第二章 初めてのカウンセリング

 説明は以上になります。何かご不明な点はありましたか?」

 段々と暑さと湿気が増してきた六月初旬の土曜日。川市市の特別地域交流課長であるユカリと御付きであるリンスは橋船市の市役所へと来ていた。目的は橋船市が定期的に開催しているお悩み相談室の一日体験。人手不足に伴う助力という訳ではなく、二人のスキルアップが主な目的だった。

「教会の懺悔部屋のようにこちらの姿を隠す理由はどうしてでしょうか?」

 リンスが痩せ型の男性職員に質問する。

「橋船市には聖気を持つ人間、聖気を持たない人間、魔族、と異なる種族が共に暮らしています。種族毎によって異なる考え方、感じ方、捉え方がありますが、相談相手の容姿によって意見が変わってしまうことがある、と想像するのは容易なことです」

「確かに勇者の一族が聖気を持たない人と話す場合、生まれ持った能力の優劣から高圧的になることがある、と聞いたことがあります」

「魔族と勇者の一族はそもそもトラブルが起きやすいし、当然の処置といえばそうかも」

「匿名な上に顔も見えませんが、何かあれば部屋を出れば良いですからね。古典的な構造ですが逆に画期的でしょう。他に質問はありますか?」

「身内が来た場合はどのように対処すれば宜しいでしょうか」

 想定していない質問だったのか、僅かな時間考える素振りをする職員。

「極力他の方と同じように対応してください。どうしても相手にするのが難しいと感じた場合は一言断り、部屋から出て私に伝えてください」

「分かりました。ありがとうございます」

「他に何か質問はありますか?」

「大丈夫です」「ありません」

 同時に放たれた解答を受け、男性は小さく頷いた。

「それでは市河さんは東側、真壁さんは西側の部屋に入って待機してください。一〇時になりましたら相談者をご案内します」

 全ての説明を述べ、受付へと歩いていく姿を見ながらユカリもまた戦場へと向かう。

 カウンセラーの真似事ではあるが相談者には関係ない。相談相手を信じて悩み事を打ち明けてくるのだから、こちらも全力で立ち向かうのが筋というものだろう。

 安っぽい扉を開け中に入る。広さは畳一畳も無い個室。薄い壁の向こうに更に人が存在しうることを考えると、全体で一畳半といったところだろうか。ただ話をする為だけに作られた簡素な空間だった。

