勘付いていると思うが、うん、そうだ。君の記憶を消さなきゃいけないのさ。なにせ、かなり多くの秘密を喋ってしまったからね。

 調査を進めていくと、どうしても勘付かれてしまうときがある。そんなときの対処法がきちんと定められているんだ。「記憶を消すべし」ってね。

 それに、本来この身体は私のものではない。長いこと眠ってもらっているが、ちゃんと「元の持ち主」が存在する。うん、もちろん調査が終われば返却するさ。記憶を消してからね。

 ああ、いや、全部じゃない。私がこの身体を借りている間の記憶は、調査に関するものだけを消し、それ以外は残す決まりになっているんだ。だから大半は残るよ。

 どうやって?

 私たちは思念体だからね。記憶というのは脳の電気信号のパターンだし、私たちの存在はちょうどそれに似たようなものだ。もちろん根本的に異なる部分はあるけどね。

 だから、身体を借りている間は記憶も含め、脳のあちこちの働きに干渉できるのさ。

 うん。そうだ。君の記憶を消すときは一旦君に乗り移ることになるね。あとでお邪魔させてもらうよ。

 記憶を消された本人からすれば、自分が何をしていたのか思い出せない空白の時間が残るわけだが……まあ、特に問題はないと考えている。君だってこの一週間にとった行動をつぶさに覚えているわけでもないだろう?

 うーん、「乗っ取る」か……まあ悪い言い方をすればそうなるんだけどさ。別に悪いことをしているつもりはないよ。危害は加えていないだろう?

 だからね、私が去ったあと、君の記憶からは私に関する記憶が消えてしまう。そしてそれは、この身体の持ち主も同じことだ。

 ああ、もちろん今日までに君と私が仲良くしていた記憶は残るよ。でもね、私が去ったあとのこの身体の持ち主は、私とはもはや別の存在だと思ったほうがいい。

 そういうわけで、たとえ仮に君と私が付き合ったとしてもすぐに無駄になってしまうのさ。私が去ったあと、君は私について何も覚えていないし、この身体の持ち主も何も覚えていないわけだから。

 ああ、もし君が私という存在ではなく、私が借りているこの肉体に惹かれているのであれば話は別だ。私が去ったあともう一度告白するといい。会話のいくつかは記憶から消させてもらうが、仲良くしていた大部分の記憶は残る。きっと色よい返事がもらえるだろうと思う。

 それでもいいのかい?

 ……うん、よくはないよな。そう言うと思った。君の思考パターンが少しだけ理解できるようになったよ。

 こういうわけで、君と付き合うことはできないんだ。すまないね、本当に。

 あっ!

 うん、今まさに移住先が決定された。

 調査結果が共有されてからしばらくかかると思ったけど、案外早かったな。

 おお……これはこれは。

 実に愉快で、そして刺激的な偶然だね。なんとなんと、この地球上の生物が移住先に選ばれたよ。

 ふふふ、なるほどね。確かにこの生物なら最適だ。

 知りたいかい?

 よし、特別に教えてあげよう。あとで記憶は消すけどね。

 猫さ。

 豊かな感覚器官を備え、絶滅の危険性もなく、本能に従って行動する。捕食者と被食者でいえば捕食者の側だし、そして何よりこの星の最大勢力である人間の庇護下に置かれている。私たちが身体を借りる上でこれほど最適な生命体は、そうはいないだろうね。

 うん。そういうわけで、私はここに移住してくることになった。

 私がどうにかして君の近くにいる猫の身体を借りることに成功すれば、君とまた会えるって寸法だ。よかったじゃないか。まあ記憶は消えてるけど、でもまた会えるんだからいいだろう?

 あれ、よくないのか。

 私と過ごした記憶が消えるのがそんなに悲しいのかい?

 ふうん……。記憶を簡単に操れる私たちと、そうでない君たち……考え方も価値観も違って当然だけど、結局私は最後まで君たち人間の思考回路を正しく理解することができなかったな。調査員としての力量不足だね。

 さて、申し訳ないけど時間が迫っている。

 私は君に別れを告げなきゃいけない。そして君は、君自身の記憶にね。消すのはできるだけ最小限にとどめるから許してくれたまえ。

 ちょっと私の隣に来てくれ。うん、そんな感じ。万全を期すため君の頭に触れさせてもらうよ。遠い遠い。もっと近づいて。

 おいおい、目を瞑ってどうするんだ。怖くないったら。

 では、お邪魔するよ。


 ほいっ。

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