第31話
そんなレイン達の姿を、森の木立の陰から見る者達の姿があった。
身に着けている装備は茶や緑といった地味な色に統一され、フード付きの外套を羽織ったその姿は、じっとしていると非常に見分けづらい。
時折木々の間を移動する姿もあったのだが、足音はまるでせず、下草をかき分けるような音も聞こえてこないほどに、それらの人影は静かにレイン達のいる商隊を観察していた。
商隊が休憩を取っている空き地から人影達までの距離はそれほど開いてはいないのだが、そんな距離でいくら他に注意が向いているからといってもレインやクラースにまで気づかれないその姿は普通ではない。
しばらくレイン達の行動を観察していたその人影達の中の一人が、手で何事か他の者達に合図をする。
すると一人が懐から金属片を取り出すと、木々の葉の間からわずかに差し込んでくる日光へそれをかざし、光をどこかへと反射させ始めた。
「それ何かの合図? みなさんどちらのどなたなのかな?」
まるで音のしない空間に、びっくりするほどはっきりと、しかし少し離れているところにいるレイン達には届かない程度の声量でそう呟いたのは、一人の少女である。
茶色の髪をポニーテールにし、革鎧を装備したその少女は呆気にとられて言葉を失う人影達を見回してから、こてんと首を傾げた。
「驚かせちゃったかな? ボクとしてはそんなバレバレの隠形でこんな近くにいたのだから、隠れる気もないのかなと思って来てみたんだけど」
抑揚のない声でしゃべるのはルシアであった。
いつの間にか彼女は、レイン達がいる休憩所からレイン達にも木陰に隠れる人影達にも見つかることなく、その場に移動してきていたのである。
そのことに驚く人影達は、目の前に立つ少女がそこにいるというのに、何故か気配もなにも感じないことに気が付いて、もしやその少女の姿は魔法か何かによる幻なのではないかと考えてしまう。
「あれ? ボクの声聞こえてない? あんまり騒ぐと色々うるさくなりそうだから声を抑えているんだけど、もう少し声を上げようか?」
どこかに術者がいるのでは、と周囲を探り出した人影達の様子にルシアはわざわざ声の大きさを少し上げ、足下にあった草を音を立てて踏んでみせる。
それは本当にわずかなものであったのだが、それで人影達は目の前の少女が幻ではないということをようやく認識した。
「それで最初の質問に戻るんだけど……」
言いかけたルシアの手が素早く自分の首の前へと振り抜かれる。
その振り抜いた手を自分の目の前へと持って来れば、少女の指に挟み止められた投擲用の短剣がそこにはあった。
刃が光を反射しないようになのか、黒く塗り潰されているのを見てルシアは嘆息を漏らす。
「そっち方面の人達かー、お話し合いってわけにはいかないみたいだね」
呟くルシアに構うことなく、二つの人影が地を這うように体勢を低くしながらルシアの前方から素早く近づいていく。
その手にはルシアが受け止めた短剣と同じく黒く塗られた刃が握られており、しかも二つの人影は、ほんのわずかにタイミングをずらしながらルシアへと切りかかった。
それは片方をなんとか防いだとしても、その隙にもう一人が攻撃を加えるといった連携の攻撃であり、よほど熟練した戦士であったとしても完全に防ぐのは難しいのではないか、と思わせる速度である。
だがルシアの視線は目の前に迫ってくる二つの人影の他に、木立を蹴って頭上から飛び掛かってこようとしている二つの人影を捉えていた。
「訓練された斥候って厄介だよね」
前方と頭上からそれぞれタイミングをずらした攻撃を仕掛けられるといった状況の中でルシアが取った行動は、自ら前に出るというものであった。
それは自らが前に出る速度によって相手の間合いに入るタイミングを調節するといった意図からであり、相手の思うタイミングで攻撃を繰り出させることを防ぐ狙いがある。
同時に既に空中にある二つの人影は、空中で方向転換することなどできるわけもなく、頭上から繰り出されるはずであった二つの攻撃を封じるという手でもあった。