「頑張ろう!」

 自身を激励し勢いよく着席する。

 どれだけ役に立てるかは分からない。ただそれでも、自分に出来ることをやろう。

 ユカリは両手で頬を軽く叩くと、大きな声で準備が完了した旨を叫んだ。


             ★


「はぁーい」

 何処か聞き覚えのある高音ボイスを発しながら新しい相談者が部屋へと入ってくる。声から感じ取れるイメージとしては、おっとり系の女子大生といったところだろうか。

「中はこんな感じになっているのね。面白い造り」

「どうぞお掛けになってください」

「はいっ」

 見えないが椅子と床が擦れる音で座ったと分かる。流石に三人目となれば慣れてくるものだ。

「それでは相談内容をお聞かせ願えますか?」

「はい。最近息子があんまり構ってくれなくて寂しくて」

「それはお辛いですね。失礼ですが、ご子息のご年齢は?」

「今年十七になります」

 若いと思ったのに子供の年齢は結構いっている。てかタメだ。

「昔は何をするにも『お母さん、お母さん!』、と一緒だったのですが、最近は彼女にべったりで」

「あー、付き合っている方がおられるんですね」

 普通にリア充だな、羨ましい。

「はい、とても可愛くて優しくて礼節に溢れている女の子で時々一緒に買い物にも行きます」

「なるほど、それは素晴らしい彼女さんですね。しかし彼女との付き合いが増えただけでは満足出来ないと」

「はい、そうなんですぅ! 私はもっと息子とイチャイチャしたいんです。成長している姿を陰ながら見守るのも楽しいんですけど、やっぱり何処か寂しくて」

 子離れ出来ない親か……。《親》という立場になったことがないから正直気持ちが良く分からない。でも、子供としての立場は分からない訳じゃない。でもまあその前に、

「そうですか……。失礼ですが、ご主人との関係はいかがでしょうか?」

「主人とは極めて良好ですわ。ただ、仕事柄いつも忙しくて息子より話をする時間が少ないのが辛いです」

 ふむふむ。家族仲自体は良いんだな。それなら単純に子供と接する機会を増やせば良いだろう。

「分かりました。それではご子息の嫌がらない程度に一緒に出掛ける頻度を増やしてみてはどうでしょう?」

「と、言うと?」

「例えば一緒に服を買いに行くなんてどうですか? 男性は女性よりファッション誌に目を通さないですし、母親とはいえ女性の意見があると気持ちとしては楽でしょう」

「高校生にもなって親が同伴は嫌がらないでしょうか」

「それは人それぞれだと思いますが、彼女がいるならそうですね……。ご子息は彼女と買い物に行く頻度は高めですか?」

「それが残念ながら多分一度も。私はお付き合いしていると思っているのですが、二人はあくまで仕事上の付き合いだと思っている節がありますの」

 高校生で仕事? 何だろう。生徒会かな。

「それなら尚更近い将来訪れるであろう最初のデートの為に格好良い服を見繕ってあげてはどうでしょう。ご子息も嫌がることはあっても拒否まではしないのでは? 奥様は年齢以上にお若いですしね」

「あら、声だけでどうして分かりますの?」

「語調や雰囲気が全体的に明るく楽しげですので。恐らくですが、とても可愛らしく且つきらびやかな見た目なんじゃないかなって」

 同じような口調で話す人が肉親に居るから容易に想像つく。と、いうよりも壁の向こうに居る人間のイメージがそれそのものだ。

「あらあら、おだてたって何も出ませんよ」

「いやいや本心ですよ」

「クスッ、お上手ね。でもおかげで気分が晴れましたわ。今日は息子の好きなものを作ろうかしら」

「それなら良かったです。御子息もきっと喜びますよ」

「ふふっ、ありがとうございます。えっと、《ユカリ君》の好きなものは豚カツとマカロニサラダとあとは――」

 えっ?

 御礼の後に彼女が呟いた名詞に急激に悪寒が走った。同時に頭の血液が体に向かって落ちていくような感覚を覚える。更に、地につけているはずの足が消え、突然宙に放り出されたかのような錯覚がした。

 えーと。いやー、まー、聞き間違い……だよね?

「他に何が食べたい《ユカリ君》」

「やっぱ母さんじゃねーか! 」

「あらあら、うっかり。バレちゃった」

 脳内で小さく舌を出す母を思い浮かべ、より苛立ちが増した。

「何しに来たぁ!」

「何って相談に決まってるじゃない。寂しかったのは本当だもの」

「だからってこれはズルい! てか今日の公務について何処で知ったんだよ!」

「それは、ほら。市長夫人ともなればねぇ」

 クソ親父かぁぁぁぁ! コンプライアンスぐらい守れや!

「まあまあそんなことは忘れて若奥様と買い物に行こっ。ねっ!」

「無理に決まってんだろっ! 誰がそんな恥ずかしい真似出来るかぁ!」

「あー、さっきと言ってること違うー! 自分の言ったことに責任を持てない子に育てた覚えはありません!」

「それはあくまでアドバイスであって、嫌な人は嫌だから!」

「ユカリくんは私と一緒に買い物に行けないって言うの!」

「お互い世間に顔知られてるし、恥ずかしいから無理!」

「酷いっ! 私よりも彼女が大事だっていうのね!」

「そらそうよ! じゃなくてそもそも彼女じゃないから!」

「じゃあ何時になったら彼女になるの!」

「そ、それは、まあ、そのうち……」

 なれると良いなぁ。

「むー、ユカリくんがリンスちゃんとくっついて子供が出来るまで帰らないー」

 何年待つ気やねん! 大事な過程が色々と飛んでるわ!

「お願いだから帰ってよ。こっちは仕事中なんだからさ」

「私と仕事どっちが大事なの?」

「今この場面なら間違いなく仕事だよ!」

「えー! お母さんは悲しいわ。昔は私がいないと夜にお手洗いも行けなかったのに。玩具屋でお父さんにプラモデルをねだって買って貰えなかった時もこっそり買ってあげたのに!」

「そんな昔のことを言われても」

「私とは遊びだったのね!」

「それは知らないけど、少なくとも遊びじゃないんだよ、仕事は!」

「泣いていい?」

「家でなら」

「今日は一緒に寝てくれる?」

「寝言は寝てから言って」

「酷い!」

 どうしろってんだよ!

「むー、もういいわよ。今日の夜ご飯はマカロニだけにするから! 帰るわね! 隣のブースに寄ってから!」

「おい馬鹿やめろぉ!」

 リンスにまで迷惑掛けんな!

