#5 偽物の姿
トオルが目覚めた翌日、彼は佐和より早く起き、ジュースみたいな食事をして、リハビリといってあちこち動き回った。サンダルを履いて廊下を歩き、開けられる扉を全部開け、使える物資がないか確認。栄養食品のジュースとカロリーバーと乾物っぽい食料と、シーツと、下着を手に入れた。
午後はまたジュースを飲み、建物の周辺を散策。
パジャマみたいな服しかなかったので、佐和は不要なジーンズを一本、トオルにあげた。靴はサイズがあうものがなくサンダルのまま。山の中は連れて帰るのが大変だからと、建物の影の中だけをまず散歩してください、という希和にわかった、と素直にうなづいていたのに、草むらに分け入って芋のつるを発見した。
「まさか芋を掘り出すとは思わないよね」
『なんだかたのしそうだねえ』
「見てるのは楽しいけど、なんだかあぶなっかしくて」
話し相手は、ノートパソコンのディスプレイの中だ。黒縁の眼鏡をかけた中年の男が、小さなウィンドウに映し出されている。常に困っているように見える下がり眉で、時々目尻に小じわが浮かぶ。表情に比べて、手の動きなどの大きな動作はパターンが決まっている。
『彼女がついていたんだろう?』
「うん、くっついて歩いて、最初は止めたりしてたんだけど、自由にさせることにしたみたい。芋掘りの後は、ストレッチして30分昼寝、心肺機能と疲労の検査……、夕食は大豆バー」
芋はさすがに、流動食からすぐというわけにはいかない。今夜はかろうじて固形の栄養食品だった。甘いやつ。明日は絶対芋を食べるといっていた。
胃腸の調子はともかく、屋内や日陰を歩く程度のリハビリは必要なさそうだった。
それを証明しようと、トオルは軽く助走をつけて、宙返りをしてみせた。
……着地には失敗したけど。
あっという間のことで、希和は止めることもできず、音をたてて踏み込んで回転してスリッパが飛んだ。足で着地できたけど、転倒。でもすごいなと思って、佐和はおもわず拍手してしまった。
希和は数秒固まってから、駆け寄ってすごい小言をいっていた。
それが一番おもしろかったんだけど。
これは、彼には報告しなくていいよね。
「今日のリハビリはこんな感じ。明日も運動と食事って制限?」
『疲労度によるけど、大丈夫なんじゃないかなあ』
「昨日まで寝たきりだったのに、すごいよね?」
『リハビリって言っても、まあ、『帰還者』ってのはさ、目が覚めた時には運動機能に障害が出ない程度には調整してあるものなんだ。まあ、あくまで予定だから確認しなきゃならないんだけどね』
「イズミさんにも見せてあげたかった。くっついて芋掘りする希和とトオル」
『オレも見たかった、見たかったよー!』
「カメラないのが残念だわ」
『どこかのを持って行けないかなと思って、取り外せそうなところを探している』
「希和からの報告は受けていないの?」
『希和はトオルの管理で手一杯だよ。オレが話しかけちゃ、混乱しちゃうからね』
「イズミさんとは、つながっていないの?」
『佐和、オレはカミオカだよー?』
ティスプレイの中の彼、カミオカが髪を掻くしぐさをする。彼からはこちら側の表情は見えない。このノートパソコンにはカメラがついていなかった。マイクだけ。
彼はワイシャツの上に白衣を着ている。ネームプレートを胸のあたりに挟んでいて、そこには「izumi」と書かれている。
このモデルの制作者は、イズミの写真から、忠実にモデルを作ったのだろう。問題は、佐和がこの顔の人とは知り合いだったことだ。
「イズミさんが今、どこにいるか知ってる?」
『さあ、知らないなあ』
「本当に?」
『本当だよ。信じてないわけー? ひどいなあ!!』
「イズミさんって、結構しょうもない嘘をつくって聞くし……」
『誰から聞くのかなあ、そんなことは』
こんな状況だから、わざと知り合いの顔で話しかけてきてるのかな、とも思う。否定はまだできない。もし、カミオカがもっと親しく信頼している人の顔を使ってきたなら、多分、話なんかしていない。そういう意味ではうまい人選だったと思う。信用はできないけど。
「誰って、誰だと思う? あててみてよ。クイズクイズ!」
佐和は軽い口調で訊いてみる。普段は無駄なおしゃべりもするカミオカだが、質問には答えないことも多い。
『さあねえ? ……それよりさ』
カミオカは話を変える。これは答えられない時のいつもの回答だ。
正解は佐和の旦那だ。旦那のことはカミオカも答えられない、と改めて確認する。
神岡には佐和とロボットの希和、昨日まで眠っていたトオルしかいない。カミオカはこの施設の管理者。外との通信はできない。どこかに古い道はあるが扉を開く鍵が必要。地図はない。
ヒントを出すのは、カミオカだけ。そういうゲームをしているようなものだ。
『トオルが戻ってきたんじゃないかな』
言われて、佐和は振り返った。廊下に続くドアは開け放されていて、そこからぺたぺたと軽いスリッパの音がしたかと思うと、ひょこんとトオルが顔を出した。シャワーをしてきたのだろう、頭からタオルをかぶっている。
部屋の中をのぞき込んだかっこうでいきなり佐和と目があってしまったトオルは、ちょっと驚いた表情を浮かべると、既に開いているドアをたたいてみせた。
「こんばんは。おじゃましてよろしいでしょうか?」
トオルは、わざとらしいほど礼儀正しく真顔で訊いたあとで、気前よく笑いながら言った。
「ヨバイじゃないですよ」
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