Scene② 真壁リンスと知らない過去

 真壁リンスは従者である。

 が、本日は主人である市河ユカリの傍には居なかった。平日と言えど、日々公務に明け暮れるユカリが珍しく休暇に設定したのだ。恐らく過労気味であるリンスの身を案じてのことだろうが、彼の傍に居ることこそが一番の気の安らぐ時間だと思っているリンスにとっては逆効果だった。

 リンスは部活には勿論属していない。部活動で青春する時間を取れないのもそうだが、彼女は今の職務を大変気に入っている。学校の部活が仕事よりも意味のあることだとは全く思えなかったのだ。

 しかし、仕事中心の生活をしているおかげで唐突に休みが入ると困ってしまう。日頃交流のある友達は全員部活動に勤しんでいることもあり、放課後暇を持て余したリンスがすぐに教室を跡にするにも自明の理だった。それもユカリとカラオケに行ってしまった彼のクラスメイトにほんの少し嫉妬しながら。

「まさかマスターが全て予定をキャンセルするとは思いませんでした」

 一人通学路を歩きながらぼやく。ドタキャンしても全く問題のないスケジュールであることを把握しているのは嬉しく感じる反面、自分という立場を信頼されていないような感覚もありむっとしてしまうところもある。

「一人で帰るのも久し振りですね」

 車通りの少ない道を抜け、商店街前の横断歩道でぼんやりと立つ。ふと対岸に視線をやると、下校途中の小学生の集団が楽しそうに仲間と戯れていた。また、道行く人も何処と無く幸せそうだ。少なくとも負の感情を抱いている人間は近くには居ない。

 この街の幸せに少しは貢献出来ているだろうか。

 一抹の不安を胸に抱きながら青になった横断歩道を渡る。しかし途中で笑顔の子供達とすれ違い、無駄なことを考えているような気がして自然と笑顔が零れた。

 この街は良い街だ。少なくともリンスはそう思っていた。

 川市市は南北に広めだが、全体的に治安が良く悪い噂を殆ど聞かない。立地上都心にも出やすく、図書館や博物館といった公共施設が充実しており子育てに関しても問題無い部類だろう。魔族と人間の比率は圧倒的に前者が多いが、半々までに持っていくことが市の理想だ。

 リンスの主人は魔族と人間、そして勇者一族と共存する未来を目標としている。が、残念ながら目を見張る程の功績を挙げられていないのが現状だ。始めて数ヶ月しか活動していないのだから当然と言えば当然なのだが、目の上のたんこぶが一番の原因だとリンスは確信していた。

 エルナラ・シノン・ヴァイザー。

 ユカリやリンスの邪魔ばかりする最低最悪の暴君。彼女のことを考えるだけで自然と苛立ちが増し、溜息が漏れた。

 この頃主人が宿敵と接する機会が多い気がするのだ。宝くじで一等を当てるよりも低い確率であると思うが、奇跡に奇跡が重なって恋仲にまで発展してしまうと非常に困る。それこそ人生が一変してしまうくらいには。

 普段殺す気で喧嘩をしているが、本当に殺人を犯してしまうことになるのは間違いなく誰も幸せにならないバッドエンドだろう。そもそもエルナと関わること自体百害あって一利無しなのだが。

 それにしてもマスターは、私のことをどう考えているのだろうか……。

 近頃同じことを考える傾向がある。特に自室で。

 一人になった途端、精神を蝕むように襲い掛かる悩み。どれだけ時間を使って考え抜いても答えは決して見つからない。主人に出会った時、救われた時、中学生になった時、高校生になった時、彼に社会的な役割が与えられた時。様々な場面で同じことを考えたが、どれも時間と共に風化していった。

 だが、今回は違う。

 時間が経てば経つほど強固になっているのだ。

 一体どうすればこの思考の檻から抜けられるのだろうか。

 私はマスターが好きだ。

 その事実は変わらない。

 好きだと口にしたくて。二人で素敵な場所に行きたくて。抱き着きたくて。愛を語りたい。

 自分が信じる主人に欲望を吐き出してしまいたい反面、彼が同じぐらい自分のことを考えてくれているのかが気になって仕方がない。勿論、好意を持たれている確信がある。ただ、それが友愛なのか恋愛なのか分からないからこそ悩んでいるのだ。