「不用意に飛ぶなんて馬鹿のすることだよ? ボクらには翼があるわけじゃないんだし」
そう呟きながらルシアは一人目の人影が繰り出そうとした短剣による一撃を、その手首を押さえることで防ぐ。
同時に交差気味に相手の懐へと入り込んだルシアは、地面を強く蹴りながら相手の体へ自分の体を肩から突っ込ませた。
それだけのことで、攻撃を防がれた人影の体が派手に後方へと吹き飛ばされる。
小柄なルシアが、自分よりも大柄な相手を体当たりで吹き飛ばすといった光景を目の当たりにして、二人目の人影の動きが止まった。
そこへルシアはいつの間にか一人目の人影から奪い取っていた短剣を、素早く投げつける。
光を反射しないように黒く塗られた刃は大気を切り裂き、そこでようやくルシアの方へと向き直ろうとしていた人影の首に正面から突き刺さった。
「小娘っ!」
喉に突き刺さった刃を押さえながら、ごぼごぼと湿った音を立てつつ膝をつく人影を、ルシアはいつまでも見てはいない。
空中からルシアへと襲い掛かろうとしていた二人が、ルシアを飛び越える形でその背後へと着地し、振り向きざまにルシアへと切りかかっていたのである。
だがその攻撃もルシアの体を捉えるには至らなかった。
まるで背後が見えているのではないかと疑う程に正確なルシアの蹴りが、一人目の攻撃を下方から蹴り上げ、二人目の攻撃は蹴り上げた足が地面へつくのと同時に振り向いたルシアによって、あっさりと回避されてしまったのである。
しかも攻撃が空振りし、つんのめるような形になった襲撃者の手首を取ったルシアは、そのまま手首を極めると相手の勢いを利用して投げをうったのであった。
戦闘の最中でありながらほとんど物音のしない空間に、極められた手首といつの間にか同時に極められていたらしい肩の骨が折られる音が響き渡り、投げられた人影は腕に走った激痛に地面の上でのた打ち回る結果となる。
「呻き声も上げないの? 訓練され過ぎじゃないかな?」
喉を刺された人影も、骨を折られた人影も、呻き声の一つも上げないという状況にルシアはひょいと肩を竦めながら呆れ返った声を上げた。
酷く軽く見える仕草ではあるのだが、ルシアのとんでもない戦闘能力を見せられた後では、仕草から感じる雰囲気をそのまま信じるようなことはとてもできない。
「さて、そこに転がっている人は戦闘不能っぽいから。話はその人から聞けばいいよね」
ぽんと一つ手を打って、にこやかな笑みと共に物騒な言葉を吐き出したルシアは、警戒を解いていない人影達の方へと、無造作な歩みで近づいていく。
外見からすれば小柄で隙だらけに見えるルシアであるのだが、下手に手を出せばどうなるかを今しがた見せつけられたばかりの人影達はルシアが進む分だけ後ろへと下がってしまう。
それをつまらなそうに眺めていたルシアは相手がかかってこないと見て取ると、顔に獰猛な表情を見せながら、自分の得物を引き抜こうともせずに人影達へと襲い掛かる。
「防げ! 知らせろ!」
人影の中の一人が短く声を上げた。
その意味をルシアが考えようとする前に、それまで下がる一方であった人影の中から何人かが、覚悟を決めたような表情で強引に前へと踏み出し、一人だけがそのまま後ろへと下がっていく。
「何をする気かな?」
呟きつつもルシアは繰り出される短剣の刃をこともなげに回避する。
引き戻そうとした手から短剣だけが奪われていることを、手の中から重みが消えたことに呆然としながら悟った人影は、次の瞬間には手首を切り裂かれて地面を自分の血でぬかるませた。
別の一人はルシア目がけて突きを放ったのだが、擦れ違うように回避したルシアに首筋を深く切られ、気道へと流れ込んだ自分の血に溺れながら地面へと倒れていく。
相手の血でぬめった刃を嫌そうな顔で調べたルシアは、その短剣を逆手に持ち替えると無造作に横へ一閃させ、別な一人がこめかみを刃に深々と貫かれて木立に抱きつくような形で絶命する。
瞬く間に三人を失ったというのに、人影達はルシアの前から逃げようとしない。