「冗談よ。流石の私でも未来の義娘に意地悪しないわ」

「今まで散々からかってなかった?」

「夜は乾燥マカロニだけね」

「ごめんなさい、せめて茹でて下さい」

 姿が見えない相手に頭を下げる。すると壁の向こうから椅子が床に擦れる音が響いた。

「仕方ない。今日は退散するわ」

「そうしてくれると助かるよ」

「この後も頑張ってね。若奥様は陰ながら応援してるわよ」

「心を砕くようなこと言わないで、本当……」

「ショッピング楽しみにしてるからねー。じゃあねー」

「うるせー!」

 母の気配が無くなったことに安堵し、熱くなってしまった心を落ち着ける。

 あれは特殊なケースだ。対応に関しては間違ってない。頑張れユカリ。

 体力をごっそりと持っていかれたのを感じながら席を正す。すると一分も経たないうちに扉が開く音がした。

「お願いします」

「どうぞ」

 若々しい男性の丁寧な声に反応し言葉を返す。

「どのような相談でしょう?」

「あの、確認になりますが、相談内容は何でも良いんでしょうか!」

「はい、問題ありませんよ」

「ありがとうございます! それでは――」

 口調は礼儀正しいが、緊張しているのか声がやや上擦っている。

 大事な話なのかな?

「き、気に、気になっている女の子が、いましてっ」

 あ~、恋話かー。

「同じ生徒会の、後輩の女の子なんですが、凄く気さくな子で」

「ふむふむ」

 お相手は勘違いさせちゃう系かな? こういうのは親しい言動を取っておいて、実は全く気がないのがお約束だけど。

「いつもいつも弄られているうちにっ--」

 好きになってしまったと。

「凌辱したい気持ちが溢れてしまっていることに気付いたんです!」

「はぁ……分かりました、警察に行きましょう。近場の交番を案内しましょうか?」

「えぇ! 何でいきなりそんなっ!」

「いやいやいや、突然犯罪の相談をされればこうもなりますよ!」

「いやだって別に襲いたいとかじゃなくて、純粋に絡み付きたいというか、ベトベトにしたいというか。そんな純粋な想いなんですよ!」

「帰って頂けますか? いや帰ってください。さっさと帰れ!」

「相談事なら何でも聞くんじゃなかったんですか! 話と違います!」

「時とっ! 場合にっ! よるだろぉぉぉぉ!」

 思わず立ち上がり叫んでしまう。

 何だ? 今日は厄日か? 面倒な人しか来ないのか?

「まあ落ち着いてください」

「お前が落ち着け!」

「敬語すら使えなくなってるほど錯乱してるじゃないですか」

「変態を敬う必要性がどこにある!」

「私の何処が変態だと言うのですか!」

「言動、脳内含めて全部だよ!」

「そんな……。私はただ彼女に絡み付きたいだけなのに」

「今すぐ生徒会を辞めることをお勧めします!」

「確かに私は少々特殊だと思ってますが、そこまでのことですかぁ!」

「この世から消えて欲しいと思える分にはね!」

「で、どうやったら彼女を落とせるでしょうか?」

「急に落ち着いたなぁ、おい! 素直に好感度上げていきなさいよ!」

「それが出来ないからこうして相談に来ているんでしょうが!」

「開き直っても彼女は出来ませんからね!」

 二人して叫ぶように声を荒げる。もし両者の間に壁がなければ取っ組み合いに発展していたかもしれない。

 このままではいけない。感情に任せたところで平行線が続くだけだ。

 一旦深呼吸を挟み冷静になる。そして言う。

「普通に仲良くなっていくっていう正攻法は取れないんですか?」

「それがどうしても種族の壁を感じてしまって……」

 あー、種族による問題もあるのか。生徒会で同じ時間を過ごすことが多そうなだけに余計気にするんだろうな。魔族、人間、勇者の一族のどれに属しているのかは謎だが、後輩と同じでないことは間違いない。安易に「気にする必要ない」なんてことは言えないな。

