2-4

その日の帰り道、僕は天來と隣だって歩きながら竜西先輩の言葉を頭の中で繰り返していた。


「天井真。君が居るからだよ。」


その言葉の真意は分からない。意図も目的も何もかもが曖昧で不確定で、僕の心をざわつかせた。どうやら竜西先輩は僕の心を掻き乱すのがお得意の様だ。天來美心とはまた違った意味で。彼女が天來の提案する部活に入部したのはもう取り返しのつかない事実なので諦めるとして、部の名前も活動内容も定かでは無い、こんな怪しい入部勧誘に感化されるほど、竜西九は現実に飽き飽きしているのだろうか。天來が竜西先輩を納得させられるだけの口上を述べたとも思えない。なにせ僕にしても、部活しようよ!と馬鹿みたいにストレートな勧誘しかして来た事が無いのだ。その素直さが逆に効いたのかもしれないし、竜にとっては千年に一度の気まぐれかもしれない。


「なぁ、天來。竜西先輩は何で得体も知れない嘘臭い部活に入部する気になってくれたんだろうな?」

「しっつれいな!得体も知れるし嘘でも無いよう!美心の部活は!美心の部活はー…後二人揃ったら。得体も知れるし、本当になるんだから。」

「ちゃっかり僕も入れてんじゃねーよ。」

「残念。もうサインしてあります。」


天來は赤頭赤尾学園部活動設立申請書を僕の前にヒラヒラと差し出すと、その部員指名欄の一番上を指さした。"上等部一年 竜西九"の名前の上には"高等部二年 天井真"と書かれていた。筆跡も僕のだ。いやしかし書いた覚えなど無い。絶対に、断じて。


「てんちゃん先輩の筆跡を真似てみました!」

「今日は一日無駄に器用だな!」


声帯模写といい筆跡コピーといい、意外な特技を多数持ち合わせている少女だった。いや待て、筆跡をコピーしてのサインは合法じゃあ無いだろう。


「真似しているならそのサインは無効だろう?」

「バレなければおっけー!」

「この悪魔め。」

「悪魔でも聖書を引くことが出来る。身勝手な目的の為に。」

「身勝手なのは理解しているんだな。」


ウィリアム・シェイクスピアもビックリな使い回しである。僕は何となくキメ顔をしている天來を見て、もう半ば諦めていた。三日前の階段怪談に続き、四龍の発見と勧誘。天來には何を言っても無駄なのかも知れない。かと言って僕から離れる様子も無く、今日も今日とて仲良し宜しく下校している。僕は意を決して、だけれど気負った訳でも決意した訳でも無く、ただ軽く言った。


「まぁ、後二人。本当に後二人揃ったら僕も考えるよ。その天來の言う得体の知れる部活の事。」


あぁ、天來が嬉しそうに微笑むのが目に見える。

悔しいけれど、僕まで嬉しくなるじゃないか。不条理と不明を、不気味と不思議を、怪異と怪談を、伝説と神話を、嘘と真実を、こんな風に共有してくれる君が笑うと。


「え?もうてんちゃん先輩のサイン書いてあるのに?」

「雰囲気台無しだな!おい!」


そんな軽口の言い合いが最近はしっくり来ているのも、また悔しい。僕は天來の頭をぐりぐりと撫で回しながら悪態をつくが、それでも嬉しそうに笑う天來。


「ではではてんちゃん先輩!ここでさようならなんだよ!」


髪を直しながら僕の隣のマンション前でそう言った天來は大きく手を振り、そのマンションの中へと消えていった。大きなソファーの置かれているエントランスを抜け、角を曲がり見えなくなる後ろ姿。数日前に送った時も思ったのだが、天來の住むこのマンションはこの界隈では珍しい高層マンションで、かなり目立つ。僕が赤頭赤尾学園せきとうあかおがくえんに通いだした頃に建設が丁度終わったので、まだ築年数は二年程。未だに全ての部屋が埋まっていない所を見ると、それなりの値段を張るのだろう。そんな御値段お手頃では決して無いこの高層マンションの最上階、それもワンフロア全てを借りている(買い取っているのかも知れないが)に住んでいる天來はエレベーターもそのフロアへ直通らしい。天來家の所有財産が気になる話ではあるが。

僕が送ったその日、彼女の家族に会う事は出来なかった。夜も遅かったので、ちゃんと挨拶と謝罪をしたかったのだけれど、両親どころか人が住んでいるのかも分からない程に殺風景なその室内に僕は少し驚いたのを覚えている。生活感の無い。と言うには言葉まだ生温い。家具自体はそれこそ高級品であろう物が取り揃えられているにも関わらず、まるでモデルハウスの様に無機質な空間。正直、天來には不似合いな空間だった。何処にどう住んでいようが、他人の僕が口を挟む問題では無いのだけれど、その虚無的な空間でさえ何も気にしていない様な天來の笑顔がとても刹那的に思えた。僕は高層マンションの最上階を見上げた。これでは僕の方がストーカーみたいだ。笑えない冗談も程々にしなければ。そう思い、足先を隣のマンションである僕の家の方へと向けた。


「ん?」


するとマンションの前に人影が見えた。薄暗くて良くは見えないがどうやらマンションの前に誰かがしゃがみ込んでいる様だ。僕はその人影に近づき、急な腹痛でも起こしたのかと心配しながら、大丈夫ですか?と声を掛けた。


「帰ったか、天井真。」


腹痛の主は顔を上げ無表情でそう言う。学園の正門前で別れた筈の竜西先輩だった。


「え、何してるんですか?」

「君を待っていたんだよ。」


僕の質問に短く答える竜西先輩。相変わらずの整った顔立ちからは感情が読めず、本当に僕を待っていたのか疑問視してしまう程淡々としている。


「どうして僕の家の場所を?」

「前に天來美心を付け返した時に、偶然知ったんだ。悪意は無い。」


尾行がバレていた上に尾行し返され、自分の自宅を特定されるなんて探偵失格だぞ、天來。そして僕の自宅まで巻き込むんじゃない!


「まぁ経緯は分かりました。その節はすみませんでした。」


感情は全く読み取れないが、竜西先輩の言葉に嘘は無いだろう。ただ、竜である自分を付け回す人間が何者なのか純粋に知りたかっただけなのだろうから。天來も言っていたが、彼女は少々不器用なのかも知れない。真っ直ぐ過ぎて不器用。曲がった事が出来ないのだろう。竜としても。人間としても。


「それに関しては問題無い。私の方も天來美心を数日観察した結果、悪い者の手先では無いと確信を得ている。」


天來。お前が知らない間に何か大事になっていたみたいだぞ。この件は後日詰め直すとして。


「じゃあまた…何の御用で?あれでしたら上がって行きますか?」

「……いや、実に魅惑的な誘惑なのだが今は別の用件なのだ。」


僕は知らず知らずのうちに竜を誘惑してしまったらしい。末恐ろしい。気のきかせ方がいまいち空回りする僕を見兼ねて、竜西先輩はスッと立ち上がった。やはりと言うべきか、流石と言うべきか。その長身とバランスの取れたボディラインには圧巻である。こらからは陸上競技だけでは無くモデルとしても活躍して頂きたい位だ。


「少し歩きながら話さないか、天井真。」


そんな僕の考えを知ってか知らずか、竜西先輩は背を向けて歩き始めた。僕は慌てて返事をし、その後を追った。どうやら今夜も遅くなりそうだ。

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