Scene① 真壁リンスと
真壁リンスは従者である。
物心つく前から幼馴染である一個上の男の子に付いて回り、片時も離れようとはしなかった。彼女の父親の証言によれば、どんなに彼が嫌がろうとも最後まで彼の隣に居ようとしたようだ。落ち着いているようで熱くなりやすく、柔軟なようで頑固な性格だった。
そもそも彼女の家系は古来より魔王に仕えることを生業としていた。つまり子孫である彼女がいずれ魔王となる少年の傍にいることは父親にとって願ったり叶ったりの状況であったのだが、同時に余りにも早過ぎる彼女の将来の決定に困惑するのも親としては当然だった。
そうして主人と認めた相手との関係が変わらぬまま月日は流れ、彼女が一〇歳を迎える時に彼女の母親は亡くなった。事故だった。
勿論彼女は泣いた。身体中の水分が無くなってしまうのではないかと思う程激しく、そして葬儀が終えても何時までも泣き続けた。この時ばかりは魔王の息子の近くにはおらず、ただひたすら亡き母親を感じられる場所を転々としていた。
彼女には双子の妹がいる。されど気分屋でマイペースな妹は彼女よりも何倍も早く現実を受け止め、自分がやりたいことを求めて巣立ってしまった。
一人過去に取り残されてしまった彼女に対して誰も彼女の心を救うことが出来ずにいた。一番彼女のことを心配している父親や古くから付き合いのある魔王とその妻でさえ、ひび割れた心を癒してあげられなかった。
リンスが母親と同じ運命を辿ろうと思った時に、不意に自分の隣に幼馴染が居るような錯覚を覚えた。急いで顔を上げてみるも、日々隣に居た少年の姿はなかった。
冷酷な現実だった。
乾燥した心に止めを刺すように辛い出来事だった。
もうこの世に未練が無いとばかりに、少女は道路を挟んだ対岸にある思い出の公園を見据えながら歩みを進めた。母や妹、少年と遊んだ頃を思い出しながら一歩一歩突き進む。そして、道路と歩道の境界へと辿り着いたところで止まる。狙うは母を殺したトラック。憎悪の対象だ。
丁度一台の仇が接近してきたのを見て身構える。
そして母の元へ行こうと飛び出そうとした瞬間、
誰かに怒声と共に肩を引かれ、後ろに倒れた。
突然視界が揺れ世界が回転し、気付いた際にはターゲットとしていた車が正面を通り過ぎていく。訳が分からなかった。
しかし後方から抱きしめられる手の温もりで自分が何をされたのか理解した。
守られた。それも守ろうとしていた人物に。
少年は怒っているようだった。少女は命を粗末にしようとしていたのだ。当然だ。
だが彼女にとって彼の怒りなんてものはどうでも良かった。
自分が守っていた人物に助けられた。自分が気に掛けていた人間に救って貰えた。自分より弱いと決めつけていた主人に抱き寄せられた。
白黒に見えていた世界が突然色彩を取り戻したような気を覚え、リンスは自身の顔を少年の胸に押し当ると、心の中に溜まった膿を吐き出すように咽び泣いた。一方少年は僅かな恥ずかしさを抱えつつ、少女が満足するまで彼女を支えていた。
その日、真壁リンスは市河ユカリの真の従者となった。
「どうしたのリンス? 神妙な顔つきして」
「あ、いえ、昔のことを思い出してちょっと」
肩を並べて歩いていた主人に問われはっとする。
普段通ることのない懐かしさに溢れた交差点に居ることを知覚し、リンスはついクスリと笑った。思い出すのは壊れた機械のように飽きもせず泣いていた自分。日々死にたいと考え続けていた己の弱い心。当時は苦しさに満ち溢れ押し潰されかけていたが、今となってはそれほど辛くない思い出へと変貌していた。
楽しいのだ。心から信頼出来る人と共に働けることが。
こうして仕事帰りにただ歩いているだけでも人生が満たされている気がした。
「そっか」
リンスの心情を察してくれているのか、素っ気ない言葉が返ってきた。
私の気持ちを理解してくれているのはとても嬉しい。気持ち良い。
でもちょっとだけ寂しいのは何故だろう。
心に蔓延るもやもやを煩わしく思いながら歩いていると、主人の家へと辿り着いた。市長の家とはいえ大きさや形は何ら普通の家と変わりない。三人家族が最も機能的に暮らすとなれば問題ないサイズだろう。
「ただいまー」
「お帰りなさいユカリくん!」
玄関の扉を開けるなり、廊下の奥から魔王夫人兼市長夫人が飛び出してきた。夕食の準備に取り掛かっていたのかエプロンを身に纏っている。
「リンスちゃんもお帰りなさい」
「ただいま戻りました」
太陽のような笑顔で告げられ自然とこちらも明るくなってしまう。若々しい見た目と柔らかな口調が余計に可愛らしさを醸し出していた。
市長と結婚する前の彼女は普通の人間だった。魔族は人間と婚約する際、魔族の長い寿命に合わせる為にパートナーに己の力を差し出し、相手を人間では失くしてしまう。彼女は魔王と一生を共にすることを選び、半人間で半魔族という中途半端な存在になったのだ。
そのおかげで彼女の年齢は三〇後半程のはずだが見た目は二〇代前半のような容姿である。
「ではマスター、私はこれで失礼します」
今日の仕事も無事終了したとばかりに言う。
「あら、今日はうちで食べていかないの?」
「今日は父が早めに帰ってくるのでたまには一緒に食べようかと」
「それならさっき主人から皆と飲んでくるって連絡があったわよ」
聞いて、鞄からスマホを取り出し確認する。確かにSNSを通じて同様の情報が送られてきていた。どうやら先程呆けていた時に転送されたようだ。
最近帰ってくるのが遅いのに……。今度叱っておかないと。
「リンスちゃんの分のご飯の用意出来てるから一緒に食べよ? ねっ、お願い」
「いつも申し訳ありません。それではお言葉に甘えます」
「そうこうなくっちゃね!」
更ににこやかになった婦人がダイニングに向かうのに対して、二人は一旦洗面所を経由し手洗いを済ませる。それからユカリは部屋着に着替える為に自分の部屋に。リンスは何か手伝えることはないかと、主人の母を追い掛けるようにダイニングへと向かった。
行くとテーブルに並べられていたのはグラタンにバゲット、オニオンスープにグリーンサラダが三人分。大分気合が入ったメニューだった。
「さぁ、座って座って」
「あの、何かお手伝い出来ることは?」
「もう出来ちゃったから大丈夫! ありがとう!」
笑いながらエプロンを脱ぐ彼女に戸惑いつつ定位置の椅子へと座る。普段従者に徹しているだけに、世話をされるというのは何百回体験してきても慣れなかった。
「ごめん、お待たせ」
「それじゃあ食べましょうか」
数分経ってユカリが戻ってくると共に席に着いたタイミングで揃って手を合わせる。
スプーンを手に取りグラタンの中身をすくって口に運ぶと、チーズのコクとホワイトソースの甘みが口一杯に広がった。心から安心する家庭的な味だった。
「ところでユカリくんとリンスちゃんは何時になったら結婚するの?」
平和な食卓に突如放り込まれた爆弾によってむせそうになる。すんでのところで堪え、正面の恩人に目を向けると幸せそうに微笑んでいた。息子とその仕事仲間の反応を心底楽しそうに笑う様は文字通り小悪魔のようだった。
リンスは改めて思う。
これは面倒臭いことになりそうだ、と。
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