「確かに大きな隔たりを感じることがあると思います。それでもまず好意を伝えることが先決ですよ。相手が貴方の気持ちに気付いていなければ何時までたっても進展しません」

「ですがそれで振られてしまったら--」

「その時はその時に考えましょうよ。リスクを少しも負わずに恋なんて出来ませんよ」

 まともな恋愛経験はないけど。

「理屈は分かります。分かっていますが! どうしても踏ん切りが」

「振られることよりOKが出たときのことを考えていきましょう。相思相愛なら多少変な行為でも世間的には問題ありませんしね」

「おぉ、なるほど! そう考えると勇気が沸いてきました」

 ちょろいなこの人。

「それなら後は告白の台詞を考えるだけですよ。そうだ、私が相手役になるんで試しにやってみてください」

「えぇ! いきなりはその……難しいので少し時間を下さい」

「はい」とだけ返して痺れてきた足を休ませるように宙で左右に動かした。本音を言えば早く帰って欲しかったのだが、あまり無下に扱う訳にもいかない。ただそれでも変態の相手をするのは色々と怖いところもある。

「心が決まりました。シチュエーションは放課後の二人きりの生徒会ということで」

「唐突ですが中々悪くない感じですね。どうぞ」

 言ってこちらも構える。変態の相手をするのだから何が来ても動揺しない心構えが重要だと、ユカリはひっそりと思った。

「そろそろ今日の作業も一区切り付きましたし帰りましょうか」

「あ、はい。そうですね」

 どこからか本が閉じた音とか鞄を閉じる音が聞こえてくる。演技が細かいな。

「ところで田中さんは?」

「はい?」

 演じて出た声ではなく、素で疑問符が飛び出た。

 生徒会長、書記、種族が違う、田中。まさかこの人……。

「このあと用事とかありますか?」

 確かに聞き覚えのある声色に愕然とする。見知った人物でも声だけでは気付きにくいと、ユカリは改めて痛感した。

 マジか。色々とマジか。どうしよう。変にアドバイスしてしまった手前引き下がれないぞ。何とか波風立たないような方向に落ち着かせないと。

「いや、ないっすよ」

「ん? 急にそれっぽい返事に」

「気にしないで欲しいっす」

「えっとー。まあ、いいですか。それなら私と帰りませんか?」

「生理的に無理っす!」

「えぇ、いやしかし方向は分からないですが校門までは一緒でしょ? それぐらいなら」

「周りに勘違いされたくないので」

「そうですか。結構バッサリ……って、全然告白までいかないじゃないですか!」

「人生そんなもんっすよ。そんな気軽に告白出来ると思ったら大間違いっす」

「練習なのにっ⁉」

「練習だからこそ本番と同じようにしないと」

「練習の敷居が高過ぎる!」

「さて、私が伝えられることはここまでなので、どうぞお引き取りを」

「何一つ解決してないですがぁ!」

 文句を放つ知人に退席を勧め続け、数分感悪態を聞いたところでどうにか出ていってくれた。

 人気が無くなったことにほっとして肩を下ろす。顔見知りの人間に知らない振りをしてまで恋の助言を出来るほどユカリは人間が出来ていなかった。

 ここにきて見知った人間が二連発か。何か嫌な流れだな。

「大丈夫っすかー」

「あ、どうぞ」

 落ち着く時間を掠めとるように外から声がする。しかも聞いたことのある声色だった。

 胸の内より沸いてくる疑念を抑えながら相談者が席に着くのを待つ。

「早速ですが、何かお悩みごとでしょうか」

「まー、悩みごとと言えば悩みごとっすねー。自分の中で結論出てる筈なんっすけど、中々行動に移せなくて勇気付けて欲しいというか、後押しして欲しいというか」

 あー、この喋り方は完全に田中さんだわー。何? 今日は身内しか来ない日なの? ここ隣の市だよ? 可笑しいだろ。

 とは言え、今回の相談は対処しやすそうな切り口だ。意外とすんなり終わるかもしれない。

「それでその内容とは?」

「私生徒会に入ってるんですが、男性の生徒会長からのアプローチが最近多くて……。上手な断り方ってないっすか?」

 あー、さっきと繋がる話かー。

 取り敢えず面と会長に相談された時を見越して田中さんの感情を聞いておくか。

「そうですか。ちなみにその人に対して好意や信頼はありますか?」

「端から見てて面白いと感じる程度には」

 それあんまりない奴じゃないですか、やだー。

「生徒会長面倒見が良いところが長所なんっすけど、それを相殺するくらいウザくて」

「はっきり言ってさし上げるべきでは?」

