第3話『ギムレットには早過ぎる』

     ※


  帽子屋と別れて、俺とノアーズは近場のバーへ入った。

 『ノアの酒場』という看板がかかってはいるが、店のマスタはノアという名前でもなんでもない。昔、『ノア』というコロニーから流れてきたから、というのが本人の談だが、実際はわからない。

 テーブル席はなく、カウンタ席が長い円をえがくように並んでいる。椅子はなく、殆どの客が立ち飲みだ。座りたい客は、酒を頼んでから壁側にあるソファに腰掛ける。踏み入れた店内は、客同士の話し声と、それを邪魔しない程度に流れるジャズのBGMで賑わっていた。

 店の奥のカウンタに陣取ると、マスタが注文を取りに来る。俺は『ワイルド・ターキー』を、ノアーズは『グレンリヴェット』を注文した。勿論ストレー

トである。

 この店は色んな業種の人間が足を運ぶので、情報収集の場には持って来いである。表の仕事、裏稼業問わず、訪れる客も皆、人前では話せないような話をするために飲みに来ている、ともとれた。

 目の前に琥珀色の液体が注がれたグラスが現れた。ノアーズをちらと見やり、俺達は無言でグラスを鳴らすと、そのままそれを喉へ流し込んだ。40度のアルコールが喉を焼き、心地良い熱さが胃を満たしていく。

 ふぅ、と息を吐けば、隣のノアーズは二杯目を注文していた。スコッチ派の癖に香りを楽しまないとは、風情を解せぬ奴である。


「さて、知っている顔はいるかしら、っと」


 二杯目をグラスに注いでもらいながら、ノアーズは辺りを見回す。彼女は我が社の渉外担当である。こういった場での情報収集もお手の物だ。

 俺が一杯目を空ける段になって、ノアーズは知った顔を見つけたらしい。グラスを持ったまま席を離れ、入口側のカウンタに立っている男の隣へと向かった。あいつは確かフリーの賞金稼ぎだ。

 そのまま、マスタと世間話をしていると、一人の男が店を出る様子が見えた。

 赤毛で長身痩躯、伸ばした襟足の神は三つ編み気味に縛っている。うなじ辺りに覗く肌は、褐色――。

 ――――アレは。

 ドアが締まりベルが鳴った所で、俺は走りだしていた。

 ――――まさか、アイツは。


「――っと、ハーパー! ちょっとどこ行くのよ!」


 呼びかけるノアーズの声を尻目に、人混みで溢れる繁華街の路地へと飛び出した。

 道行く人の間をすり抜けながら、赤髪の男を探す。

 ――いない。

 反対側の路地へ向かう。

 ――いない。

 走る。走る。走る。

 路地毎にその姿を探し、歩く人々の間をすり抜けながら。

 遠い記憶を辿り、あの赤い髪の後ろ姿を追った。

 ――幼いあの日、友と誓ったあの姿を。

 ――生き急いでいたあの頃、共に預けあったあの背中を。

 ――若かったあの時、今生の別れと嘆いたあの優男の姿を。

 ウォルフ。アイザック・ウルフ・バーンハイム。俺のたった一人の親友――だった男。

 気がつけば繁華街の外れまで来ていた。倉庫街だ。物資運搬用の河川が目の前に流れている。

 心臓が大きく脈打ってるのは、走ったせいだけではないだろう。

 汽笛が聞こえる。船が近づいているのだ。

 そして――。

 倉庫街を抜けた先の埠頭で、ようやくその姿を捉えた。


「――――――ウォルフっ!!」


 叫んだ所で、ようやく赤髪は止まった。縛った髪をしっぽのように翻しながら、男は振り返る。


「――――よぉ。おひさ」


 目付きの悪い三白眼。左頬の傷跡。間違えようもなかった。


「なに、お前わざわざ走って追いかけてきたのか? そんなに息切らして、相変わらずシケたツラしてんなぁ」


 記憶のままのシニカルな笑顔で、親友はこちらに近づいて来る。


「にしてもよぉ、気付いたんならすぐ声かけりゃ良いだろーがよ」

「――唐突だったから、思考停止してたんだ」

「相変わらずワンテンポ遅れた奴だな」

「うるせーな、これでも気にしてんだよ」

「気にするだけで直るなら、世話ねーな」

「そういうお前も、相変わらずだ」


 他愛もない会話に、遠い日の記憶が甦る。幼い日、畑の裏で益体もない話ばかりしていたあの頃。

 今、何やってるんだ――そう問いかけて、の右手が懐へ伸びている事にようやく気付く。


「お互い相変わらずなのは結構だが――、これ以上は駄目だな」


 汽笛の音が大きくなる。互いの声もかき消すほどに。

 音は幾度か鳴り続け、そして船が目の前に止まった。

 小刻みにエンジンの音が鳴っている。クラシカルな蒸気船だ。まるで20世紀のテーマパークにありそうなその姿は、遥か地球から遠く離れたこの人工衛星には似つかわしくなかった。

 騒音の中、カチリと撃鉄を起こす音がはっきりと聞こえた。

 親友の手に握られた拳銃。その銃口は、正しく俺へと向けられていた。


「お前、戦争が終わってから、俺の消息調べたりしなかったのか?」


 ウォルフはにやけ顔のまま、問いを投げかけた。


「調べたさ。戦闘中行方不明MIAだったってな。だけど、お前は殺しても死ぬような奴じゃないだろ? だから思ってたんだ。きっと、何処かで生きてるんだろうって――――」


 そうさ、俺だってMIA扱いになってる。名前も戸籍も変え、今こうして生きてるんだから。


「ならよ、こうは考えなかったのか?」


 銃口を向けたまま、ウォルフは歩み寄る。ツリ目がちな目を細めながら。まるで、獲物に狙いを定めるように。


「お前が追っている『亡霊』共の中に、俺が混じってるんじゃないか――とかさ」

「え――――?」


 轟音が響いた。

 膝の力が抜けた。

 そのまま地面に膝をつく。

 倒れるのは、かろうじて堪える事が出来た。

 咳き込めば、口から血反吐が溢れてきた。

 胸が熱い。

 火傷してしまいそうだ。


「あばよ、マーク・・・。悪いが、これきりにさせてくれ。二度も親友を撃ちたくねぇ――――」


 ウォルフが踵を返す。

 船から幾人か、軍服姿の男たちが出てきた。

 ウォルフはそれを手で制し、船へと乗り込む。

 ――――目が霞んできた。

 一際大きな汽笛が響く。

 視界が揺らめく。

 意識を保っていられない。

 また汽笛。

 そこでようやく、俺の身体は意地を張るのをやめた。

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