「四人もやられてまだやるの? 根性あるなぁ」
感心したように呟きながらルシアは別な一人の懐へと潜り込む。
小柄な体を生かして相手に接近したルシアは、相手が何か反応しようとする前にその顎へと指を添えると、勢いよく真横へと振り抜く。
それだけで首の骨が折れたか外れたかした人影は、あっさりと命を失ってその場に膝をつき、殺したばかりの相手の手から短剣を奪い取ったルシアは、無造作に別の一人の額へそれを突き立てて、さらに前進。
さすがに足の止まった人影のうちの二人へ歩を進めたルシアは、素早くその目の辺りへまた奪い取った短剣を閃かせ、二人の目を潰す。
あまりの手際の早さに一拍遅れてから潰された目の痛みに顔を押さえて上体を倒す二人の延髄を、さらに一閃させた短剣が断ち切ればあっけなく二つの死体が生産された。
残る人影はいくつなのかと、目を凝らしたルシアの視線の先で先程一人だけ後ろへと下がった人影がその懐から何かを取り出すのが見える。
距離的に、すぐに近づいて邪魔ができるような距離ではなく、しかも自分とその人影の間にはいくつもの邪魔をする人影の姿があった。
これは何か不味いだろうかと思いながらも、今しがたこさえた二つの死体から短剣を一振りずつ抜き取ったルシアは、素早く一本目を後退した人影へと投げつける。
「させんっ」
だがその一撃は、別な人影が持つ短剣によってあっさりと弾かれる。
甲高い金属音を立てて地面へと落ちた短剣に、防御が成功したことを確信したはずのその人影は、すぐにその体を貫いた衝撃に目を見張った。
あろうことかルシアは、最初の一本目の投擲に続いてすぐさま二本目の短剣をほとんど変わらない軌跡で投げつけていたのである。
これを防御が成功したと思い込んだ人影は防ぐことができずにその身で受け止めることになってしまったのだ。
みぞおちに深々と突き刺さった短剣を抱き締めるようにしながら倒れていく人影には目もくれずに、距離を詰めようとしたルシアだったのだが、その行動は少しばかり遅きに失していた。
後退していた人影は、ルシアの攻撃を受け止めて命を失った人影が倒れるのを見ようともしないままに、懐から取り出した何かを勢いよく頭上に掲げたのである。
その途端に、人影が握り締めていた何かが強い光を放った。
目をやられるわけにはいかず、腕で自分の目を庇うルシアはその腕の向こう側で人影が掲げた何かの先から光る軌跡を描いて何かが空へと打ち上げられるのを見ることになる。
「あ、あー……」
思わず間の抜けた声を上げてしまうルシアの視線の先で、空へと打ち上げられた何かはかなり高い位置まで飛んでいくと、そこで一際強い光を発して周囲を照らし出した。
その光を木々の隙間から見上げていたルシアは、人影が使ったそれが何らかの道具であり、遠くにいるであろう誰かに位置を報せるための合図であったことを悟る。
その頃には、思わず視線を空へと向けてしまったルシアの隙をついて、人影達はその場から全員退散してしまっていた。
その引き際は見事なものであり、ルシアが始末した死体までもがきれいさっぱりと持ち去られていたのである。
「これ、ちょっと不味いかな」
何かしら特別な処理でもされているのか、滞空したまま消える気配のない光の弾を見上げながらルシアはぼやく。
「でもまぁこれでクラースやレインも気がついただろうから、後は任せよっと」
これだけの戦闘を行いながらもルシアや人影達の存在は、未だに商隊の方には悟られていないようであった。
それだけルシアの技術と人影達の技術とが斥候として優れているということであったのだが、空に高々と光の弾が撃ち上がればさすがにレイン達とて気がつく。
ならば後は、自分が暗躍していたことがバレないようにこっそりと空き地へ戻るだけだろうとルシアは手や服に戦闘の残滓がついたりしていないかを気にしながらこっそりとレイン達が休憩している空き地へと戻り始めるのであった。
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