2-5
一体どれ位の時間こうして歩き続けているのかは分からない。感覚的には三時間、距離にして三キロあるかないか、位だろうか?僕のマンションは愚か、街からもかなり遠ざかり、今は山間の道をひたすら登っていると言う状況だった。
此処に辿り着くまでに何度か「何処まで行くんですか?」と質問をしたのだが毎回軽く流され、見せたいものがあるとだけ伝えられた。前回からやたらと肉体的活動が多い僕ではあるが、一向にその活動が実を結ぶ事もなく、情けないが息切れ寸前。目の前の竜西先輩は流石に体力も桁違いで、呼吸一つ乱れておらず颯爽と歩き続けている。あれだけ部活で走ったとは思えない。僕はそんな竜西先輩の見せたいものとは何だろう?まさかここまで来て僕の事を夕食みたいにペロリとはしないだろう。見せたいものは私の食欲だったの!的なキャラクターでは無い。天來の質問には人間と変わらない食生活だとも言っていたし。山道から離れて道無き道を歩き、暗がりという事も有りながら足元がおぼつく僕を心配してか竜西先輩は時々振り返りながら歩幅を合わせてくれている。
「すまないな、天井真。人間には少々、酷な道だろう。」
気を使ってか竜西先輩はそんな事を言った。まぁ僕的には夕食にならないのならば何だって良いのだけれど。
「私が目的の場所まで運んでも良いのだけれど…その…女性に担がれると言うのは男性として、すぼらしいだろう?」
確かに。息が切れるより情けない話だ。そんな事に成るならば、ここで疲労骨折した方がマシだと言うものだ。無表情ながらも竜西先輩はかなりその事を気にしている様子だった。憎めない程に不器用な人だ。
「気にしないで下さい。僕はこう見えても昔、登山家を目指そうと思っていた位に足腰には自信があるんです。去年はK2にも登山した位です。」
「おぉ、ゴッドウィンオースティンか。それは凄いな。」
僕の大嘘に初めて少し表情を変え、驚きと共に関心したように竜西先輩はその後もそのK2(通称ゴッドウィンオースティン)について語っていた。ここまで信じてくれるとは良心が痛む。と言うかこの僕の何処にそんな伝説級とも言われている難易度の山を登れるだけの気力と体力があると思っているのだろうか?普通に考えて到底無理だろう。不器用を通り越して憎めない天然さ加減だ。不覚にも年上の女性に対して可愛いと思ってしまう程に。
「私も山は好きでな。この街に来る前は良く色々な山に登っていたよ。」
竜西先輩は昔を耽るように少し瞳を閉じていた。僕はその話を遮る事無く静かに聞き入る。実際は息も絶え絶えで相槌さえ打てない状況だっただけの話なのだけれど。
「私が天井真。君を知っている様に、君もまた私を知っているんだろう?」
竜西先輩が僕を知っていたとは初耳だった。いや会うのは今日が初めてだったので初耳も何も無いのだけれど。それにしても意外な事に変わりは無い。僕の様な一般市民の存在を世界の均衡と秩序を護る高貴な種族に知られていると言うのは、何だかくすぐったい様なそれでいて少々の不安を覚える。
「何故僕の事を知っているのか?と言った様な顔だな。何、私が個人的に知っているだけで種族間の問題では無いんだ。そこまで身構えないで欲しい。」
僕の表情から緊張を読み取ったのか、竜西先輩は微笑した。
「私がまだこの街に来たばかりの頃、
「天井、宗。」
「あぁ、天井真。君の祖父だ。」
竜西先輩は大事な想い出が詰まった引き出しをそっと開ける様に話し始める。色褪せない様に、壊れない様に、そっと。
「君の祖父は君と同じで、色々なモノが視える体質だった、そして君と同じく色々なモノを引き寄せてしまう体質でもあった。」
それは僕も周知の事実だった。小さい頃、僕の事を気味悪がり母親が出ていってしまってから、父は僕を祖父、天井宗の元へと預け、単身赴任してしまったのだ。それからは祖父と二人、祖父が無くなるまでの数年間を共に過ごした。僕の人生の中で忘れられない程に多くを学び、多くを得た期間だった。この祖父と過ごした数年と、祖父の残した数々の書物が無ければ、僕は生きては行けなかった。そう言っても過言では無い。何もかもが現実で、全てを信じていたあの頃、多くを学んだけれど多くを失った期間でもあった。
「私は何の因果も無く、只只引き寄せる体質であった宗を抑える役割としてこの街に来たんだ。」