「メンタルも大して強くないので、真っ直ぐ言うと仕事に支障が出そうで」

「確かに」

「確かに?」

「いえ、すみません。そんな性格っぽいなと勝手に想像して」

 余りにも共感出来てしまい職務を忘れて素が出てしまった。

 いかん、いかん。田中さんは会長と違って真剣に悩んでるんだ。こちらもしっかり応えないと。

「遠回しに気持ちを伝えてみては?」

「気付かないパターンとかないっすかね?」

 有り得そうで怖いな。

「それに下手に断ると生徒会室に居辛そうで。これから活動していくなら、二人きりになることもありそうっすから」

 彼女の言い分は最もだ。自分本意な考え方だが、会長が勇者の一族との友好活動を進めていることを考えても田中さんや会長の士気が下がるのは好ましくない。

 会長は変態的行為がしたい。田中さんは拒否したい。けれども真っ直ぐ断れない。と、なれば正攻法じゃない方が良いか。

「それなら、あしらい方を覚えましょうか」

「あしらい方?」

「例えば生徒会長さんが『好きです』って、言ってきたら『私も生徒会のみんな好きですよ』みたいな」

「あー、会長の好意を曲解して受けとるんっすね。そういうのは得意かもっす。流石市河くんっすね!」

「それは良かったです――って、えぇ⁉」

 バレてる!

「こっちに市河くんがいるってことは、もう一つの箱はリンスさんっすか?」

「あー、うん、そうだよ。てかよく分かったね」

「声で何となく。周りには黙っておくので安心して下さい」

「それは助かる。相談相手がこんな成人もしてない若造が相手だと知ったら誰も来なくなっちゃうから」

 今日のお悩み相談にクレームが入るのは許容出来る範囲だが、お悩み相談そのものの価値を下げるのは不味い。

「しかし市河くんも大変っすね。今日休日っすよ」

「休日だからだよ。平日は学校があってまともに活動出来ないから。それより俺なんかよりリンスの方がよっぽど大変だよ。秘書業に加えてこっちの仕事まで手伝ってくれてるもの」

「リンスさんの体調が心配っすねー」

「本当に。もう少し自分の時間を確保出来るように画策はしてるんだけどね。スケジュール調整はリンスに一任してるところもあるから、あんま上手く出来なくて。ストレスとか貯まってないかなぁ」

「それは大丈夫じゃないっすか?」

「何で?」

 さも当然のように指摘され考える間も取らずに疑問を返す。相談に乗る側がいつの間にか相談者の立場になっていることにも気付かずに。

「リンスさんいつも幸せそうっすから」

「そうかな?」

「そうっすよ。気付いてないんですか?」

「いや全然」

「あらら。市河くんはもうちょっと女の子の気持ちを勉強した方が良いっすよ」

 何故か怒られた。理不尽な気もしないでもないが、人との接し方が得意な彼女がそう感じるのだからそういうことなのだろう。

「女の子は繊細なんっす。常に気に掛けないと、何時しか感情が反対になっちゃうかもしれないっすよ」

「え、それは困るよ」

「でしょう。たまには感謝の気持ちを伝えたり、デートに誘ったりしないと悪い男に取られるかも」

「ちょ、怖いこと言わないでよ」

「それも会長に、とか」

 リンスの肢体に触手が絡み付くのを想像してみる。二次元なら興奮したかもしれないが、知人に置き換えるとただただ殺意が沸いた。

「……オデ、カイチョウコロス。アイツ、フヨウ」

「なんっすかその喋り方」

「いや、無性に腹が立ってつい」

「羨ましい限りで」

 流石に流れが可笑しくなっていることにユカリは気付いた。立場が逆。ユカリは悩みを聞いて貰う為にこの小さな箱に入っているわけではない。

「話は戻るけど、田中さんの相談はもう解決したと思ってOK?」

「あー、忘れてたっす。大丈夫っす」

 そんな軽くて良いのか? 結構面倒事だと思うんだが。

「じゃあこれで終了ということで」

「えー、もっと話したいっす」

「そういうコーナーじゃないからこれ」

「私とは遊びだったんっすか!」

「遊びでやれるならもっと気楽に話してるよ!」

「酷い! 散々弄んだ挙げ句捨てるなんて。もう市河くんとは遊んであげないっすからね! 馬鹿! 鬼! 悪魔!」

「もうー! 頼むから帰ってくれよー!」

 悲鳴のような叫びをぶちまけるユカリ。

 それから散々漫才を繰り広げ、ようやく田中は帰っていった。それもユカリをからかうのが楽しかったのか、最初の落ち着いた雰囲気は何処に行ったのかと思えるほど満足気に。喜んで貰えたことは非常に嬉しいが、正直二度と来ないで欲しい、とユカリは思った。

