2-3

「ゲコッ!」


現在、屋上には天來美心による蛙の鳴き声が響いていた。非常に良く特徴を捉えていている。これからは天來美心を語る時には声帯模写も得意、と伝えなければならないかもしれない。


「ガーーーゴッ、グゲ!グゲゲゲ!」

「トノサマガエル。」

「フィー、フィー」

「カジカガエル。」

「ワンッ!ワンッ!」

「ネバタゴガエル。」

「キャキャ!クックックッ!」

「ヒキガエル。」

「ブッブッー!今のは美心の笑い声です!」

「気持ち悪っ!」


そう、こんな下らない時間を繰り返すこと早一時間。余りにも天來の動物声真似シリーズの完成度が高かったので、ついつい答えたくなってしまったのがこの結果である。しかしまぁ、残念ながら飽きた。一時間色々な動物の声真似をしてくれた天來には感謝もあるが、もう少し早めに引導を渡して欲しかったものだ。

僕が竜西先輩のハンドサインを受け取りそれを天來に伝えると、彼女は「勿論!待つよね!」と更にその笑顔に華を咲かせたのだ。ご対面前に緊迫してもいけないと思い、ハンドサインに関してやんわりと伝えてしまった僕が悪いのか、相変わらず天來美心が能天気なのか。一時間もこうしていれば自然と僕の緊張も解れなくもないが、校庭で見たあの竜西先輩の鋭い眼光を思えば蛇に睨まれた蛙よろしく睨み殺された蛙だ。一層の事帰ってしまいたい。何だか眠たくもなって来たし…うん、六月にしては珍しく良い天気だ。屋上だからか風も心地好い。天來もそんな僕に気を使ってか涼やかな小鳥の鳴き声や川のせせらぎ、木々の擦れる音を再現してくれている。手放しで褒めたい位の完成度なのだけれど、如何せん今の僕は身体が動かない。一時間待ってみても来ないのだ。三十分程寝てしまっても問題無いだろう。

僕は天來の緊張感の無さを棚に上げ、静かに眠った。




昔の夢を見た気がする。


満たされていないようで


きっと今よりは満たされていた昔を


ダレカが言った


僕は虚言癖のあるおかしなガムボールだと


跳ね回り、飛び回り


その全てを真っ白い紙が真っ黒になるまで飛び尽くした


思い尽くし


塗り潰し


覆い尽くし


やり尽くし


燃やし尽くし


それでもまだ尽くし尽くさず上へと飛んだ


足りなかった


僕には時間も知恵も勇気も希望も夢も現実も


何もかもが足りなかった


ダレカが言った


僕は虚言者で出来損ないのジェンガだと


崩れた


それはいとも簡単に隙崩れた


飛び跳ねることを止めた


地面に足が着き


月まで伸ばしていた手は焼け焦げた


星を掴み損ねた


感じ損ね


塗り損ね


覆い損ね


やり損ね


燃やし損ね


それでもそのダレカがダレなのか


未だに全くさっぱり分からない


嘘と言う一つ一つのジェンガを


抜いては重ね、抜いては重ね、紡ぎ、伝え


高く積み重なったその虚言の塔は大きく音を立て


崩れた。




薄らと目を開けた先にぼんやり顔が見えた。天來が眠ってしまった僕の顔を覗き込んでいるのか、随分と暇を持て余していたようだ。眠っちゃって悪かったなーなんて思いながらそっと天來美心の頭を撫でる。手入れの行き届いた指通りの良い黒髪。想像していた通りだ。この、指の隙間をスルスルと抜ける感覚。スルスルと、スルスルと?


「…………え?」


僕は重たい瞼を開け、その指の感触が何なのかを確かめた。確かに指通りは良いが短い。嫌に極端に短い。何だ何だ僕が寝ている間に天來の奴、飽きの車両が最終地点に達してまさか断髪式へと洒落こんだのではあるまい。僕は天來がどれ程までにその青黒い髪に対して思い入れと執着があるのか分からないが、あれ程までの長髪を切るには、その決意も含め時間の掛かる行為だろうと思った。


「竜西…先輩…?」


何の事は無い。僕が天來だと思って撫でていた頭は竜西先輩の、竜西九の頭だったのだ。その整った小さな顔に誂えたようなベリーショート。僕は飛び起き、撫でられた感触を確かめるかの様に自分の頭を再度確認しながら自分でぺたぺたと触る竜西先輩へと目を見張った。とんだ寝起きドッキリである。

どこのどんな企画で、それが通って採用されたのか。企画自体が企画倒れで企画外だというそのドッキリに僕はまんまと嵌った。


「お、おはようございます。」


この状況での第一声が起きがけの挨拶だった事に関しては危機感を無きにしても、僕も呑気なもんだと思う。だけれど人は本当に驚いた時、思いの他冷静になれるものだ。いや頭は大混乱しているけれど。


「御早う、天井真。良い天気だな。」


正直どれ位眠っていたは分からないが、空はすっかり夕暮れ模様でこれが良い天気なのかは分からないが、僕は真顔で冷静にそう言った竜西先輩に対して、そうですね。としか返せなかった。これでは話の広がりようも無いのだけれど、広がるのは僕の困惑ばかりだ。


