#4 夢見

  がーがーと、アヒルが鳴いているような音がうるさかった。不快なリズムではなかったけれど。大きく息をついて目を覚ます。あたりは薄暗い。

 ノートパソコンに電源が入っていて、そこだけが明るかった。麦わら帽子の形をしたスクリーンセーバーがゆらゆらと動き回っているのが見える。机に背を向けて誰かがベッドのそばに座っていた。腕を組んで、ぼんやり窓の外を眺めている。

 大きな窓にはカーテンはなく、暗い夜の森を巨大な生き物のように見せていた。


「……起きた?」


 気づいて彼女はトオルと目を合わせ、声をひそめて言った。その目がはっきりとした存在感があって安心する。夢を見ていた気がする。すごく喉がかわいている。


「誰……?」

「残念、ミナコさんじゃないよ」

「美奈子さん、って、俺、言った?」

「うん。寝言っていうより、うわごとでかな。うなされてたよ。さっき」

「なんか怒られる夢、みてた……」


 少し咳き込む。彼女は椅子を鳴らして立ち上がり、コップに水を入れてくれた。トオルはベッドの上に起き上がって水を飲む。ぬるい水だったけど、飲みやすい。喉を鳴らして一気に飲む。むせずに飲めた。


 薄闇の中、彼女がかすかに笑みを浮かべたのが見てとれた。彼女は昼間に山の中でトオルをつかまえた女の人だ。たしか、佐和といった。少し前からここで暮らしているという。看護師でもヘルパーでもなく、病人というわけでもないらしい。


 ベッドの足下のほうには、椅子に座ったままちいさく背をまるめて眠っている子がいた。おかっぱのまるい頭に、金魚柄の白い浴衣、ピンクの帯。希和という名のヘルパーロボットだという。

 トオルはそろそろと手を伸ばし、希和の頭をなでてみる。静かに眠っていて、頭はほんのり温かい。ロボットです、って自己紹介されたけど、佐和と親子のように見える。何かわけがあるのかな。


「ロボットみたいじゃないでしょ」

「はい」

「びっくりするよね。そうは見えないけど、すごく力持ちだし、賢いし……その顔は信じてないな?」

「あーえーと、びっくりしました」

「そうだよね!」


 そこはつっこんじゃいけないところだったらしい。でも確かに、山道で低血糖になり、ふらふらしていたトオルをひとりで抱えて、それも横抱きで運んでくれたのは希和だった。意識が朦朧としていたとはいえ、パンツを履いていない系18歳男子としては信じたくないという気持ち。


「あの、俺、どっか悪いんですか」

「いまのところ特に問題なし、ただしリハビリは必要。しばらく意識がなかったから……点滴は、栄養と水分――くわしいことは、希和にきいて」

 左腕には、点滴を射すポートが固定されたままだった。固形のご飯を食べるまでにはもう少しかかりそう。

「トイレの時は手伝うから」

 部屋を出てすぐだから、と開けっ放しの扉の方を指す。いえいえ、何を言っているんですか? 看護師でもヘルパーでもないという佐和に頼むのにはかなりハードルが高い。

「……いえ、大丈夫です」

「そう、無理しないでね。ほんとは希和に頼めばいいんだけど。力持ちだし。でも、希和も眠らせてあげたいから」

 ロボット設定で力持ちでも、見た感じ小学生だ。多分、10歳前後。自分のベッドで寝て欲しい。

 そういっても、この施設には佐和と希和しかほかにはいないという。ナースコールする機械もない。携帯電話も、PHSも……。何か急を要する事態になったら、ひとりではどうにもならない。それは佐和たちにとっても同じだ。

 がーがーというなにかの鳴き声が続く中、ぽつぽつと話を続ける。


「トオルって、お姉さんがいる? 似たかんじの」

「似た感じかはともかく、姉貴がいますよ。10歳はなれてて……」

「10歳! うーん、でもじゃあ違うかな。もうちょっと年上だったはず。名前がちょっと思い出せない」

「姉貴は美奈子っていいますけど」

「どうだったかなあ」


 悪夢に出てきた姉の話をしていたら、希和が起きてしまった。むくりと体を起こし、ぱちりと目を開けて、ふたりを交互に見る。これまででいちばんロボットっぽい動きだ。


「ミナコ?」

「ちがうよ。俺はトオル」

「トオル、呼びましたか?」

「……うん、椅子じゃなくて、横になって寝たら?」

 詰めれば大丈夫。と少し除けてみせると、ベッドによじのぼってくる。もうこのまま寝てしまおう。

「もうちょっとつめて」

 佐和がそういうので柵際まで押されてしまった。彼女も乱入しているからだけど、狭いこと以外は気にしないことにした。

 がーがーと何かの鳴き声がうるさい。眠りに落ちる間際、カエルだよと佐和が教えてくれた。

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