 交代の時間が来たことに気付き、精神的な疲労を感じながらユカリは箱庭から出る。そして、身体を解すようにその場でジャンプや肩のストレッチを繰り返した。

 カウンセラー用の出口はスタッフ用のスペースと直で繋がっている為、人目を気にする必要がない。思う存分リラックスに努めると僅かに心が安らいだ。

「お疲れ様です」

 突如背後から呼び掛けられ体が跳ねる。

「あ、驚かせてしまって申し訳ありません。交代の係の者です」

「こ、こちらこそ申し訳ありません!」

「いえ。昼食はあちらの部屋でお願いします、ということをお伝えしたくて」

「あー、ありがとうございます」

「話をするだけでも意外と疲れますよね。それでは失礼します」

「あぁ、はい、宜しくお願いします」

 早めに休憩を取っていたのであろう女性スタッフとお互いに軽い挨拶を済ませ、心拍数の急激な上昇を感じながらユカリは休憩室へと向かう。

 意外な声掛けに心臓が飛び出るほどの衝撃を受けたが、最低限体裁を保てたのは幸いだった。それでも滲み出る恥ずかしさが身体全体を焼き続け、休憩室のドアノブに触れると熱が逃げていくようだった。

「お疲れ様です、マスター」

「あ、うん。お疲れ」

 部屋の中に入るなり、側近の女の子が労いの言葉をかけてきた。彼女らしい小さな笑みは今までの疲れが吹っ飛ぶように可愛かった。

「今お茶を入れますね。お弁当はそこに用意してあります」

 見るとロの字に置かれた長机の一角に愛用している弁当箱があった。

「ありがとう。カウンセリングはどうだった?」

 弁当の前のパイプ椅子に座りつつ尋ねる。

「予想通りと言いますか、苦戦中です。悩みを聞いてあげるだけではなく、更にアドバイスするというのはここまで難しいことだとは思いませんでした」

「あはは、俺も。つい感情的になっちゃうよね」

「そうなんです。いけないと頭では分かっているのですが、どうしても余計なことを言って今います」

「そうなんだよね。ただ、俺達に求められているのはお悩み相談の腕よりもフレッシュさだろうし、ある程度は気楽にいこう。悩みってただ誰かに話すだけでも心が晴れるもんだしね。難しい話は応援を呼べばいいし」

 急須から茶碗にお茶を注いでいたリンスの手が一瞬止まった。

「……そうですね。難しく考え過ぎていました」

「ま、俺も出来てるとは言い難いけど」

「うふふ、午後はより頑張らないといけないですね」

 リンスの表情から固さが抜け、笑みが溢れた。肩の力も抜けており、すっかり何時もの力強い彼女に戻っている。

「どうぞ」

「うん、ありがとう」

 差し出されたお茶を手に取り口をつける。渋すぎず、それでいて薄すぎない良い塩梅だった。

「そういえば、ジークさんが相談に来られてましたよ」

「ジークさんって、エルナのお付きの?」

 本名ジークベルト・津沼・リッシュ。邪智暴虐なエルナの暴走を抑え良い方向に導く抑止力。高身長な上顔が整っていることもあり、エルナさえ口を開かなければお似合いのカップルとさえ思える。

 ユカリ自身あまり会話を交えたことはないが、魔族を相手にしても柔らかい物腰から直感的に良い人だと感じていた。

「はい。いつも心労が絶えないようで。とても苦労されているようです」

「確かにあのエルナの秘書だもんなぁ。それはそうと、よく相手がジークさんだと分かったね?」

「相談の最初に名乗られてしまって。どうやらお悩み相談のルールを勘違いされていたようですね」

「意外と抜けてるのかな? そんな風には見えなかったのに」

「誰しも失敗はあるものですよ。さていただきましょうか」

 ジークに関する話を打ち切り、二人して弁当箱の蓋を開ける。最愛の人が作ったお昼ご飯を前にしてユカリの思考の対象は全く異なるものに飛んでしまった。しかし、ジークの話題はもう少し掘り下げるべきだったかもしれない。

 何故彼が此処に居たことぐらいは。


             ★


「入っても良いのかしら?」

「どうぞ」

 昼休憩を終え、再び箱庭の中に入ったユカリは外へ伝わる声の大きさで告げた。

 満腹感に襲われ睡魔が近付いてくるのを感じたが泣き言を言ってはいられない。素人が無理を言って任せて貰っているのだ。関わった人達に少しでも川市を良く思って貰えるように尽くさなければ。

「かなり狭いわね。豚小屋みたい」

 中々に上から目線な女性が入ってくる。声のハリから言って非常に若い。

 同年代くらいか?