そんな私もただ、宗に引き寄せられただけなのかも知れないけれど。と、竜西先輩は嬉しそうに微笑んだ。この人、こんな顔もするんだな。そんな表情と、僕の祖父を宗と呼ぶ竜西先輩を見れば誰だって察しが着くだろう。彼女は僕の祖父、天井宗に恋していたんじゃ無いだろうか?それが人間の言う恋なのかは別として、愛しく思っていた事は確かだろう。
「宗は何時も言っていたよ。私が居るから僕はこの街に留まれるんだ、と。彼の体質を考えれば当然なんだけれど、一つの場所にずっと居続けると土地が腐って朽ちてしまうんだ。」
そうだ。だから僕も祖父が亡くなってからは転校を繰り返していた。それは転勤の多い父のせいかと思っていたけれど、そんな転勤の多さももしかしたら僕が招いた腐敗の結果なのかも知れない。
「だから私がこの街に呼ばれたのだけれど。」
「成程。」
眼には眼を歯には歯を。力には力を。
と言った所か。流石、世界平和を願う龍様。個人の安寧秩序まで考えてくれているとは有難い。僕の祖父が此処に居続けられるように、竜西九が此処に居続けてくれたのだ。
「私は自分の存在を認識し、目視出来る人間に初めて出会い、心が踊っていた。当時の宗はまだ若く、毎日この山を登って来ては私に今まで出会った色々な怪異や怪奇現象の話をしてくれた。」
それは目に浮かぶ光景だった。僕の中の祖父もそうだったから。
「何年かして、宗はこの街で出会った娘と恋に落ち、結婚し、君の父上を授かった。」
僕の父。出張が多くてろくに口を聞いた記憶すら無い、僕の父。現実主義者であり、自分の見たものや聞いたもの、いや…自分で見たものや聞いたものさえ信じないレベルで疑り深く何ものも信じない、僕の父。
「私はその朗報が嬉しくて嬉しくて、産まれたその日にこっそり君の父上を見に行ったんだ。」
何だか三世代も関わっているとなると、今更ながら少し恥ずかし。僕の知らない祖父や父を竜西先輩は知っているのだ。胸がそわそわする話である。
「だけれど、君の父上。宗の息子には私が視えなかった。」
まぁ当たり前だろう。と、竜西先輩は続ける。
「私達の様なモノをそんなに簡単に視られる存在がおいそれと産まれる訳が無いのだから。」
竜西先輩は歩くペースを緩め、至極寂しそうな声色でそう言った。きっと期待していたに違いない。祖父と過ごした時間の様に、彼の息子とも楽しく笑い合える日々があるものだと信じて。その時の竜西先輩の心情は分からないけれど、落胆とはまた違っていたのだろう。もし、していたとするなら自分に、だ。そんな風に当たり前では無い事を当たり前だと思ってしまっていた自分に。
「そうして家族は三人になり、宗が私の山を訪れる事も少なくなった。二年目からは全く姿を見せなくなり、それでも私は仕方が無いと思った。之こそが当たり前だ。私は四龍なのだから。」
少し道が拓け、歩きやすくなったので僕は竜西先輩の横に並ぶようにして歩いた。その横顔からは相変わらず感情が読み取れず、遠くを見つめる瞳だけが強く輝いている様に見えた。
「それから、僕の祖父とは一度も?」
僕はすこし呼吸を整えやっと言葉を掛けることが出来た。
「いや、三十年程してから一度だけ会いに行ったよ。」
三十年を三十分位の感覚で言いながら、竜西先輩は少し立ち止まると僕の方を見た。
「そこにはもう、宗しか残って居なかった。」
三十年。
人間にとってそれは決して短いものでは無い。環境や状況が変わるには充分過ぎる時間だ。世界でさえ、立ち所に変わるだろう。
「妻を亡くし、息子も巣立ち。ただ静かに余生に身を委ねる様に庭先の縁側に座って居たんだ。」
美しかった。
と竜西九は断言した。
産まれて初めて人間を美しいと思った。
と、竜西九はそう言い切った。
「然し私は、宗の前に姿を現す事が出来なかった。余りにも美しいその光景に足が竦んだ。だからもうこのまま帰ろう、もう二度と街には降りないでおこう。そう決めた。」
再びゆっくりと歩き出した竜西先輩に僕も歩き出す。あ、もしかして休憩していてくれたのだろうか?本当に気遣い痛み入る。
「その時、私が来た事を知ってか知らずか宗が静かに言ったんだ。竜の私で無ければ聞き取れなかったかも知れない。外を眺めながら、まるで景色に、世界に話し掛ける様に─────
真を、よろしく。
そう言ったんだ。」
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