「あ、てんちゃん先輩起きたんだね!おはようだよ!」


そんな僕の愛想の無い返事に顔色を一切変えなかった竜西先輩の右肩付近からひょこっと天來美心が顔を覗かせた。その小さな頭を竜西先輩の肩にちょこんと起き、前のめりになりながらニコニコ笑う。その顔は竜西先輩と親友だと言われようものなら信じてしまいかねない程の、屈託のない疑いようのない晴れやかな表情だった。

僕は戸惑いながらも身体を起こしながら座り直すと、状況を整理する為に辺りを見渡した。僕、天來美心、竜西九先輩、僕の鞄、天來美心の鞄と思われる仏具ストラップの沢山付いた学校指定鞄、竜西九先輩の鞄らしき異様に大きなスポーツバッグ。全く整理整頓はつかない。が、それにしても数時間前に殺意満点にハンドサインを送って来た竜西先輩が目の前に居るのだ。まずすべき事は


「あの、すみません。頭…撫でてしまって。天來と勘違いしてしまって。」


謝罪だった。何とも情けないが仕方ないだろう。寧ろバレているであろう天來のストーキング行為も謝りたい所だけれど、彼女達の様子を見ているとその必要も無いのでは無いかと思う。天來は竜西先輩の手を取り、自分の頭の上にポンっと乗せている最中だった。何だ何だナニガオコッタ?


「いや、別にいい。」


竜西先輩は天來の頭を無理矢理撫でさせられながら言った。感情の分からないタイプの人だ。声色から本当に気にしていない感じが伝わるものの、顔はそのまま無表情である。何を考えているのか読み辛い。


「いっちーは不器用系女子なんだよ!」

「いっちー?」

「そう、竜西九だからいっちー!」

「なっ!?」


なんと、上等部でもあり竜の一族である竜西九をいっちー!?せめて先輩を付けろ天來!いや、そこじゃない!驚愕する僕を尻目に天來はそんな事気にする素振りも無く相変わらず自由に竜西先輩の身体をぺたぺたと触りながら何かを確認していた。その間も微動だにせず表情一つ変えない竜西先輩は宛らマネキンか不動の山と言った所だ。


「んー、にしてもいっちー。まじかで見るとあんまり竜っぽく無いねー!確かに背は大きいけど!」

「そうだな。まぁ今は人型を取っているせいもあって、別段他の者達と変わり映え無いだろう。」


人は驚きが幾度にも重なった時、思考回路がシャットダウンする様に出来ている。経験者談だ。


「ご飯はどうしてるのー?」

「特に人間と変わらないな。」

「好きな食べ物は?」

「エクレア。」

「飛べるの?」

「翼竜ではあるが、余り得意では無い。竜西家は走る方が得意だ。」

「人型は苦痛じゃない?」

「力加減は難しいが竜の姿よりは過ごしやすいな。」

「本当は何歳なの?」

「おっと、レディに歳を聞くのはジェントルマンでは無いと人間の世界では言うそうじゃないか。」


思考回路が停止した僕の目の前で行われている、人と竜との異文化コミニュケーション。竜ってエクレア好きなんだ。と言うか竜西先輩、そんな堂々と竜を公言しても良いのだろうか?こんな頭のネジが一本も無い様な謎の小娘に。然し喜々悠々と竜西先輩に質問を繰り返す天來を見ていると、そんな疑問も何のその。色々と僕が話を伺うのは後回しでいいかな、なんて思ってしまう。常々、つくづく天來に甘い僕である。にしても冷静に淡々と質問に答えて行く竜西先輩の姿から気品さえ漂う。物怖じせず、聞かれたことを端直に明確に捌いていく彼女は、もしかしたらずっと、自分の姿を知った誰かとこんな風に話し合える事を望んでいたんじゃあ無いかと思う。昔、四龍の寿命は約千年程だと聞いた事がある。果たして竜西先輩が今何年生きていているのか、ジェントルマンの僕としては知る所では無いのだけれど、確実に明らかに、上等部に通う年齢で無いことは確かだ。今、天來美心の様に其れこそ物怖じず、四龍だとか人間で無いだとか関係無く、差別無く区別無く。話せる場所を、話し合える人を、求めていたんではないだろうか。僕はそんな風に思いながら二人を見つめていた。


「天井真は入っているのか?」


唐突に僕の名前が出たので少し気を引き締めて竜西先輩の方を見る。


「てんちゃん先輩は一号だよ!」

「一号?」


一瞬、何の事か分からなかったけれど、その順位付けにハッとし訂正を入れようと口を開いた瞬間


「よし、それなら私も入部しよう。」


と竜西先輩が力強く断言してしまった。入部。部活。最近、耳にタコが出来る程聞き慣れた嫌な単語である。いや待てよ。竜西先輩は陸上部なのでは?そんな僕の疑問を他所に、天來は自分の鞄から赤頭赤尾学園部活動設立申請書を出すと、その部員指名欄を指差しここに名前を下さい!とペンを渡していた。


「懸念するな。天井真。私は決して陸上部員では無い。ましてや何処の部にも所属してい無いのだ。」

「え?」


ペンを走らせながら竜西先輩は続ける


「私は西を護る者として、一つの事や一つの物、一つの場所、一つの者に固執してはいけない身。だから長い間どの団体にも所属する事なく過ごしてきた。」

「じゃあ、何故?」


僕の疑念に、名前を書き終えペンを置いた竜西先輩は答える。僕の目を見て。グラウンドで見せたその瞳とは全く違う。真っ直ぐな、それでいて心地の良い、心洗われるかのような澄んだ瞳で。


「天井真。君が居るからだよ。」

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