「カウンセラーの顔は見えないのね」

「種族によって対応が変わってしまっては問題なので予防策となります」

「ふぅん、成る程ね」

 相手が着席するのを感じ取り、小さく呼吸を整える。相談相手が高飛車な態度である以上、慎重に言葉を選ばなければ。問題に発展するのは御免だ。

 それより初対面で会話の節々から伝わってくるこの上から目線。一体どんな教育を受けたらこんな風に育つんだ?

「それでは、本日はどのような相談ですか?」

「あぁ、川市市の特別地域交流課の課長を殺したいのだけれど何か良い案がないかと思って」

 こいつエルナじゃねーか!

 思わず正面の壁を殴ろうとしてしまうがすんでのところで止まった。いくら理不尽な運命を感じようと八つ当たりは良くない。

「殺すとは一体どういう意味でしょうか?」

「……貴方馬鹿? 生命を奪い取ること。活動させないこと。KILL。それ以外の意味があって?」

「いえ、申し訳ありません。言葉の意味については理解していますが、その方が何をしたって言うんです?」

「存在そのものが鬱陶しいのよ。理由なんてそれで充分よ」

「いやいやいや良くないよ! そんな感じで殺しあってたら人類滅亡するわ! キリストかガンジー並の聖者しか残らねーよ!」

「……貴方、何処かで会ったことがない? 口調や声色に覚えがあるわね」

「……いえ、気のせいでしょう」

 思わず素で突っ込んでしまったせいで、あらぬ疑いを掛けられてしまった。彼女に相対しているのはユカリという時点で全く『あらぬ』ではないのだが、壁を挟んで向こうは視認出来ないのだから例え似てようがユカリとは言い切れないだろう、と謎理論を展開させてユカリは無理に自分を納得させた。

 危ない、危ない。カウンセラーが俺だと分かればまた殴られかねない。しかも壁を破壊して。自分が殴られるだけならまだしも、器物破損で橋船スタッフに迷惑を掛けるのはダメだ。本意ではないけど心を殺して真面目にエルナの相談に乗ろう。

「相談者様が殺したいほど相手を憎んでいるのは分かりました。しかし実際に殺人は相手が何をやっていようとも罪になりますし、もう少し穏便に」

「いや。殺したい」

「……えー、嫌がらせ程度では?」

「ダメ。殺したい」

「……半殺しぐらいでは?」

「無理。殺したい」

 キリングマシーンかよ! どうしろって言うんだ!

「せめて死にたくなるようなことをするぐらいで勘弁して頂けないでしょうか」

「ふぅん、例えばどういう案?」

 まずい。少しでも良くなるように回避し続けてたら、網に引っ掛かってしまった。

 試されている。または信用に足る人物か確かめにきている。ユカリは直感的にそう悟った。

「今調べたところ、川市市の特別地域交流課課長は梨が苦手なようです。まずは彼の家に梨を送り届けましょう」

 何言ってんだ俺! 慌てたとはいえこんなのエルナが納得するわけ――、

「成る程。インパクトに欠けるけど、方向としては確かに間違ってないわね。悪くないわ」

 えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ‼ マジかよ、納得したよ!

「ふふふっ、アイツ梨が苦手なのね。川市の名産なのに……。今度梨汁でもぶっかけてあげるのも一興ね」

「……相当嫌がるでしょうね」

 そもそも梨汁を掛けられて負の感情を抱かない人間の方が少数派だと思う。そもそも俺が嫌いなの梨は梨でも歯応えが柔らかい系の梨だし。でも咄嗟に思い付いた案とはいえ、こんなすんなり通るとはこいつやっぱり馬鹿だな。

 ――あ。

 妙案を思い付き、ほくそ笑むユカリ。彼を知る人間が見ればらしくない表情に驚嘆するかもしれない。

「どうやらこの方は極度の梨嫌いらしいので、梨のコスプレを見せ付けてみてはどうでしょう?」

 ユカリの提案に反応がない。

 まずい、流石に調子に乗りすぎたか?

「悪魔的発想ね。気に入ったわ!」

 やっぱこいつ馬鹿だ!