「あ……」

 脳内で自問自答しているうちに馴染みの家の前まで来てしまい、思わず声を上げてしまった。

 今日は一人なのだから彼の家に寄る必要性はない。帰って夜ご飯の支度でもしよう。

 そう思い踵を返そうとするや否や――、

「あら。お帰りなさい、リンスちゃん」

「あ、ただいま戻りました」

 買い物袋を両手に抱えた魔王夫人と鉢合わせてしまった。

「あれユカリくんは? 今日は一緒じゃないの?」

「はい、今日は急遽お休みで。それでマスターはお友達と遊びに行ってしまいました」

「そうなの。もう、こんな可愛い彼女を置いて男友達と街へ繰り出しちゃうなんて。帰ったらお説教しなきゃね」

「いえ、そこまでは。そんな」

「まあ、たまの休みなら仕方ないわね。リンスちゃんはこの後暇?」

 尋ねられてぼんやりとしていた思考を働かせる。今日の用事は宿題と夕飯の準備。それ以外はやらなければいけないこともやりたいことも特に思い付かなかった。

「はい」

「良かった、それなら私に付き合って貰っていいかしら」

「喜んで」

 誘いを承諾したリンスに対して太陽のように明るい笑みを浮かべた後、意気揚々と少女の手を握って我が家へと連れていく若奥様。リンスが居てくれて本当に楽しいのか、表情のみならず全身から喜びに満ち溢れているのが小さな手を通して伝わって来た。

 彼女は専業主婦であり、家族も夫と息子だけだ。加えて両者共に多忙で、更に男であることを考えると、彼女がリンスに対して積極的に関わりを持とうとするのは当然と言えば当然だった。

 リンスもまた彼女に対して本当の母親のように接している。幼い頃に実母を亡くした彼女が道を踏み外さなかったのも、彼女が見守ってくれたからだ。見た目の若さのおかげで傍から見れば姉のようではあったが。

 一旦二人して台所に行き、夫人が買ってきた食料を冷蔵庫や棚に格納する。そして作業を終え軽く休憩を挟むと、二階の倉庫へと移動した。

「この中にユカリくん専用のアルバムがあったと思うのだけれど、何処に仕舞ったのかが分からなくて」

「これは……大変ですね」

 部屋の中は掃除されているものの如何せん物が多い。特に本。歴史資料や地理、学術書が本棚の枠を抜け至る所に置かれていた。この中から目的のものを見つけ出すのは骨が折れると、直感的にリンスは思った。

 ですがマスターのアルバムとなれば話は別です。全力でお探ししなければ!

「因みにアルバムの特徴は?」

「紺色で表紙には……何て書いてあったかしら? ごめんなさい、ちょっと思い出せないわ」

「そうですか。しかし大体検討がつきました」

「本当! 流石リンスちゃん」

 奥様の性格から言って、そんな大事なものを無下に扱う訳が無いので床に置かれているものは無視して良い。本棚からはみ出しているところは後から無理に押し込まれて可能性があってかなり怪しいですね。

「恐らく本棚にあると思いますので片っ端から探していきましょうか。棚からはみ出した本の後ろにあると思います」

「分かったわ!」

 リンスは入り口右の棚。夫人は左から捜査を開始する。

 埃にまみれた本の海を探すのは非常に苦行だと思われたが、始めてから五分後。呆気なく見つかった。確認の為に数ページ捲ると、現在の彼の面影のある顔が沢山並んでいた。

 可愛い! これ欲しいです!

「ありました!」

「あ、それよそれ! ありがとうリンスちゃん!」

「いえ、どういたしまして」

 閉じたアルバムを夫人に渡す。はにかむ彼女は同年代のように眩しかった。

「折角だし下で一緒に見よう。美味しい紅茶を頂いたの」

「はい、喜んで!」

 胸の内から溢れ出る幸福感を噛み締めながら部屋から出ようとすると、アルバムから一枚の写真が零れ落ちた。婦人よりも早く手を伸ばし拾い上げようと、意識をそちらに向けた途端、脳天を揺さぶられるような衝撃が脳髄に走った。

 写っていたのは幼稚園児時代の主人。そこまでは良い。彼の人生を集めたアルバムなのだから彼が写っていることは問題ではない。最悪なのはユカリの隣に存在する人間。

 金髪の少女。それも親しそうに彼の手を握っていた。

 まるで恋をしているように。

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