第05話 とある魔王の悩み事③

 勇者が吾輩の居城に乗り込んできてから既に一月の月日が流れていた。


 この一ヶ月特に目新しい動きは勇者にも他国にもない状況が続いている。


 吾輩の居城で醜態を晒してしまった勇者も密偵からの報告によれば新たな装備に身を固めて更に努力を積み重ねているという。


 きっと今この情勢は人間達にとっても我々魔物達にとっても平和と呼んでも過言ではないのであろうな。


 吾輩以外に限って言えば、だが。



「魔王様? その、膝に抱いている物体は何なのでしょうか?」


「見れば分かるであろう?


 ――猫以外の何物でもあるまい」


 鎧武者の訝しむ様子に間髪入れる吾輩。


 そう、これは猫なのだ。


 撫でるのを途中で止めるなと催促する鳴き声を上げる黒い仔猫。


 誰から見ても猫以外には見えないであろう? なぁ、鎧武者よ。お前もそう思うであろう?


「猫……? 某にはただの猫には見えませぬが。


 その猫? の背中に生えているのは蝙蝠の翼ですよね?


 そのような猫、魔界でも見かけたことはないのですが。


 それに言い表せない悪寒がその猫から漂ってくるのも……」


「鎧武者よ。吾輩が猫だと言えばこれはただの猫なのだ。


 ただの可愛い黒猫。そしてそれを愛でる吾輩。


 ただそれだけなのだよ。だから――それ以上突っ込むな」


 黒猫を撫でる度に魔物にとって弱点とも言える聖なる波動と同じ、いやそれ以上の強さの何かが伝わってくる。


 既に吾輩の手の感覚はなくなっていたりする。


 あれだな。毒クラゲを撫でている様なものだ。


「魔王様も大変ですね……。


 いえ、失礼致しました。確かに魔王様が撫でているソレはただの猫であります」



 ふぅ。何故こんなことになったのであろうな。


 黒猫が何か問題でも? と見上げてくる。


 ん? 背中はもういい? 次は顎の下を撫でろと?


 仕方ないな。思うがままに撫でられるがいいさ。


 そうだお前は何も悪くない。お前の中身が何であろうと吾輩は気にしない。


 気にしてはいけないのだ。だからお前はただの黒猫でいてくれ。


 そうでないと吾輩また胃に穴が開いてしまうのだ。





『では勇者一向の敗因はスライムによるものだと言うのかね?』


『その通りです閣下。


 この人間界で偶々見つけたスライムであったのですが、どうやらそれが希少種の類であった様で』


『ほう。その様なスライム我も何時か見てみたいものであるな』


 吾輩何も嘘は言っていない。真実も言っていないだけだが。


 ああ、胃がキリキリする。


 いつも思うことだが、今回の重鎮への報告は最初からストレスがマッハで吾輩死にそうな勢いだった。


 早く終われ。早く終わってくれ。と願いながら虚構と真実を織り交ぜて報告を積み重ねていく。


『分かっていると思うが、勇者の扱いは慎重に期さねばならないことを十分に意識して行動することだ』


『はっ。当然承知しております。魔王として勇者とは雌雄を決することが出来る存在でありたいと思っております』


『理解しているのであれば我からはこれ以上言うことはない』



 ようやく今回の報告も終わりか。


 今日は久々にスライムと飲み交わすことにするか……あのスライム、吾輩の愚痴を聞くのが妙にうまいんだよな。


 しかも吾輩が飲むタイミングに合わせて毎回様々な珍味を持ってきてくれる賢さも持つ最近の吾輩の癒し的な存在となっているのだ。


 そこ、本当にスライムなのかという突っ込みはするなよ?


『そうだ、これは我からではないのだが一つ伝えることがあったのを忘れておったぞ』


『え、まだ何かあるのでしょうか?』


 え、もう終わりじゃないの?


 気の抜けたところに来る追い打ちは吾輩昏倒する自信があるぞ?


『ああ、気負う必要はないぞ?