「イベントの差し入れに冷やした梨なんてのもどうでしょう」

「梨のジャムとスコーンも付けるわ」

「その方の待機室には梨のタルトを常備して」

「狡猾過ぎるわ。どういう脳をしているの⁉」

「止めには控室のお菓子を梨のケーキに差し替えましょう!」

「そんな残酷なことを平気で思い付くなんて、恐ろしいわ!」

 エルナがべた褒めする為、ユカリの熱が徐々に上がる。警戒心や馬鹿にする気持ちも忘れてはいないが、アドバイスを素直に受け取り肯定される嬉しさがやや勝っていた。

「食べ物で攻めるプランは今出したので良いとして、他に何かえげつない案はないかしら?」

「嫌いな食べ物を与える以外で死にたくなるようなことですか……」

 中々に難しい。直接殴る蹴るは前提に引っ掛かるから精神的ダメージ関連だと何があるかな? あんまり過激だと俺に返ってきた時が辛いし、しょうも無さすぎるとエルナが納得してくれない。難しい注文だ。どうにかして良い方向に持っていくことは出来ないだろうか。

「確認ですが、相談者様も同様に市に携わるお仕事をしているのでしょうか」

「ええ、立場は言えませんが、件の彼と商売敵のような感じね」

 まあ知ってる。一応の知らない振りだ。

「それならその方よりも実績を作ることこそ最大の屈辱を与えることに繋がるかもしれません。相手が本気で取り組んでいるほど、悔しさが込み上げてくると思いますし」

「……一理あるわね。でも意外とそれが難しいのよ」

「そう……なのですか?」

「ええ。馬鹿は馬鹿なりに努力するみたい。私は議会や講演会、大規模なイベントで権力のある人間を相手に進めているけれど、アイツは商店街や役所の小さな催しに参加して住民との信頼を獲得しにいってる。アイツも私もやり方は間違ってない。でも何処かで差が付くと私は思ってるわ。多分アイツが有利になる形で」

 馬鹿は余計だが、まさかエルナの口からまともな意見が出てくるとは思わなかった。こいつも意外と市を良くしようと考えてるんだな。

 ユカリはほんの少しだけ彼女のことを見直し、彼女の気持ちに負けないように席を正した。

「私は負けたくない。特にアイツだけには絶対!」

 言葉の節々が力強い。彼女を突き動かす動力源に心当たりはなかったが、ユカリとしても負けたくないのは同じだった。

「相談者様のお気持ちは理解しました。また熱意も。お互いの行動を把握し、今不利だと感じられておられるなら、まずはライバルの良いところを真似してみては?」

「私にアイツの猿真似をしろと?」

「いえ違います。強みを取り込めば良いのです。例えばその方が行っているイベントに参加してみることで今の自分に何が欠けているか、何をやらなければならないかが見えてくるのでは?」

「ん……なるほど。確かにその通りね。悪くないアイディアだわ」

「結果、相手の方も貴女の活動が活発になればなるほど頑張るでしょう。最終的に勝つのが相談者様であっても、その実績争いで生じる成果は市民の為になるでしょうし」

 言うと小さな間が生じる。

 そして簡素な静寂は直ぐに霧散した。

「素晴らしいわ! 興味本位で参加してみたお悩み相談だったけど、貴方みたいな優秀な人に出会えるとは思わなかったわ! 流石ね橋船!」

 カウンセラーがユカリとも知らずにべた褒めするエルナ。ユカリから見れば非常に滑稽なのだが、哀れみといった感情は一切なかった。むしろ暴力の権化だと思っていたエルナの新しい一面を見ることが出来、ユカリ自身非常に満足していた。

「ありがとう。活動や方針に躓いたらまた寄らせて貰うわ」

「いえ、こちらこそありがとうございました」

 椅子が床と擦れる音、そして扉の開閉音を聞いてようやくユカリは脱力したように正面の壁に頭を付けた。正体を隠し通せたことへの安心感に加え、それに至るまでの緊張が思いの外身体を蝕んでいたようだった。

 あいつはあいつで意外と考えてるんだな……。

 次の相談者が箱庭に入ってくる可能性を考慮せず思考を巡らし始める。しかし、いくら考えても今まで付き合ってきたエルナと今日の彼女が一致しなかった。

 ああいう面もあるってことか。あの素直さを普段から出せば対立なんて起こらないのに。勿体無い。

 ユカリは思い切り伸びをすると、即座に姿勢を正した。ライバルが頑張る意思を見せている以上、自分もそれなりの成果を出さなければならない。

 そうしてユカリは相談室の仕事をリンスと共にやり遂げた。但し、帰宅直後から母親に弄られ続けたのは言うまでもない。

 更に後日、エルナと同じ会議に出席した際、ユカリの顔面に何処からともなくそのままの梨が直撃したという。

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