 だが、いや、これは実際に見てもらった方が早いかもしれんな』


『えっと、閣下のおっしゃる内容が理解できないのですが……え?』


 何かがいる。


 今この小部屋の中は誰もいないはずだった。


 出入り口周辺を牛魔王と鎧武者に見張らせている今、この小部屋には虫一匹入れないはずなのだ。


 それなのに、今吾輩の足元に何かが纏わりついている。


 これは……



「猫……なのか? え? 何故こんな場所に?」


 映像通信の明かりに照らされたシルエット。それはまさに猫であった。


 え、猫なんだよな? だが吾輩の知る猫と何かが違う。


 見た目は何処にでもいそうな黒い仔猫なのだが、背中に悪魔族が持つ翼よりはつたない、これは蝙蝠の翼か? を生やしていた。


「どこかから迷い込んできたのか? 本当に猫なんだよな? っと、ッツ――!?


 いたたたたたたたたたた!!?!?!!?!」


 じゃれついていた黒猫を持ち上げた途端、え、なにこれ!? 全員に電気が走り抜けた痛みが断続的に襲ってきた。


 いや、これ痛みなんて生易しい存在じゃない。言うなれば聖水の風呂釜に全身を浸かった様な痛みといっても過言じゃないぞ。


『おお、既に来ておったのか。ならば話が早い』


『あががががががが!!!?!?!?


 は、話が早いってどういうことですか!?


 閣下はこの猫の事を何か知っておられるのでしょうか!?』


 痛みに耐えきれず黒猫から手を放してしまうが、痺れが取れる気配が全くない。


 それに急に手を放してしまったのに猫は驚く様子もなく背中に生やした翼で器用にホバリングしながら降りていた。


 本当に何なのだ? 映像の向こうにいる重鎮の一人は何かしら事情を知っていそうだが、何かものすごく嫌な予感がするぞ。


『うむ。話は簡単だ。


 細かい期間は決まっておらぬが暫くの間その猫を其方に預けることになったのだ。


 これは既に決定事項であり、我にも止めることが出来ない故理解したまえ』


『この猫を……ですか。


 失礼ながらこの猫? そもそも猫なのですかコレは。この猫? は一体何なのでしょうか』


 何故か吾輩にじゃれつき続ける黒猫を傍目に問い質すが答えはあまり訊きたくなかった。


 あの、すみません。いや、本当に吾輩の足に貴方の顔をこすりつける度にピリピリと何かが襲い掛かってくるんですが。


『魔王よ。本当にその答えが聞きたいのか?


 今ならまだただの黒猫を預かると言う役目だけで済むかもしれないのだぞ?』


『あ、はい。申し訳ありませんでした。


 この猫はただの黒猫であります。そしてその役目もしかと承りさせて頂きます』


 ほれみろ。


 こうしてまた吾輩の胃痛となる存在がまた一つ増えた訳だ。





「魔王様、最近お酒の消費量が右肩上がりで心配で仕方がないのですが」


「うるさい。飲まないと吾輩逃亡する自信があるからな?


 いいのか? 吾輩からこれ以上娯楽を奪えば何をするか分からんぞ?」


 スライムに酒を注いでもらい、それを一気に呷る。


 お、この燻製されたチーズも美味いな。え? この燻製をスライム、お前が作ったと言うのか?


 最近メキメキと料理も美味くなってるなお前は。


 ほれ、照れておらずにお前も飲むがいいさ。


 そして、黒猫よ。あまりスライムを引っ掻き回すでない。


 それは吾輩の癒しであり友なのだ。あー分かった分かった。仰せのままに撫でるから機嫌を損ねるでない。



「なぁ、鎧武者よ。最近の魔王様本気でやばくないか?」


「お前もそう思うか。某も最近の魔王様の奇行は身に余ると思っている。


 だが、あの光景を見て某達はどう止めればよいのだろうか。某には妙案は思い浮かばぬ」


「私達が出来ることはこの光景を広めないことが一番なのであろうな」


「であろうな。このことは四天王だけの秘密とするぞ」


「「異議なし」」


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★第05話 登場人物★


魔王 …… 癒しはスライム。新たに魔王になつく黒猫をただの猫としてどうにか愛そうと躍起になっている。


重鎮① …… 魔界で偉い人の一人。通称閣下。


黒猫 …… その正体は如何に。きっと唯の飛べる黒猫。そもそも飛ぶ猫なんて存在するはずがないのだが。


スライム …… 最近は酒に合うつまみを研究している。現在のトレンドは燻製。次は発酵食品も考えていたりする。


牛魔王 …… 魔王様の頭が本気で壊れたのかと魔界一の医師へ連絡を試みようとしている。


鎧武者 …… 魔王城に備蓄している酒の消費量が尋常ではないことに危機感を覚えるものの、対策が見いだせない自分に情けなく思っている。



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